AI画廊 「源氏物語絵巻 第55++帖」 /Y.I.画伯, 2026

「源氏物語絵巻 第55++ 帖」 /Y.I.画伯, 2026

 「兵頭二十八による解説文」

紫式部の『源氏物語』は、第五十四帖を以て話が途切れています。あきらかにストーリーは宙ぶらりんのままです。作家は、どういうつもりだったのでしょう? これについて、私はこう考えています。54帖の時点で物語の世界と一体化しすぎた式部は、肉体の加齢もあり、執稿の速度が、構想生成の速度にまったく追いつかなくなりました。構想は楽しすぎ、書いている間は身体が辛い。それでついに擱筆しましたが、尼の姿の作者の脳内では、話はノリにのって、延々と続きまくっています。とうとう作品世界に完全に没入し、いつしか肉体の滅却後も、物語は生きていて勝手に展開しているのでございました。式部の魂魄が、今も、それを続けさせている。五十四帖が西暦1010年に書かれたと仮定すれば、それから1016年経過していますから、1年に1帖書き足すだけだったとしても、パラレルワールドにてはすでに千七十帖くらいまでもひろがっておりましょうか・・・。
(令和八年正月 兵頭 二十八 識)


AI画廊 「畝傍艦 宿命の航海」(IJN UNEBI—The Last Voyage)」 /Y.I.画伯, 2025

吾れ待つ浦へ あと千浬! ――畝傍艦 宿命の航海 IJN UNEBI 1886 /Y.I.画伯, 2025

 「兵頭二十八による解説文」

 明治19年(西暦1886年)8月に長崎に示威寄港した清国艦隊の水兵が市街で狼藉を働くという事件があった同じ年の10月、フランスのルアーブル造船所で竣工した防護巡洋艦『畝傍(うねび)』(3615トン)は、日本への回航に出発します。12月3日、途中寄港地のシンガポールを出たことは確かなのですが、その後、消息を絶ち、海軍省は翌年、同艦が南支那海にて亡没したものと認定するしかありませんでした。生存者も目撃者もいません。使える無線は無い時代でした。
 『畝傍』という艦名はその後、帝国海軍の軍艦に付けられたことはありません。
 私は、この艦名を呪われたままに忘れ去ってしまうのは公正ではないと思うので、このたび Y.I.画伯にその《最後の航海》をイメージしていただいたのです。


AI画廊 「信徒発見(1865—The Discovery of the Hidden Christians)」 /Y.I.画伯, 2025

信徒発見(1865—The Discovery of the Hidden Christians)

  

 「兵頭二十八による解説文」

 こんかいお披露目しますこの1枚「信徒発見(1865—The Discovery of the Hidden Christians)」は、クリスマス向けの企画として Y.I.画伯 に特にお願いし、2025年12月中にAI製作していただいたものです。

 西暦1865年3月(慶応元年は5月からで、それまでは元治2年)の長崎でのこの出来事につきましてはウィキペディア等に載っていますので、詳しくお確かめになりたい方は、そちらでどうぞ。
 私なりに簡略にまとめれば、こうです。

 安政条約を根拠に、日本国内に居留外国人向けの西洋式教会を建ててよいことになったので、1862に横浜天主堂、1864に長崎・大浦天主堂が建ちました。大浦教会を任された2人の神父のうちの一人がベルナール・プティジャンです。
 1865年3月17日(西暦)、地元民のふつうの見物人を装った15人ほどの集団(隠れキリシタン)があり、その1人の女がプティジャン神父に声をかけ、じぶんたちはキリスト教徒だと伝えたのが、事件の瞬間です。

 ローマ教会にとって奇跡的とも受けとめられたこの驚きの一瞬を、バロック技法の西洋画家たちならば、いったいどう描くだろうかと、私は以前から空想をしてきました。しかし「信徒発見」の画題でネット検索しても、私を満足させる劇的な構図には、ひとつもお目にかかれません。どうも戦前・戦後を通じ、日本の近代画家たちの熱量は低いのだろうと思えてきましたので、わたしが Y.I.画伯 に発注することにしました。

 女は神父に次のように声をかけたと、プティジャンが報告書に記しています。「ここにいる私たちは皆、あなたと同じ心です」「サンクタ マリア(ノ)ゴゾオ ワ ドコ(Where is the Statue of the Virgin Mary?)」

 私個人は曹洞宗なのですが、奥さんと子どもはカトリックです。12月はプレゼント・シーズンですから、この一枚を、お贈りしましょう。
 そして Y.I.画伯。貴男には、きっとローマ教会からの祝福があるに違いない。

  令和七年十二月二十日  兵頭 二十八 識