LPまたは45回転音源しかないマイナー楽曲をロボットプレイヤーでオンデマンド配信できるサービスに需要があるはずだ。

 つまりCDにすらなっていないアナログ・レコードだ。これを物理的巨大倉庫内で検索してロボットが再生し、オンラインで切り売り送信(もちろんMP-3のデジタル信号)して課金するビジネスモデル。
 大問題はスクラッチ・ノイズの処理だろうが、レーザースキャンとAI画像チェックを使えば簡単な話だ。
 貴重盤かもしれないSPやLPに、物理針はおいそれとは落とせない。「レーザー針」で非接触的に溝信号を読む方式にするのは当然である。そしてそのトラックをする前にまずレーザーで盤面全体をスキャンするのだ。溝をまたぐような疵が彫られていれば、AIはそれがスクラッチであると理解する。その部分のノイズ信号は送信直前にキャンセルしてしまえる。
 ところで、その巨大倉庫はどこにあるか? 国立国会図書館の地下蔵だ。国会図書館と民間会社が提携すればいいのだ。
 次。旧資料備忘摘録。
▼有竹修二『荒木貞夫風雲三十年』S50-12
 著者は戦前の朝日新聞で天声人語を担当していた。戦後、時事新報の重役。
 有末精三の巻頭言。
 有末が歩兵中尉で陸大を卒業して、札幌郊外の「孤立聯隊」にいたと参本勤務を命ぜられた。大14の暮。
 連隊は宇垣軍縮で士気消沈していたが、さすがに参本は違った。
 柳川平助は、陸軍次官ののち、司法大臣になった。
 荒木は巣鴨に10年拘禁された。
 出所後、日本協会という庶民の任意団体の会長を荒木は引き受けた。
 死んだときに、佐藤栄作宛の遺言が見つかった。
 以下、本文。
 S5に『日本をスパイする』という本が出た。フランスで亡命したソ連の代理大使ベセドフスキーが仏語で出版したもの。
 この者はS1からS2には日本にも駐在した。
 ソ連の「冷戦のタクチック」もこの本で判然する。
 この者は日本に赴任するときスターリンから国策の説明を受けた。いわく。
 ソ連の東洋における第一目標は支那の赤化。日本には当面、対支不干渉をさせておけばよい。シナは蒋介石によって統一させる。しかし蒋は共産党員にはならないから、その後で青年共産党によって置き換えるのだと。
 さらにスタは言った。日本を動かしているのは三菱財閥と三井財閥。漁業権と、北樺太の石油利権で、この2大財閥を操縦する、と。
 そのころロシア大使館は霞ヶ関の外務省の隣にあった。
 日本の敗戦後、ソ連は上野の図書館にあったこの訳書をすばやく撤収した。だから荒木は東京裁判でこの本を証拠に持ち出せなかった。
 大4に荒木少佐は露軍に従軍してガリシア、ルーマニア、ドフルジアの前線に立った。当座は日本の評判はよかった。ところがWWI中にみるみる日本の評判は悪化した。シベリア出兵が不人気だった。戦中の日本からの粗悪な輸出品の評判が輪をかけた。ギリシャ、ユダヤ、イタリアと並ぶ不人気民族に落ちたのを肌で感じた。
 荒木大佐は、露独単独講和の後、モスクワ大使館員だった芦田均と一緒にシベリア鉄道で帰朝した。
 田中義一が荒木をまず丸の内の泰平組合へやり、それからウラジオへ出張したが、建策が容れられないので、非常に憤慨。辞職寸前まで行った。
 帰国させられて、熊本23聯隊長。
 将校集会所の経費がないので、乃木大将がベルリンから持ってきた大きな鏡などをみんな売り飛ばそうという相談をしていた。
 世間はやたら景気がよい。軍隊内はおそろしい貧乏。木と鉛で軽機関銃をこしらえ、竹と新聞紙で戦車をこしらえて演習した。
 自然発生的に中尉と少尉たちが横の連絡をとって「天剣党」ができた。これは昭和のはじめに陸軍省が解散させた。
 幣原外交時代、聯隊に毎年800~1000人が入隊するが、そのうち70~80人は赤だった。
 憲兵司令官のときいろいろな人物に会った。北一輝は片目で、、みるからに気魄があり、弁舌も筆も人を魅了した。北が青年将校の心を掌握し、大川周明が中堅将校を把握した。
 太田耕造は帝大の新人会に対抗するため『国本』という雑誌を出していた。
 陸相だったときに千葉の歩兵学校が焼けた。
 奈良侍従武官長の後任にはなれなかった。国本社の関係だから。
 三月事件は陸軍省の弱みとなり、そのため続く策動を取り締まれなかった。
 「三次官」は、杉山陸軍次官、二宮参謀次長、荒木教育総監本部長。
 橋本虎之助は陸軍次官ののち満州の神宮祭官。最近、シベリアで死んだ。
 10月事件では長勇が警視総監になることになっていた。
 小畑の父は高級判事。兄が貴族院議員小畑大太郎。近衛を天子様の身代わりのように崇めていた。
 石原莞爾は鶴岡の出。あのへんは維新のときにいじめられた。
 荒木は、尉官時代は刀の柄に「誠」と彫った。佐官時代には「断」と彫った。将官時代には「裕」と彫った。
 黒木親慶は16期。宮崎出身。セミヨノフ政権のために働き、日本政府が彼を見捨てると、病気と称して少佐を辞してセミヨノフのために尽くした。セミヨノフは何度も来日し、宮崎の黒木の墓にも詣でて、銀の花輪を捧げた。
 註いわく。セミヨノフはバイカルコサックだが、人種的にはアジア人だった。
 上野の精養軒では、歳末に省部合体の忘年会が恒例。
 第一次上海事件の9Dの緊急動員は、脚がついてない。つまり輜重抜きなので、先へ伸びられない。
 辻政信は空閑少佐の下の中隊長だった。聯隊長の林大八は戦死。この下元旅団から、爆弾三勇士も出たのだ。
 鈴木率道はWWII中に満州に追放され、そこで航空軍司令官をやっていたが、物資集めのスキャンダルを負わされて、中将で予備。その後、統帥綱領を見直す作業のため、また召集された。鈴木はその作業中に心臓麻痺で死んだ。
 5.15は日曜日だから選ばれた。日曜日でないと士官学校の生徒は外出ができないのだ。じっさいには日曜日は返上になったので「脱柵」して加わっている。
 2.26裁判では海軍の法務官が自殺している。
 陸軍の献納飛行機。献金者には米国人やロシア人もいた(p.120)。
 S9の尾崎行雄の質問書の中に「満洲国は永遠に支那に返還すべからず」とあった。
 鈴木貞一は、中佐ぐらいのときから、議論が熱してくると長上者の自宅内においてまで人を怒鳴る男だった。
 メッケルの胸像は、日独戦争のとき、はばかって、陸大の中庭へ移した。玄関正面から。
 荒木の陸相時代、「満州であるロシア婦人が旅行すると、その歩いたあとに必ず伝染病と馬の炭疽病が多くある。怪しいと見て、調べると郵便物で細菌を送ったものがあることが判明した。そこで徹底的に細菌戦防御に力を入れることになった。」(pp.150-1)。
 一年志願兵制度は、120円というカネの有無によって兵隊を差別する悪法なので廃止した。いったん全部、兵隊として採り、その中から幹部候補生を採るという仕組みに直した。
 真崎のあとに渡辺錠太郎が教育総監になった。その初度巡視のとき、真崎が総監時代に出した国体明徴問題についての訓辞(三長官打ち合わせの上で出したもの)を批判した。だから2.26で殺されたのだ(p.180)。※渡辺と荒木はとことん反発し合っていたことが本書からは伝わる。
 荒木の実弟は、横須賀防備隊司令官。
 文相時代、宗教団体法案の中に回教徒もいれろというやかましい要求があったが、断り通した。神道、仏教、基督教を中心とした内容になった(p.214)。
 編者のことば。インタビューはS30の夏から晩秋にかけて。
 一回に4時間も喋ることがあった。
 時事新報に連載している。
▼松村清二tr.『ライフ ネーチュア ライブラリー 植物』1977、原1963
  ※ものすごい情報量の良心的な大版図鑑で、昔のタイムライフが庶民啓蒙に賭けた本気度が伝わる。和訳者による補足も至れり尽くせり。
 ハッカのことをラテン語でメンタという。
 アブラナ科は、苗のときからカラシ臭でわかる。野生のキャベツが先祖。
 緑藻は藍藻より複雑で数も多い。
 しかし燐酸塩、硝酸塩が陸から流れ込む岸辺でしか生きられない。
 よって、緑色の海は沿岸だけである。
 巨大海藻をケルプという。褐藻として最大。
 キノコの菌の本体は土中に隠れている。
 松柏類が地上に出現してから1億5000万年してようやく被子植物が出た。
 藍藻は遅くとも20億年前に出現した。
 精密顕微鏡は1600年代。レーベンフックがバクテリアを発見し毛細血管を観察できた。
 可視光線のいちばん短い波長は5万分の1センチ。それ以下は光学顕微鏡では観察しようがない。
 電子顕微鏡は、本書時点では真空状態でしか使えず、生きた細胞を観察できない。電子線は真空中でないと進めないので。
 植物細胞は五角形で密集する。
 アスパラガスの茎の基部が硬いのは細胞の老化による。
 バルサ材が軽いのは細胞膜が薄いため。
 5ミリ以下の植物では、葉や花を構成できないので、被子植物たりえない。
 ヒトの気管は軟骨の輪により補強されている。
 カロチン色素の機能がまだよくわかっていない。
 1804没のプリーストリーは酸素を発見し、植物が酸素をつくると推理した。それ以前は病室は締め切るものだったが、彼より以後、病室に花が飾られる。やがてインゲンホウズが、酸素を出すのは葉の部分だけだと究明した。
 セルロースは世界で最も安定した有機物。
 牛は消化器官内のバクテリアの助けを得てようやくセルロースを分解する。
 澱粉は大きな分子なので水に溶けない。
 種子の内部の水分が8%になると種子は息をふきかえす。
 単位体重あたり一定時間に失う水は、植物が動物の100倍。
 表面張力による吸水限界は100気圧。よってメタセコイアも110mが限度。
 海岸地方で井戸を掘るなら、短いパイプを地中に打ち込む。さすれば塩水より重い淡水が得られる。深い井戸からは塩水しか得られない。
 オランダでは海を干拓して3年経つと、サトウダイコンや大麦を栽培可能になる。
 米国でいちばん雨量が大なのはワシントン州の森林地帯。記録上は、ハワイのワイアリール山。
 タケノコの成長が早いのは、地下茎にたくわえられたエネルギーを使っているから。
 若い、成長している細胞はこわれやすいので、樹皮で保護されている必要がある。
 年輪調査から、1290年の北米西部に、異常な乾燥が襲ったことがわかっている。インディアンが住居を放棄して去っている。
 トマトの生長には夜間の温度だけが影響することがわかっている。それが24℃以上になれば、不稔化する。
 馬鈴薯は、夜間気温が11.5℃のとき、商業価値のあるものに育つ。
 温度帯に関してはバラが最強の観賞植物で、アマゾンからアラスカまで植えられる。暑さにも寒さにも耐性があるのだ。
 泥の中には酸素がない。だから根がシュノーケル構造になっていないと生存できない。
 エアコン付きの温室は、1933に発明された。
 アナナス科植物を伐除すると、マラリア蚊の繁殖が激減する。
 トゲ植物は、ヤドリギに寄生されない。鳥が粘着物をこすりつけないから。
 北米に持ち込まれた馬鈴薯は、アイルランド移民が欧州からもたらした。1719年に。
 英国に北米の雑草が侵入したのは、カナダの穀物に混ざっていたもの。
 植物に循環系はないから、動物のように抗生物質を注射しても効果が薄い。
 植物は、葉に受けた太陽エネルギーの2%を、化学エネルギーに転換している。
 「将来の農業や林業でどんな植物が真に重要なものになるか、だれもいえない」(p.177)。だから、天然林があったら、絶滅させるな。
 ヤコブがエサウにつくってやった赤いスープは、レンズマメ。
 ミズゴケは、蘇綱に属する。
 ヤマモモ目のベイベリーの蝋皮は、香りのある蝋燭の原料。
 ソバはタデ科。
 サボテンは新大陸原産。
▼H・G・ウェルズ著、吉岡義二tr.『世界はこうなる――最後の革命』S33-4pub. 原“The Shape Of Things To Come――The Ultimate Revolution”1933
 谷川徹三の序文。オルダス・ハクスリーは原爆の出現に衝撃を受けて『猿と本質』というシナリオを書いた。第三次大戦から百年後のアメリカを陰惨に描く。
 ウェルズは、一般人を教育すれば、その先には最後の革命と理想世界があると信じた。
 訳者による巻頭凡例。
 この作品は、1920の“The Outline of History”(世界文化史体系)の続編とみなせる。
 この訳文は「刈り込み」をしていない。全訳である。
 原爆が日本の2箇所に投下されると予言してある。
 原著者による献呈辞は、「探求者 ホセ・オルテーガ・イ・ガセット」に捧げられている。
 空軍力による世界規模の独裁制が登場する。
 マンハッタンの摩天楼の残骸は、2016年に取り除かれる。
 ロンドンの北傾斜面に新しい大建築を建て過ぎて、地すべり地震が起きる。
 マルクスは、クリスチャンであるユダヤ系法律家の息子だった。天才エンゲルスは、ランカシャーのキャラコ商人だった。
 マルクスは、自分の死後の名声を予期せずにロンドンで死んだ。
 マルクスが掴んだこと。人生の闘争は、完成された過去 vs. それに不満で前進を欲する勢力。この闘争が、全歴史をつらぬいている、と。
 エンゲルスに寄生する生活無能者だったマルクスは、もうけるという刺激にかわって何が経済活動の動機になるのかにつき、なんの考えもなかった(p.51)。
 米国とフランスがgoldをやたら溜め込んで放出しない政策をとったので、WWI後の世界不況がひどくなった。
 セオドア・ローズヴェルトは企業集中排除に大功があった。1890のシャーマン反トラスト法。
 ナポレオン戦争時代に作家だったジェーン・オースティン(1775-1817)の小説には、戦争や会戦・海戦への言及は絶無。上級英国人は戦争と没交渉に暮らすことができた。
 長距離攻撃できる「空中魚雷」(p.61)。
 雨と降る毒針から兵士や市民の身体を守るアーマーが開発される。
 上空から落下する爆弾に抗堪できる都市および家屋構造が、先進国の繁栄を保つためには不可欠であることが、徐々に悟られた。高層ビルは禁止され、地下壕が拡充された(pp.63-4)。
 1914-8の欧州はすばらしい上天気であった。
 英国人には、フォッシュという名はドイツ人のように聞こえた。
 潜水艦の内部空間には人体が放出する湿気が濃密にこもってしまう。
 WWIの対潜機は、信号によって、駆逐艦を敵潜位置まで導く役目だった。
 独潜は、10回出撃して生還することは稀だった。
 東部戦線では、露軍は弾薬が欠乏した。
 1916の西部戦線では、英軍の大隊は600~700名だった。
 遺棄死体を野鼠が喰った。
 ケレンスキーは弁護士。和戦のどちらを選ぶべきかをはっきり国民に示すことができず、何もかも中途半端だった。
 共産党は、どんな条件でも停戦する、と平和を確約したので、第二革命で勝利した。
 1916に1万2000人の露兵がフランスに送られている。
 1918のドイツ軍の機関銃手は、麻薬をのまされ、くさりで機関銃にしばりつけられて射撃し続けた(p.79)。
 ユトランド海戦以降、独海軍司令官は、部下に海戦を命令できなくなった。逆に部下から暴力で脅されるので。
 フォードの自動車は Tin Lizzie と呼ばれた。※モデルT。
 この世から馬を最も多く追放したのがフォードの功績。道路からばかりでなく、耕作用トラクターを造る事によって畑からも(p.81)。
 米国の新聞記者は、「遠慮は無用」主義。
 ウィルソンには思想の深みも広い寛容もない。無益な芝居のみがあった。民主党と米国有権者にウケることで精一杯だった。
 彼の大仕事はポーランドを復活させたことだった。復活したポーランドは、すぐに、国民の三分の一を占めるユダヤ人を迫害しはじめた。
 ヴェルサイユ条約署名の1年後、ギリシャとトルコが戦争状態に。英国はギリシャを、仏伊はトルコを支援した。シチリア島のフランス人はトルコによって追い払われた。
 ウィスラ河口のダンツィヒは、まるっきりドイツ人の都市であった。
 世界国家の父は、プラトンである(p.139)。
 1860年代の英国の2人組強盗。後ろから首を絞めると同時に被害者の口の中に瀝青や漆喰を押し込む。そして金品を強奪する。
 予言。1935に中国軍が大阪と東京を報復爆撃。永久死滅ガス弾だったが、うまくいかず、不妊性放射性ガスが副生された(p.174)。※これは原爆とは思えない。訳者は混乱をしているのではないか。
 5機から9機の爆撃機を搭載した潜水艦。爆撃機は「原子弾」を積む。またある潜水艦は、必要な操縦装置をもった三十の長距離空中魚雷を積んでいた(p.175)。
 ビザンチン帝国(東ローマ帝国)とササン朝ペルシャは、3世紀ものあいだ争い、どちらも疲弊したために、イスラム教徒のアラブ人に攻め亡ぼされてしまった。
 ギボンは、ビザンチン宮廷1千年の歴史を省略した。
 狭量さがドイツを世界から孤立させ、大戦で敗北させた。
 予言。WWIIは1940に始まる。
 「あの豪華船タイタニック号が、一九一二年に氷山に衝突したとき、ボートにのがれて生き残った者が、そのふなべりにしがみついてボートを沈めそうにするおぼれる男女の手首をうって、海につき落した光景を思い出させる」(p.222)。
 ゾンバルトいわく。欧州は、1800には人口1億8000万だったが、移民を送り出したにもかかわらず、1914には4億2000万人に増えていた。
 ドイツ語で代用品のことをエルザックという。
 モンテカルロのカジノの庭園では、大負けした者がしばしば拳銃自殺した。
 巻末の跋。訳者は銀行家で、終戦時に満州にいた。ソ連に抑留され、サマルカンドで5年過ごした。S24に帰国。
 訳者あとがき。戦時交換船で外地から引き揚げてきた人がこの原書をもっていた。それを小樽高商の同窓生経由で貰って読んだら、日本敗戦の予言があるので、戦争中に岩波茂雄にその話をした。S18応召出征、奉天で終戦。そのとき図嚢中にこの原書があった。刻みタバコの包装紙を蓄え、2年かけて訳し終える。しかし収容所を出るとき、原書も訳稿も没収された。帰国後、早朝と日曜日を使って再び全訳に挑んだ。版権交渉は一人でやった。今は東京・下落合に住む。
 ※うんざりするほど長く、そして「驚き」が欠如している。後年、レムが総括して、ウェルズはSF小説では人々が動いてくれないのにシビレを切らして直接政治運動に飛び込んだ――と見たのは正しい。娯楽性も驚きもない作品に誰がひきつけられるのか。リアルタイムの1933のナチズムのわくわく感に及ばなかったこと遠し。