「ボヘミアンラプソディ」は刑務所(少年院?)の歌である。「思い出のグリーングラス」は死刑囚の歌である。英語圏では監獄や死刑の歌が普通に人気を得る。彼らの伝統であり文化である。供給があるのは、需要があるからだろう。しからば何ゆえに英語圏の人々は、監獄や死刑の歌を歓んで聴きたがるのか? また、なぜテレビドラマや映画のおなじみの舞台としてもしばしば刑務所が選ばれるのか? それほどまでに身近だから? この不思議についてもう何年も考えているが、いまだに解らない。
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Kyle Mizokami 記者による2019-1-4記事「Taiwan is Reverse-Engineering Fighter Jet Engines to Power a Cruise Missile」。
台湾はF-5から取り外したJ85エンジン(J85-GE-21)で、超音速の巡航ミサイルを組み立てる気らしい。
F-5は、単座と複座あわせて308機も過去に調達された。
このエンジンをリバースエンジニアリングするとも言っている。
J85は外径17インチ。
冷戦中、このエンジンは、B-52が自衛用に放つ囮ドローンの「ADM-20 クエイル」にも搭載されていた。
また台湾は、ボロボロの2隻の潜水艦のうち1隻を半分にカットして、潜水艦の構造の勉強を一から始めるつもりでもあるという。
※いまのいままで、何をやっていたんだ、という話。パキスタンですらトマホークのコピーに成功しているというのに。じつは台湾人は本気で何かをするつもりはないので、こうした宣伝報道に騙されてはいけない。
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ストラテジーペイジの2019-1-6記事。
GCC諸国はイスラエルのテロ封殺ノウハウを学びたがっている。
中東は例外なく部族混合国家。そしてほとんどの国家で、マイノリティが社会を牛耳っている。ヨルダンではベドウィンが。シリアではアラウィ派が。イラクではスンニ派が。サウジではNejdisが。
そうなると「能力主義」は不可能である。能力よりも忠誠が、出世のカギになる国家・社会ができる。
アラブ人はコーランを機械的に丸暗記する。西洋人がその字句の意味について辞書で調べようとすると、馬鹿にして見下す。コーランの翻訳じたいを喜ばない。
西欧諸国は、教科書をどんどんよりよいものに書き換えていく。
アラブは、けっしてそうしようとはしない。
アラブにはミドルマネジメントがない。軍隊でいう下士官層が機能していない。支配者とモブの2階層しかない。誰もそのなかだちをしない。
支配層は責任を取らない。致命的な労災のような大事故が発生しても、誰もモブの犠牲などに気をかけない。
アラブの支配者は、部下(機関)の相互連絡・連携を嫌う。部下が結託して政府を転覆するのではないかと疑うからだ。
アラブのリーダーは、他のリーダーが、約束した通りのタイミングで正確に仕事(作戦)をするだろうなどとは思っていない。他人をまるで信用していない。
アラブのリーダーは、部下や同盟者(他国のリーダー)に嘘をついてもゆるされると思っている。そしてそれを責められると「彼らは誤解している」と言い直るのが常である。
西欧人は、知識やスキルを他に分け与える教育に燃える。しかしアラブ人は知り得たことは一人で独占しようとする。
というのは、他に誰も知らないことを知っていることが、アラブでは、人の値打ちだからだ。誰に何を教えたかではなく。
米国のアドバイザーたちは学んだ。アラブ人に技術を教えることはできる。しかし「リーダーシップ」(指揮官/上司としての振る舞い)を教えることは不可能であると。
個人のイニシアチブ発揮も、アラブ人にはなじまない。自分で何か考えて賭けに討って出るよりも、集団全体で確実に失敗する道の方がよほど安全だと考えられている。
アラブの上官は、部下のこまかいところまで監視し統制しようとする。部下を統制できていることが、戦争に勝つことよりも大事なのだ。
アラブ人の指揮官は、米軍のアドバイザーに、なぜ自分が「決心」をしないのかは説明しない。それで米軍のアドバイザーは怒る。
欧米の軍事学校に留学したアラブ人将校でも、けっきょく、同じである。彼らが中堅指揮官や下級指揮官としてのイニシアチブを発揮することはない。それは伝統文化に反するからだ。
中間指揮官にイニシアチブがないと、最先端の兵器・機材を現地で適切にメンテナンスし、修理するということも不可能である。アラブ人将校は、すべてのメンテナンスを中央補給処がやってくれることを期待する。自分の責任を免れるために。
したがってアラブ軍の装備稼働率は、低い。
中東地域で事業を展開する、非アラブのモスレム経営者たちも、この問題に直面している。
アラブ世界では、軍や公務の話は全部厳秘である。
西側軍隊では、将校の昇任は定期的に公示される。官公署の人事異動も然り。だがアラブでは、決してそのような情報はオープンにされない。
このため、外国軍や外国企業と協働してきたカウンターパートが、突如、何の予告もなく、転属・転勤していなくなってしまう。築かれてきたネットワークはそこで断絶する。チームスピリットは育ちようがない。
西欧社会は、新約聖書中に政教分離に都合のよい句が記されていたおかげで、政教分離できた。
しかしイスラム教では政教分離は不可能である。まず「イスラム」とは「服従」を意味した。そしてイスラム聖典は、人々の生活の細部についてだけでなく、政府の形態に関しても規定しているのだ。
ここから最初に抜け出そうとしたのは1920年代のトルコだった。
ついで1950年代のマレーシアが、英国システムを導入して経済的に成功した。
今日マレーシアにはイスラム過激主義に対して拒否的な精神風土があることは特筆される。
トルコは1928の法律によってアラビア文字からローマ字に国語表記を切り換えたのだが、さいきんトルコ内には、この法律を廃止しようという運動もある。大衆は支持していないが。
※ストラテジーペイジの記事がほぼ無署名であるのには理由があるだろう。このようなエッセイは、欧米の大手新聞ならば載せてはもらえない。たちまち「レイシズム」のレッテルを貼られてしまうからだ。しかし、イスラエル系の記者がアラブ世界について書くことが概ね本当の事実であったら? 日本がイスラエル発のこうした地道な英文宣伝活動に学ぶことは多いはずだ。