自宅帝國

  Andrew Krepinevich 記者による2019-3-27記事「‘How Is Yoda?’: An Appreciation Of Andy Marshall」。
     アンドリュー・マーシャルはペンタゴン周辺では「あなたが聞いたこともない、最も有名な人物」であった。
 二十代にしてエンリコ・フェルミとサイクロトロンを構築。経済学者のケネス・アローとはブリッジ・ゲームの相棒だった。
 1950年代のランド研究所にはハーマン・カーンやアルバート・ウォルステッターのような核戦略家がいた。それに伍していた。
 グラハム・アリソン著『意思決定の本質』は、マーシャルの仕事からヒントを得ている。
 1970年代に、ソ連経済とソ連軍の分析に関し、彼はCIAの見立てに真っ向から異を唱えた。結局、マーシャルが正しかった。ソ連の軍拡は、経済力の下支えを欠いた、持続不可能なものだった。米情報当局は、社会主義計画経済のポテンシャルを買いかぶりすぎていたのだ。
 マーシャルのおすすめ大戦略は、「我慢して時間を稼げ」だった。なぜなら時間が西側経済システムの味方であって、ソ連経済は時間とともに苦しくなる一方だと予測ができたから。
 マーシャルはいまから30年以上も前に、「次の米国のライバルは中共で、そうなるのに半世紀かからない」と予言した。
 マーシャルは核爆発実験にも立ち会ったことがあり、太陽の中にいるような熱をその閃光から感じて、まさに恐怖の兵器であることを理解した。
 この経験から、大国の指導者は全員、熱核兵器の大気圏内実験を見学すべきだと信じていた。そうすれば正気を保てる、と。
 欧州旅行したときにマーシャルはノルマンディの米軍墓地に詣でた〔ノルマンディ上陸作戦のときマーシャルは22歳くらいだったはず〕。同年代の戦死者たちは、彼の《身代わり》のようなものだった。
 マーシャルは1939年に高校を卒業した。9月1日にヒトラーのポーランド侵攻があり、数日後には英仏が宣戦して第二次世界大戦が始まった。彼の親世代はWWIを知っている。やがて全米の家族から戦死傷者が出るはずだと予見できた。そのためこの年9月の高校卒業式は、ムードが沈鬱だったという点で歴史的に稀有なものだった。参席した親たちの多くが、卒業する息子の姿を見て泣いていたという。
 こんな経験をしているマーシャルが、他の世代人よりも強く心に誓うところがあったであろうことは想像に難くない。
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 KIM GAMEL 記者による2019-3-29記事「US military increases security at S. Korea bases due to potential threat」。
     キャンプ・ハンフリーズと米軍に反対する韓国人によるテロ攻撃が予想されるため、同基地では、警戒レベルを引き上げた。
 ※沖縄ではすでに反米軍ゲリラによる放火テロが起きている(3月24日。容疑者情報皆無)。いまほど暴徒予備軍密度が高くなっている沖縄県に、監視カメラもロクに設置されていないとは、あきれるばかりだ。杉並のコソ泥殺人犯だって、監視カメラ網の密度が他の文明国並に高ければ、即座に特定できたはずだろう。自動録画可能なテレビドアホンも、最近は電池式・無線式のものが登場していて、全戸に普及させることは容易なのに、みんな何をやっているのかと思う。