(2002~2003年頃に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』へUPされたものです)
これはある一人のファンが、”あるやんごとなき御方”に手紙で訊ね、さらにその後に、長時間の電話インタビューも試み、根掘り葉掘りいろいろと聞き出したことを書き留め、それを整理してみたメモである。“別に自由に載っけてもいいよ”との許諾を得たので掲載する。
尚、”あるやんごとなき御方”と直接的に利害関係が一致する方は、全て忘れてくれる事を期待する。
ある一人のファンにとっては「軍学考、最後のフツーの単行本宣言」が、多分、撤回されたようであるのが何よりも僥倖である。
■本人による主な著述の回想(媒体名・発行DATE・版元・内容。記事タイトルは略)
●単行本(単著)
『日本の陸軍歩兵兵器』1995年5月、銀河出版刊
--ダメだダメだといわれるばかりの日本陸軍のハードウェアだが、ダメな兵器で
世界を相手に何年も戦争できた訳がないと、いかに事実誤認がまかりとおっているかを戦後初めて具体的に指摘。旧陸軍見直しブームのきっかけを作る。
『日本の防衛力再考』1995年12月、銀河出版刊
--わが国の安全保障論の決定版「教科書」。巻末に「指導教官・江藤淳」時代の東工大修士論文を全文附録。
『ヤーボー丼--いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか』1997年4月、銀河出版刊
--宮本武蔵の兵法とは片手馬上刀術である。リデル・ハートの間接アプローチとは孫子の英訳だった。
『たんたんたたた--機関銃と近代日本』1998年1月、四谷ラウンド刊
--日本人は目に見えない精度を軽視する民族的欠陥があり、それが対米戦争の敗因になっている。南部麒次郎の評伝。
本書の書評として、発売直後の月刊『中央公論』の連載コラムにおける福田和也氏のものはかなりのインパクトがあったのではないか。また、だいぶ後の言及としては『週刊読書人』02-4-12号の可能涼介氏のものがある。
『有坂銃--日露戦争の本当の勝因』1998年3月、四谷ラウンド刊
--三八式歩兵銃は司馬遼太郎が言うような粗悪兵器ではなかった。有坂成章の評
伝。※こういう本を出すので、司馬氏の人脈に連なる現在の書評家からは絶対に評価されることはないのである。
『日本海軍の爆弾』1999年5月、四谷ラウンド刊
--日米両軍の使用した爆弾は、同じ重さでもまるで出来が違っていたことを、両軍の戦術思想面から解明。本書の眼目は、大西瀧次郎はじつは徹底合理主義者であったと見直したこと。
『「日本有事」って何だ? 「超カゲキ」VS「常識」問答』2000年2月、PHP研究所刊
--シビリアンコントロールとは、軍人だけでなく宗教関係者にも戦争指導に関与させぬことである。だから公明党がシビリアンコントロールを言うのはおかしい。店頭発売は1月24日。
『武侠都市宣言! 戦後「腐れ史観」を束にして斬る』2000年2月、四谷ラウンド
--日本のマスコミの自虐体質は何に拠るか。改めて司馬批判。脱稿は99年11月末。
『軍学考』2000年10月10日、中央公論新社(中公叢書)
--この執筆では消耗虚脱し、担当の平林孝さんには、最後のフツーの単行本にするかもしれぬと宣言。しかし、やがてこのくらい苦労しないと一定水準の本は書けないと悟った。スポーツと同じなのだ。
『日本のロープウェイと湖沼遊覧船』2000年11月10日、(株)教育システム
--儲けるつもりなら絶対に採算は合わない企画。だから類書は無い。印税を先払いとしてもらい、それを取材費に使い尽くす方法で作った。1,000部の直販。貴重書。
『パールハーバーの真実』2001年7月5日、PHPビジネス出版
--映画の公開(7.14)より9日早く店頭に並べるという、この版元ならではの早業。山本五十六がいかにして陸攻=日本版フライング・フォートレス中心の新日本海軍を作り上げたかを、20ミリ機銃の導入を中心に検証。
※8月3日に、細かい直しを入れた「二刷」出来。
『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』2001年11月19日、ちくま新書
--9月11日テロの翌日に決めた特急企画。3週間で入稿したが、その後がユックリしているのが老舗の筑摩書房らしかった。しかし、初刷りで1万5000部だから文句は言えない。
『地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法』2001年12月、四谷ラウンド
--もともとPHPビジネス出版で第二弾として出して貰うつもりで書き進めていたのに、下書きを見て断られてしまったための持ち込み。ならいっそ御礼奉公とばかり、増刷含めて6000部、ノーギャラ。表紙撮影では4万円以上持ち出している。
本書の珍しい書評として、『週刊東洋経済』2002-3-23号の原田泰氏(エコノミスト)がある。
『日本人のスポーツ戦略--各種競技におけるデカ/チビ問題』2002年8月、四谷ラウンド
--これもノーギャラ企画として持ち込んだ。担当は、いつもの齋藤祐也君が東南アジア放浪のため、浅利氏となる。並木本で小松氏がグズっている最中だったので、X島と異なり、表紙も四谷さんに丸投げ。
『軍学者が語る! 沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』2002年9月、(株)PHPエディターズ・グループ
--「対抗不能性」を経済のたとえ話で。さんざんせかされたので7月上旬に入稿したが、8月は売れない月だと店頭売りを9月13日に順延された。本文中「ネーミングがすべて」と教えているのにこのタイトルは酷かろう。自分の本が売れぬ理由をその本の中で解説しているという快著になってしまった。さらに、校了直前に、差別表現はいかんとやらで、あちこちを慌てて直す等しているのが却って不自然に目立つ。
結局この本は不振な成績に終り、同一スタイルでの第2弾はPHP本社の学芸出版部に託されることに。
『学校で教えない現代戦争学』2002年9月、並木書房
--5月に出るはずのところ、なんと9月27日に店頭発売された。その間、テロと反米をめぐる論壇の議論にまったく貢献できぬ状態が続き、2つの教訓を得た。まず、100項目近い見開きの解説を1人で書くなどというフォーマットは条件として呑むべきでない。次に、この版元では以後は時事種は避けるのが正しいのだろう。
●単行本(共著)
『陸軍機械化兵器』1995年6月、宗像和広・兵頭共著、銀河出版刊
--日本陸軍の戦車の開発が立ち遅れた背景には、貧農出身の歩兵科のエリート
が、金持ち階級である騎兵科を嫉妬したことがある。
『日本の海軍兵備再考』1995年8月、宗像和広・兵頭共著、銀河出版刊
--荒っぽい本だが、日本人は燃料地政学に目覚めよという主張が、日本の国家戦
略を大きく考えている目黒の防衛研究所内に支持者を獲得したのは、以て多とすべきか。
『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力』1997年7月、三貴雅智・宗像和広・小松直之・兵頭共著、銀河出版刊
--九七重爆はロッキード輸送機のコピーだ。一式陸攻のコンセプトはソ連の遠距離爆撃機だ。日本の鉄道が終戦まで止められずにすんだのは、米軍に双発爆撃機を飛ばす余地がなかったからだ。
『イッテイ--13年式村田歩兵銃の創製』1998年10月、原作/兵頭、作画/小松直之、四谷ラウンド刊
--田原坂は大砲を通す道路としてではなく、弾薬を運搬するために確保する必要があった。薩摩士族にとっての熊本城天守に特別な意味があり、それを知っていた児玉源太郎が燃やしてしまった。
『日本の高塔 写真&イラスト』1999年11月、小松直之・兵頭共著、四谷ラウンド刊
--煙突、送電鉄塔、灯台、電波塔からエレベーター試験塔まで、日本のあらゆる「高塔」を探訪し考察する。2002年に、長野県の某通信制高専の入試の論文用の選択課題書籍の一つに選ばれた。
●単行本(他著への寄稿)
『戦記が語る日本陸軍』宗像和広著、1996年5月、銀河出版刊
--複数のコラムを執筆。戦争映画考、戦争マンガ考、疑似軍学ビジネス書考、ホンダの空冷エンジンは誤訳から生まれた、「烈風」神話の虚妄……等々。
『東大オタク学講座』岡田斗司夫著、1997年9月、講談社刊
--ゲスト講師の一人として。兵頭軍学のダイジェストになっている。2001年
に全体のハングル訳が出た。その印税がなんと1,500円くらい。トホホ……。
『日本の論点2000』1999年11月、文藝春秋社刊
--ガイドライン関連法案で何も変ったことはない。※この記事は、2002年から文春のHPで有料掲示され、同年9月に「印税」¥4千ナンボ也が入った。
『疫病最終戦争--Plague War』ビジネス社「One Plus Book」シリーズ最終企画、2001年12月
--『諸君!』の記事を見てきたのかと思ったら、論点2000の住所録でアクセスしてくれたらしい。振り込まれた稿料は唖然とするほど安かった。
『カリスマ・ムック 石原慎太郎』、2002年1月、マガジンマガジン社
--応援コラムを寄稿。諸君の福田氏との対談号が出た後、久々に桜木徹郎氏から声をかけられてビックリ。稿料も高くてビックリ。
●戦車マガジン(現・デルタ出版)編集者時代の別冊(編著)
『陸上自衛隊車両装備史;1950~1991』(戦車マガジン・91年11月号)
--これを凌ぐ内容の総解説本をこれから誰が出すのか、興味がある。
『帝国陸海軍の戦闘用車両』(戦車マガジン・92年4月号別冊)
--旧軍の戦車については学研さんが最近、良い本をたくさん出すようになったので、隔世の感。もう兵頭が日本軍戦車の弁護を買って出る必要もなかろう。
『第二次大戦のイギリス・アメリカ戦車』(戦車マガジン・92年7月号別冊)
--なぜ連合軍が勝ったのかを知りたかったので作ってみた。2000年の秋に、写真を全部入れ替え、本文はそっくり生かした増補版が出ているが、それももう絶版だろう。
『ドイツ連邦軍の陸軍装備車両;1955~1991』(戦車マガジン・92年1月号別冊)
--陸上自衛隊の装備にいかに西ドイツ軍の影響があるかをよく示すことができた。しかし、当時九州の大学生だったこの本文の執筆者よ、いまどこに?
●劇画原作シナリオ(『イッテイ』を除く)
『コンバット☆コミック』「ジョージの贈り物」、日本出版刊
--原作者名を「兵藤二十八」とクレジットされてしまった。この誤記は今日なお、「伝統」的にしばしば起きるので、本人は楽しんでいる。ここでの仕事は一度きり。前・後に分けて掲載されたが、後半があまりに原作とかけ離れたのですっかり厭になった。劇画原作者には常にこのストレスあり。
『ゴルゴ13』「直線と曲線の荒野」(小学館『ビッグコミック』1993年7月25日号に前編初出、後編次号)
--ゴルゴがなぜ小口径ライフルを使うのかを正当化したロシアもの(最近、加藤健二郎さんはもっと合理的な説明を考えたらしい)。これがきっかけで、さいとう・たかを氏に直接いろいろと質問ができたのは、カネに代えられぬ収穫となった。
『ゴルゴ13』「北緯九十度のハッティ」?年、小学館・リイド社刊
--ミサイル搭載型ではない、攻撃型原潜の艦内を舞台としたアクションとしては世界的にもこれ一作ぐらいか? 米国の連邦政府の公安部局内には、戦争やテロや犯罪に関する外国語の「フィクション」をすべて翻訳する「新手口」研究センターがあるのは有名であるが、じつは民間にも、似たようなサービスをする機関がある。これは、ハリウッドのシナリオライターとプロデューサーだけが定期購読している「ネタ情報誌」とでもいうべきもので、海外の小説やマンガの粗筋を逐次的にぜんぶ速報するのだ。このような機関のおかげで、最新の米英映画は、過去の全世界のマンガや小説を全部参照した上で作られていることが、通の目には歴然と判るのである。さあ、この劇画のアイディアの一部が流用されている映画を、キミはいくつ指摘できるかな?
『ヘクトパスカルズ』1997年6月、作画/板橋しゅうほう、文藝春秋社刊
--文藝春秋社の季刊『コミック’94/’95/’96』(のち『コミックBingo』)に連載した気象予報士の劇画。このラストをどうするつもりだったのかについては、いずれこのサイト上でご説明したい。
([創作雑話]参照)
●雑誌記事(月刊~隔月刊)
『SAPIO』1996年6月26日号
--日本の軍国主義化は何も明治憲法のせいなどではない。外国には必ずある武装警察を敢えて作らず、国内暴力のバランスを欠いたための当然の帰結である。
(『ヤーボー丼』に収載。)
『SAPIO』1996年8月28日/9月4日・合併号
--湾岸協力費より安く、日本は核武装できる。(『ヤーボー丼』に収載。)
『SAPIO』1999年5月12日号
--君が代の歌詞はじつは最もラディカルで激越なのだ。
『SAPIO』1999年8月25日/9月8日・合併号
--防衛庁長官は首相兼任としなければ来世紀の日本の安全保障は覚束ない。
『SAPIO』2000年2月9日号(平成12年1月12日店頭発売)
--西村真吾氏は運動家であって政治家ではない。運動家は騒がれるほど得なのを知らない左翼マスコミの程度が興味深い。
『SAPIO』2000年 ? 号(平成12年3月8日店頭発売)
--中国兵の長所と短所。己を知るが本、敵を知るは末。
『SAPIO』2000年5月10日号(平成12年4月26日店頭発売)
--警官の拳銃の数は自衛官の小火器の数より常に多いというミョーな発見。
『諸君!』1996年10月号
--核武装マニュアル。(『ヤーボー丼』に収載。)http://fas.org/ で英訳を見ることができる。
『諸君!』1996年11月号
--石油動力時代の航空基地の意味をアメリカは分っているが、日本人は分ってない。(『ヤーボー丼』に収載。)
『諸君!』1996年12月号
--筋論をいうなら、対ソ降伏こそ大間違いだった。日本人にマニュアルは作れない。(『ヤーボー丼』に収載。)
『諸君!』1997年3月号
--北朝鮮は原爆は持っておらず、韓国が半島を統一することで日本が困ることはない。(この論文は外務省韓国大使館によってハングル訳された。)
『諸君!』1997年6月号
--ワインバーガー氏の小説はトンデモ本だった。日本はTMDの謀略にひっかかるな。※原著を批判したのだが、さすがに邦訳では、直しまくっている。
『諸君!』1997年8月号
--中学・高校の歴史教科書の図版とキャプションはこんなにムチャクチャだ。
※こっちは、ちゃんと直しているんだろうか?
『諸君!』1997年11月号
--みんな勘違いしている。靖国神社は追悼の場ではない。日本で唯一の国家勝利祈念の場なのだ。
『諸君!』1999年2月号
--足軽鉄砲はじつは百発百中であった。だから「砲術」は江戸時代のART。この小文の中で鈴木眞哉氏に言及していたのを鈴木氏が覚えておられて、逆にこっちが恐縮した。
『諸君!』1999年3月号
--日本政府の判断などはない。クーデターならばアメリカに対して起せ。
『諸君!』2001年1月号
--真珠湾攻撃60周年特集に寄稿。単冠湾出撃はリアルタイムで把握されていた?
『諸君!』2001年7月号
--近現代史の参考文献として、私は「USSBS(太平洋)最終報告書」を推薦する。過去の邦訳はその5%しかカバーしていない。
『諸君!』2001年11月号
--9月11日テロはWTCビルの北棟のアンテナが第一目標だったのではないか?
『諸君!』2002年1月号
--水を「安全ピン」とする真菌個人テロの考えられる手口を初紹介。福田さんとの放談大会。
『諸君!』2002年2月号
--怪しい言葉特集で、「後方支援」について論及。小沢一郎氏の国家観・国連観について名指しで批判。
『マガジン・ウォー』平成8年12月号~平成9年11月号、(株)マガジン・マガジン刊
--コラムを12回連載して完結。第12回は書き下ろしの落語。
『本の話』平成9年8月号、文藝春秋社刊
--ミリタリー雑誌で一番売れるジャンルは飛行機で、次が銃器。テーマは、一番人気がナチス・ドイツ。日本海軍がそれに次ぐ。
『新潮』平成10年6月号
--『南洲残影』書評。「抜刀隊」の二番はテニソンの軽騎兵の詩の第二スタンザの翻案であることを指摘。
『文学界』平成10年7月号
--ロシアのクビンカ戦車博物館と対比して日本人の記録整理は悪い。
『新潮45』1998年7月号
--江戸幕府の遠島刑は、驚くほど英知に富んだ「絶対不定期刑」だった。
※あとで刑務官の人から手紙がきて、確かに改心しない人間は必ず一定割合いるとのことであった。
『新潮45』1998年8月号
--インドとパキスタンの間には抑止要因は強く働いていない。鍵はサウジだ。
『新潮45』1999年4月号
--北朝鮮がいつ暴発するかは太陰暦カレンダーで知れ。
『新潮45』1999年6月号
--小渕首相は広告会社とタイアップしているが警察の宣伝力はその上を行く。
『新潮45』1999年7月号
--アメリカは「空軍国家」であり、これからもそれは変らない。
『新潮45』平成11年11月号
--私はいかにして人様から物や金を得ているか。
『発言者』平成10年9月号
--座談会。日本刀の独特の形態は、それが首切り処刑の道具なのだ考えたとき、
初めて合理的に説明される。それを戦闘機の中にまで持ち込んでいた日本兵は、つまりはアメリカに対してすら「加罰」の発想で臨んだのである。
『発言者』平成10年9月号~連載継続中
--コラム。第11、13、15、16回では、最先端の乃木希典論を展開。2000年1月号からいよいよ講談「ブチキレ奉行」不定期連載開始。
『発言者』1999年8月号
--座談会。「公民」は、全国民が団結すれば外患に対処できた日本には成立したが、中国や韓国にはその条件が歴史上欠けていた。
『発言者』2001年12月号
--座談会。テロルとは目的と手段のプロポーショナリティを失した力の行使である。
『ざっくばらん』平成10年10月1日号、並木書房刊
--地雷は水に溶けるように作れば日本では除去の問題は生じなかった。
『voice』1998年11月号
--山縣有朋公ありせばTMDなんていう詐欺には乗るまい。最も統制経済が得意なのはアメリカである。
『voice』1999年2月号
--「プライベート・ライアン」で露呈したスピルバーグ監督の「無葛藤世界」の限界。
『voice』1999年3月号
--福田和也氏との対談。株式会社の有限責任の前提が崩れた以上、新しい資本主義の仕組みが必要とされている。
『voice』1999年8月号
--GPS誘導爆弾はアメリカに「無証拠爆撃」のオプションを与えた。
『voice』2000年3月号
--劇画原作者「ながい・みちのり」氏と、韓国映画「シュリ」を褒める。
※ながい氏は今は浜松でくすぶっているが、こういう人こそインターネットをやってほしい。
『voice』2001年5月号
--武器輸出をしなさい。憲法で明記して。
『voice』2001年6月号
--イージス艦は長良川の鵜だった。
『正論』1999年6月号
--北朝鮮の工作船侵入事件の真相をこう見る。
『正論』2001年9月号
--ディズニー=ブエナビスタ映画『パール・ハーバー』の日本封切り(7.14~)から3週間経過した時点で、『ムルデカ』脚本の直しを指導。
『正論』2002年3月号
--平成13年12月の奄美沖海戦の経緯を分析。
『武道通信』平成11年11月(通巻8)号~平成14年6月(通巻18)号、(有)杉山穎男事務所刊
--中学生でも分る兵法を連載。最終回は第10回。この媒体、タテマエは隔月だが、じっさいは不定期刊。※ちなみに「nノ巻」と表記されている巻号はゼロからスタートしているので、通巻より一つ数字が小さい。
『武道通信』平成12年1月(通巻9)号
--齊藤 浩という本名で、江戸時代の砲術がどうして西欧式の戦術論に発展しなかったか。また連載と別に兵頭の名で、国家はなぜ出来たのか、戦争はなぜ起こるのか、マルクスのどこが間違っていたか、を易しく。
『武道通信』平成12年3月(通巻10)号
--宮本武蔵を論ずる。日本史は和歌文化と狩猟戦闘文化のせめぎあいである。
--日本に弩が普及しなかった理由。
『武道通信』平成12年5月(通巻11)号
--「鎖鎌」はフェイクだった。日本人は400年以上もだまされてきた。本名での寄稿。
『武道通信』平成12年9月(通巻12)号
--体育学校第1科武道班格闘(徒手格闘)取材。日本初。冊子発売はちょうどシドニー五輪の開催(9月中旬)に同期。
『武道通信』平成12年12月(通巻14)号
--原潜クルスク事故をあざわらうだけの日本の評論家こそ終わっている。
『武道通信』平成13年6月(通巻15)号
--企画対談。元寇の勝因は、馬のストレスと和弓の意外な強さにこそあった。
『武道通信』平成13年9月(通巻17)号
--編集長・前田日明氏との対談。
--発行人・杉山穎男氏との対談。参議院選挙出馬の顛末。※この参院選期間中に一度、元タイガーマスクの佐山聡さんと一緒に同じ選挙応援カーの上に立って立川駅前で演説をぶったが、佐山さんの大声での話し方が小林よしのりさんとヤケに似ているなあ……との印象を持った。あとで知ったのだが、お二人とも九州のご出身なのだ。
『武道通信』平成13年12月(通巻18)号
--爆弾テロ史の再発掘。真田幸村の地雷火とは英国 Gunpowder plot の伝聞が反映されているだろう。※実際の発売日は14年1月15日。
『武道通信』平成14年6月(通巻19)号
--田中光四郎さんとの対談。右翼は民衆の公憤を代弁する行動を、テロでないやりかたで遂行せよ。また、山本常朝は1歳違いの柳沢吉保に倣おうとしたが、あまりの能力格差に絶望、しかも武道の心得もなかったので『葉隠』のようなキチガイめいた叫びでしか鬱憤を晴らせなかったのだ、との仮説発表。
『あぶない28号』第5巻(1999年11月25日)、(株)データハウス刊
--「自虐」が言論テロである仕組みを対話体で述べる。夏休み前の入稿のため、話題が古いところも。
『TOP JOURNAL』1999年12月号、(株)教育システム刊
--国家の最悪事態とは、国民の絶滅もしくは総奴隷化である。日本はアメリカの情報支配で後者に向かいつつある。
『TOP JOURNAL』2000年2月号
--警官諸君は、北朝鮮ゲリラを.38口径で撃つときは必ず2発撃つように。犬を連れずに山の中を追いかけるな。非常線は特に広く張れ。
『TOP JOURNAL』2000年4月号
--先込め単発長物でない銃器は米国独立精神である憲法に違反している。
『TOP JOURNAL』2000年5月号
--連載開始。10月号から会話体に。12月号から倍増4ページに。連載は2001年12月号が最終回。
『TOP JOURNAL』2001年2月号
--特集で井沢元彦氏との対談。発砲マニュアルを定めよ。連載では、橋爪大三郎先生の『天皇の戦争責任』を紹介・書評。
『CYBER SECURITY MANAGEMENT』2002年4月号
--版元はTJと同じところ。短期3連載の初回。電子戦はメインカルチャーであるから、北朝鮮や中国に日本を攻略できない。そしてNTTの Main Distributing Frame の弛緩した警備からわかるように、日本は米国には勝てない。
『CYBER SECURITY MANAGEMENT』2002年5月号
--短期連載#2。デジタル画像は拡大してもディテール情報は表れない。だから不審船への対応が停滞してしまった。
『CYBER SECURITY MANAGEMENT』2002年5月号
--短期連載#3。陸自が持つと中朝に対して「対抗不能」になれる装備は暗視装置である。海保は、60km間隔で海上捜索レーダーを南西諸島に設置せよ。
『週刊ポスト』2000年?月?日号
--新刊『タミヤ模型全仕事』【?】の書評。タミヤの写真に防衛功労章をくれてやれ。
※この記事の中で実際に撃ち合いのできるラジコン戦車を提案したら、なんとマルイが2001年中に実現していた!
『草思』2001年2月号
--草思社のPR誌。ミッドウェー海戦の英訳資料が1冊しかないことを問題とす。
『草思』2001年7月号
--憲法は暴力が作るもの。米国憲法は「単発ライフル」という幸運の産物だった。
『草思』2001年12月号
--9・11テロについて、前号の鳥居民さんに続いて書いた。米の狙いはパキスタン駐留であることを指摘す。
『歴史読本』2001年7月号(5/24店頭売り)
--東北地方には実は日本人のキャラを明るく変える可能性があった。少子化で、いよいよそれが証明されるかもしれない。
『小説新潮』平成13年10月号
--靖国神社に8月15日に行っても仕方がないのだという以前の『諸君』の論を再説。
●新聞記事
“WASHINGTON TIMES”1997年3月23日号、Willis Witter 記者
--直接インタビューに基づく。核武装論者兵頭がいかに孤立しているか。
『産経新聞』1997年1月6日朝刊
--国にもキャラクターがあって、日本とアメリカでは一致しないのだ。
『東京新聞』平成10年9月25日夕刊
--テポドンは騒ぐには及ばない。戦後政治こそが日本の不良資産なのだ。
『東京新聞』11年4月14日夕刊
--北朝鮮工作船侵入事件は、それを報道したことは新事態だが、侵入そのものは昔からのことだ。
『東京新聞』10年11月8日夕刊
--湾岸戦争後の無葛藤のアメリカ世相を、映画「プライベート・ライアン」は反映している。
『東京新聞』11年11月14日朝刊
--保阪正康著『昭和陸軍の研究』評。危険から逃れることしか考えてこなかった日本の庶民の士気沮喪を防ぐためには、指導部は攻勢主義を掲げるしかなかったのかも。
『東京新聞』13年5月20日
--吉田一彦著『暗号解読戦争』(ビジネス社刊)評。いちばん「人間」を知っている国民が、エスピオナージ戦争の勝者になるだろう。
『東京新聞』13年9月16日
--ピーター・マース著、江畑謙介訳『海底からの生還』(光人社)評。えひめ丸の引き揚げに生身のダイバーを使うことの不道徳さを強調。入稿は、本が送られてきた翌日という早業であった。
『東京新聞』14年1月13日
--マイケル・グリフィン著、伊藤力司、小原孝子、渡植貞一郎、浜島高而訳『誰がタリバンを育てたか』(大月書店)評。甘い地域ではないことが分かり、中国匪賊との異同を考えさせ、国際パイプライン競争が学べる。書評は褒める訓練だと開眼。
『東京新聞』14年9月8日
--小倉利丸編『エシュロン』(七つ森書館)評。欧州議会の既公開リポートの全訳だが、NSAとエシュロンは単純に同一視できないことが呑み込める。米英当局は、巨額の商談をいとも簡単に掌握できた初期衛星通信時代の「ラクな仕事」の味が忘れられないのだ。
隔月『神奈川あけぼの』13年6月15日号
--連載コラム第一回。なぜ部落差別は西高東低なのか? 日本を暗くしたのは実は西日本文化である。左翼に主導されない東日本独自の運動綱領が必要だろう。
☆大昔の寄稿・投稿には以下のものがある。
新聞:『世界日報』1985~昭和63年頃。
--とにかく多数。ペンネーム稿もあり。いずれも有料稿。
月刊誌:『現代展望』1985~昭和63年頃。
--頻繁に寄稿。ペンネーム稿もあり。すべて無料稿。兵頭理論の骨格はすでにこの時代から生まれつつあった。
●月刊誌
『自由』昭和60年5月号
--貧乏には必然の由来がある。(※本名による投稿。以下同じ)
『自由』昭和60年9月号
--先進国が肉食を止めてもアフリカの飢餓はなくなりはしない。
『自由』昭和60年11月号
--ヘリコプターからロープで降りる訓練は全自衛官がやっておかないと日航機事故のような場合に役に立たない。
『自由』昭和61年2月号
--モスクワに届かない核ミサイルを持っても抑止力にならない。
『自由』昭和61年10月
--NHKはSW1波あればよい。
『自由』昭和61年12月号
--山手線を地下鉄化すれば内需は拡大される。自動車車幅税を設けよ。
『自由』昭和62年6月号
--国民の総合暴力が政府専管の暴力と釣り合わない国体は専制化するのが当然。
日本国憲法は成立していない。
『THIS IS』1987年3月号、読売新聞社刊
--防衛情報が誰かによってコントロールされている。
『THIS IS』1989年1月号、読売新聞社刊
--日本は己れの「フォーミュラ」を打ち出せ。ホンダはF1から撤退しろ。
『法学セミナー』1986年7月号
--国家後援テロには「指名宣戦」の新概念導入が必要だ。
『ラジオライフ』?年6月号
--匿名投稿。国家秘密法案では「できないこと」を隠すな。
『世界の艦船』1986年10月号
--ソ連が空母を建造し始めたのは、政治局と軍部の思想の分裂だ。
『世界の艦船』1986年11月号
--大災害に備えて、多数のヘリが離発艦できる大型救難艦を作れ。
※このへんの投稿を覚えていた若い人が、2000-11出席の「戦前船舶研究会」に居て、驚く。
『世界の艦船』1989年6月号
--DASHを復活させて、火山偵察や救難や臨検に使え。
“Armd Forces JOURNAL International”1992年6月号、米国ワシントンD.C.
--トヨタの高機動車は「ジャンビー」である。※あたりまえだが、英文寄稿。
“Armd Forces JOURNAL International”1992年8月号、米国ワシントンD.C.
--クビンカで見た珍しいソ連試作戦車の報告。
『トランスポート』平成元年12月号、運輸省公報刊
--飛行艇によるコミュータは難しい。
『週刊新潮』1985年10月3日
--実名証言。自衛隊は核戦争を想定した訓練をやっていない。
『世代』24号、1987年、神奈川大学人文学会学生部会刊
--真のヨーロッパ軍縮は戦車を引き離すことで達成されるのだ。
『ワールドアドバンスト大戦略~鋼鉄の戦風~世界新秩序建設マニュアル』1995年10月、セガ・エンタープライゼス刊
--ゲームの背景説明で、海軍悪玉論。
●講演
・日大工学部・佐久田昌昭先生主宰の未来戦略研究会/エグゼクティブフォーラム
(平成8年11月、平成9年1月、平成10年2月、平成12年3月)
※そのうち1997年1月21日のは、藤岡信勝氏との共同講演。
●テレビの只働き
・?年某日
スーパーモーニングだか何とかいう朝の番組のための録画。フジのお台場の本社までいって、自衛隊の匍匐について説明。じつは「第一~第三匍匐」などという言い方はすでにしていないのだが……。これが驚くべきことにノーギャラ。請負プロダクションだったのだ。「二度とテレビの誘いには応ぜん」と決意した体験だった。しかし群馬の軍事研究家・長浜康隆さんがこの放送を見たと言ってきたので、改めてTVの「数%」の視聴率の数字の意味する影響力を痛感はした。