interview with──2004年4月 新学期インタビュー

(2004年4月頃に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

管理人:4月である。ここを見ている皆さんの中には、一人くらいは新学期を迎え、或いは社会人として再スタートをきる人がいると思う。そんな方々へ向けて、兵頭二十八先生へのインタビューである。お忙しい中時間を割いてくださった兵頭先生、勿体無さ、かたじけなさに、私は頬を伝う涙を止める術を知りません。
 尚、毎回書いている事だが、一体何処でインタビューなどしたのか、余計な詮索をしないように。


管理人:今更といえば今更ともいえますが、インターネット人口が急増しておりまして──職場や学校から閲覧されている方々もいらっしゃいますし ── この新年度から我がウェブサイトの常連になってくださる訪問者もいらっしゃるかと思います。そこでひとつ先生の《旬な》コメントを頂戴できませんでしょうか。

兵頭:管理人さんは「ここの書き込みが少ない」とかご不満なのかもしれませんけど、これからはそういう時代じゃないんです。たとえば、これは管理人さんの方がかなりお詳しいと思うが、「2ちゃんねる」は最近、面白いですか? スレッドが乱立して、内容はどんどん低年齢化しているでしょう。

管:つまり、『週刊少年ジャンプ』化現象?

兵:もちろん役に立つ「インサイダー情報」は丹念に見ていけばあるし、そこらの兄ちゃん同士の会話の中に予期せぬ秀逸なコントが混じっているのに遭遇するという幸運もあります。が、ぜんたいに時間を惜しむ人は、無駄な書き込みがヨリ少ない専門的サイトを発見しようとするのではないですか。

管:たとえば先生にはそんなサイトがいくつかあるんですか?

兵:ご承知のように僕もインターネット2年生に過ぎませんから何も分かっちゃいませんが、太田述正さんという方のニューズレターがとても興味深いことを最近になって発見しましたよ。あと、レイバー・ネットというところの掲示板をときどき見るようになりましたね。

管:いやあ、今度は労働組合方面まで精力的にご取材とは……。

兵:僕が思うに、これからのウェブサイトで大切なことがあります。これは役に立つだろうと思って人が書き込んだ情報がずっと残されていくことです。誰かがウェブサイト上に何かを書き込みますよね。それは世界に対して瞬時にアクセス可能とするわけですけれど、だからといってそれを世界中の人が同日に見てくれるとは限らないものです。全国生放送のテレビとは違う。ですから人によっては、情報が書き込まれてから何年も後にそれを読むのかもしれません。そのアクセシビリティを残し続ける努力、これは図書館蔵書の永久保管とも似ていて、酬われることはすくないけれども、それぞれの管理人さんの偉大な文化的功労なのですよ。

管:どうもお褒めに与かりまして恐縮です。それで、今年度の先生の単行本計画はどんな感じでしょうか。

兵:例の杉山穎男さんの斡旋で、武器や格闘技系の出版物にとても強い有力な版元さんから、武士道に関する本を、まあ数か月以内には出す積りでおります。

管:それは朗報です。潰れる可能性のない中堅出版社と渡りがついているということは…(笑)。古いファンが待ち望んでいる、兵器の話なんかもあるんですか?

兵:それはまだ分かりません。ただ僕が目指しているのは、つまるところは「日本人論」で、かつて兵器を研究したのは、あくまでその手段ですよ。

管:ああ、それじゃやっぱり、兵器解説はもう無い、と。

兵:変な比較ですが、1980年代以降、「フランスの最新哲学を日本に紹介する」という評論の一ジャンルがあるんですよ。これと大方の軍事研究家とは類似の業態なのです。要は、内外の電圧差をはしわたす「電燈線」の役を買って出ているものです。

管:つまり、欧米ではここまで進んでいるのに、日本では誰も知らず、遅れているじゃないか、とか…。

兵:そうですね。外国の進んだ「常識」なるものが日本に未だ存在しないではないかと憂えて、それを紹介する。説教し、伝道し、売り込む。よく言わば、訓導する。

管:では、戦前の兵器の紹介なども、それと同じなんでしょうか?

兵:たとえば最近ますます、フリゲート艦や海防艦、軽巡級の数千トンの軍艦のことを「戦艦」と呼称する新聞記者やプロの評論家が増えています。往時の海軍に詳しい人なら「おまえら、それは間違った言葉遣いだぞ」とすぐ指摘ができる。電圧差を埋めたくなるわけです。同じでしょう。

管:「迫撃弾」というのもそうですか。

兵:ハハハ…。あれは二、三十年前の過激派のオモチャに公安が大袈裟な名を工夫して付けたもので、軍隊の迫撃砲および迫撃砲弾、あるいはロケット砲弾とは、似ても似つかない。そんなものがサマワで落ちてきてたまるかーーーっ、てなもんですね。

管:兵器の本を書くとそんな感じのマニアからの突っ込みが烈しいから、最近は避けておられるのでしょうか。

兵:インターネットという優れた媒体のお陰で、書籍でそれをやる時代は終わったんですよ。特にカタログ的な本は無意味ですね。増補・改訂がすぐにできないから。だから兵器だけでなく、「高塔」とか「ロープウェイ」、ああいった全国を取材して写真を集めてくるような企画も、もう今だったら考えられません。思えば、僕はそれが可能な最後の数年間を現役ライターとして満喫させて貰ったわけで、じつに幸運な奴でした。

管:「紹介企画」は潔しとしない—となりますと、兵頭先生のお仕事が減っちゃうのではないでしょうか。

兵:内容の深い良い仕事ができれば良いのではないでしょうか。僕は、旧軍と自衛隊の兵器の調査から「日本人論」を一歩前進させることができたと、自分で自負しています。これは誰も言ってくれないから手前でここで宣伝することにしましょう。僕は文系の人間だから、興味のあるのはあくまで人間です。モノじゃありません。モノをつくった人間に興味がある。これは機会あるごとに表明をしてきた僕の基本スタンスです。「兵頭本には間違いがある」とご親切に指摘してくれる人がいます。その通り。人間の仕事には誤差があります。ところが、その世間智に到達できていない日本人がとても多いために、日本は戦争に負けたり、経済政策を失敗したりしているのですよ。これを今まで以上に明らかにしたのが僕の仕事です。真の理系人間なら僕の本の結論に同意していただけるはずですが、まだまだ日本には「算数家」でしかない人が多いために、たいへんに危うい状態のままだと思っております。

管:すると山本七平さんが一時、大流行させた「日本人論」の系譜に、兵頭本もあるのですか。

兵:ええ。是非ともそうならねばならないと努めています。さっき、最新フランス哲学の紹介屋さんのことをあげつらいましたけど、そうではない思想・哲学というのもあります。それは、自分自身を知る努力を続けている人です。それは古代にギリシャ人が「汝自身を知れ」と言ったその課題を現代にもしつこく、日本人なりに追い求めていこうというのだ。これこそ、紹介屋に堕さない、苦労のし甲斐のある作業ですよ。昔から日本人は日本列島に暮らしていたわけですね。生まれたときから人々は誰しも自分を知っていると思っています。ところがじつはよく知らないではないかと自分で分かるのです。どうしてその「気付き」が可能なのでしょうか。これぐらいチャレンジングな仕事はないでしょう。もちろん、昔、日本人論のカテゴリーとして「外国人の見た日本人」みたいなタイトルがやたらに出版されたものですが、そんなのは誰でもできる紹介事業に過ぎません。

管:兵頭先生と同世代の評論家の中にも、別宮暖朗さんが警告されている「大アジア主義」に近そうな人と、そうでない人とが、ハッキリ別れてきましたね。

兵:そうですね。誰と誰…とは言いませんが「日本はアジアと組め」と主張されている人は多いですね。…っていうか、「永久にアジアとは組んじゃいかんぞ」と言っている同世代の評論家なんて今、日本にいるんですか。中共はヤバイぞと警告する一方で、昔の大陸浪人的な大アジア主義のロマンに惹かれている人は案外に多いのではないだろうか。僕はそれは、「他国民」というものを知る努力に不足するところがある結果ではないかと疑ってます。ちょっと難しい話をしますけども、「この『自分』は、『自分の国』の中であって、はじめて自分たり得ているのだ」と見切った人が、ソークラテースでした。最新のフランス思想に詳しくても、この基本を一から考えたことのない人には、日本の対外国策は危なっかしくて任せられない。そういう危機感を抱いているので、僕は家計的にはほとんどコジキの分際ですけど、大所高所の偉そうな発言を続けておるわけです。

管:つまり、石原莞爾なんか讃えてちゃいかんぜ、と?

兵:次の僕の本の中で、西郷隆盛の話を少しするかもしれません。西郷隆盛と石原は似ています。それは、かつて結んだ条約を一方的に武力で破っても構わないと考える人だったことです。交渉など面倒だ、テロで邪魔者を殺し、クーデターで秩序を破壊すれば良い、と。大久保利通はそうは考えなかったわけです。福沢諭吉もそうは考えなかったわけです。アジアの指導者は皆、西郷、石原の徒ですよ。それが中堅評論家にも分からない。だから今の「日本はアジアと結べ」と言っている若いひとたちは、大久保や福沢からは遠く、西郷や石原に近い。僕は、江藤淳先生が『南洲残影』をお書きになっていた頃は、まだこういう構図が見えてはおりませんでした。

管:するとやはり別宮暖朗さんの影響は甚大なんですね。

兵:僕は「別宮の徒弟」と言われても構わないですよ。じじつ偉いのですからね。あの人は。漸くというか、別宮先生もメジャー媒体に進出を果たされました。僕もこれからは別宮説の紹介屋の仕事を減らし、もとからやっていた「汝自身、日本国民自身を知れ」の活動に復帰していかなければなりません。

管:それで、最近はギリシャ語を勉強されているのですか。

兵:はい。本当に出来の悪い生徒ですけれども、四十の手習い中です。あの言語の世界に触れなければ、善や悪の判断にイマイチ確信がもてないと、以前から不安だったものですから。

管:お忙しいところ、どうも本当にありがとうございました。

おしまい


管理人:新学期、それは出会いと別れである。「沈没ニッポン再浮上のための最後の方法」は、たまたま卒業(絶版(泣))してしまったのである。決して、決して内容が面白くないからでない事はここを読んでくださっている方にはお分かりだろうと思う。私がタダでダース単位で手に入れた同著を、せっかくだからと送った皆さん、この本を床の間に飾って、朝夕2回毎日欠かさずペルシャ絨毯の上からお辞儀をして下さい。