28榴弾写真置場──岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾のレポート(report 1・2)

28榴弾写真置場──虫のよいお願いシリーズ、其の二[堅鉄榴弾] より継続


(2005年3月12日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)

report 1:Masato-Shit 様のレポート

側面の全景

 この面の銅体は、完全に減失していますが、溝部には銅サビ(緑青)がべっとりと付着しています。弾頭のコーン部と円筒部分との境界部には、接合跡(?)があります。溶接跡のようなハッキリした盛り上がりがあり、少なくともワンピース削り出し、あるいは一体鋳造には見えませんでした。
(いずれにせよ旋盤仕上げ加工を行うはずですが・・・)。
 なお、胴前部の銅帯溝にある白いものは、鳥のフンです・・・。

斜め前方の全景

 こちらは日光が当たる面のためか、赤サビがひどいです。しかし、銅帯が一部現存しているのがわかります。

弾底部直径測定

 縁が丸く画取り加工されており、巻尺がうまくかかりませんで、定規と相成りました。中央の穴は信管穴。その上の突起部は、掲示板の投稿で触れた「リング」(左手で隠れている部分にもう一つあり)。
 これがホントーに妙なシロモノで、他のものがもげた形跡は無いし、後から取り付けたにしても用途不詳、意図不明です(二つのリングの穴が指し示す方向は、一直線上あるいは平行関係にはない)。吊下用にはそもそも小さすぎるし・・・。

『 弾底部直径測定 』の拡大図

 280ミリ以上ということは無さそうです。

弾底部銅帯の接写

 防錆のためか、黒い塗料が厚く塗られております・・・?
しかし、銅体がガスシールのためならば、この形状もナゾです。まさか、散弾銃のライフルスラッグではあるまいに・・・。

アングルを変えての接写

 黒塗料の下に、緑青がうかんでいます。

信管部の接写

 ねじ山はサビて、蛇腹ホースの内側の如し(?)です。縁の
加工からすると、信管は皿ビス様になっており、ねじこむとツライチになるのでしょうか?

奉納譜

 全文は以下のとおり。

 奉 納
 明  治  三  十  七  八
 年  日  露  戦  役  於
 旅  順  港  内  敵  艦
 バ  ー   ヤ   ン 命  中
 我  軍  二  〇  〇  山
 高  地  射  砲  二  十
 八  珊  砲  丸
 呉軍港廻航記念
 元海軍○信○兵曹
   勳七等矢木野新也

 ※原文旧字縦書、改行ママ。○は判読できず。なお、「矢」は「大」の、「木」は「水」の可能性あり。)

胴前部銅帯の接写

 寸法を計測し忘れました・・・不覚!

弾頭先端部接写

 欠損が見えますが、たとえ完全でもせいぜいが+10ミリでしょう。パーテーションラインは見当たりません。

 計測値は下図のとおりです。(手描きですみません・・・)

 スケールはほぼ1/10ですが、あくまで模式図ですので、形状の正確さは
保証できません。また、数値が食い違っている可能性もあります。御了承を。

全長(A-H)     835mm
弾長(A-G)     800mm
弾径(I-M)      274mm
信管穴径(K-L)  38mm
胴部溝幅(C-D)  9mm
弾底溝幅(E-F)  30mm
テーパー部(A-B) 321mm
信管穴加工(J-K) 12mm

付記:ご参考までに。

垂井町 http://www.town.tarui.lg.jp/

タルイピアセンター  http://www.town.tarui.lg.jp/docs/2014121200049/

 タルイピアセンターは、毎週月曜日及び月最終木曜日休館です。町立図書館が併設されているようです。また、学芸員が在籍しています(但し、電話で話した限りでは、現地を訪れたことは無い様ですが)。

※「垂井の文化財 第23集 (1999)」 p63~64 大岡明臣氏の記事によりますと、奉納譜の末二行は 「元海軍一等信号兵曹 勲七等 水野新也」となるようです(但し、この場合字数が足りませんが)。「矢木野」「水野」ともに地元にはよくある姓のようです(特に、前者は以前町長がでているそうです)。「不破郡史 下巻」によると、日露戦争の出征者に、前者に該当する名前は見出せませんでしたが、後者は、「会原村 歩一 勲八 水野新也」の名がありました(p110)。しかし、この人物は所属も勲位も食い違っております・・・


※管理人注  垂井町・タルイピアセンターのURLが投稿当時とは変わっているようですので、管理人が変更しています。(2020年2月)



(2003年8月22日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

report 2:読書公社 様のレポ-ト

実測値表

1:820mm
2:30mm
3:30mm
4:14mm
5:364mm

弾底部の外周長は874mm(”2”部分で測定)

1:275mm
2:39mm

1:430?mm

弾底部のリング(腐食変形しているのでおおまかな値です)
1:内径:42mm
2:内径:18mm

奉納譜

奉納
明治三十七八
年日露戦役於
旅順港内敵艦
バーヤ ン命中
我軍二〇〇山
高地射砲二十
八珊砲丸
呉軍港廻航記念
元海軍一等信號兵曹
勳七等矢木野新七

 砲弾弾底部の二つの「リング」の謎について────「戦場写真で見る日本軍実戦兵器」(あの悪名名高き「G」出版の本です。)で謎が解けました。日露戦争の旅順攻略戦で活躍中の28センチ榴弾砲の写真が載っていました。そこには、砲弾も写っていました。まさしく神社で撮影した砲弾と同じ物が写っており、「謎のリング」も弾底部に付属しています。と、いうことは神社の砲弾は間違いなく、旅順攻略戦で使用された砲弾だと思われます。写真からは、リングはクレーンで装填する時に使用されているように見えます。ミリオタ的、重箱の隅的な細かい問題でしたが、ご参考までにご報告いたします。


(管理人 より)

 このレポートをいただいたのも、もう15年以上も昔の話になりますか……。時間の流れは恐ろしいものです。改めて、ありがとうございました。
  2020年2月