武漢の鼠はもう免疫を持っているんじゃないのか?

 Aaron Kheriaty 記者による2020-4-3記事「The Impossible Ethics of Pandemic Triage」。
    もうじきNYCではベンチレーター(強制呼吸装置)が不足に陥る。そうなると、担ぎ込まれている患者のうち、どっちを生かしてやるのか、という「トリアージ問題」に、医師たちは直面する。
 こういう例を想定してみよう。

 ここは市立病院。
 ミスター・ジョーンズは、昨日挿管された、新コロの入院患者である。今すぐに死にそうなほどの容態ではない。しかしこれから先、全快できるのかどうかは、ちょっと分からない。老人なので最悪の転帰となるかもしれない。
 かたや、やはり新コロ症状で緊急処置室に担ぎ込まれてきたミセス・スミスは、今すぐにも挿管が必要だ。

 患者ジョーンズは、患者スミスよりも20歳も年寄りである。しかも糖尿病で高血圧だ。したがって、全快して生存しそうな見込みは、比較すれば、スミス夫人の方が大きいと思われる。

 ところが困ったことに、昨日ジョーンズに挿管したことで、集中治療室に備えてある最後のベンチレーターが、使われてしまった。スミス夫人用のベンチレーターは、もう空いてないのである。
 このままだと、スミス夫人は死ぬ。
 しかし、もしジョーンズ老人の挿管を外してスミスに挿管すれば、こんどはジョーンズ老人が自力呼吸できなくなり、死ぬ。

 もしわれわれが、若いスミス夫人の命を、老人で持病があるジョーンズ氏よりも優先したなら、それは老人差別行為に当たるであろう。

 他方、新コロがオーバー70歳の年寄りにとって一層致命的であることは誰もが承認している。

 私立病院には、野戦病院でトリアージをやった経験者など一人もいない。

 もうひとつの問題も……。医療規格の「N95」マスクと防護衣が、病院勤務の医療スタッフの全員に行き渡らなくなっている。

 燃えているビルから人々が逃げ出しているとき、逆に消防士はそのビルの中へ飛び込んで行かねばならない。
 同じように、医療従事者は、人々がソーシャルディスタンスに心掛けているときに、その疫病患者の面倒を見てやらねばならぬ。

 しかし消防士たちは、「すっ裸の格好でも、猛火の中へ飛び込みます」と誓って就職したわけではない。
 同様、医師や看護師たちも、「PPE(個人用防護具)なしでも疫病と闘います」と誓って雇われたものではない。

 ましてその医師が70歳オーバーの高齢医師だったら、新コロ治療のリスクを冒すべきなのか?

 さらにたとえば、28歳の妊娠中の女医で、自宅には免疫力が低下した祖父が同居中な場合は、その女医は新コロ患者に接するべきであるのか?

 市立病院のICUにて、みずからの危険をかえりみずに新コロ患者を何人も治療していた女医が、やがて自身も新コロに罹患してしまって、ついにベンチレーター挿管が必要になったとする。この場合、ひとりの死んでもよさそうな患者からベンチレーターを奪い取り、その器材を貴重な女医の救命のために用いるべきか?

 最大多数の救命が優先されるという道徳が社会に確立されているのなら、この場合、患者ひとりを見殺しにして、女医を救命するのが、合理解である。

 この発病医師が救命されることで、数ヶ月後、多数の患者の命がもっと助かる。この医師が死ねば、その穴は、数ヶ月では埋められない。

 医師も清掃係も命の価値は同じだって?

 では、罹患したのが救急医ではなく、有望な新コロ用ワクチンを開発している研究指導者の博士であったら?
 やはりわれわれは、あとから担ぎ込まれてきたその博士を見殺しにして、前から挿管されている清掃係の治療を優先するべきだと君は言うのかい?

 では、妊娠中の女性患者と、そうでない患者との選択だったら? 命2人分の方が、優先されますよね?

 原則は、シンプルだ。短期生存見込み。これが基準になる。ベンチレーターを使用すれば確実に快復するだろうと信じられる〔より若く、酒・タバコをたしなまず、糖尿病でも心臓病でもない〕患者に、ベンチレーターを優先して用うるべし。

 ※志村けん氏の場合、大衆向けの公立病院ではなかったのだろうから、他人はとやかく言うことじゃないだろう。私立病院や私設のクリニックで、大金を払える患者だけが、高度集中医療を受けられるというのもまた、承認された社会的公平なのである。

 ただしその基準もまた、後から必ず非難されることは免れない。というのは、そもそもヘルシーでいられる人というのは、お金持ちなのだ。すなわち、マクドナルドを利用せずに済むのであり、会費制のスポーツジムに通えるのであり、米国の高額なメディケアに私費加入できている、そういう経済的な強者。その人たちが新コロ治療で優先されたことに、経済的弱者は不平なしではいられないだろう。
  ※これはあくまで米国のお話。日本の公的保健制度は世界に冠絶したものであることが、もっか、証明されつつあると思う。この保健医療制度のセフティネット強化のためにこのさい赤字国債で募った資金を突っ込めというのが、もっかの私の主張也。

 米国の場合、おそろしいのは、この新コロ騒ぎがおさまったあとで、必ずや、医療訴訟が濫発されるであろうこと。トリアージを行なった医師や病院がターゲットにされる。カネや出世めあての弁護士たち、地方検事たちが、蝟集してくるはずだ。

 次。
 JOSHUA KARSTEN 記者による2020-4-6記事「Navy will issue official face coverings; sailors may wear ‘conservative’ bandanas, scarves for now」。
   エスパー長官いわく。米軍人、軍人家族、軍属は、6フィートの対人距離を確保できないときには、マスクや顔面覆いを着装すべし。

 清浄なTシャツなどから、マスクを自作することも、推奨される。

 4-6に米海軍の示達。制服の海軍将兵は、顔を覆うものならなんでもいい。ただし外見が穏当に見えること。攻撃的に見えるものはダメ。

 マスクでなくとも、バンダナやスカーフでもいい。

 次。
 Nate Silver 記者による2020-4-4記事「Coronavirus Case Counts Are Meaningless」。
       新コロ陽性のテストとはどういうものか、みんな、詳しく知っているかな?
 これを知らないで、感染者数だけ聞かされても、そこから正しい意味のある情報は引き出せないんだ。

 いま、各国政府が努力しているのは、救命治療を必要とする人たちのために有限の医療資源を充当すること。
 疫病学者や統計学者のための完全なデータセットを提供するための努力に、各国政府としては、人も時間も割いている余裕がない。それはあとまわしだ。
 そのために、どの国でも、氷山の一角のような、偏った、不完全な数字しか、拾われてはいない。
 だから、この偏った数値を絶対視して比較することなど、まるで無意味有害である。

 ある国で感染者数の数値が増えていたら、それは新コロテストがそれだけ多くなされているという以上の意味はない。それはたぶん、疫病流行のコントロールが始まっているという兆候でもあるわけだ。

 たとえば米国の感染者数も、げんざい報告されている数値の2倍、もしくは100倍である可能性があるのだ。しかしそれを調べて確かめているヒマはないのである。

 今後の予測のてがかりは、「R」値をつかむことだ。

 新コロがノーチェックで感染者を増やしていた時期の「R」=ひとりのキャリアが何人に伝染させるかの数値 は、2.6だったと思われる。

 次に、リモートオフィスが推奨されるようにはなったものの、都市のロックダウンがまだ発令されていないという時期の「R」値は、1.4だと思われる。

 第三段階でロックダウンが施行されると、「R」値は0.7になるだろう。
 「R」値が1を下回れば、それは感染流行がその地域で消滅しつつあることを意味するのである。

  ※悩ましい問題は、ロックダウンは永久には続けられないこと。解除すれば、また「R」が上昇することは確実である。世界のどこからキャリアーが都心に入り込んで来るか、わからないのだから。

 『WSJ』の4-2の記事に注目したい。新コロのテストで陰性とされた人のうち30%前後は、「偽陰性」だ、というのだ。じつはキャリアーであるのに、それがテストで見過ごされてしまう確率が、3割もあるのだ。
 記者も、「偽陰性」は2割はいると思う。

 ではその逆の「偽陽性」は?
 これはアイスランドのデータが参考にできる。無症状の多数の人が新コロテストを受けた。その結果、1%弱が、陽性だと判明した。
 これから推定して、新コロテストの「偽陽性」は0.2%くらいしかないと見ていいと思う。

  ※あまりに長いので根気がここで尽きた。しかし、有意義な記事ではないかと直感しました。