▼防研史料 横須賀海軍航空隊『仮称2式6番31号爆弾を以てする魚雷艇攻撃法』S18-8-2
※タイトルは怪しい。内容からして 21号(2式6番)のことでなくばおかしい。
この実験は、S18-5-28~18-6-4、鹿島で行なわれた。
急変針を交えたる緩降下を以て接敵し、90式爆撃照準器に飛行機実速による射角式を調定し置き、目標の概ね2000乃至2500mに至らば 水平等速直線飛行に移り、照準操作を行い、投下するを可と認む。
H=400m。一式陸攻なら180~200ノット。97艦攻なら150~160ノットで。
そのさい、追い風爆撃を実施するを有利とす。
本爆弾は追従角が大、且つ、弾道不良なるを以て、前後左右とも相当大なる不羈誤差を生じ、特に現用90式照準器を以て……は左右照準困難。
400mから落とすと、20%の不発弾子を生ずるが、炸裂さえすればその威力は予想外に大で、現用魚雷艇には、1個が当たるだけで、それを炎上大破させ得る。
「爆弾第63回実験」で、高度500~6000の散布界は調べ済み。
そこでこの実験では、H=300~400mを調べてみた。
投弾が2000m以下では、低くなるほどに不発率が高まる。500mでは45%が不発。
攻撃は、6弾から16弾〔これは陸攻の場合か〕を同時に投下しなければ、1発の必中を期すことはできない。
※写真から、今日のクラスター爆弾と同じ対地景況となることがわかる。
▼防研史料 横空『瑞雲を以てする特殊(緩降下)爆撃法の研究』S20-2-21
現戦局からみて、瑞雲は、夜間か、狭視界時にしか使えぬ。しかも、ターゲットは停泊艦に限られよう。
侵入高度は、最低でも1500m以上。
降下角度は35度を適当とす。
投下高度は概ね400m。
進入時速度は135ノット。投下時は225ノット。
とすると、400mから0mまで爆弾は4.77秒かかる。
爆弾は、99式6番通か、99式25番通。
1瓩演習爆弾改2も使える。
98式射爆照準器がついていた。
▼防研史料 中西二一大尉・著『艦上爆撃機を以てする夜間爆撃法ならびに夜戦に於ける用法』S14-12-15
触接隊は、96艦攻×2からなり、吊光投弾×10、航法目標灯×20を持つ。
照明隊は、96艦爆×2からなり、「試製大型照明弾」×2をもつ。
爆弾は、250kgである。
照明は、敵の背後から行う。
急降下爆撃は、高度1200mで進入。進入方向は反航。降下角は45度、リリースは高度500m。
同一目標へ、雷&爆。
同時は不可能である。
照明も、各隊別に行うしかない。
雲高1500m以下だと、照明視界がなくなり、夜襲は不可能である。
今は、後期訓練で搭乗員の三分の二のみが、ようやく夜間発着艦ができる。
『蒼龍』は、本年度、事変に参加したことと、未熟練搭乗員多数が配された関係上、夜間行動は、基地から行なうしかなかった。
▼防研史料 横空『偵察機練習生用 爆撃兵器参考書』S9-3
投下器には、安全〔をコクピット内からかける機能〕および安全解除〔機能〕、必要なら、不発状態でも投下できることが求められる。
我が海軍の現用爆弾投下器の種類。
戦闘機用三〇瓩爆弾投下器。
60/30/4/1kg。……艦上戦闘機用。
三〇瓩爆弾投下器1型改1。
60/30/4/1kg。……艦偵、水偵用。
三〇瓩爆弾投下器2型改2。
60/30/4/1kg。……艦上攻撃機用。
二四〇瓩爆弾投下器改3。
250/240/125kg。……艦攻と飛行艇用。
他に、「大型爆弾投下器」「電磁式爆弾投下器」あれども口述とす。
15式 {大/中/小} 爆弾車。
▼防研史料 『第二海軍火薬廠 見学実習 報告書』S17-3-23~17-3-30
明治専門学校 海軍造兵生徒 鷹取錬一
「成型場」というプロセスあり。
火薬工場では、生産能率よりも、安全を重視する他ない。
「機銃火薬」も各種製造している。
※MG用火薬は陸任せではなかった。
▼防研史料 呉海軍工廠砲熕部『大正十五年度 造兵中尉基本実習 指導方案(寸法測定の部)』
精密計測法として、光の干渉を使うものがある。これなら1万分の1ミリまで読める。
▼防研史料 横須賀海軍砲術学校 防空部『十二糎三十聯装噴進砲参考書〔海鷹型(四式射撃装置四型)〕』S20-2
現状では2タイプある。
ひとつ。四式射撃装置・四(?)式追尾盤 + 30連装噴進砲 + 「十二糎焼霰弾」。
ひとつ。二十五粍機銃従動照準装置 +「二十八聯装噴進砲」+ 12cm焼霰弾。
S19-6、サイパン沖のAA戦訓に鑑み、要望が高まった。
28連装を急遽つくり、空母と戦艦に未完成のまま積んでみたところ、S19-10の比島沖海戦で有効性を証明した。
30連の方は、俯仰は手輪式。旋回は体動式。
28連は、ともに電動(ワードレオナード式)だが人力も可。
30連は7倍スコープ、押釦。
28連は、3.5倍スコープ、引金式電鑰。
30連は筒長1000ミリ。
28連は筒長1500ミリ。
信管秒時は 5.5秒または8.5秒で一定。
14発の散布は、上下200m、左右150m、遠近200m の空間に広がる。
5.5秒としたときは、レンジ1100mである。8.5秒としたときは、レンジ1700mである。
焼霰弾子は、約50m飛び散る。
ロケットは、後方に3mの火炎を出して飛ぶので、砲尾に砲員を剥き出しで配することはできず、必ず、防炎室または防炎楯が要る。
厳寒にはロケットが息吹きし、不規弾となる。
弾丸の外径は120ミリ。弾長は730ミリ。完備重量は23870グラム。炸薬は下瀬火薬200グラム。弾子は特殊燐入り焼霰弾子×60個。推薬は3450グラム。伝火薬は黒色火薬35グラム。焼薬量は440グラム。平均内圧は85kg/平方センチ。
30連の仰角は10度から80度まで可変。俯角なし。左右は360度。
30連の15斉射には、4.5秒から9.0秒かかる。
初速は240m/秒。
28連は、俯仰がマイナス10度からプラス80度まで。ただし左右が270度。
28斉射はできない。いちどに15~20発が最大。
初速は250m/秒。
戦訓に徴するに、「同時8発」がよいようだ。
電気発火だが、どうしても次発との間に0.3秒の間があく。
発射される順番は決まっている。少なくとも1発おいた位置の弾に次々と火がつく仕組み。
ロケット構造は、底部の火薬が推薬に着火、推薬が伝火薬に着火し、時限筒に燃え移り、弾底炸薬(といっても筒のセンターだが)を破裂させ、弾子を前方に吹き飛ばす。弾頭は木製のソリッド・フェアリングである。
噴射孔は6個で、旋転力を生ず。約1.1秒燃えるが、その時の最大秒速が240mである。
▼防研史料 海軍砲術学校『高等科学生用 兵器学参考書 造兵学(砲身)』S6-8
※合冊で(弾丸)もあり。S6-8。
大正15年時点における、日本海軍の 12センチ I-FS弾。弾は20.413kg。「炸薬/弾」=9.96。
12センチ II-FS弾。 「炸薬/弾」=6.45。
8センチ(I およびII)-FS弾。 弾は5.670kg。「炸薬/弾」=10.08(I)および6.89(II)。
▼防研史料 横砲校防空部ed.『比島沖海戦戦訓(噴進砲之部)』(審議用) S19-11-20
『瑞鶴』には8基、積んでいた。
砲員は、防炎用に、飛行服、防火衣、防火頭布。それでも砲側で照準すると、顔面に火傷した。
急降下×120機、雷撃×28機が来襲し、戦果は、不確実だが、急降下爆撃機×1機。
前後部 各324(×2)を準備。前部300発、後部295発を消耗した。
1基ごとの間隔が狭すぎる。お互いに邪魔する。
空母の甲板に剛性がないため、艦が高速になるとたわむ。そのおかげで弾道が曲げられてしまう。
山形鋼のレール・ランチャーは×。高速時振動で、どうしようもなかった。筒式にしてくれ。
信管が1500m~1000mに固定されているのは、近すぎる。
レンジは4000m欲しい。
信管は30秒/25秒/15秒/10秒の4段にしてくれ。
先にAAG、AAMGが射ち始めるので、煙でロクに照準できない。
『瑞鳳』には6基、つんでいた。
MG連動タイプ。28聯らしい。
砲にはペンキを塗っていなかった。火災をおそれて。
分割射ができない。引き金をゆるめても、残りの全弾、出てしまう。
2100m先での炸裂は、実用の機会はない。1500m、1000m、あるいは800m程度がよい。
1門は10発でよい。
このタイプで、対潜弾があるとよい。
砲台1門につき、3発しか準備がなかったという。
28連は多すぎる。14連でいい。
『千歳』は6基。片舷440初準備した。10斉射分、必要と認む。
爆弾投下高度が500mなのだから、Fuzeは500~600mにしろ。
『伊勢』は6基。
確実に2機、落とした。効果は絶大である。
これまで敵機は後方から進入してきたが、こいつのおかげで、ほとんど後ろからは来なくなった(艦尾の片舷に3基づつあったので)。
366発、消耗した。
『日向』も同じ。259発、消耗した。
▼軍務局第一課『火薬緊急増産に関する綴』S20-4-5
石炭からつくれるものとして、硝安とベンゾール系が主力になっている。
附・岩島大佐の簡易兵器計画メモ。
▼海軍少佐・波多野貞夫・述『爆薬講義』大2-5-1 海軍大学校pub.
海大講究録附録。11期甲種学生に対して講義した講義録。
ピクリン酸より黒色火薬、さらにそれより綿火薬の方が衝撃感度は敏感である。
いちばん鈍感なのは硝安で、トロテイルそれに次ぐ。
湿綿は、乾綿より鈍感。
爆速。
黒色火薬は300m/S。
ピクリン酸は7700~8200m/秒。
トロテイル(トリニトロトルオール)は7200m/秒。
黒色火薬のガス圧は、綿火薬の 三分の一 ~ 七分の一。
トロチルは、ピクリン酸の自爆を回避する猛爆薬として開発されたもの。
ピクリン酸は、あとガスにCOを含む。
▼『爆薬講義 巻ノ二』大2-5-1
粉状黒色火薬は16世紀に「丸薬形」となり、小銃・大砲用として普及。
ついで、丸薬形よりも密度を高めた「小粒薬」となる。これは運搬に便であり、且つ、表面が滑らかで、吸湿性が少ない。
この小粒薬によって、黄銅鋳鉄砲(滑腔砲)から、600m/秒の初速を実現した。
1855~1862に、各国はライフル砲を採用。黄銅または鋳鉄砲身。
ところが砲弾には初動抵抗があるために、小粒薬では、初動の圧ピークによって脆い砲身素材を破壊しかねなくなった。とても危険。(スチールなら耐えられたかもしれない。)
そこで、逆に大砲の初速は抑えられるようになった。350m/秒以下に。
この不都合は、小粒(急燃)を緩燃にすれば解決される。そこで成分を変え、比重をさらに高めた「大粒火薬」が1870年までに各国に普及した。
L25~L30のバレルの大砲で、初速600m/秒、腔圧2200kg/平方センチ を達成。
しかし大粒でもまだ急燃なため、大砲威力は、口径の拡大に頼られるようになった。
1880年にドイツで、さらに比重が高く、緩燃の「褐色六稜火薬」が開発された。
これは、平板状の黒色火薬をまず六角形にカットして8面体を得、その六角形のまんなかに丸孔を裏まで貫通させた外形の大粒である。
これによって、口径を大きくせずに長砲身化することができるようになった。
無煙火薬は英国の発明だが、墺人もいい線まで行っていた。しかし、政府が綿火薬を独占する政策に邪魔されて、それを大成させられなかった。
艦砲の口径は、8インチくらいから始まった。それが1880年代末には17.72インチにまで達したが、緩燃火薬の発明で12インチにまで小さくなり、ふたたびそこから、徐々に大口径化した。
被帽砲弾は、1891頃、マカロフ将軍が実現し、各国それに倣う。
※附表中に「目下の問題」として「水中弾」が掲げられている。
黒色火薬はCO発生量が少ないので、砲口に後焔は生じない。
▼防研史料 『沖縄方面航空戦 戦訓速報 其ノ三』※日付不明だがS20-5-14リポートが含まれている。
特攻機に対する無線統制について。
出発前に地上調整するため、敵に動きがバレている。しかも重要電を、混信でとれなくしてしまう。
敵は双曲線航法装置〔LORAN〕で悪天候でも来襲してきている。だから「敵から電波が逆用される」なんて心配は、日本はもう考えなくてよい。
※ロランについて補足しておく。アメリカが1942から研究した、Long Range Navigationで、あとで、BとかCができたので、末尾にAを加える。
米軍はこれを展開しながら太平洋を反攻した。さいしょの1942の北大西洋のロランA局は、2メガヘルツの中波で、パルス式だった。
それに対して、100キロヘルツの位相差式のデッカは、測定精度が1割高かったので、ロランAにデッカの位相測定方式を採り入れた「ロランC」が、後にできる。新島の塔など。
ロランCは100キロヘルツで測位再現性が数十mなので、漁船が豊漁海面に正確に舞い戻れた。GPSのスタンダード・プレシジョン(民用)にも匹敵。
しかしCでも全世界はカバーできない。そこで1947にオメガが提案された。対馬の455m塔も。10キロヘルツと波長が長いので潜水艦に届く。ただ、誤差が大きい。
GPSが普及すると、1994-2に豪州がオメガ局を閉じ、全世界サービスではなくなった。
日本でロランA局が運用開始したのは1959、デッカチェーンは1967年、オメガ局は1975年、ロランC局は1993年である。米軍がGPSを立ち上げた後に海保がロランCを引き継いでいる。さいごまで電波敗戦を続けているようだ。
索敵機等が「ヒ」連送のほか、通信をし得ずして消息不明となること多い。※敵機出現の符号か?
これは略語を咄嗟に使用できないのである。
鹿屋はB-29の数回の「面爆」に耐えて終始使用できる。基地が広大なので。
他の飛行場だと、一度の面爆により、1日~2日は使用不能に陥ってしまう。
敵艦載機〔海軍も「敵艦上機」とは呼んでいなかった?〕に対しては、現方式の掩体で十分。B-29に対しては、打つ手なし。
時限爆弾は直接の害はすくないが、多数落とされると、効果がでかい。
滑走路に近い森林は却って狙われるだけ。そこに機体を隠すな。
燃弾の「搭載」の反対語は「おとし方」である。
菊水7号作戦で、昼間特攻の主力は「白菊」だった。
前線基地では、断片によるタイヤのパンクが多い。
炎上した飛行機に吊るされている爆弾が誘爆するまでには、8分から9分かかる。
増槽は、炎上機から落とそうとすると、却って、悪い。
列線を取る場合は、ジグザグに並べるようにせよ。機と機のあいだは30m以上、あけろ。
過給器の油止リングの工作の粗さも、点火栓が汚れる原因だった。
343空は、松山にいたときにはMGの故障は皆無に等しかったが、鹿屋へ進出した後は、3割が故障するようになった。これは兵器整備指揮官の違いによるか。
99式20ミリ2号4型機銃。
実施部隊にて、ようやく、整備法を体得しつつあり。
3式13ミリ機銃。
零戦52型では、99式20ミリ4型より、むしろ故障が多い。
2式13ミリ機銃。
このMGを有する機の空戦後の帰投がとほとんどないため、データが取れない。
爆弾。
現用50番の吊環は80番と同じである。特攻機は、従来25番を吊るせる機ならば、50番を吊るすことになっている。
飛行機附属兵器たる、爆弾巻揚機は、廃止するを可と認む(銀河と流星)。
※爆弾運搬車で持ち上げて一回とりつければよいのであるから、むしろ死重と量産工程を省くべきであるということ。
零52丙……現地では25番の特攻爆装はぜんぜん実施しあらざるをもって、速やかに、50番通2型か、50番通2型改1が取り付けられるように変換しろ。
同機用の99式20ミリ2号5型は、取付け支基弱く、増速装置が使用不能のため、現地で増速装置が多量に余っている。
※サイクルレートを上げるためのバネ?
彗星43型。
現兵装は2式50番通1型を積むようなシステムだが、これは炸薬量が少ない。それで、現地においては50番通2型をもっぱら使用している。さいしょからこちらを吊下することを前提に製造してくれ。
また「80番号合爆弾爆装工事」は不要である。「均衡撃速」が得られないから、80番通が使用されるので。
※5号爆弾は対戦艦用の徹甲爆弾で、水平爆撃機からでないと、当てることもできない。もし低空からリリースして命中させても、敵艦の下層甲板まで貫徹しないうちに炸裂してしまう。これが「均衡撃速」にならないという意味。だったら通常爆弾を落として、炸薬量で勝負した方がよい。
銀河。
幻惑弾、水面照明弾などの投下孔を設けて欲しい。
全般に、50番通2型と2式50番1型で吊環帯は別モノが必要なのが、面倒。
爆弾運搬車(15式と99式)が足りぬため、魚雷調整班が来てから、3式魚雷車を借用して窮況を凌ぎつつある現状。
次のものは特に不足。多量供給を要す。
31号爆弾。※浅田常三郎が考案した光学式近接信管のついた飛行場攻撃用爆弾で、S20-5-11頃、沖縄の北飛行場と中飛行場に、実際に落としているようだ。
銀紙撒布弾(敵夜戦回避用)。
3式標示弾(飛行場標示用)。
水面照明弾(碇泊艦照明用)。
50番通2型。
28号爆弾(空対空ロケット弾だが、対潜水艦用を考えていたらしい)。
27号爆弾(対重爆用の空対空ロケット弾がが、対舟艇を考えていたらしい)。
33号爆弾の促進を要す。※ピエゾ式圧電信管を長く垂下させて先行させ、本体が着地する前に起爆させる、対飛行場用の破片爆弾。
飛行場攻撃用爆弾として小型爆弾を多数搭載できない1式陸攻以外の機種は、31号爆弾を要望すること切なるも、31号は生産上難点あるを以って、本爆弾を促進する要ありと認む。
戦闘901飛行隊の、28号爆弾を以てする黎明攻撃は、命中精度、きわめて良好にして、さらに28号の威力を増大せる27号「マル艇」の出現を要望する所大なり。
敵戦は、紫電改に対しては相当警戒しあり、空戦時増槽を落下する様になれり。
台湾で落としたSB2Cが、天然色フヰルムを日昼交換自在の、16粍活動写真機を積んでいた。2kgしかなかった。
▼ドリス・ウェザーフォード、長島利明tr.『女は働かなければならない』1988-4
※原1990 の抄訳である。
米海軍は、船が燃えても熔けない身分証明書を看護婦にもたせていた。看護婦はカメラと日記を禁止されていた。
女性海軍予備隊のうち100人は、コロラド大学で日本語を学んだ。
プログラミング言語のコボルを開発したのは、女性海軍予備隊員であったグレース・ホッパー(p.102)。
米国では「ドラフト」という言葉で、徴兵だけでなく、女の工場勤労強制=勤労動員も意味させる。だから人々は混乱する(p.238)。
1942には、早くも、米国の軍需生産額は、枢軸国全部を合計したものと同じになった。
1943には、枢軸合計の1.5倍になった。
1944には、2倍になった。
戦前には、米国はブリキの86%を、マレーや蘭印に依存していた。※錫。
シェルショックの以前に、訓練中や、戦闘の始まりが近いときに、精神に異常をきたしてしまう米国人男子が、毎月、2万5000人もいた。
▼防研史料 海軍省教育局『駆逐艦主砲を以てする対陸地射撃』S16-7-7
過去5ヵ年の12.7糎砲の左右散布界(公誤)は、6弾で、36m。
航行中、1点を狙うのは困難で、地域射撃、間接射撃とするしかない。
『不知火』から演習弾を実射してテストした。
▼防研史料 海軍文庫『航空機用兵器取扱教範』S6-1-26
留式7.7ミリ。弾倉は決して積み重ねてはならない。地上に置いてもいけない。
発射が止まらなくなる故障あり。その際は、マガジンを外す。
この時点で「二四〇瓩爆弾投下器三型」「五〇〇瓩爆弾投下器」あり。
「三〇瓩爆弾投下器一型改二番」は、水上機や飛行艇用らしい。
この投下器には、1瓩演習爆弾、4瓩演習爆弾1型/2型、30瓩通常/演習爆弾 1型/2型、30瓩煙爆弾1型/2型、60瓩通常爆弾 をとりつける。
30瓩爆弾投下器2型改2 は、「13式(1号/2号)艦攻」用である。
13式艦攻には「二四〇瓩爆弾投下器」もつけられる。そこに250kg通常爆弾、240kg通常爆弾、125kg通常爆弾を吊下できる。※英国製直輸入の爆弾か。
13式艦攻には「五〇〇瓩爆弾投下器」もつけられる。※これは魚雷と兼用らしい。
魚雷用のは「落射機」という。
コクピット内の発射索を引いて、リリースする。四四式魚雷を。
カメラのことを海軍では「写真兵器」という。
▼防研史料 海軍文庫『投射操式』S16-10-15
※爆雷のマニュアルである。
海軍では四は「ヨン」と発声。七は「ナナ」。九は「キュー」。〇は「マル」。一「イチ」。
※二については同じ本の中で矛盾したことが書いてある。
爆雷には「水圧喞筒」がある。※安全装置でもある水圧センサーはピストン形式だったのか。
▼Cornelius Ryan著、近藤等tr.『史上最大の作戦』
1959の The Longest Day の原書には、世界ノンフィクション全集の抄訳版があるが、こちらは筑摩書房の全訳。
著者は1921アイルランド生まれ。1947から米居住。WWII中は英新聞の従軍記者だった。
この本を書くために3000人にアンケート/インタビューした。ロンメルとルントシュテットの日記も調べた。
L.C.I. =歩兵揚陸舟艇は、沖合い14kmから自航し始めた。したがって、はじめは、目指す海岸が見えない。
BBは射撃していた。オマハビーチでは『テキサス』『アーカンソー』の14インチ砲。ユタビーチでは『ネバダ』。
CASは、B-24、ランカスター、B-26、スピット、サンダーボルト、ムスタングなど9000機が。
爆撃機は329機繰り出されたが、誤爆をおそれ、オマハの5km奧に投弾した。
オマハに殺到した戦車第一波は、水上航走中に自沈してしまった。
独軍は、LCIが汀線まで400mに近づくまで、発砲を自制していた。
砂丘の上、超低空で何百という戦闘機が舞い、動くものと見れば、すべてに銃撃を加えた。
独側が海岸を銃撃したのはFw190×2機である。
この浜から動かないやつは二通りだ。死んだやつと、もうすぐ死ぬやつだ(p.214)。
銃座の3人を射殺してから「ビッテってどんな意味だ?」(p.215)。※頼む。
ランカスターは2トン爆弾でトーチカを攻撃した。最後は工兵のバンガロール。
サン・メール・レグリーズの教会の塔に落下傘がひっかかって死んだフリをした男は、あとでドイツ軍の捕虜になった。恐ろしさと、射たれた足の痛みとで、鳴り続けていた鐘の音を、少しも覚えていない。