きょうの人出はどんなもんでしょうか。

 Christen McCurdy 記者による2020-5-28記事「Nellis AFB to test 5G network beginning in January 2021」。
    ネリス空軍基地に、5G環境を7月から構築し、2021-1から、その運用を開始する。
 すでに米軍は四箇所の基地を5Gテスト用に指定しており、これで五箇所になる。

 中継塔は移動式である。野戦部隊が1時間で開設できるもの。5Gのネットワーク・センターが、戦場を機動できなくてはならないので。

 なおこの環境には事前に許された者しかアクセスはできない。部外者は割り込み利用などできない。
 実用実験は3年ぐらい続けるつもり。

 これまでテスト基地に指定されたのは、ユタ州のヒル空軍基地、ワシントン州のルイスマコード合同基地、サンディエゴ海軍基地、ジョージア州のオルバニー海兵兵站基地。

 FCCはすでに民間のリガード社へのLバンド使用を許したが、NTIAというテレコム情報行政機関はその撤回を求めている。

 次。
 Jon Harper 記者による2020-5-28記事「Foreign Military Sales at Risk of Decline」。
     昨年、米国のFMSは550億ドルを計上した。
 しかし直後の新コロと原油価格の低落は、FMSを縮小させるだろう。

 FMSの巨大なお得意さんだったGCC諸国に、兵器なんか買い付ける余裕はなくなるはずだからだ。

 欧州諸国も、新コロ対策費を捻出せねばならず、兵器調達は抑制するはずだ。

 FMSの仕組みでは、購入国は、あらかじめ信託機関に代価をデポジットしなくてはならない。だから既成約分に関しては、米国側には1文の取りはぐれもない。

 縮小リスクに直面しているのは、米国軍需企業と外国政府との間の直取引だ。
 ちなみに、そうした直取引に関して、米国政府が特旨を以って融資をしてやったりローンを組ませてやったりするという場合もある。

 次。
 Nicholas Clairmont 記者による2020-5-26記事「“Please Do Not Show This To Anyone. Military Secrets, You Know.”」。
    記者の祖父は、1941年8月9日と10日の「チャーチル-FDR」会談の場となった巡洋艦『オーガスタ』の無線通信士だった。
 チャーチルは、戦艦『プリンス・オヴ・ウェルズ』に乗ってやってきた。

 場所は、ニューファウンドランド島のプラセンティア湾。
 話し合われたのは、戦後経営。まだ日本が参戦する4ヵ月前だから、米国も対独戦には加わってなかった。

 合意したこと。

 英米どちらも、領土は拡張しない。
 ともに、国際貿易の自由化を追求する。
 世界の海洋の自由を確立する。
 ドイツに占領されてしまった諸国の政府は復活させる。それらの国民はじぶんたちの政府の形を自由に選べなくてはならない。

 これらの大原則は「大西洋憲章」と呼ばれた。
 チャーチルの最大の願望は、米国の参戦であった。しかしそれはこの会談では叶わなかった。

 この「大西洋憲章」のコピーは麗々しく額装されて1942年から44年まで、DCの国立博物館の壁にかけられていた。
 ところが44年後半、FDRは新聞記者たちに、あの憲章には公式の「オリジナル」は無い、と暴露する。そしてFDR自身、それがじつは大問題になり得るということに、気づくのである。

 FDRいわく。オリジナルに最も近いものといえるものなら、『オーガスタ』と『プリンスオヴウェールズ』の通信室にあるのではないか。公式文書は存在しない。

 チャーチルとの大西洋会談は極秘外交だった。
 ドイツの潜水艦から襲撃されるのを回避するため、FDRは1941-8に、大統領専用ヨットの『ポトマック』で10日間の釣りの旅に出ると公表し、世界を欺いていた。

 『ポトマック』にはニューイングランド沖をずっと巡遊させておき、その隙に、大統領本人はカナダ沖に移動したのだ。

 記者の祖父の通信士の日記より。
 1941-8-2(土)、巡洋艦『オーガスタ』は朝6時に抜錨し、ロードアイランド州のニューポートへ。護衛するのは重巡1隻+多数の駆逐艦だ。
 『オーガスタ』の行き先は、水兵の誰も知らない。緊張感が満ち、ルーモアだけが流れる。

 西に航走して、午後2時、ロングアイランド海峡の「シティ・アイランド」という小湾に投錨。

 そこはレジャー用のヨットやカヌーでいっぱいだった。
 たちまち民間人どもは当艦に興味を抱き、蝟集して周囲を回り始めた。水着美女をはべらせている船もある。ただし皆、海軍には好意を持っているようだった。

 しばらくすると、海峡を、2隻のタグボートが、巨大なバージを押してやってきて、当艦に横付けさせた。
 作業衣の男たちが乗り組んでいた。
 カンバスがかけられ、外からは何なのかがわからないようにされていた複数の物体を、我々はクレーンで積み取った。

 大統領の所属品であることを示すニッケル・プレートがついていた。
 この時点で、新聞では釣りの旅に出ると言われている大統領を当艦が運ぶのだと理解できた。

 われわれは夜に出港した。
 こんどはロングアイランド海峡の東端までゆっくり移動した。
 そして夕方、投錨。夜になり、また移動開始。護衛の軍艦5隻も一緒だ。
 翌朝、聞いたこともない港に停泊していると、そこに白いヨットが颯爽と現れた。大統領の『ポトマック』だった。

 大統領たちとさらなる荷物を載せ、いよいよ大西洋に出て北上開始。艦内ルーモアは、行き先がアイスランドかグリーンランドだろうという。

 2日航走してメイン州の沖も通過したので、いよいよアイスランドかと思った。
 しかし3日後に艦隊は変針。
 松の木に覆われた山岳がとりまく湾内へ滑り込む。そこはニューファンドランドのどこか、だった。

 大統領は舷側からじっさいにフライ・フィッシングをした。
 そしてじっさいに15ポンドのブラックドッグフィッシュを釣り上げた。
 大統領は、息子の海軍少尉(同名Jr.)を帯同していた。

 ややあって、われわれは「堵舷礼」の配置を練習させられた。外舷の手摺に沿ってズラリと整列するのだ。これでピンと来た。「堵舷礼」が必要なのは外国元首である。

 その時点で民間ラジオニュースは、米英頂上会談があるのではないかという予想をしている新聞が一、二あることも伝えていた。

 英国最新鋭戦艦は、夜明けにやってきた。
 その戦艦からボートが卸され、こっちにやってきた。

 こっちの全将兵は、直立不動。楽隊が英国家「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」を吹奏。その曲が終わるまで、英艦の乗員は敬礼を続けた。

 『オーガスタ』上には、キング提督、大西洋艦隊司令長官のワトソン提督、首席海軍卿のダドリー・パウンド、ハリー・ホプキンスなども集まっていた。
 この場ではムーヴィーも撮影されている。しかしそのフィルムは今日、伝わっていない。

 英軍艦の乗員たちのために、チーズやリンゴやオレンジや煙草を大量に送り届けてやった。向こうの水兵たちは感泣せんばかりだった。英本国では食糧は厳しい配給統制下にあって、数少ない果物などはほとんど禁止的な値段で取引されていたのだ。

 『プリンスオブウェールズ』は『ビスマルク』と砲戦してこれを沈めている。ほんの数ヶ月前だ。

 ある英水兵から写真を見せてもらった。沈められる直前の『フッド』などが写っていた。
 ビスマルクの15インチ砲の最初の斉射でフッドは弾火薬庫を貫かれ、瞬時に爆沈した。前檣の高いところにいた3人だけが、吹き飛ばされながらも生還し、残り全員は、死んだのである。

 その水兵の乗っていた艦にもビスマルクの巨弾が命中したが不発だった。その砲弾は、ドイツに占領されていたチェコの工場製で、おそらく工員が信管に細工をしていたのではないかという噂になっていた。

 ロンドンに落ちた爆弾の不発弾の信管からも「これがわたしにせいぜいできることです」というメッセージの紙片が発見されたという。

 英艦の配膳は悲惨なものだった。砂糖、クリーム、バターは皆無だった。サトウダイコンが甘味として代用されていた。
 FDRは犬の「ファラ」を伴っており、その犬は通信室にまで入ってきた。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-5-29記事。
   155ミリの「エクスカリバー」GPS誘導砲弾がさらに進化した。1Bという。

 大落角で落ちるときに、手前寄りにコースを修正できる。すなわち、崖の裏に隠れている敵を、背中から直撃できるようになった。