Kristin Huang 記者による2020-5-29記事「China’s first home-made aircraft carrier the Shandong begins sea trials」。
CCTVは昨年すでに就役済みなのに公試運転は未了の『山東』が、公試運転中である様子を放映し宣伝した。
ついでに新コロいらいできないでいた、艦上機の離着艦訓練も実施。
場所は報道されていないが、大連発のノーティスから、渤海だと知られる。
公試運転/訓練は6-1~6-2にもやる。
次。
Major Dan 記者による2018-5-29記事「May 29, 1935: Greatest Fighter Plane? First Flight of the Messerschmitt Bf-109」。
Bf-109 は戦闘機として史上最多量産数の記録をもっている。ドイツだけでも3万3984機。これに、チェコスロヴァキアとスペインが1958年まで製造した数百機が加わる。
ちなみに露軍のイリューシン2は戦闘機じゃない。
同時代のFW-190の方が、より近代的で重武装だったが、量産性と整備性はBf-109が勝った。
WWII中に運用されたドイツの全戦闘機のうち57%はBf-109だった。
最大欠点は航続距離の短さだった。
バトルオブデリテンでは多くのBf-109が燃料切れで落ちた。英本土上空でたったの数分間しか、空戦できなかったのだ。
増槽は、バトルオブブリテン中には発想されなかった。
あとになり、80ガロン入りのドロップタンク×2が工夫された。もともと500マイルだったレンジはそれで1000マイル近くに伸びた。
すべての戦闘機が急速に旧式化してしまったあの戦争で、なんとBf-109は、他国のどの主力戦闘機よりも先に就役していたのだから驚くべきだろう。ちなみにスピットの初飛行はメッサーより1年遅い。
実戦デビューはスペイン内乱だった。ドイツが派遣した「コンドル軍団」の麾下だった。
それは、最強のエンジンを、最も軽く小さなフレームで包んだ飛行物体だった。
初期型の最高速力は時速350マイルくらい。これがG型になると最高398マイル、巡航でも365マイルとなった。
少数製造されたH型は、470マイル/時という、ピストンエンジン機としては尋常でない高速を出せた。
液冷エンジンはラジエター系に1発被弾孔が開いただけでも即エンジン火災に直結する。そこでメッサーはラジエターを2個に分け、パイロットが随意に片方もしくは両方の液流をシャットすることができるようにした。還流を全部止めても数分間はエンジンは回り続けるから、その間に不時着かベイルアウトを考えればよい。
初期型の武装は1門の20ミリ・モーターカノンをスピナー同軸に。そしてカウリング上に7.92ミリMG×2。
後期型ではこの武装もさまざまに強化された。重爆撃機用の空対空ロケット弾も最後には用意された。
対地攻撃機にも動員された。その場合、250kg爆弾×1か、10kg爆弾×4を吊下した。
設計上の失敗といえるのは主脚がセンターラインに寄せられすぎていたことで、そのため、パイロットにとっては、離陸、着陸、タキシングの途中で事故死する危険が、空戦以上に高かった。
※古い本にはいちど書いたことだが、世界史の教科書は、現代史のパートに必ず「Bf-109」の写真を沿えるべきである。じっさい、この戦闘機が世界史を変えたのだ。この戦闘機さえなければ、英仏はヒトラーに妥協宥和する必要はなかったのだから。これほど政治的に存在がデカかった戦闘機は、歴史上、他にはない。