JOHN WILKENS 記者による2020-7-19記事「Bonhomme Richard stirs echoes of 1905 disaster, San Diego’s birth as a Navy town」。
1905年7月21日にサンディエゴ港(とうじ人口2万人)で、砲艦『ベニングトン』が爆発し、水兵65人+将校1人が死亡、数十名が負傷した。これは今でも同港史上の最悪事故である。
『ベニントン』は1891就役の鋼鉄軍艦で、米西戦争でも哨戒に任じた。乗員は200名。
サンディエゴは19世紀にはまだ「軍港」ではなかった。20世紀になって以降、太平洋の海軍力強化が必要だと思われて、それから軍港に成長するのだ。
その日、『ベニントン』は岸から100ヤードに碇泊していた。ハワイからやってきたばかりだったが、加州沖で故障した艦戦があり、その救援のために出航することに……。
蒸気圧を上げるために石炭投入を続けていた午前10時半、罐のひとつが破裂。連鎖反応でもうひとつも破裂した。船体に穴があくほどの大爆発だった。
岸で目撃していた人によると、水兵が高さ30フィートも跳ね上げられるのが見えたという。生き残った水兵たちは衣服を脱ぎ捨てて海に飛び込んだ。ものすごい高熱から逃れるために。
逃げずに残った1人の水兵が錨鎖を切ったおかげで、かけつけたタグボートが『ベニントン』を押して浅瀬に擱坐させることができた。この水兵は高熱蒸気を肺に吸い込んだ火傷によって翌日死亡した。
この事故で11人の水兵が表彰されている。そのひとりのジョン・ヘンリー・ターピンは、1898の戦艦『メイン』の爆沈時にも居合わせた強運の持主で、後に、黒人として初めて一等兵曹(chief petty officer)になった。
2日後の葬儀では、黒く塗られた棺を覆うための米国旗が足りない状況だった。
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Yasmeen Serhan 記者による2020-7-18記事「What the Coronavirus Proved About Homelessness」。
パンデミックのとき、どうやって、ホームレスの人たちに、「ステイアットホーム」を求めるのか。
英国の回答は、「ホテルに収容しろ」だった。
3-23に政府は自治体に要請した。
ホテル、学生寮などの空きスペースが充当された。
次の問題が浮上している。パンデミックが終わったとき、この人たちをまたストリートに放り出すのか?
豪州、フランス、米国の一部も、同じ悩みと取り組む。
イングランドだけでも1万5000人近くが現在、ホテル等に収容されている。北アイルランド、スコットランド、ウェールズでもそれぞれ、やっている。
英国統計局によると、イングランドとウェールズで、すくなくも16人のホームレスが、新コロで既に死亡した。
フィンランドはホームレスのために3500軒の住宅を建設した。