旧資料備忘摘録 2020-7-29 Up

▼内山弘『戊辰戦争とガトリング砲』H18-9 長岡歯車史料館pub.
 ガトリング・ガンのうち、銃身全体が円筒で覆われているのは、海軍仕様。潮風の害を防ぐため。

 河井継之助は佐久間象山の塾に学び、小銃射撃は特級だった。慶応3年12月18日に、藩の各戸に1梃づつミニエ銃を貸与した。藩士のみならば600梃、足軽や中間も入れたとすれば1600梃。

 『長岡藩戊辰各隊長書出』の中で、長谷川五郎太夫は、河井総督が中島の兵学所辺に「竒環砲」を引いて来た、と記している。

 河井はおそらく1門3000両で2門を入手したのだろう。それは米国価格の10倍だった。
 保管場所は、長岡城の二の丸の南角矢倉。

 河井が購入したタイプは、薙射ができないタイプだった。弾丸は1点に集中するだけ。だから相手が散兵だと、ほとんど無力に等しかった(p.53)。

 司馬遼太郎の小説『峠』では、日本に3門しかないうちの2門は河井がおさえたが、あとの1門は薩摩が買い、『春日』の艦尾にのせた、と紹介した。しかし鹿児島県立図書館に訪ねたら、『春日』にガトリング砲はなかった。艦首にアームストロング砲があった。

 野口団一郎の『戊辰北越戦争記』(M26)は、日本に3梃しかないガトリング砲のうち1梃は土佐藩の手に入ったとする。しかし「土佐史談会」に問い合わせたらその事実はないとのこと。

 『開陽丸』のサルベージ(S49~)で、28個のガトリング砲弾が出土。その直径は15ミリだった。
 1866に米陸軍が発注したガトリング砲の口径は、0.5インチと1インチである。とすると開陽丸には0.5インチ・タイプが備えられていたのか。

 0.58インチ径のガトリング砲もあったので、それかもしれない。

 『山内提雲翁自叙伝』(S7)によると、まだ日本政府にひきわたされていなかった『東』艦に、山内六三郎(蘭語と英語の通訳ができた)は乗り入ったことがある。そして、その積載の「速射砲」や銃器、弾丸などを、荷舟に移し、「我艦」〔=開陽〕に運搬した――という。
 ※このとき、実包だけが、わけもわからずに移されたのだとすれば、すべてのつじつまが合う。

 長岡ではガトリング砲の実包が1発も見つかっていない。
 2門のガトリング砲の破片も見つかっていない。

 『甲鉄』のガトリング砲は左舷にあったように解釈できる。とすれば右舷にももう1門あったのか? ※いや、麦叢録には左舷固定とは書いてないはず。

 明治7年にグラントがガトリング砲をみやげにもってきた。日本陸海軍はそれを購入した模様。※台湾征討と西南戦争に使われたのは、これだろう。

 M21-1-20竣工の『麻耶』に口径1インチ・ガトリング砲×2。

 米国でのガトリング砲はM44に製造中止されている。

▼故・宗像和広氏が作成していたノート(各国の野砲・対戦車砲の対装甲威力諸元)
  ※宗像氏は火砲の本を書くつもりで資料の準備をしていたと思しい。兵頭が保管していたルーズリーフ6枚のメモをここに転記する。なお、これ以外の未公表ノートを、兵頭は所持しない。

 以下、C・F・フォス『Artillery of the World』より、ソ連の火砲のスペック一覧。

M1944(D10) 100mm APHE 15.9kg 1000mにて185mm、M・V1000m/s

M1945(D44) 85mm APHE 9.3kg 1000にて102mm、M・V792m/s
 同 HVAP 5.0kg 1000mにて130mm、M・V1030m/s

M1942(21S-3) 76mm APHE 6.5kg 500mにて69mm、M・V655m/s
 同 HVAP 3.1kg 500mにて92mm、M・V965m/s
 同 HEAT 4.0kg 全射程で120mm、M・V325m/s

M1943(21S-2) 57mm APHE 3.1kg 500mにて106mm、M・V990m/s
 同 HVAP 1.8kg 500mにて106mm、M・V990m/s

M1942 45mm APHE 1.4kg ? 820m/s
 同 HVAP 0.9kg 500mにて66mm、M・V1070m/s

M1939(KS 12) 85mm高射砲 APHE 9.3kg 1000mにて102mm、M・V792m/s
M1939(KS 18) 85mm高射砲 HVAP 5.0kg 1000mにて130mm、M・V1030m/s

M1939 37mm高射砲 AP 0.77kg 500mにて46mm、M・V880m/s
 同 HVAP 0.62kg ? M・V960m/s

  以下、I・V・ホッグ『米英火砲 of W.W.II』より。

2Pdr 40mm 2ポンドAP 2650ft/s 42mm/1000yd/30度 最大8000yd 英国
6Pdr 57mm 6ポンドAP 2693ft/s 74mm/1000yd/30度 最大5500yd 英国

17Pdr 76.2mm 16ポンド15オンスAP 2900ft/s 109mm/1000yd/30度 英国
17Pdr 76.2mm 17ポンドAPC 2900ft/s 118mm/1000yd/30度 英国
17Pdr 76.2mm 17ポンド10オンスAPDS 3950ft/s 231mm/1000yd/30度 英国

37mmATG 37mm 1.92ポンドAP 2900ft/s 36mm/500yd/0度 最大12850yd 米国
 同 37mm APC ? 61mm/500yd/0度 米国

57mmATG 57mm 6.28ポンドAP 2800ft/s 73mm/1000yd/20度 最大10260yd 米国

76mmATG 76mm 13ポンドAP 2700ft/s ? 最大10000yd 米国

3インチATG 3吋 15.4ポンドAP 2600ft/s 100mm/1000yd/0度 最大16100yd 米国

90mmATG 90mm 24.5ポンドAP 2800ft/s 122mm/1000yd/0度 最大21400yd 米国

105mmATG 105mm 39&41ポンドAP ? 210mm/100ydsic.

 以下『The Encyclopedia of infantry weapons of W.W.II』より。

6ポンド砲 英 57mm AP6ポンド4オンス M・V3675ft/s 74mm/1000yd/90度
 当初のAPは四号戦車との戦訓から、APC、APCBCにすぐ交信され、APCR(タングステン芯)が続いたが、1944年初めAPDSが出た。最初の弾丸の2倍の威力をAPDSは持っていた。

37mm M3A1 米 37mm APC1.92ポンド 2900ft/s 2.0インチ/1000yd/0度。
 同 HE 1.61ポンド 2600ft/s max 12850yd.
  太平洋戦場では日本の戦車とのバランスで有用であった。この砲は近距離用キャニスター弾を発射でき、狙撃兵の巣であるジャングルの茂みや下生えを射撃するのに役立った。

57mm M1 米 57mm AP6ポンド+4.5オンス M・V2700ft/s 2.7インチ/1000yd/20度。
 1941年5月15日、制式化。米国の機械力により、英国のより長い50口径砲身。英国と違い、AP、APCのみ使用。

57mm M43 ソ連 57mm AP6.92ポンド M・V3248ft/s 86mm/500m/30度。
(2iS-2) HE8.27ポンド 2295ft/s Max 9200yd.
 同  HVAP3.88ポンド 4167ft/s 100mm/500m/30度。
  76mm師団砲と同一砲架なので、1944年末まで充分に部隊交付されなかったと信じられる。HVAPの性能については疑問がある。

 以下、しばらくドイツ。

28mm重対戦車銃 APCNR 4.5オンス 4593ft/s 52mm/500m/30度 max800m。

37mm Pak 36 AP 1.5ポンド 2500ft/s 36mm/500m/30度
 同  APCR 12.5オンス max4400yd.
 同  HE 1.33ポンド 3375ft/s 40mm/500m/30度

42mm le Pak 41 APCNR 11と3/4オンス 4150ft/s 72mm/500m/30度 max1000m

5cm Pak 38 AP 4.95ポンド 2700ft/s 61mm/500m/30度、88mm/250m/30度 (1940)
 同 APCR 1.81単位不明 3930ft/s 86mm/500m/30度、141mm/250m/30度
 同 HE 4.3ポンド 1800ft/s max2890yd.

7.5cm Pak 40 AP 15ポンド 2600ft/s 104mm/500m/30度、89mm/1000yd/30度 (1941)
 同 APCR 7.04単位不明 3250ft/s 115mm/500m/30度、96mm/1000yd/30度
 同 HE 12.8単位不明 1800ft/s
 同 HEAT 10.1単位不明 max8400yd.

7.5cm Pak 41 APCR 5.72オンス 3700ft/s 171mm/500m/30度、145mm/1000yd/30度、102mm/2000m/30度 (1942)

 以下は『German Tank & Antitank』が挙げている数値。

28mm重対戦車銃
 100yd 90度なら94mm、30度なら69mm (Pz.Gr Patr.41)
 200yd 90度なら86mm、30度なら65mm (M・V 1402m/s)
 300yd 90度なら79mm、30度なら60mm (弾量 0.1305kg)
 400yd 90度なら72mm、30度なら56mm
 500yd 90度なら66mm、30度なら52mm (マグネシウム合金被帽)
 600yd 90度なら60mm、30度なら48mm
 700yd 90度なら54mm、30度なら44mm
 800yd 90度なら49mm、30度なら41mm

37mm 35/36  (APは762mm/s、0.68kg。 AP40は1030m/s、0.354kg)
 100yd  APデータなし。  AP40 で90度なら79mm、30度なら68mm
 200yd APで90度なら56mm、30度なら42mm。AP40で90度なら72mm、30度なら61mm
 300yd APデータなし。AP40で90度なら65mm、30度なら55mm 
400yd APで90度なら51mm、30度なら38mm。AP40で90度なら58mm、30度なら49mm
500yd APで90度なら48mm、30度なら36mm。AP40 データなし。
 600yd APで90度なら46mm、30度なら34mm。AP40 データなし。

42mm le Pak 41 (4.2cm Pz.Gt.Patr. 0.336kg、 M・V 1265m/s)
 0yd 90度なら124mm、30度なら95mm
 250yd 90度なら105mm、30度なら83mm
 500yd 90度なら87mm、30度なら72mm
 750yd 90度なら60mm、30度なら62mm
 1000yd 90度なら60mm、30度なら53mm

5cm Pak 38 (AP 823m/s、2.25kg。 AP40 1198m/s、0.975kg)
 0yd APで90度なら99mm、30度なら73mm。AP40で90度なら165mm、30度なら143mm
 250yd APで90度なら88mm、30度なら67mm。AP40で90度なら141mm、30度なら109mm
 500yd APで90度なら78mm、30度なら61mm。AP40で90度なら120mm、30度なら86mm
 750yd APで90度なら69mm、30度なら56mm。AP40で90度なら101mm、30度なら69mm
 1000yd APで90度なら61mm、30度なら50mm。AP40で90度なら84mm、30度なら55mm
 1250yd APで90度なら53mm、30度なら45mm。AP40で90度なら70mm、30度なら44mm
 1500yd APで90度なら47mm、30度なら40mm。AP40 はデータなし。

75mm Pak 40 (AP39は、792m/s、6.8kg。AP40は、933m/s、3.2kg。)
 0yd AP39で90度なら149mm、30度なら121mm。AP40で90度なら176mm、30度なら137mm
 500yd AP39で90度なら135mm、30度なら106mm。AP40で90度なら154mm、30度なら115mm
 1000yd AP39で90度なら121mm、30度なら94mm。AP40で90度なら133mm、30度なら96mm
 1500yd AP39で90度なら109mm、30度なら83mm。AP40で90度なら115mm、30度なら80mm
 2000yd AP39で90度なら98mm、30度なら73mm。AP40で90度なら98mm、30度なら66mm
 2500yd AP39データなし。AP40で90度なら83mm、30度なら53mm

75mm Pak 41      ※AP41(HK)は、1124m/s、2.59kg。
 0yd 90度なら245mm、30度なら200mm。
 250yd 90度なら226mm、30度なら185mm。
 500yd 90度なら209mm、30度なら171mm。
 750yd 90度なら192mm、30度なら157mm。
 1000yd 90度なら177mm、30度なら145mm。
 1250yd 90度なら162mm、30度なら133mm。
 1500yd 90度なら149mm、30度なら122mm。
 1750yd 90度なら136mm、30度なら111mm。
 2000yd 90度なら124mm、30度なら102mm。

7.62cm Pak 36 (AP39は740m/s、7.54kg。AP40は990m/s、4.05kg。)
 0yd AP39で90度なら133mm、30度なら108mm。AP40で90度なら190mm、30度なら152mm
 500yd AP39で90度なら120mm、30度なら98mm。AP40で90度なら158mm、30度なら118mm
 1000yd AP39で90度なら108mm、30度なら88mm。AP40で90度なら130mm、30度なら92mm
 1500yd AP39で90度なら97mm、30度なら79mm。AP40で90度なら106mm、30度なら71mm
 2000yd AP39で90度なら87mm、30度なら71mm。AP40で90度なら84mm、30度なら55mm
 2500yd AP39で90度なら78mm、30度なら64mm。AP40で90度なら65mm、30度なら43mm

88mm Pak 43
 0yd AP39/43で90度なら225mm、30度なら198mm。AP40/43で90度なら311mm、30度なら265mm
 500yd AP39/43で90度なら207mm、30度なら182mm。AP40/43で90度なら274mm、30度なら226mm
 1000yd AP39/43で90度なら190mm、30度なら167mm。AP40/43で90度なら241mm、30度なら192mm
 1500yd AP39/43で90度なら174mm、30度なら153mm。AP40/43で90度なら211mm、30度なら162mm
 2000yd AP39/43で90度なら159mm、30度なら139mm。AP40/43で90度なら184mm、30度なら136mm
 2500yd AP39/43で90度なら145mm、30度なら127mm。AP40/43で90度なら159mm、30度なら114mm

以下、P・チェンバレン&T・ガンダー著『Anti Tank Weapons』が挙げている数値。

スコダ47mm  M.V 775m/s (AP) 1.65kg 51mm 700yd (30度) チェコ

25mm SAL 1934  M.V 950m/s 0.32kg 50mm 600yd (?度) フランス

28mm sPzB 41  M.V 1402m/s (AP) 0.1305kg 56mm 400yd (30度) ドイツ

37mm Pak 35/36  M.V 762m/s (AP) 0.68kg 38mm 400yd (30度) ドイツ
 同        M.V 1030m/s (AP40) 0.354kg 49mm 400yd (30度) ドイツ

42mm le Pak 41  M.V 1265m/s (AP) 0.336kg 72mm 500yd (30度) ドイツ

50mm Pak 38  M.V ?m/s (AP) 2.25kg 61mm 500yd (30度) ドイツ
 同      M.V 1198m/s (AP40) 0.975kg 86mm 500yd (30度) ドイツ

75mm Pak 40  M.V ?m/s (AP) 6.8kg 106mm 500yd (30度) ドイツ
 同       M.V 933m/s (AP40) 3.2kg 115mm 500yd (30度) ドイツ

75mm Pak 41   M.V 1124m/s (AP) 2.59kg 171mm 500yd (30度) ドイツ

75mm 97/38   M.V 570m/s (AP) ?kg 60mm 900yd (30度) ドイツ

76.2cm Pak 36(r)  M.V ?m/s (AP) 7.54kg 98mm 500yd (30度) ドイツ
 同       M.V 990m/s (AP40) 4.05kg 118mm 500yd (30度) ドイツ

88mm Pak 43   M.V 1130m/s (AP) 7.3kg 226mm 500yd (30度) ドイツ

88mm Pak 43/41  M.V 1130m/s (AP) 7.3kg 226mm 500yd (30度) ドイツ

37mm 94式    M.V 701m/s (AP) 0.69kg 24mm 1000yd (30度) 日本

37mm 97式 M.V 762m/s (AP) 0.68kg 38mm 400yd (?度) 日本

47mm 1式 M.V 824m/s (AP) 1.4kg 2インチ 500yd (30度) 日本

40mm 2ポンド M.V 792m/s 1.0kg 53mm 500yd (30度) Max600yd 英国

57mm 6ポンド M.V 900m/s 2.84kg 2.7インチ 1000yd (20度) 英国

76.2mm 17ポンド M.V 950m/s 7.65kg 130mm 1000yd (30度) 英国

37mm M3A1 M.V 885m/s (AP) 0.86kg 1インチ 1000yd (20度) 米国
 同 M.V ?m/s (APC) ?kg 2.1インチ 1000yd (20度)  米国

57mm M1 M.V 900m/s (AP) 2.83kg 2.7インチ 1000yd (20度) 米国

3インチ M5 M.V 793m/s (AP) 6.94kg 3.85インチ 1000yd (20度) 米国

37mm M30 M.V 1030m/s 0.68kg 38mm 400yd (30度) ソ連

45mm M32~38 M.V 760m/s (AP) 1.43kg 38mm 1000yd (30度) ソ連

45mm M42 M.V 820m/s (AP) 1.43kg 95mm 300m (?度) ソ連

57mm M41 & 43 M.V 1020m/s (AP) 3.148kg 140mm 500m (?度) ソ連

100mm M44 M.V 900m/s 15.6kg 192mm 450m (?度) ソ連

以下、P.チェンバレン&J.ミルソム共著『AT&AA砲』が挙げる数値。

1号B型車台47mmチェコPak AP 2540ft/s 1000yd で47mm (均質鋼鈑) AP・HEAP 搭載。

7.5cm Pak 40/1 (ロレーヌ車台) APC ?ft/s 1000yd で3.6インチ(30度)、4.3インチ(90度) 均質鋼鈑。

7.5cm Pak 40/2 (2号車台) APC ?ft/s 1000yd で3.6インチ HE APC搭載。

7.5cm Pak 40/3 (チェコ車台) APC ?ft/s  均質鋼鈑・90度のとき 500ydで4.8インチ、1000ydで4.3インチ、2500ydで3インチ。HEAP・APC搭載。

7.62cm Pak 36(r) (2号車台) APC ?ft/s 均質鋼鈑・30度のとき、1000ydで3.2インチ。HE・APC搭載。

88mm Pak 43/1 (ホルニッセ) AP ?ft/s 均質鋼鈑・30度のとき、1000ydで169mm。HE・AP40・APCBC搭載。

75mm Pak 39 (IV号車台) APCBC 2300ft/s、 HE 1800ft/s 。HE・AP・APCBC・成形炸薬弾・AP40搭載。

75mm stuk 42 (IV号車台) AP40 3674ft/s。 HE 2296ft/s。HE・AP・APCBC搭載。

88mm Pak 43/3 (ヤクトパンター) APCBC 均質鋼鈑 500ydで184mm、1000ydで169mm。HE・AP・APCBC搭載。

37mm GMC(M6) 3/4トン 4×4トラック 2900ft/s (AP) 1.8インチ/1000yd 表面硬化鋼鈑 (M3 37mm)

57mm GMC(T48) M3ハーフトラック 2800ft/s (M70AP) 2.2インチ/1000yd 表面硬化鋼鈑 (M1 57mm)

75mm GMC(M3) M3ハーフトラック 2000ft/s (AP) 3インチ/1000yd 表面硬化鋼鈑 (75mm M1897A4)

76mm GMC M18  2600ft/s(M62 APC) 4インチ/100yd 表面硬化鋼鈑 (76mm M1A1)

3インチ GMC M10  2600ft/s 4インチ/1000yd 表面硬化鋼鈑

90mm GMC M36  2670ft/s (M82 APC) 3インチ/4700yd 均質鋼鈑

 以下、「Infantry and antitank guns in antiank roles」という表のコピーより。冊子名不明。

94式(1934)37ミリ砲 マズルヴェロシティ2327f/s AP弾重1.54ポンド 250ヤードで1.9インチ貫徹。

97式(1937)37ミリ砲 マズルヴェロシティ2625f/s AP弾重1.5ポンド 貫徹力データなし。

1式(1941)47ミリ砲 マズルヴェロシティ2700f/s AP弾重3.37ポンド 500ヤードで2.75インチ貫徹。

92式70mm歩兵砲のタ弾は貫徹力が3.1インチ。弾重7.4ポンド。
41式山砲のタ弾は貫徹力が2.75インチ。

▼三宅宏司『大阪砲兵工廠の研究』H5-2
 田島応親がナポレオン砲の複製品を作ることに成功し、それが「四斤砲」(しきんほう)と呼ばれた。この場合の「斤」はキログラムである(p.34)。

 ツンナール銃は、先込め銃。維新後もひきつづいて和歌山で製造していたが、M8-10に閉廠された。

 陸軍部内では、原田、大築、武田の三人を称して「砲兵の三大佐」と呼んでいた。

 四斤山砲用のデマレー信管はM7-12-15に初めてコピーに成功した。大廠。

 西南戦争で海軍は、ガットリング砲をはじめとする機銃弾として13万1120発も消耗している。
 陸軍の小銃弾消費は、日露戦争の三分の一、3200万発だった。

 13年式村田銃が採用される以前は大阪砲兵工廠でスナイドル銃を製造または改造していた。

 村田銃をドイツで試験してもらうように斡旋したのは桂だろう(p.103)。

 南部鋳鉄にはマンガンが含有されないために切削加工が困難だった。

 維新以降、輸入された機関銃。山田顕義がM6にプロシアに注文した20連霰発銃。開拓使がM7に購入したガットリング機関銃。M7に現役大統領グラントが皇室に献上したガットリング機関銃。M12に元大統領のグラントが献上したウイットニー機関銃(p.169)。

▼山澤英雄『柳多留名句選(上)』1995-8 イワブン
 一文の花火は人をおつかける ……鼠花火。

 振るばかりでも迷惑な傘[からかさ]屋
 橋の菰 丁稚に見せて あれだぞよ

 一時期、芝居の安い席では火鉢を持ち込めず、かわりに火縄を買って煙草の火付けに用いた。
 深川では女郎を子供といい、女芸者を羽織といい、太夫は幇間の意味である。客は屋敷者よりも店者が多く、したがって時間が短い(4時間)。最初から騒ぎのめす遊び方になった。「佃さわぎ」という。

▼鈴木棠三『中世なぞなぞ集』1985-5 イワブン
 夕まどい。夕方からもう眠くなること。
 近世はじめまでは、貴人でなくとも、男女とも、裸体で入浴することはなかった。
 在家のままの尼を禅尼という。
 台の三方に穴があるのを三方といい、四方に穴のあるのを四方、穴のないのを供饗[くぎょう]と呼ぶ。

 たんに山といえば比叡山。寺といえば、園城寺[おんじょうじ]=通称・三井寺。
 京都は燃料が高い土地だったので、公卿仲間が順番に風呂をたてた。

 炬燵は室町時代に禅宗が採用した。キャタツと語源が同じではないかという。
 室町時代、猫の名前の代表は「コマ」だった。

 ニシキギ。平安時代の東北で、五色に塗った木片(錦木)を、男が女の家の門に立てておき、相手の気持ちを探った風習。

▼直木三十五『黄門廻国記』S44春陽文庫
 京都は東西南北を山にかこまれているが、北山だけがすいて見える。それで、腹のすくことを北山という。

▼高崎昇『古代エジプトの数学』1977-10
 ギリシャ語のゲオメトリアは、土地を測るという意味。
 氾濫後の土地の再分配に必要だったのが、幾何学と数学。これはローマ時代に衰退した。

 バビロン人は、10進法、12進法、60進法をもっていた。分数も、平方もあった。また、円周を360にわけていた。

 古代エジプト人は自国のことをkem=黒い国 と呼んでいた。
 ナイル河の水は非常に甘い。

 エジプト文化は「心配」の肉体化。

▼金子常規『邪馬台国と女王国』1996-6 原書房
 ※著者の現住所と電話番号まで載せている。山形市在住だった。
 ※岩波文庫の『日本書紀』の刊行の2年後に出ている。

 狗邪[くや]韓国は、加耶[かや]国である。
 女王国は北九州の大野山城である。邪馬台国は大和である。女王国とは行宮[あんぐう]なのだ。
 天武、持統朝は、魏志と倭建国史は無関係だと装いたかったので、建国史を神話化した。

 神武以降でも、最初からほんとうのことを書けば神話の嘘がわかるので、大きく捏造曲筆につとめ、502年の武烈4年までに、外国史料と整合するように、すこしづつ調整した。

 古事記ができると、その内容に違背しないような地方史を提出しろと命じた。そのため、すさのを は、風土記では、変名となる。播磨風土記では「伊和の大神」とされた。

 シナの楚王は「熊」を姓としている。
 前200年頃から、北九州の墓に青銅武器が副葬される。

 始皇帝は青銅武器でシナを統一し、その直後に鉄武器に切り換えた。

 徐福の童男女とは、南越方面の海岸民族がチビだったのを称している。日本紀では少童族と記して「わだつみ」と読ませている。

 弁とは、士分の者の帽子。

 紀では、国王級の神は「尊」と書き、一般は「命」と書く。

 白石も宣長も、女王は邪馬台国に住んでいたときめつけていた。

 対馬あたりの海流は12時間ごとに方向が逆になる。対馬暖流は夏の水温の高いときほど速い。風浪などについて調べたければ『日本全国沿岸海洋誌』を見るとよい。

 「ふ」と「ひ」は混用される。※ヒミコ は ふみこ だったかもしれないわけ。

 後漢は倭国には使者を派遣しなかった。後漢書の倭に関する記述はすべて、魏志を参照して要約しただけ。

 卑弥呼は襲名・襲位されて二代続いたのだろう。

 阿蘇火山の別命は、くしひ。奇し火。ここから「くじ」になる。

 奪回が十二分に可能だった任那を新羅に献上したのが天武。権力基盤がゆらいだので弾圧と歴史捏造に励んだ。ほんとうは固有の倭領をとりかえした神功は、逆に侵略者のように書かれてしまった。

 阿礼は、天武の口述を、記憶しただけ。

 倭王があたえた任那という地名がそのまま現地に受け入れられて固定している。垂仁天皇初頭の命名以前から、倭領だったからだ。

 天武と持統が、「倭と新羅とは古代より善隣友好関係にあった」などという、史実とは正反対に捏造された神話をつくり、低落した権威をおぎなわんと、祖先神話も捏造した。
 天武が新羅の手先となって建国神話を捏造したということをハッキリさせないと、将来に禍を残す。
 いつか将来半島が統一されれば、半島系の在留人は、壬申の乱のときのように、祖国半島最優先の活動を始め、日本は騒乱のうちに滅亡させられかねない。
 平成六年脱稿。

▼DMグランツ・JMハウス共著、守屋純tr.『独ソ戦全史』2005学研M文庫、初訳2003、原1955
 1918から19にかけての経験。予備兵力を、戦線のはるか後方に置き、鉄道を利用して、次の焦点へ、何度でも輸送・転送する。内戦中、5回も異なる方面に移動させられた歩兵師団もあった。梯子戦術と称する。

 1920に対ポーランド戦争がうまくいかなかった。反省。攻撃では必ずまず敵後方への突破が必要。防禦側が立て直そうとしている間に次の戦闘を仕掛け、休止してはならない。

 個々の戦闘=戦術と、戦争全体の指導=戦略の中間の概念が琢磨された。これが用兵術。

 赤軍の粛清は、見世物裁判なしだった。

 スペイン内戦で、装甲薄弱なソ連戦車は失望をもたらした。戦車だけで先駆ければ全滅だった。

 1941-6時点でドイツ工業は300万人の外国人労働者に依存していた。
 バルバロッサ作戦での攻勢終末点をヒトラーは、ソ連空軍がドイツ本土を攻撃できなくなる距離まで、と指令していた。

 プリピャチ沼沢地帯は通行不能で、戦域はそこで南北に分割されていた。
 6-21にはソ連の港にドイツの船舶はいなくなった。
 開戦前の18ヶ月にソ連は石油製品200万トンをドイツに供給した。

 ドイツ外務省は、奇襲開始の前に外交的な要求吊り上げがある、とソ連側に思い込ませることに成功した。
 ソ連の政治将校は戦争捕虜とせず、即座に射殺すべきこと。OKWにいわせると、モスクワはジュネーブやハーグの戦争関係条約を批准していないのでそれがゆるされる。
 じっさいには、それを実行したのはSSの「特別行動隊」だけ。

 ナチスの宣伝によると共産党員=ユダヤ人だった。
 ドイツは300万人以上のロシア人を奴隷労働させた。
 それとは別に捕虜330万人が死んでいる。捕虜の58%だった。

 ソ連の督戦隊はNKVDの「後方保安隊」。
 コスイギンは緒戦の工業疎開の指揮をとった。

 石炭の6割を出していたドンバス炭田は、疎開しようがなかった。
 ドイツ製の機関車は厳冬期の断熱が甘く、そのためソ連領内では蒸気圧を高く維持できなかった。

 南部では、ルーマニア油田を爆撃されなくなるところまでソ連軍を押していく必要があった。
 独機械化部隊は、開戦前の計算の3倍の燃料を消費した。あまりに悪路続きなので。

 ソ連軍の「親衛○○」という部隊名は、戦功のあった部隊につけられ、補給面で優遇される。

 1941-11にはすでにカチューシャ多連装ロケットはあった。
 格納庫がない飛行場では、冬期は暖機が何時間も必要だった。

 泥濘期をラスプーチッツァという。ウクライナでは5月初めに終わる。
 真珠湾攻撃の4日後、ヒトラーは、しなくとも別にかまわなかった対米宣戦布告を、国会での演説の中で、した。※ウラジオストックからの米国軍需品の流入を止めるには、日本が対ソ参戦してくれなければならないので、それを期待した。

 ヒトラーが、イランとトルコへの侵攻を断念したのは1941-11。
 ヒトラーは、1942初頭にすでにソ連の後方工場がフル稼働していることを信じられず、敵の兵器や需品はほとんどが米英の援助品だと思い込んでいた。ならばこそ、カフカス進撃が、南からの援助品を遮断する。北からのルートを遮断するには、レニングラードが焦点になる。

 包囲されたソ連軍部隊から、指揮官と幕僚だけ脱出することが許された。部隊を後方で再編できるので。

 米英軍がドイツ空襲を続けたので戦闘機を東部戦線に集中できなかったのが1943-7(クルスク)時点。

 1943に在米のソ連購買委員会はウラン酸化物8トンを図々しくも要求した。
 終戦までに、赤軍のトラックの53台に1台は外国製。そのなかには、輸送トラック40万9000両と、ジープ4万7000両が含まれる。

 ソ連軍が包囲をしかける場合、そのさらに大外に別な包囲が設けられた。多重包囲。
 前進ができなくなりそうなときは、とりあえず河川障害を越えたところに橋頭堡を確保して停止する。

 時とともにソ連側の指揮術は巧妙化した。次の攻勢点に関してドイツ側を騙し、ほとんど悟られることなく部隊を集結させられるようになった。

 準備砲撃では、とつぜん撃ち方を停止し、数分後にドイツ兵が壕から出てきたところで、集中砲撃を突如再開した。

 地下室を有しない木造家屋があつまってできている都市や集落は、防禦拠点たり得ない。

 ハンガリーのバラトン地方にも、ドイツの使える油田があった。

 ドイツも連合国の爆撃を避けるために一部の工業をポーランドへ疎開させていた。

 関東軍の作戦計画は1944に守勢に転換された。

 満州侵攻にもシャーマン戦車が先鋒として投入されているが(第9親衛機械化軍団)、ぬかるんだ峠道の走行に適しておらず、さいごには、T-34が先導した(第5親衛戦車軍団)(p.574)。

 スターリンは北海道に対する空挺および水陸両用作戦を、決行前日の8-22に中止させた。

 赤軍の兵器生産。
 戦車と自走砲。1941に4700両、1942に24500両、1943に24100両、1944に29000両、1945に16000両。
 大砲と迫撃砲。1941に53600門、1942に28万7000門、1943に126000門、1944に47300門、1945に11300門。

 亡命ソビエト将校V・レズーンが、ヴィクトル・スヴォロフの正体である。
 1945年1月、ドイツ軍が初めて、赤外線暗視装置を使用した。

 満州で爆雷による肉攻をしかけた日本兵をソ連軍はスメルトニキ(自殺者)と呼んだ。
 在満師団の定員は9000人から18000人。ソ連軍は平均5000人で、稀に3000人以下。

 満州には戦車自走砲を5556両、ソ連軍はもってきた。