来年、大不況が来ることを、みんな、分かっているのだろうか?

 いまから《生活防衛》の手を打たないと、大変なことになりますぜ。

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 CAITLIN M. KENNEY 記者による2020-8-4記事「Sunken assault amphibious vehicle found off Calif. coast with remains of service members aboard」。
    AAV7の沈没事故は、サンクレメンテ島での訓練が終了し、沖合いの揚陸母艦に戻るべく洋上航走していたときに起きた。島からは、ちょうど1マイル弱くらいのところだった。

 米海軍の水中レスキュー・コマンドは、『HOS ドミネーター』を民間からチャーターし、そこから水中無人探査を放ち、沈没したAAV7と内部の遺体複数を確認した。
 7人が行方不明になっているが、こんかい、車両の内部で確認できた遺体数は未公表。

 今後、車体そのものを引き揚げる計画である。深さ385フィートの海底から。
 海兵隊は、今回の沈没事故の原因が解明されるまで、AAV7の浮航をすべて禁止した。

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 ストラテジーペイジの2020-8-5記事。
    英軍は、2個の小規模コマンドー部隊を新編した。ロイヤル・マリンズ・ヴァンガード攻撃中隊、略してVSCという。

 1個VSCの規模は300人。英陸軍のコマンドー隊員も混じっている。
 1個VSCはバーレーンに駐留させる。もう1個はノルウェー軍に協力する。対露用である。

 VSCを構成する隊員は固有ではなくローテーション。半年で、人を入れ替えて行く。

 これまでの英軍の特殊部隊は、「第三コマンドー旅団」とイコールであった。
 同旅団は、3個のロイヤルマリンコマンドー大隊を核とし、砲兵や工兵や補給を陸軍から出向するコマンドー隊員が支援するようになっていた。

 第二次大戦後、英陸軍はコマンドー部隊をぜんぶ解散させたが、ロイヤルマリンズはコマンドー大隊を残し続けた。すべてのロイヤルマリンズ歩兵部隊は、いつでも、特殊部隊任務もこなせるようになっている。

 英軍が正規のコマンドー部隊を編成しなければならないと考えたのは1940春のフランス降伏直後である。
 新編部隊は全員、志願兵とした。
 ここで問題が起こった。既存の部隊の長は、部下の最優秀隊員を、手放したがらないのだ。
 そこで最初の2個独立中隊は、予備役を集めて立ち上げねばならなかった。予備役の下士官ということは、現役7年+数年なので、若くはないが、経験値がそれを優にカバーする。

 独立コマンドー中隊の規模は、1個歩兵中隊=150人 と同程度だった。この「独立中隊」を11個、つくった。
 任務は、無人の海岸に潜入上陸し、港湾設備、通信施設、飛行場などを、敵が来て確保する前に破壊してしまうことだった。

 英軍の将校は、2世紀におよぶ世界各地の殖民地作戦でしぜんに「挺進部隊」を編成し運用する経験を積んでいる。「レンジャー」も米陸軍の発明品ではなく、北米を殖民地にしていた頃の英帝国駐留部隊が必要に迫られて創始したのである。

 英軍将校は、敵からも学んだ。19世紀末にはボーア人たちから。WWIでは東アフリカのドイツ殖民地でアスカリ(現地人徴募兵)を率いて最後までゲリラ戦を続けたレットウ・フォルベックから。もちろん、西部戦線で末期に登場した「突撃隊」(軽機関銃兵を核とし、敵陣の背後まで最初に浸透する選抜歩兵チーム)からも。

 ※フォルベックには先行モデルが存在する。それは探検家のリビングストンだ。金銭的代価を与えたわけではないのに、彼の長駆探検に多数の黒人が自発的に随従し、協力している。

 初期のコマンドーは600人規模、すなわち大隊規模だった。その隷下に10個小隊あり。英軍の1個小隊(トループ)は50人である。

 1941年にこの構成が変わった。1個コマンドー(大隊)の下に、6個トループとし、その1個トループを65人にした。
 これは、導入されたLCA(強襲上陸用舟艇)の1隻の容量が35人(または需品800ポンド)であることに合わせたのである。2隻のLCAで、1個トループが機動できた。

 ※オープントップのLCAなら、もし万一、沈みかけたときにも、全員がすばやく脱出できる。それが高速艇タイプなら、なお、安全なわけである。航続力は段違いだし、AAV7などと比べてどっちの装備が離島主権を防衛するのに重宝するのか、考えるまでもないと思うのだが……。

 1950年代になり、英軍は、SAS(陸軍特殊空挺部隊)とSBS(海軍特殊舟艇部隊)を復活させた。
 かたや、ロイヤルマリンズのコマンドー大隊9個のうち3個は、WWII後も解散されずに維持されているので、活動史としては、最も長いわけである。