旧資料備忘摘録 2020-8-17 Up

▼Samuel B. Griffith 訳『SUN TZU THE ART OF WAR』1963repr. 初1960
 グリフィスは海兵隊の将官で、シナ語通。
 リデルハートが同書の存在を知ったのは1927年。知人からの手紙により。
 それでハートは思った。敵が予期しないことをしろ。非直接アプローチを考えろ。これはわたしの考え方と同じじゃないか、と。

 孫武を英語にすると Sun Wu。
 グリフィスは、史記には従わず、孫子の成立を紀元前4世紀と考える。
 曹操(魏武)は Ts’ao Ts’ao である。

 底本は、18世紀末の学者 Sun Hsing-yen (孫星衍?)が註釈している版。

 孫子がはじめて西欧に紹介されたのは、1772、仏人宣教師 Father J.J.M.Amiot の訳。再版は1872で、たぶんそれはナポレオンも読んだ。

 Amio 版からの重訳として、露語版が4種(そのうち早いのは1860年)、独語版が1種ある。
 英訳は5種類出たが、1910の Lionel Giles 版も含め、物足りない水準。

 グリフィスは1960年に初版出版。それは、博士請求論文だった。今回の1963版は、それを見直してある。

 戦わずして勝つ。to subdue the enemy’s army without engaging it.

 兵法は Ping Fa、呉は Wu、司馬法は Ssu-ma Fa。

 82 chaptors とは、竹簡の roll の一バンドを1 chaptor に数え間違えたもの。
 Seven Syllabi は、シルク布に書かれていて、そう数えられたのだろう。
 紙がなく、竹簡や布に書かねばならなかった。とうぜん、簡潔になるはずだ。

 Ten Shool version =十家註。
 武経七書 Seven Martial Classics.

 韓非子 Han Fei Tzu

 グリフィスは li (里) を1マイルに計算して驚いている(p.34)。
 B.C.500頃のシナ軍弩兵は、羽根付きの15本の矢と、矢じりのスペア多数を携行した。

 【門がまえに困】外[こんがい]= outside the capital.

 グリフィスは、クロスボウをBC4世紀のシナの発明と見、これで chariot が時代遅れになった、という。そして、クロスボウがあったのでギリシャのような投げ槍は古代シナには出現しなかったのだと(p.36)。

 タタール弓(Reflex, or, compsite)は、周の以前に商(殷)人によって採用されていた。他に、鳥猟用として pellet bow もあった。

 孫子の primary target は、the mind of the opposing commander であった。

 Fung Yu-lan によれば、春秋時代、じぶんの名でじぶんの考えを著した者はいない筈。
 ソ連の N. Konrad によれば、孫武は「井田」という slave economy の時代の人。

 五覇 Wu Pa (BC6~7)
 覇王 Hegemonic King

 グリフィスいわく。孫武の時代の大軍はよく訓練されていた。第2篇の10万名の部隊は、BC500以降のこと。
 春秋時代の奴隷兵では、ドラム、ゴング、フラグ、バナーに反応はできなかっただろう。
 長期遠征すると、軍隊留守中の「変」の可能性が常にあった。

 計=Estimate (or Appreciation) of the Situation.

 クロスボウがシナで一般化したのはBC400あたり。司馬遷の Sun Pin 列伝に、クロスボウが初めて登場するのである。

 「金」字も戦国時代につくられた。それ以前は石器時代である。
 帯甲(Armoured troops)が登場するのも戦国時代で、春秋時代には Chariot-riding nobility のみ。

 Sovereign の意味での「主」は11回使用。

 結論としてグリフィスは、本書成立を、400~320B.C. すなわち騎兵の導入前だとする。

 引用。……this does not necessarily mean that the book was originally actually written by that man himself.

 道=moral influence.
 法=doctrine.

 伐謀=to attack the enemy’s plans. これをジャイルズは to balk the enemy’s plans. とした。

 グリフィスは 奇 を extraordinary と訳す。おそらくGiles は indirect とした。それをB.L.ハートが読んだ。

 グリフィスは、軍争篇 Manoeuvering の項でしか、direct/indirect を使わない。
 グリフィスは、天下(九地篇中の副詞)を、名詞と勘違いしている(p.130)。

 ジャイルズは曹操の註からほとんどのヒントを得ているようだ(p.139)。

 白石の「孫子兵法繹」は250年にわたってスタンダードだが、徂徠の「孫子國字解」はその評価を上回る(pp.174-5)。※しかし徂徠は「兵」が「侵略戦争」のことであることも分からなかった。

▼スタンレー-ウォッシュバン著、目黒真澄tr.『乃木大将と日本人』1980 講談社学術文庫
 ロシア人のブロッホが1890年代に、『戦争の将来』を公刊。戦争は不可避だと力説。ノーベル賞金を贈られ、後年、露国皇帝は、これに動かされて、大一回ヘーグ平和国際会議を開催させた(p.16)。

 著者は、週刊コリヤズ特派員のリチャード=バリーとともに、第三軍に従軍取材。

 アキリーズの腱(p.59)。 ※「アキレス腱」という訳語が未だ無い。
 日本に祝日が多いのは、日曜日がないのを補うためだ(p.71)。

 目黒による解題。
 『乃木』は1913-2にNYCで出版された。

 以下、近藤敬吾による巻末解説。
 明治4年3月4日、ウィリアム・エリオット・グリフィスは、NJ州ラットガース大学から招聘されて越前藩の明新館に赴任した。
 ラトガースで優等生に贈られる金鍵(懐中時計のネジをまくもの)を胸間にさげていた。

 1913は、加州で日本人の土地の所有が禁止された年である。
 1919には、カリフォルニア州排日協会が組織されて、日本人に永久帰化権を与えぬことや、米国生まれであっても日本人に市民権を与えぬことが目標に掲げられた。

 原著者は、1878-2-7生まれ、1950-12-14没。明治37~38年には、ウォッシュバンは27~28歳であった。