旧資料備忘摘録 2020-8-18 Up

▼青木栄一『シーパワーの世界史・1』
 Sea Power とは Sea Control であり、また Naval Mastery である。
 ユスチニアヌスのローマ法大全およびガイウスの法学提要いわく。海は自然法によって万人の共有物である。空気と同様に、海の使用は万人に開かれている。

 イスパニアとポルトガルの海洋支配に攻撃を加えた英蘭は、最初から公海の自由を主張。
 英海軍は大陸海岸を封鎖したが、仏漁船の出漁まではとがめず。

 北アフリカのバーバリ海賊は、トルコのシュレイマン1世に忠誠を誓っていた。
 オランダはブラジル殖民に失敗した。

 英蘭戦争でオランダは北米の土地を失った。が、アジア領は維持。
 英仏戦争で、ケープとマラッカは英領になった。

 船尾舵は13世紀に発明された。
 ガレー船は、ビスケー湾や北海だともう凌波性がなくて実用にならなかった。
 16世紀以前だと、軍船も商戦も、構造は同じである。

 英海軍が水線下を銅張りにして生物付着を防いだのは1758から。
 欧州の造船業は、バルト沿海の材木に依存。運搬は川か海を経るしかない。だから英に大陸封鎖さた仏は艦材に苦しんだ。

 古代海戦はすべて単横陣である。
 正攻法 = Formal tactics.

 オランダ船は外地から戻るときに英仏海峡を通るしかない。不利は必至。

 海軍提督の定年退役制度は19世紀の蒸気船時代以降。
 1796、英海軍はライムジュースを標準給食に定め、壊血病を追放する。

 兵員の脱走を恐れて、水泳訓練をしなかった。難破、即、水兵全滅であった。

 1690ボイン川海戦で仏に敗れたが、艦隊を全うしたハーバートは、fleet-in-being の手柄を訴え、軍法会議で無罪。

 対仏戦略として、欧大陸で仏と戦う国々の海外貿易を、英海軍が保障してやった。
 仏海軍の、艦隊保全優先主義は、1690以降。
 コルベール没後、海軍予算には後援者がなくなり、陸主導予算に。

 造船学はフランスを中心に体系化されている。
 ピョートル1世の海軍兵学校は、ロシアで最初の、宗教色を排した学校であった。これにより1715には士官の半数がロシア人となる。

 1719~1720、露海軍はしばしばガレー艦隊をスウェーデン海岸に送り、海岸を寇掠した。当時、フィンランドは露領ではなかった。

 ナポレオン軍が露領に攻め入ると、バルト海艦隊は英艦隊と協力して、仏軍左翼を海岸からおびやかした。ために仏軍は海上輸送には頼ることができなかった。1812のリガ攻防では、海上からの後援が強力で、仏軍はついに占領を諦めている。

 新大陸の都市はほとんど河口にあったので、英軍はその後背地を占領すれば、ニューイングランドは分断できた。
 1778-9月に仏が対英宣戦して以降、米私掠船は仏港湾を基地として使用できた。

 1801の米海軍によるトリポリ封鎖には、あらたに浅吃水の砲艦が必要だった。海賊船は、大型艦が通れない沿岸の浅瀬を巧妙に使うので。

 1813~1814、エリー湖とシャンプレイン湖にて、米国湖上艦隊は英艦隊を破った。

▼青木栄一『シーパーワーの世界史・2』
 バーバリ海賊は、ベルベル人である。イスパニアを逐われたムーア人が中心で、15~16世紀に定住。
 カリブ海のイスパニア系海賊は、19世紀に英海軍が終息させた。

 バーバリ討伐の余勢をかって、仏軍は1830にアルジェリア、1881にチュニジア、1901にモロッコを殖民地化したのである。

 露土戦争後、黒海艦隊の戦時の地中海進出は禁ぜられ、WWII後まで、ロシアの地中海での影響力が消えた。

 ナポレオン戦争の決着後の1816に、英国は東インド諸島をオランダに返してやった。
 Brassey 海軍年鑑は、1886創刊。
 Fred T. Jane の年鑑は1898創刊。

 マッキンダーのランドパワー論は、鉄道能力を過大に評価している。
 蒸気発生量が充分に大きく、且つ小型な罐が、18世紀末まで完成しなかった。加えて、外輪推進器が軍艦に向かないため、軍艦の蒸気化は、遅れた。

 炸裂砲弾とスクリューが、1850年代の軍艦に大変革をもたらした。
 蒸気船はまず河川に多用された。すぐに燃料を補給することができるから。

 1855、英人 W.G.Armstrong は、鋼の内筒に、赤熱した錬鉄の外筒をかぶせ、収縮させて強度をつける、後装式のライフル砲をこしらえた。20世紀のカノン砲の原形になった。尾栓は螺式。クルップはこれを楔スライド式にした。
 前装砲は、長砲身化しにくいが、後装砲ならその制約がない。

 巨船を木材で建造すると、応力のため大量の材が必要になり、却って鉄船より重くなる。
 最初の鉄船は、内水用の艀として1780にイギリスで作られた。

 185に英海軍の Cowper Coles は、クリミア戦訓から、艀+砲塔という浮き砲台を提案したが、容れられず。
 Casemate は、砲郭。 一斉打ち方は Salvo.
 小型水管ボイラーの実用化は、1890年代末の駆逐艦に30ノットを達成させた。これは、蒸気タービン以前の話である。

 鉛電池で動く最初の潜水艦は1887にスペインが建造した。
 米海軍に電池式潜水艦を納入したホランドが造った造船所が、Electric Boat Co.
 電池式潜水艦のディーゼル化は1910頃。その前はガソリン、ケロシン。

 1866の 墺vs.伊 リッサ海戦では 装甲艦に榴弾が効かず、ram のみが有効であった。しかし相手が船首をめぐらし、角度が鋭化すれば、それもハジかれた。
 V陣、横陣が、その後25年を支配した。

 鴨緑江では12センチ砲は毎分10発も発射できた。速射ができることの利点は、前の諸元を次射で活かせること。

 下瀬火薬は、命中時の圧縮熱で自爆した。
 エムデンは、適時に石炭船を捕獲できたので、成功した。石炭船がみつからなければ、中立港に逃げ込むしかなかった。
 帆船のゼーアドラー号は、石炭を必要としないので、縦横無尽に通商破壊して回った。

 英国が水兵の強制徴募を廃したのは1833年である。
 フィッシャーは、フランスに代わってドイツが主敵になる趨勢を先読みし、対日、対仏の条約を固めて、植民地戦艦を有事に英近海に集中できるようにした。

 ボイラーへの投炭は、火格子に平均して散布せねばならず、重労働。しかも4時間に1回、火を落として、灰を除く手間も必要だった。

 初期の英海軍用の石油は、ロスチャイルド系の英資本により、バクーで採油され、鉄道でコーカサスを横断し、バツーム港から黒海~地中海~トリエステ精油所へ(p.218)。

 1890に現れた「装甲巡洋艦」とは、水線帯のみ装甲したもの。

 フランスは、1884-5の対清戦争で、陸戦ははかばかしくなかったが、海岸と内水で仏海軍が圧倒的だったおかげで、ベトナムでの仏主権を認めさせた。

 樅材は樫材より劣化しやすい。
 1859時点でロシア海軍の半数が、スチーム&スクリュー。
 1816に米議会は、蒸気推進の浮き砲台×3の試製をみとめた。
 T・ローズヴェルトの建艦促進キャンペーン。「戦艦は戦争より安い」。

 1870年代までプロイセン軍艦の主機は英国が独占供給。1880年代までのイタリア軍艦も、同様。

 1912、伊土戦争の結果トリポリとキレナイカを領有したイタリアは、そこをローマ時代に「アフリカ」を意味した「リビア」とめいめい。
 トルコ側の沿岸守備隊はまったくなすところなく、占領された。

 明治初年には日本では「海陸軍」と称した。内乱のため次第に陸軍が重さを増した。
 日本の水雷艇は1892まで英ヤーロー社から輸入している。

 日露戦争中、ウラジオへ石炭を運ぶ中立商船を、日本は1905まで野放しにしていた。逆にロシア側は、警固されていない日本向けの商船を多数撃沈している(pp.355-6)。

▼田村重信『平和安全法制の真実』2015(H27)-10
 今、防衛費は5兆円。米軍がいなければ、4倍かかるだろう。
 インド洋に給油艦を出すコストは100億円未満。アフガニスタンの警察官の給与負担は5000億円。

 自衛隊の駐屯地があるところの議員は、熱心に、国防部会に参加する。
 デービッド・アトキンソンに『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』を書かせて講談社から出版させたのは自分である(p.137)。

 安保法制、政策にすべてタッチしている政治家はいない。だから党の担任職員である田村が重きをなす。
 3年間放置されてきた、東京新聞の半田滋記者による自衛官の自殺統計記事も、田村が訂正させた。
 韓国には3万人以上の邦人がいる。平時に。

 陸自の幹部候補生学校に図書費がないというので、じぶんで読んだ本を寄付し続けている。
 S28生まれの田村は拓殖大卒後、大平正芳の派閥事務所に入った。宏池会。
 池田勇人の所得倍増論は下村治が素案をつくった。

 そのあと党本部職員。政調会。
 防衛担当になったのは1991年。
 制服自衛隊幹部が内局の同行なしに首相官邸や国会に来られるようになったのは橋本政権時代。

 冷戦が終わって安全保障のハードルが下がったので、小沢や羽田が離党して社会党と組むことが可能になった(p.196)。
 1996-5の米議員の認識。過去50年はソ連が強敵だった。これから50年は中共だ。
 イギリスは北海油田を抱えている関係上、災害対策の先進国。

 沖縄の米軍基地には3万2000人の地主がいる。その9割の2万9000人は既に、2012年まで賃貸契約を結んでいて、なんら問題はない。
 しかし5-14に期限が切れる3000人は反戦地主になり、賃貸契約に反対。全地主の9.1%、面積では10万分の1。
 本土に在住している人々が1万円の入会金を払えば、4筆の土地を共有して、そうした反戦地主になれる(pp.219-20)。
 沖縄の米軍基地用地の67%は、民公有地。本土の米軍基地は、民間の関係者がもっている民公有地は9%で、それ以外は国が持っている。

 自民党は65歳が定年。63歳になると役職定年。
 大平は一橋大卒だが、本を読んで勉強し続けたから総理大臣になった。

 条約は、必ず部会で了解してもらって、その上の政調審議会、その上の総務会で了承してもらえないと、閣議決定できない。今は連立与党なので、公明党にも了解してもらう必要がある。

 自民党の国防3部会。国防部会、安全保障調査会、基地対策特別委員会合同会議。
 政調審議会では、部会での議論を、政調会長、副会長、審議委員があつまって審議する。
 総務会は、党運営に関することや国会上程法案などを党議として決定する。全会一致で。どうしても反対する人は、欠席する。

 私のカミさんは、台湾出身の中国人である(p.294)。
 米国の政党は、政策決定には干与しない。すべて議員が個人で判断し行動する。だから議員スタッフの数が多い。
 米連邦議会は、与野党対立よりも、むしろ、上下両院の不一致が大問題になる。

 中選挙区制下の5人区だったら、20%の支持があれば当選できるので、地元有権者の半分以上から徹底的に嫌われても構わなかった。ところが小選挙区制では、全政策分野に通じる必要が……。

▼伊東寛『サイバー・インテリジェンス』2015-9
 工学博士で陸自に。2007に退職してサイバーセキュリティ会社の所長。
 2003、米国防総省のネットワークが中共にハッキングされた。ロックマートのデータも抜かれた。
 米は2006から隔年で「サイバーストーム」という官民合同演習をしている。問題意識において先行。

 沸騰水型原発は一次冷却水でタービンを回すので、サイバー攻撃で狂わされると、放射性の蒸気が外部に噴出しかねない。

 中共軍の部隊号代わりの5桁番号は、ふつうなら秘密にする符号なのに、シナ軍だけは、なぜか堂々と公表している。

 米の手口。囮のサーバーを用意し、いかにもシナ人が関心を持ちそうなファイルを置いておく。そのファイルには、あとで遠隔操作できるようなウイルスが仕込まれている。犯人はじぶんのPCを遠隔操作され、顔写真を含めID特定される。それでFBIが訴追可能となる。

 タリン・マニュアル。NATOの専門委員会がエストニアに集まって2013に作成した。米海軍大学校の教授が呼び集めた。国際法がサイバーの世界ではどのように適用されるかを明確化した。交戦資格については、曖昧にしてある。

 インターネット上のデータの8割はアメリカを経由する。
 NSAは、Xkeyscore というプログラムを使って、PRISMなどで収集した情報を検索していた。
 光ファイバーケーブルから情報をじかに収集することを「アップストリーム」という。サーバーに直接アクセスするのはPRISM。
 インターネットは最も太い回線に集まるものなので、NYCやサンフランシスコの海底ケーブル基地局あたりで光ファイバーから信号を抽出するのが効率的。

 光ファイバーも盗聴できる。被覆を剥いで、ファイバーをむきだしにして、曲げてやると、信号を受信できる。

 NSA文書の中のORCONとは、オリジネーター・コントロールの略だろう。他の人物に見せたい場合は、オリジナルをつくったNSAに問い合わせよ、という意味。
 NOFORNは、外国人には見せるな、という意味。

 ザ・オニオン・ルーター TOR は、海軍の研究所が作った。

 短波帯の無線なら簡単に地球の裏まで届くと理解されたのはWWI後であった。
 象のオリが巨大なのは、短波の波長が100mあるため。外周の円形部分は方位測定をするため特定方向の電波をブロックする役目の反射板。その外側にある低い垂直の鉄塔が、受信アンテナである。

 東千歳、鳥取の美保、鹿児島の喜界島にある。米軍情報部から引き渡されて、いまは防衛省情報本部所管。

 日本軍がミッドウェーに来ることをAF電報で推定したという話はおそらくカバーストーリー。未公表の事情で、その前から日本軍の次の一手は読まれていたのだろう。

 衛星のアップリンクは傍受至難。だから盗聴はダウンリンクを狙う。ただし出所は一定だから、通信量解析は意味がない。つまり傍受をされたとしても、地上無線よりずっと秘密が保たれる。だからどこの国の軍隊も、衛星にシフトした。

 旧陸軍の情報参謀だった堀栄三は、MI敗戦を1943秋にドイツの武官から聞かされて知ったと証言している。1989の文春新書で。
 陸自が発足するとき、情報部をつくることがゆるされなかった。米国のさしがねで。
 作戦、情報、兵站、人事の四大機能のうち、ひとつがなかったのだ。
 この大穴が、いまだに、埋まっていない。

▼フレッド・ピアス著、藤井留美tr.『外来種は本当に悪者か?』2016-7、原2015
 ※環境過保護運動に対する痛烈な反論の書。
 環境保護主義者は、自然界で民族浄化に精を出しているようなもの。

 アセンション島の植生は、多年、船乗りたちが苗木を届け、守備軍が植え育てたもの。
 1501に発見したのが、キリスト昇天の日だったので、この名がつけられた。
 英国GCHQの無線傍受基地もあり。

 WWII中に、北阿戦線のために米軍が滑走路を整備した。
 ノーフォーク松は、帆柱材として植えられた。
 ニュージーランド亜麻は、索用に。

 南大西洋のゴフ島。19世紀に捕鯨船からハツカネズミが移住。いまや大きさが2倍の肉食獣に進化している。
 ハワイにも、もともと、爬虫類、両生類、コウモリ、蟻は皆無であった。
 灯火用の油をつくれるククイノキが持ち込まれた。
 ヤマモモ科のモレラ・ファヤは、空中窒素を固定して、溶岩土壌を肥沃に変えた。1世紀前に持ち込まれた。
 イースター島の椰子の実は、鼠にやられて全滅した。
 グァム島には、白蟻を捕食する超小型蛇しかいなかったが、1950に米軍の基地建設部隊がパプアのミナミオオガシラをつれてきてしまった。

 豪州にはいま、アラビア半島よりも多数の、野生化した駱駝がいる。
 チリに鶏をもたらしたのは、ポリネシア人たち。

 牛は4000年前にアフリカからスペインにやってきた。
 オランウータンはボルネオ原住民が食用に飼育していた(p.52)。

 ユーカリは地面から湿気を強力に吸い取るので、湿地の乾燥化用としてあちこちに移植された。
 ホテイアオイはアマゾン原産。

 中国人は、外来種植物を、脅威ではなく資源と考える。
 メキシコ北部のマメ科のメスキート。地下10mまで根が伸びる。

 黒海は出口が狭いので、水が入れ替わるのに1000年かかる。
 大型貨物船は空荷のときはバラスト水を6トンも呑み込み、行き先の港で海に捨てる。これと一所に植物の胞子などが地球の裏側に旅する。

 長い時間軸でとらえると、在来種などいない。
 2001-2-13、粉塵雲がサハラ砂漠から英国まで到達した。1週間後、イギリスで口蹄疫が発生。このウイルスの潜伏期間は1週間である。

 1870年代、東京のアメリカ公使館に勤務していたトマス・ホッグが、副業として、日本の珍植物をNYCの兄弟の種苗店に送っていた。その中に、葛も混じっていた。

 テネシー州のアパラチア山脈の銅精錬所の酸性汚染地帯で唯一育ったのはクズだった。
 北米にはもともとミミズはいなかった。
 栗胴枯病は、アメリカ固有のクリをほぼ全滅させた。

 1960年代、エリー湖に流れ込むカヤホガ川は汚染がひどく、その表面で火災が発生したほど。
 1990年代、爬虫類ブームがあり、ビルマニシキヘビがフロリダ湿地に増えてしまった。アリゲーターすら捕食する。
 アルマジロは南アメリカ原産。

 外来種はまちがいなく生物多様性を高めている。
 外来種の多い環境には、在来種も多い。

 イタドリは地下3mまで根を張り、茎は1日10cm伸びる(p.132)。
 ※惜しいことに、イタドリがルバーブの近縁である事実を、この著者は、紹介しない。おそらく、知らないのだと思われる。ルバーブは戦中の英国の救荒食物だったのだが……。

 淡水亀のテラピンは、イギリスでは水温が低くて繁殖は無理だ。
 オオヒキガエルは有毒で、それを1匹のみこむと、クロコダイルも死ぬ。1935にサトウキビ畑の害虫駆除用として豪州が導入したものだった。
 しかし近年では、足だけ食えば毒に当たらないということを、周囲の肉食鳥獣たちは学習している。

 イギリスではシーズンになると鴨撃ち猟銃がレンタルされ、それが商売になっている。
 GWブッシュ政権は、国土安全保障省のなかに、動植物保健検査局を移管した。
 ダーウィンから150年経ったいま、特定の種や生物共同体を、良い/悪いで区別することに、いったい何の意味があるのか。

 アフリカには原生林などない。どこにも必ず、アブラヤシの実が落ちている。それは2000年前から人間が栽培していたから。
 バントゥー系の農民たちは、木を切り倒しては、キビ、ヤムイモ、アブラヤシを植えたのだ。

 ボルネオの高地では、森林を焼き払って果樹が植えられていた。
 1888から1892にかけ、牛疫ウイルスの猛威のためエチオピアの人口が三分の二に減った。1891にはマサイ族の三分の二が死んだ。

 ダニエル・ボトキンにいわせると、自然のバランスなどというものは存在しない。自然はつねに変化し続けていて、釣り合った状態にはならないから。
 変わらない生態系があるとすれば、それは、完成されているどころか、何がまずいことが起こっているのだ。

 1940年代、アメリカ政府は、経口避妊薬の大規模治験を、プエルトリコで実施した。女性への不妊手術も(p.251)。
 故スティーブン・マイヤーは、進行中の絶滅を止められるというのはとんでもない思い違いだと言った。

 ガラパゴス諸島の海面は冷たい。南極からフンボルト海流が来ているので。よって気候は年中乾燥&冷涼。
 イエスズメは、未開の奥地にはほとんどいない。逆に、地下600mの坑道に3年間巣をつくっていた記録もあり。

 外来種は、進化を促進して、生物多様性を恢復させてくれる。
 過去5回の大量絶滅のあとでは、進化が一新した。人間も、恐竜が絶滅したから、登場しているのだ。

 保護政策は、変化の激しい世界でも立派にやっていける生物集合体を傷つけてきた。
 勝者である外来種は、そのまま、救済者にだってなってくれる。
 自然は受け身ではなく、ダイナミックで、やる気まんまんなのだ。
 進化を否定し、変化を起こすまいとするのは、ただのイデオロギー。

▼好川・赤間 編著『北海道 謎解き散歩』2011-5
 野菜不足による冬の水腫病が、幕末の守備隊のよくかかる病気だった。1803年に蘭医が、コーヒーに水腫病に対する薬効があることを発見していたのだが。

 明治6年に早生で寒さに強い水稲の「赤毛」が入殖者の手で作り出された。

 洞爺丸の死者1155人は、タイタニックの1500人に告ぐ、世界第二の海難だった。
 船尾に扉がなく、そこから波をかぶって機関室が機能停止。風に流されて座礁、転覆した。

 四稜郭は昭和3年に発見された。

 ※92ページの北方探検地図によると、最上徳内も近藤重蔵も伊能忠敬も間宮林蔵も、樺太の北半分の東海岸をまったく歩いていなかった。北知床岬まで間宮林蔵が行っているが、あとは、空白。だから、北樺太に石油が出ることを、明治後半まで誰も承知しないまま、年月が過ぎてしまったのだ。

 夏目漱石は明治25年から大正3年まで、本籍を岩内に置いた。伊藤整は、これは徴兵忌避だっただろうとの推定を講演で述べた(「北海道・文学・私」)。
 M25は漱石の大学最終年次だった。学生は徴兵猶予されていたが、卒業と同時に徴兵されてしまう。だが北海道にはM29まで、徴兵令が施行されていなかった。
 しかし、なぜ岩内かという謎は、誰も解いていない。
 ※答えは明瞭。そこに炭坑があったから。『坑夫』という初期の小説を誰もまじめに読んでない。あそこに漱石のキャラクターが全開されていたのに……。

 幸田露伴は明治19年頃、余市で電信士をやっていた。露伴という雅号は、野宿旅で露に濡れた草枕で寝るという意味。

 「ラーメン」の呼称の起源に複数説ある。そのひとつ。大久タツという札幌の帝大前食道の奥さんが大正11年に定着させた。ハオラー=できたよ の「ラー」と麺を組み合わせた。それまでは 支那そば か チャンそば と言われた。北京人は ロウスーミェン=肉糸麺 と呼んでいた。

 明治17年「監獄汽船」の「神威丸」と「安心丸」が建造され、石狩川を運航した。吃水1mの外輪船だった。鉄道と河川運輸の結節点が、江別。昭和10年まで、河用蒸気船が運航していた。いちどに5隻の雑穀船を曳くこともあり。

 レポ船主の第一号は色丹島からの強制引揚げ者だった(p.224)。S23年頃から盛んになったが、冷戦終了とともに存在価値も薄くなった。

 北海道には、モグラもいない。

▼三好行雄ed.『漱石文明論集』1986 イワブン
 権力とは、「自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧し付ける道具」なのです(p.121)。そんな道具に使い得る利器。

 エドマンド・バークの何とかいう本。今日の私の英語の力でも、あのバークの論文は、解らない。※そのタイトルが何だったのか、編者もつきとめてないようだ。

 昔は、上の方には束縛がなくて、上の下に対する束縛がある。親が子に対する理想はあるが子が親に対する理想はなかった。妻が夫に、臣が君に対する理想はなかったのです(p.191)。

 自然主義の欠点を救うのは、新ローマン主義だ。歴史は繰り返さないと考えるのが新ローマン主義。前へ前へと走る(p.200)。

 西洋人は耶蘇教カルチャーでなければ「開化」は無いと信じていたので、日本の例外に驚いた(p.231)。
 平時は処女の如くあれ。変事には脱兎の如くせよ(p.289)。
 命[めい]に安んずるものは君子なり。命を覆すものは豪傑なり。命を怨む者は婦女なり。命を免れんとするものは小人なり(p.292)。

 明治も39年になったが、維新の事業はこれから緒に就くのである。真の偉人、明治の英雄といはるべき者は、これから出る。これを知らずして自分は元勲だ功臣だなどと考える自惚れ者がいるが、吾人はそれらを模範とするやうなけちな人間にあらず(p.322)。

 書簡。ときどき、金を10万円拾って、図書館を建てて、その中で著作する、という夢を見る(p.334)。