グァム島に新コロが蔓延中。増加ペースは速くなっている。

 David Hambling 記者による2020-8-19記事「Reported Loss Of Two U.S. MQ-9 Reapers In Syria Raises Troubling Questions」。
       『ミリタリータイムズ』によれば、シリア上空で「MQ-9 リーパー」が衝突事故を起こし、墜落した。ツイッターを利用するローカルメディアは1機のリーパーが地上で灰になっている写真を流布させている。
 軍事ウェブサイトの「TheDrive.com」〔The War Zone〕は、リーパー同士、2機が衝突して喪われたのだと報じている。

 複数のソースは、反アサドのゲリラ軍がすくなくも1機のリーパーをSAMで撃墜したのだとしている。しかし『ミリタリータイムズ』はそれに疑問を呈している。

 米軍/CIAのリーパーは先週、シリアで、アブ・ヤファ・アルウズベキ(アルカイダ系組織フラスアルディンの大物)を、ヘルファイアの非炸裂弾頭型「R9X」で仕留めている。

 複数ソースは、今回リーパーに向けてSAMを発射したのはトルコが後援しているグループで、彼らは、標的がロシアの無人機であると思い込んでいたのだとしている。

 リーパーはリアルな運用高度は1万フィート以下だし、低速で、SAM避けの手段も備えていない。
 だから米軍はリーパーを、ゲリラ風情が相手の戦場にしか、投入ができない。 ※レイヴンなどのように消耗品的に使うにはセンサーが高額すぎるので。

 リーパーは、SA-6を使えば撃墜できることは、2019-6にイエメンでフーシが証明している。SA-6はミサイル重量が1300ポンドあるうえ、レーダー誘導式なので、装軌車体に搭載される。 ※装輪にしないのは、ブースターの後方焔でタイヤが燃えてしまうからか?

 肩射ち式のSA-7は、それほど脅威ではない。1973年の中東戦争で、イスラエル軍機に向かって5000発のSA-7が発射されたものの、命中したのは26発だけで、しかも、それによって墜落したのは2機だけであった。

 リーパーは1機が1900万ドルはするだろう。だから米空軍も、もっと消耗品的に使える安価な無人機に切り替えるために、リーパーの生産を早めに打ち切らせる。

 ジェネラルアトミクス社は、リーパーのための自律的な衝突回避ソフトウェアを開発していたはずだった。かなり前から取組んでいたのに、まだ完成させられないでいる。

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 Petra Mayer 記者による2020-8-18記事「Orwell’s ‘Animal Farm,’ Around For Decades, Almost Wasn’t Published」。
    祝、『動物農場』爆誕75周年。
 ジョージ・オーウェルが『アニマル・ファーム』を書いていたとき、彼と彼の最初の妻アイリーンは、養子を取ろうとしていた。
 だから『アニマル・ファーム』は、6歳の児童でも理解できるような単語しか使っていない。童話の技法で、ソ連のスターリン体制を批判したのだ。

 また当時は、ディズニー・アニメが劇場でさかんに公開されていた。

 英国で出版されたのは1945。これがヒットしたおかげで、オーウェルは、主著である『1984』に取組む環境を獲得した。

 ※トゥハチェフスキーが擬されている「馬」が屠場に運ばれる荷車の中で足掻いていたという場面が印象的だったが、こども向けの童話の体裁だったとは、翻訳では分からなかったぞ。

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 Richard Cavendish 記者による2015-9-9記事「Leon Trotsky assassinated in Mexico」。
   8月20日はトロツキー暗殺記念日である。
 トロツキーはウクライナ生まれのユダヤ人。本名はレフ・ブロンシュタインだが、ドイツ語のトロッツ=「公然反抗」をもじって改名した。

 レーニンのボルシェビキ運動を支えたが、1924のレーニン死後は、スターリンから目の仇にされた。
 1927にソ連共産党から放逐される。
 1929にトルコに逃亡。妻とともに、フランス、ノルウェーと転々とした。
 1936-12に船でメキシコへ。

 メキシコ大統領は、かつて革命運動闘士だったのでトロツキー夫妻を歓待。メキシコシティー内に邸宅をあてがった。
 この邸内には、トロツキー信者の画家ディエゴ・リヴェラとその妻も同居。その妻はトロツキーと関係を持った。

 トロツキーがスターリニズムを批判した『裏切られた革命』は1937にパリで公刊された。いわく、スターリンの下でソ連は社会主義ではなくなり全体主義国家になったと。

 これでスターリンはトロツキーを殺そうと決意する。
 1939-5にトロツキー夫妻はリヴェラ夫妻と別れて、転宅した。

 そこには護衛も配されていたのだが、1940-5-24の朝4時に、複数の襲撃者が外から寝室に銃撃を加えた。夫妻はベッドの下に隠れて無事。

 ソ連がトロツキー宅にスパイ工作員のシルヴィア・アゲロフを秘書として潜入させるのは簡単であった。
 シルヴィアの愛人に、スペイン人共産主義者のラモン・メルカデルがいた。メルカデルはトロツキーのファンを装い、チョコレートや花を持って頻繁にトロツキーを訪問した。
 トロツキーは高血圧で臥せっていて、自分の寿命が長くないと思っていた。 ※その前から毒盛られてね?

 1940年8月20日午後5時、メルカデルはレインコートの左袖にアイスピックを隠して2階のトロツキーの書斎に上がりこみ、会話しながら背後に回りこみ、トロツキーの脳天にアイスピックを刺した。トロツキーは「アー」という長い叫び声を上げ、メルカデルと揉み合って、メルカデルの手に噛み付き、よろめきながら室外へ……。

 ナタリアが駆け上がってきたとき、トロツキーは血まみれだった。護衛たちは捕えたメルカデルを殴った。トロツキーは「殺すな、白状させるのだ」と指示したが、すぐに意識を失った。

 トロツキーは翌日の午後7時25分に死去した。60歳であった。

 ナタリアは1962年まで生きた。

 警察に対してメルカデルは、じぶんはシルヴィアと結婚したかったのに、トロツキーがその許可を出さなかったから、殺した、と語った。非は、トロツキーにあった。

 シルヴィアは、すぐ釈放されている。
 メルカデルは裁判で懲役20年を言い渡された。満期の1960年に出所すると、キューバのカストロ首相が「ソ連の英雄」として迎え入れた。メルカデルは1978年にハヴァナ市で死んでいる。