量子コンピュータには、宇宙線によって簡単に計算が狂わされるという大弱点があるそうな……。

 JENNIFER H. SVAN 記者による2020-8-26記事「Air Force offers cash for better system allowing female pilots to relieve themselves in flight」。
   米空軍は女子の空中勤務者のための、空中で小用が足せるシステムを公募する。採用された場合の報酬は、10万ドル以上が提示されている。
 場合によっては連続16時間も空中にとどまらねばならない商売なので……。

 従来、女子パイロットは、搭乗前に水断ちすることでこの問題に対処してきたが、脱水状態が健康に良いわけがなく、しかも、Gに耐え難くなることも、調べがついている。

 男子でも小用がビッグトラブルに直結する。1992年にF-16パイロットが、吸水素材が充填されたプラスチック袋を使って用を足そうと、まず太股を固定しているベルトを外したのだが、そのバックルがジョイスティックに引っ掛かって機体をスピンに入らせ、墜落してしまった。

 この「袋」は数次にわたり改良されているが、女子用にはまったく考えられていない。『ワイヤード』誌が2000年に報じたところでは、女子が使うためにはコクピット内で脱衣する必要がある、と。
 だから、いまだに、現実的な解決策は、大昔からそうされていたように、操縦者が「おむつ」を着装して、座りながら、してしまうこと、だったりするのだ。

 最新器材は、脛部分に固定されたバッグの中に、モーターの作用で、液体が集められるようになっているという。

 次。
 Georgy Manaev 記者による2020-8-23記事「Why the Bolsheviks never renamed Moscow」。
     レーニンが死んだあと、サンクトペテルスブルグはレニングラードと改名された。
 ソ連時代にはこうした改名がたくさんあった。
 しかし、モスクワだけは、その名前を変えられていない。

 サンクトペテルスブルグの場合、その改名がなされる前に、首都機能がうしなわれていた。1918年に首都がモスクワに移ったのだ。
 しかも、1914年から1924年の間、サンクトペテルスブルグは、「ペトログラード」に改名されていた。

 首都機能移転が必要になったわけは、旧帝国政府の官僚たちが、業務の続行をボイコットし、施設を破壊したり文書を破棄したりして抵抗し、行政が麻痺したままだったから。
 さらにペトログラード近辺には、反革命派の人民や軍人もたくさんいた。

 そしてもっと深刻だった理由が、地政学。1917-12-6にフィンランドが独立を宣言し、これによってペトログラードからわずか35km先に、外国との陸続き国境が生じた。その時点で、第一次世界大戦はまだ終わっていなかった。

 1918-2月にその方向からドイツ軍が迫り、3月2日には、長距離砲の砲弾がペトログラードに落下し始めた。
 3-10、レーニンら幹部は秘密列車でペトログラードを脱出し、モスクワへ逃亡。
 3-12に首都移転は完結した。

 生前、レーニンは、都市名の改名に大反対で、自分が死んだあともそれはするなよと命じていた。
 未亡人となったクルプスカヤも、それを再三強調した。だが、聞かれなかった。
 それなのにソ連幹部は1924-1-26にペトログラードをレニングラードに変えてしまった。

 スターリンもドネツクにあったユゾフカ市を1924に「スターリノ」市に改めさせた。
 さらに1925には、ツァリチン(いまのヴォルゴグラード)をスターリングラードと改名。
 1929には、タジキスタンのドゥシャンベをスタリナバードに改名。
 1932には、シベリアのノヴォクズネツクをスタリンスクに……。

 そのスターリンが、モスクワの改名にだけは、反対であった。
 1927には「イリイチ」(レーニンの父姓)に改名されそうになったが、その運動をスターリンが潰した。
 1938には、スターリンに粛清されそうになった幹部のエゾフが、おべっかを使って生き残るために、「スタリノダール」に改名する運動を推進。だが「馬鹿々々しい」と斥けられ、2年後に処刑された。

 スターリンの死の直後にも、元スターリンのとりまきたちが同様の運動を展開したが、すぐに、「非スターリン化」運動に圧倒されている。
 スターリンは、モスクワ国立大学をスターリンの名に変えるという案にも反対した。