▼防研資料 『飛行機用魚雷M』〔マル6/兵器/114〕
これは、大型機から発射する。一撃よく敵艦に致命的打撃を与ふるを目途として計画したが、その大型機は日米開戦で生産中止となったので、第一技術廠支廠において試製3本だけが作られ、研究も実験も中止された。
※酸素とは書いてない。
径580ミリ。
全長7100ミリ。
重さ2070kg。
速力50ノット。
駛走距離2500m。
投下できる最大機速は300ノット。
実用頭部は 炸薬750kg。
爆発尖 は 91式2型。
8気筒。
ジャイロ 91式改1。
気室 220kg/平方センチ。
13ミリ機銃(型不明)は、44年1月に1005梃、45年4月に9600梃、終戦頃は5600梃、製造した。
7.9ミリのタマは、38年4月〔まで?〕には140万発製造した。
39年4月=160万発。
40年4月=60万発。
41年4月=1020万発。
42年4月=235万8000発。
43年4月=4086万発。
44年4月=6376万発。※ピーク。
45年4月=4871万発。
45年8月=1207万発。
13ミリのタマは、1944-4からつくりはじめ、125万発。45年4月=1877万発。45年8月=966万発。※マウザー砲の弾薬?
▼口蔵幸雄『吹矢と精霊』1996
マレーのセマンとセノイ族。
竹製、2mの筒。
内筒と、補強ジャケットの二重構造。
どちらも前後に2本、つぎたしてある。
マウスピースは球形に固めた樹脂である。
これを噛み締め、ありったけの息を一気に吐き出す。
矢は椰子科の木の幹を串状に削った。尾端に、やわらかい木髄を、円錐形に研磨したものを取り付ける。
毒は、イポーの白い液。
何度もたんねんに塗り乍ら、火にかざして乾燥させる。
猟には20~40本を携える。
獲物は見えない。耳で探す。
1kg以下のゲームは見逃す。
樹上で痺れるのをずっと待つ。
猿は10分で落ちてくる。6kg弱。落ちたときはすでに死んでいる。
毛を火で焼いてから、バラす。
200kg未満の獲物であれば、吹き矢毒は有効だという。
ただし、密林では水平方向の視界は得られない。垂直にのみ、素通しなのである。
プロでも、発見した猿10回に対し、ちゃんと仕留めるのは1回の割合い。
肉を焼くと、毒は無いらしい。
煮たり、水洗いはしない。それは「タブー」。
▼農林省山林局『三陸地方防潮林造林調査報告書』S9-3
津波被害を少しでも減らすために、河口に森林帯を造ろうというもの。
赤松を疎に1列に植えただけで、ぜんぜん違う。
立ち木は、津波に完全に耐える。その証拠写真、多数。
ポプラは、枯損せず。若杉は、枯れることあり。
海岸木が、津波で折れるのは、海水ではなく、漂流物が当たった結果である。
▼戦誌刊行会『山本五十六提督虚構の戦艦砲撃』H5
『金剛』と『榛名』がガ島にうちこんだのは918発。その70%ちかくが、一式徹甲弾。海自の江田島には36cmの実物がある。
徹甲弾の不発弾は、弾底信管が焼きついているので、「同時処理」する。モンロー効果で横から穴をあけ、ふっとばす。
『金剛』級の36センチ砲は、射程35000m。弾重は徹甲弾で673kg、初速770m。装薬は、減装、弱装、常装の3種。
距離1万5000mで47センチの装甲を貫徹する。
ガ島に対しては、金剛は、3式通常弾、1式徹甲弾の順で435発。榛名は、零式通常弾、1式徹甲弾の順で計483発を射撃。
1式徹甲弾は、ニッケル3.5%、クロム0.6%、モリブデン0.5%を含む。
91式徹甲弾は、敵艦の25m手前に着弾する必要あり。
36センチの1式徹甲弾は、全重673kg、内部の炸薬量は11.1kg。
陸軍では24cm榴弾砲が18.1kgの炸薬だった。弾重は185kg。
陸軍の37ミリ対戦車砲弾は、弾体全重量726グラム、炸薬8グラム。
47ミリ対戦車砲弾は、弾体全重量1.515kg、炸薬15グラム。
57ミリ対戦車砲弾は、弾体全重量2.7kg、炸薬23グラム。
75ミリ野砲弾は、弾体全重量6.605kg、炸薬65グラム。
トラック島で実験したところ、36センチ徹甲弾を24000m先に撃ちこむと、落角は25度であった。
旧陸軍の15榴の内臓炸薬は7.7kgだった。※この著者はガ島に陸軍が15榴を持ち込んだと思っている。
金剛は、S7-8-8に、36センチ5号徹甲弾の効力を調査した。
S12秋、第五戦隊の重巡が、南支アモイの飛行場に20cmの91式徹甲弾を撃ち込んだとき、黛中佐は、タマの機密が漏れるといって反対した。結局、実施。
ガ島に撃ったタマのうち、1式徹甲弾のみは弾頭信管がないので、すぐ区別がつく。
仮称3式通常弾は、俗称「三式散開弾」「三式火焔弾」。
このタマの弾子は、36センチ砲より大きい口径では、長さ7センチ、径2.5センチ。20cm砲以下では、長さ5cm、径2.0センチ。
3式弾の炸薬量。
46センチでは、8.0kg。
40センチでは、6.75kg。
36センチでは、4.15kg。
20センチでは、0.75kg。
12.7センチ(五〇口径)では0.2kg。
12.7センチ(四〇口径)では0.2kg。
50口径12.7cm砲弾は、炸薬1.8kgを内包し、信管のつけかえによって、対水上用榴弾にも、対空弾にもなった。
零式通常弾乙
46センチ砲弾だと、炸薬61.532kg。
45口径40cm砲弾(長門級)だと、炸薬44.274kg。
45口径36センチ砲弾だと、炸薬29.545kg。
陸軍の24cm榴弾は、ふつう、炸薬18.14kg入り。だが破甲榴弾は、炸薬11.83kg入り。
陸軍の30センチ榴弾の破甲榴弾は、炸薬20.56kg入り。
海軍高角砲の98式10cm砲は、炸薬0.95kg入り。
同89式12.7cm砲は、炸薬1.78kg入り。
潜水艦からの魚雷は、距離1500m、方位角60度くらいで発射しないと、命中しない。尻を向けられると駄目。
旧陸軍は、精度の高い地図を「地形図」と言った。
▼吉野克男『コンテナを追え』H12
コンテナ以前の貨物船は、1万総屯で、13~16ノット。
岸壁には、北米だと何もない。欧州だと、スローなクレーンのみだった。
つまり、ほとんど、本船デリック(5~15屯)だけで荷役したのである。
非コンテナだと、雨がふったら荷役は中止。船艙の外で荷物が濡れてしまうから。
積荷がウイスキーだったりすると、英国人の沖仲仕はわざと落として割って飲んでしまう。
コンテナの発明者は、米国トラック業者のマクレーン。
フネは当初、タンカーを改造した。
米国は欧州航路に30ノットのコンテナ船を就航させた。
1956には、33フィート(米ハイウェイ規格)と24フィート(西海岸)の2本建てが争った。後者の方が耐久力は好かった。
1961に、20フィート、30フィート、40フィートのISOができた。
24、33、35フィートの規格がなくなるまで、10年かかった。
今では、岸壁の施設は、20フィーターと40フィーターにしか対応していない。
ただし米国には、45、48、53フィートという規格がある。
ハイウェイ保全のため、全重に制限がある。
また欧州は45フィート以上をシャットアウトしている。道路事情が違うからと。
今のコンテナはすべてスチール波板。だが当初はアルミのフラッシュ板だった。
ありふれたコンテナは、ドライコンテナ。それとは別に、ベンチコンテナがあるる
TEU とは Twenty Equivalent Unit の略で、20フィーター箱に換算した場合、その船には何個積めるのか、を表している単位。
40フィート箱が生産のスタンダードになりつつあって、FEVという単位もあり。
コンテナ船は、9段を艙内に、4~6段をデッキ上に積む。
サイドコルゲーションとは、側壁波形形成。
屋根板の波プレスは2500トンの圧力で。
オールコールテン鋼とは、表面が適宜に酸化しており、それ以上は腐食しないもの。
まずたいがいは床板が張られる。
これはISOで防虫処理もしてある。厚さ28ミリ。
コーナーは過重80トンまで耐える。
床にかかる荷重は、7トンは平気。
スチール製コンテナは、強度部材でも4~6ミリ厚、側壁はわずか2mm。 ※つまり脱出or救出のためには、側面を破壊するべきなのか。
エルニーニョでパナマの吃水が変化する珍事。
HC=ハイキューブコンテナ。9フィート6インチの背高がある。
1997の日本郵船の『ANTARS』号の場合、75637総屯で、24.75ノットを出す。巾40m、吃水23.9m、全長299.9m。
1999年、20フィートコンテナは1個が1450ドルだった。1ドル=119円。
40フィーターは、2300ドルだった。
▼S48『農業経営発展の理論』所収、家永泰光「乾燥アジアの水法とその経営的意義」
乾燥アジアでは、salinity 予防のために、ムギ、ミレット類の播種の前に、畑地に灌漑する。
イラン~アフガンでは、大麦、小麦、トウモロコシ。
アフガンの家畜は、羊、山羊が最多で82.8%、牛は11.1%を占め、ロバ、馬、駱駝が次ぐ。
イランには、乳用の水牛や、騾馬あり。
▼吉田、小山 共著『西アジアの技術』1964
パキスタンとイランは金細工である。アフガンは銀細工だ。
タシュクルガン(北アフガン)のナイフは有名。
片刃のものは果物用。
荷車の車輪は、三分割構造。重量軽減のため、センターをずらしたところに2孔をあけてある。
手工業のガンスミスあり。単発ハンドガンで、ショットガンのシェルを用いるものも。ペシャワルの南の Darra が本場。
完全手動式の Boring machine が興味深い。バレル素材にチャックを噛ませる。そのチャックは、巨大な手回しはずみ車と同軸だが、減速ギアが介在して回る。
はずみ車の軸は、床面から1本柱によって挙上されている。回転軸は、床と水平である。
銃腔を穿つ鑿(刃具)は、すこし離れた1本柱により、やはり同軸に固定されている。それを少しずつバレルの方へ押していく。
ヤスリだけは、スウェーデンのニコルソン製である。
なんと昭和18年製の十四年式拳銃がサンプルとして部屋に転がっていた。
ロシアの大型拳銃は、10日あれば作れる。
ボーリング錐はすぐ欠けるから、工場内にフイゴと火床がある。
ときどき石鹸液で、クズを流す。
2時間でライフルのバレル1本に孔が通る。
鉄素材は、ラホールから古銃を買ってくる。
Hazarajat には古代からの天然 Cave group あり。
水洗いしたライス、湯でもどした乾し葡萄、塩、羊油、タマネギ。以上を使った鍋料理が、アフガニスタンでは上等料理である。
▼東京大学西南ヒンドゥークシュ調査隊『アフガニスタンの水と社会』1969
※隊の中に農学部水産学科3年の椎名誠の名が見える。
用水路をジューイという。
カレーズの湧出口は、ジューイ・チャー。
小麦 gandom は10月に播種。翌年5月に刈り取る。
海抜2500mまでは冬コムギ、それ以上は春コムギ。
栽培の高度限界は3400mだが、3000mになるとまず見ることはない。
アフガニスタン全耕地の半分は小麦である。
大麦 jaw は、収穫期は高度につれ遅くなり、5月から7月。
栽培の高度限界は3400m。
コメ birinj は、カレーズでは駄目で、河谷のあるところに限られる。カブール、カンダハール、ヘラート、パンジシールはOK。
標高1000mなら5月に、2000mなら6月に播種する。
冬コムギの輪作もOKだ。
トウモロコシ juwari, khosha は、ソラマメと共作し、小麦大麦と輪作される。
灌漑が必要。
1000mだと5~6月、2000mだと6~7月に播種。10~12月に収穫す。
エンドウは3000mでも収穫可。
カレーズの東端はトルファン盆地。西端はモロッコ。
小麦収穫作業は暑い日中を避け、朝に済ませる。遊牧民も臨時に雇われる。
アフガニスタンの雨期は1~4月。
8~10月は乾期。中小河川はワジとなる。
lalmi ……天水耕地。
アフガン暦では、春分が1月である。
▼石田謙司『江戸明珍家の研究――謎の甲冑師明珍宗保を捜して』S61
館林からは1日で江戸へ出陣できるが、水戸からはそれは不可能。
高田藩主は、按摩から、市井の肉声を聞くようにしていた。
この分野では、S3に倭文社が出した『日本甲冑の新研究』by山上八郎 がバイブルである。
※巻末の参考文献(pp.384~394)が圧巻。
▼柳生厳長『正伝新陰流』S32
ひきはだ とは、蛙の肌の皺のようであるという意味。牛馬革に、「せしめ漆」を塗って、ひきしめたもの。その袋に、破竹を挿入した。