旧資料備忘摘録 2020-9-16 Up

▼大森清次郎『実行容易 南洋全信者百話』大3-11
 雨滴が大きい。
 マレー人は、カップに口をつけず、かならず滝呑みをやる。それで、雫一たらしも溢さぬ。

 白人にもふつうにドロボーがいる。仏人はおとなしい。ドイツ人は最もふてぶてしい。
 土人は酒気ある人に時々暴行を加える。

 雨の降る中、外出すれば、かならず病気になる。
 豚肉を食うことから華僑は排斥されている。ただしマレー人は調味料としてラードを使うのだ(p.140)。

▼権藤林蔵『奇聞珍談 南洋土人の話』大4-9
 マレー人が口にする肉は、魚か羊のみ。
 豚肉は「バビ」と呼んで避けている。※イスラム教徒なので。

 寝るときに、カラッパ油を塗る。香気が強く、蚊が来ない。
 右手に水入れを持ち、そこからカラッパ油を左腕にたらし、それで肛門を洗浄する。

 山人は獰猛。非山人は不正直である。アチン州。
 土人の美女はバンドンにいる。

 ジャワの「竹夫人」を英人がダッチワイフと名づけた(pp.133-4)。
 交趾支那の仏人は、兵士あがりが多く、高等官を除いて、ひどく堕落していて、日本の醜業婦や支那女を妾とし、家庭もどきを営んでいる。こんなところにやってくる仏人女はいないのだ。

 大陸浪人と違い、日本人の南洋浪人は、ド腐れ中のド腐ればかりである(p.164)。

▼吉富重夫『行政機構改革論』S16-3
 現行政府は、国務大臣と行政長官(行政大臣)を同じ人間にやらせている。
 これは分離した方がいい、という考えから、近衛内閣時代(S12-10-15)に「臨時内閣参議」というものを設けた。

 S9に斉藤実内閣が、5相会議(総理、陸海、蔵、外)を創始。
 広田内閣は、閣議中心主義。
 S11-4に、陸・海、外の三相会議。
 近衛内閣は、五相と3相を両立させた。

 要するにこの5人以外は「事務大臣」にしてしまえばいいと考えた。
 阿部内閣は、兼摂大臣を多くすることで、少数閣僚制を実現しようとしたが、失敗。

 理想は、中核の国務大臣を全員「無任所大臣」にしてしまうことだ。
 S14の国家総動員法にあわせて、数省の権限に関する事項はなるべく内閣三長官に一任することに。

 四相会議のころ(S12頃)、「経済参謀本部」を置こうとした。
 ○○会議 は、制定法でなく慣習法でいける。要は、長く続けたらよいのである。

 岡田内閣……内閣調査室
 広田内閣……総務庁案
 林内閣……企画庁
 近衛内閣……企画院(内閣ブレントラスト)
 いずれも目指したのは同じ、役人統制天国。

 S11には外務と拓務をあわせて「外政省」にしようとした。
 農林と商工はあわせて「産業省」に。
 鉄道と逓信は、内務省のうちの土木局ともあわせて「交通省」に。

 委員は十名以上いたらダメ。協力共働などできぬ。
 太政官制では、各省は太政官に隷属する分官だったから、いちいち太政官の指令や許可が必要だった。宮内省ですら然り。
 さらに、タテマエだと大臣や納言がボスのはずだが、実権は参議にある。

 三条が太政大臣。岩倉は右大臣。島津久光が左大臣。大久保、木戸、大隈、伊藤はその下。

 太政官は太政大臣を長官とする独任機関。太政大臣ひとりが天皇に直隷し、各大臣を指揮命令できる。
 内閣は合議機関。
 国務大臣は、大臣および参議。
 行政長官は各省卿――と、分けていた。外務のみ、その例外としていた。

 これがM18-12に、内閣制に変わったわけ。
 それ以前は、国務に関して輔弼する内閣と、行政や省務をすすめる内閣が、分けられていた。議会との交渉は国務大臣だけがあたった。
 行政は、国務よりもテクニカルだから、そのボスは短期間ですげかえてよい。

 参議が省卿を兼ねると、縄張り意識が生じて、もはや他省のことに口出しすることは憚るようになる。

 M18以降、各国務大臣は、直接上奏可能になった。しかし慣例として、総理を経由していた。
 primus inter pares

 外務省の外交は、政治家がやり、官吏は通商のことだけをやれ。あとは文化事業。
 大蔵省の主計局管掌事務は内閣へ移せ。

 この時点でも行政統制は「大蔵省統制」でやっている。
 こんな巨大な統制を一省にやらしておいて、良いわけがない。

▼増田福太郎『原始刑法の探求』S19-3
 台湾の高砂族の研究である。

 じぶんの正しさは、人(主に漢人)の首をとってくることで証明する。
 とれなくば、崖から飛び降りて自死す。

 しゃぼんを使わない水の泡を吹き飛ばして、犯人の家をあてる「水占い」がある。
 殺人者も、山に蟄居して、弓を用いずに素手で小鳥を捉えたら、家に帰ってよい。

 鹿の声音に巧み。そのおかげで仲間の鉄砲に誤射されることもある。
 主食は粟。山ではイモ。他に、肉。

 犬は殺してはならない。猫はよい。
 犬(asso)殺しは人殺しに準ずる重罪。

 アミ族の神話。洪水が起き、兄妹神が、山に流れ着いた。相姦すると、ミミズや亀ばかり生れた。そこで神に祈ると、普通の人間を生めるようになった。※古事記のオリジンが南洋にあるのは、自明。

 パイワン族の竹槍は身長の2倍強ある。台湾南部。
 アタヤル、ブヌン族は、ボルネオ系マレー人。東海岸の北部。
 ヤミ、アミ族はフィリピン系である。位置は台湾南東部。
 ツオウ族は、インドシナ系らしい。中央部。
 サイシャット(北部)とパイワン族(南部)は不明。

 インド文化もイスラム文化も被らなかったところが貴重。それだけ原始的。

 一例の違反もないならば、それは「タブー」と意識されることもない。
 仇を Paris と称するのはアタヤル族のみ。

▼松下正寿『米国の戦争権論』S15-9
 米国法制は基本的に英国と同じ。
 大陸系と違って、行政行為の責任は国家にはない。個人=担当官吏にある。

 それは、合法的だったならよし。非合法だったなら、個人で責を負わねばならない。
 上官命令だったとしても、免責され得ないのである。

 ただひとり、大統領は「応訴義務」は免除されていると考えられる。
 これは英法の King can do no wrong の、大統領への適用だ。

 1928パリ不戦条約は、門戸開放をタテに戦争に訴えることを禁じたと解釈される。

 宣戦権と戦争遂行権は、分けられた。
 外交、媾和、条約は、大統領と上院。
 宣戦をする「議会」とは上下両院のことである。

 議会の民軍〔ミリシャ〕召集権は、「合衆国の法規を執行」「反乱を鎮圧」「侵略を撃退する」ためにのみ可。

 しかし民軍加入者は大元帥〔コマンダーインチーフ〕の命に従う宣誓をしているので、欧州派遣が可能になる。

 大統領は国内に軍政(戒厳)を敷くことも可能。しかしその間の民法/刑法違反は、戒厳解除後に裁判所で裁かれる。罰をくらうのは戒厳司令官。

 英で兵権が王から議会に移ったのは1806とされる。
 仏では1791に国務大臣に渡っていた。
 米は1787の憲法会議だから最も早い。

 WWIで英仏は戦争開始とともに反対党といっしょに挙国一致内閣をつくった。
 首相一人だけすげかえることもできる。
 米国にはこの長所はない。それどころか大戦争のさなかでも、4年ごとに大統領選挙をせにゃならん。

 南北戦争はリンカンの当選が契機で始まっている。
 しかも次の選挙では、リンカン、その部下マクレラン(民主)、同じくグラント(共和)が争わんとした。実際はリンカンvs.マクレランとなる。

 米が1917にWWIに参戦したのは、1912就任のウィルソン大統領がこの前例を気にして、1916に再選が確定されるまで待った結果と言われている。つまり戦争中の大統領選挙はよくないと考えたのだ。

▼村上秀二『共栄圏の水』S19-9
 満州人を温浴させると たちまち凍傷を患う。
 マイナス30度では手の露出4分で、危険。

 鯉は、カチコチになっても 水中に投ずると生き返る。
 満州では十月の松花江のみが清流。
 満州で○○泉 とあれば、酒用にできる良水の涌くところ。または、温泉があるところ。

 田毎の月とか万田の月というのは、段差があるから。高低差のない平地の水田地帯だったら、月は1個しか反射して見えないのである。

▼永井潜『人性論』大6
 著者は自然人類学者か。
 馬やノロシカの骨で銛をつくると、しばしば、七支刀のような外見の骨角器となる。
 ※というか、骨角器を拡大して金属製にしたのが七支刀なのだろう。

▼高橋健自『鏡と剣と玉』M44-7
 上古の手鏡は白銅鏡。ヤタカガミも。
 後世は、青銅鏡。
 稀な例外として、鉄製や銀製がある。

 中央部のヘソのようなところは紐座という。紐を通す横穴が通っている。
 八咫の神鏡は径1尺内外と察し奉るべし。
 周尺の8寸は今の日本の4寸強。
 厚さが何段も違う同心円からできた鏡。

 平田の時代、すでに水銀をすりつけた、光る鏡があった。これは青銅鏡時代からあるテクニックで、鏡面にアマルガムができる。

 カヌチは「かねうち」。
 マガタマは、もと動物の爪牙に孔を穿ったものというのは、既に斯界の定説である(p.190)。

▼日本工業新聞社『日本若し戦はゞ工業界はどう動く』S7-12
 WWIで米ウエスチングハウスの輸出した機械の半分は日本が買った。特に高田商会。

 真っ先に値段が上がったのは、工業薬品。染料。火薬用ではなく、衣服用。おもわく投機。
 次に船。
 それにつられて鉄が上がる。開戦から半年後。

 船賃は、開戦の1年後から上がる。
 銅は各国で備蓄されていたので、値上がりしなかった。
 亜鉛が上がった。薬莢製造に必要だった。

 亜鉛鉱山(支那の水口山)をめぐり、三井・古河・藤田連合と、大倉・久原連合がシノギを削っている。
 石炭はジリ高。

 「日本兵器会社」は、東京工廠の元小銃製造所長・小林【金申】八郎(砲兵大佐)が指導して小銃を試作、また陸軍のための軍用自動車を試作した。

 WWIでロシアに野砲用信管を売った。
 ロシア信管の特徴は、アルミを多用していること。
 媾和後は、紡績機に転換した。

 日本の軍服は羊毛。戦時には絹で代用するつもり。綿入れとする。
 すでにその試作あり。3尺離れるとピストル弾を止められるという。

 カーキは染料で染めるのではなく、薬品で化学処理する。

 日清戦争のとき、カンヅメの中に石ころをつめたのがあったと聞く(p.144)。

▼『南方へ挺身する人々へ』S19-6
 熱帯生活必携。
 南洋ではアブラが不可欠。調理は油炒めなので。
 内地でこれの参考にできるのは、鹿児島と沖縄料理。

 南方では豚もトロも脂は抜けている。
 そこでパーム油で補う。

 パラオ住民の銛の投擲、神業である。
 家は床下を高く、石壁を厚くする。窓は大きくする。
 床は、竹を2つに割ったやつを すのこ式に張り、下からも通気せしめる。
 屋根は高いほどよい。

 高い棟から先 軒への傾斜を急にする。
 広いベランダを接続させることによって、屋内に陽を入れぬようにする。

 部屋割りは、中央に1本、縦通の廊下を貫通させて、その両側に部屋を並べる。この廊下なしの間取りにするとダメ。
 暑いと夜の眠りが浅くなる。だから昼寝の必要がある。
 水浴は、しばしばせよ。

 土人は軍帽、勲章をよろこぶ。
 ニューギニアではなぜかコメは作れない。