旧資料備忘摘録 2020-9-21 Up

▼平沢富蔵ed.『図説 日本蒸汽工業発達史』S13-11
 ワット生誕200年記念。写真も図表も大量。

 日露戦争のまっさいちゅうに、英ではパーソンズ、米ではカーチスのタービンが採用された。
 最大出力の燃費がまるで違うのが、メリット。逆に、低速時は不経済。
 この問題を改善したのが、ブラウン・カーチス および 改良型パーソンズ。

 タービン導入は、同時に減速機導入をも必須とした。
 ギアードタービンに決定する頃に、WWIとなる。

 練炭とは、無煙炭の出ないわが国で、内地炭のカロリーを高める一手段。
 『咸臨丸〕で渡った福沢らの一行中、肥田浜五郎が機関の専門家になった。榎本とともに日本最初のオランダ留学生にもなっている。彼のおかげで『千代田』は国産できた。

 『薩摩』の主機は、両面宮原罐(川崎造船所製)。横須賀工廠でM38に起工された、一等戦艦。
 一躍、2万馬力であった。しかも1年7ヶ月の短期間で進水した。
 直立三段膨張四【竹かんむりにマのしたに用】機械。強圧通風、重油混焼。これを2基2軸。M40の一等戦艦『鞍馬』と同一。ただし薩摩はシリンダー20なのに、鞍馬は28。

 ところがこの『薩摩』より10ヶ月遅れて呉で起工した姉妹艦『安芸』の主機は、カーティス・タービンなのである。
 19372トンの『薩摩』は公試運転で19.129ノットを出した。

 微粉炭燃焼排汽タービン船『名古屋丸』。三菱長崎製。
 S7-5進水。三菱パウエル・ワッハ式。
 炉はクラーク・チャプマンを輸入。
 全機関(3連成)は3900馬力だがそのうち1300馬力は排汽タービン。

 軽便鉄道の機関車はM40から国産を開始。
 日本の鉄道は、修理の早いのが自慢で、先年、ソ連に技師を派して方法を伝授した。
 『ドレッドノート』はM39進水。日本はあわてて『河内』『摂津』であとを追う。

 米の陸上用の微粉炭燃焼式は、大7、ミルウォーキー・オネイダ発電所。
 1927に『サラトガ』と『レキシントン』が竣工したとき、世界最大馬力の軍艦であった。

▼太田才次郎『日用百科全書 第五十編』M34-2
 猟銃の村田銃は、全重が1貫46匁。銃身は2尺7寸0765。

▼片山直人『日本竹譜』上・中・下・巻 M18
 シナ語では チフ。
 朝鮮語では タイ。

 竹の移植は、地中の鞭根を掘り取って、行う。小筍の出た部分を。
 輸送中に湿気にさらさないこと。

 竹林は、古竹を除去してやらないと、勢いをなくす。4年モノは伐れ。
 疎にしすぎてもダメ。日光が当たると竹は黄色くなり、肉は薄く、節は高くなる。地力も蒸発によって失われる。
 よって、薄暗い程度の密度とし、落ち葉は、堆積したままに。
 獣の死体は良い肥になるゆえ、埋めるべし。

 諸書いわく。竹は60年すると花を咲かせ、枯れてしまう。
 洋書には30年と書いてある。中央インドにて、1802、1832、1862に開花したと。

 著者の観察では、花が咲くと確かに実が成り、翌年に大竹は枯れる。しかし若いやつはそのままだ。
 機序は逆なのだ。地中の根が過密化すると、枯死に向かう。その寸前に、花を咲かせるのである。古い根を除去すればよいのだ。

 矢をつくる箭竹[やたけ]は、常陸産が一等、上総下総産が次等である。他は、矢に適しない。

 ササは、焼いても生えてくる。
 利用法は、斜面の地がために。
 堤防や、砲台にもよい。

 〔海草の?〕馬藻[ささも]というものを一線状に埋めると、竹の根はそこを超えられないという。※塩気そのものが効くのではないか?

 以下、中巻。
 竹の実は、形も味も小麦に似るので、土民は「竹麦」と呼ぶ。
 すず竹と、クマザサの実が、とくに多くとれる。
 天保3年、飛騨高山で、十里四方にスズ竹が開花し、毎日、5~6斗も実を集められたという。
 伊那の近くの山のスズ竹(保元で、幣軸竹)も、実を結ぶ。

 朝鮮の竹島〔鬱陵島のこと〕は、実竹[じっちく]で有名である(p.十七丁)。
 パイプ状ではなく、中まで詰まっている。
 日本では、松島の福浦島に産する。
 伊那にもあり、印材にする。
 北海道には まがり竹を産す。

 以下、下巻。
 竹の節を抜くには、まず鉄棒で入り口近くを抜き、それより奥は、棒を勢いよく落として抜いて行く。

 竹火縄の製法。
 竹の節間が長いものを択ぶ。水に漬けておいて、片刃の利刀をもって、細長い竹【たけかんむりに如】を製し、それを三打(みつうち)に綯い、長さ1~2丈に至らばそれを張り、藁縄をもってそれを摩擦して、滑沢ならしむ。
 さらによくこれを張り、重いしを釣り下げてこれを乾し、適宜の長さに切り、それを巻く。

 弓師いわく。建設材とするならば、山城国葛野郡八幡山産の竹を最上とす。
 西京の竹は、外皮は堅勁ならずして、竹肉が硬い。最上等である。
 東京地方の竹は、外皮が殊に堅勁で、竹肉が軟い。最下等である。

 いにしえは、弓材用として伐った、竹の根元の肉厚の部分を、刀剣の目釘としたのである。

 いにしえの大和地方では、家の天井には、竹を割って隙間無く並べ、藤蔓で編み付け、筵を敷き、その上に土を塗ったものだ。

 竹を植える方角は、邸宅の西北。
 また、川沿いに田畑を持つ者は、川沿いに植えるとよい。出水のとき、被害を減ずる。

 万年籬に2法あり。「めだけ」を密植してその外側のもの同士を竹縄で結ぶ。あるいは、生きている竹をそのまま撓めて、結び垣、竹矢来としてしまう。
 コメのとぎ汁を「しらみず」という。竹の肥料になる。

▼荘司義治『戦争と眼』S19-5
 2週間めの胎児は、手足は分かれていないが、眼はすでに形をなしている。
 日本には7万人の盲人あり。

 Cの字の1.5ミリの切れめを5m先から見ると、ちょうど「1分」の角度になる。これが分る視力が「視力1.0」だ。
 南洋の民には、4.0以上の者がいるという。
 ただし視力表は、いちばん下が2.0、いちばん上が0.2、一段おいて0.1である。

 近視は時として、網膜剥離を呼ぶ。最近は手術で直せる。

 この当時は、40歳でたいていは遠視となり、新聞を、手を延ばして持たないと読めない。
 45歳では、手の長さが足らなくなる。しかし手よりも遠くにすればこんどは活字が小さくてけっきょく読めない。というわけで老眼鏡が必要になる。

 片眼の、反対側への視野は60度である。
 暗反応で光覚は5万倍も変化する。
 プレアデスのことを 日本では むつらぼし(六連星)といい、西洋では七姉妹という。

 大東亜戦争になり、甲種合格の基準は引き下げられ、片方裸眼0.3ならば合格。
 徴兵の振り分けは、「甲種合格」「現役兵として徴集」「補充兵として徴集」。
 海軍の基準は、やや高い。

 春夏のホコリのひどいときは、外出時に目を洗え。
 電車の吊革は、流行眼、トラホームのなかだちとなる。
 このごろでは、それが分ってきて、旅館や温泉等で、手拭いを貸さなくなった。

 淋病の小便で眼を洗えば失明する。
 かつて巻煙草の包み紙には鉛が含まれていた。溶かして文鎮にできた。

 微小な鉄片の錆で失明することもあるから、旋盤工にはゴーグルが必要なのである。
 3日以内なら、強力電磁石で取れる。

 長時間読書は「調整疲労」を起こす。1時間に15分は目を休めたい。

 電球に書いてあるワット数は、消費電力であって、明るさを表してはいない。
 明るさは 近年のガス入り電球 > 昔の真空電球 > 初期の炭素線電球。
 熱は、眼のためには好ましくない。それで、東京電気が、蛍光ランプをつくった。

 吾々の研究では、漢字が小さなポイント活字で読めるのは13画まで。それ以上は略字にすべきだ。
 ※著者は東大医博。

 皇帝ネロは眼鏡を使っていたという話あり。
 日本では天文8年=1539に、明船から大内義隆に眼鏡が献じられた。
 1570に信長に謁した西洋人宣教師が近眼鏡をかけていたので、四ツ目の怪人だと騒がれた。

 紫外線のことは「菫外線」と書く。 ※スミレ=バイオレット。そのウルトラ。
 風に当たっただけで涙がこぼれる人は、涙道中に化膿がないか調べてもらった方がよい。また頻繁に眼を洗うべし。

 トラホームを、学者はトラコーマという。
 ヤブニラミ、ヒガミメは、比較的簡単な手術で治る。
 緑内障は、当初、頭痛と吐き気がする。
 エチルアルコールであっても、弱っている人は、失明することあり。

 戦傷全体と、眼の負傷の割合。
 普仏戦争では100対1例。
 日露戦争では100対2例。
 WWIでは100対5~10例。
 大東亜戦争では100対15例。

 ※近代戦ほど眼の負傷が増えている。

 日本では、1mで指の数の分らぬのをメクラと呼んでいる。
 盲導犬はWWIのとき、独軍用犬協会長のスターリング博士がシェパードで始めた。
 日本では近年開始。

 黄燐片が眼に入ったら→ただちに多量の水で洗え。数日後にひどくなるので注意。
 割れてしまう材質のメガネは、空襲時は、外した方がよい。

 海軍航空搭乗者の規程では、裸眼で片方が1.0 または両眼合計で1.2ないと、×。
 これは17歳の学生の場合。

▼大日本発明協会ed.『欧州大戦と発明』大9-8
 コルダイトは、紐(コード)からその名がついている。
 ロイドジョージは禁酒家だった。

 ゴム+アルコールがワニスである。砲弾の内塗りに使う。
 メチルアルコールは木からも得られるゆえ「木精」という。

 アルコールと、さらし=漂白粉と水とを混合し、それを熱して蒸留した蒸気を集め、冷やして液状に戻せば、それがクロロフォルム。
 マインの語源は鉱山、または坑を掘る。そこから地雷の意味に。

 クリミア戦争中の大砲は、鋳鉄だった。
 高速度鋼はタングステン・スチール。これを刃具に用いれば、削り作業中の熱でも、脆くはならない。
 こういうのを「硬鋼」という。他は「柔鋼」である。

 「ロングトム」。南阿軍がもたらした重砲に、英兵が附けた仇名。
 これに対抗して英軍は、4.7インチ艦砲を、陸戦闘用に陸上げした。

 弩級艦の50口径長の12インチ砲は、重さ69トン、弾重850ポンド(百貫)、初速3000フィート/秒。ニッケルクロム鋼砲身である。

 なぜ砲身を最初からパイプ状に鋳ないのか。棒状に鋳ることで、芯部は最後に冷える。そこに不純物が集まる。くりぬけば、その不純物を捨ててしまえる。
 2重管として、さらに、条帯をまきつける。そのメリット。単肉だと、どうしても強度のムラや割れやすい部分が生じるが、条帯によって、それをなくせる。
 単肉だと、わずかなヒビから砲身が割れ、重大事故になるが、その危険をゼロにしたいのだ。
 条帯をまきつけた上に、さらに、二重管を、こんどは前後からハメる。
 こうして、実質、5重の構造にしてある。

 ギュスタフ・カネーは、普仏戦争に参加し、英国で学び、ルアーブルに大砲工場を建てた。
 WWIで英は、農機具工場やピアノ工場まで動員して、砲弾を造らせた。
 火薬詰めには女工を多用した。

 英のTNT入り砲弾は、爆発景況として黒煙を発す。
 これを独兵は、「ブラック・マリア」「石炭箱」と呼んだ。

 進入端と、不入端のある「限界ゲージ」で、砲弾と信管は、多量生産しても安全にできた。
 ドレッドノートは、その前の戦艦が19ノットなのに、一躍、21ノットを達成。
 翌年、インビンシブル号を造った。馬力を2倍とし、28.6ノットを出し、大砲は8門(ド号より2門すくない)とし、装甲を7インチに減じた。
 『ライオン』では、13インチ半となり、しかも28ノット。《スーパードレッドノート》という。

 「ウォーヘッド」(実用頭部)という名詞は、ホワイトヘッド魚雷で、初めて用いられた。訓練用の弾頭を「ピースヘッド」と称したのと対概念。

 英国製のブレンナン魚雷は、2本のワイヤーをドラムで巻き取る、港湾防禦用の特殊魚雷。手綱のように方向を左右に制御できた。

▼防研史料 〔207〕『兵器関係契約書』
 ラインメタル関係 工具 検査具 for 三菱商事。これらをS15-12~S16-12に小倉へ納品。
 1940-1にラインメタル・ボルジヒが商事に送った「MG STG63」の膨大なリスト付き。 

 7.92ミリ弾 被甲先付機。ポルテ社の機械。扱い/三菱商事。
 その他、7.92ミリ実包をつくる機械類一式、商事がポルテから買っている。

 陸軍はドイツのイリス商会に、MGST62×400梃、MGST61×1000梃を、S16-6までに注文するつもりであった。
 さらにS16-11までに2000梃を購入すれば、製造権は無償とする、駐独武官のイリス宛て覚書。S15-10-10。

 ばね製作機は、三井物産が斡旋して小倉に納品。
 MG-17E、17Dの部品? プライス表。

▼防研史料 〔208〕 在独武官室『鋼材関係書類』
 昭和通商が工場から船で引き取るというが……。
 銃/砲身の鋼のようだ。

▼防研史料 〔210〕 『航調独・耕作機械滞貨表』S19-2
 三菱商事、大倉産業(株)(1.3.1944) C・Illis & Co.  昭和通商会社LTd.
 ※つまり兵器調達本部と別にドイツで調達した。

 Deutsshe Mitsui Bussan A.G.
アルミニウムまで買おうとしていた。

 Spezial-Stahl ※特殊鋼?
 Propeller-Schaftstahl Flw. 1208, 径150  od.vierkant (スピナー軸鋼)

▼陸戦隊写真班+橋岡保彦・他ed.『支那事変 上海戦線』S13-2 ※これは千葉県立図書館蔵?
 激レア写真集である。発行所は、上海の「橋岡写真館」。これだけ密接だと海軍御用の特務機関的出店かもしれぬ。

 上海の陸戦隊兵舎の全景。ビッカースと国産の装輪装甲車がズラリ。
 例の英国6トン戦車の写真はこの建物1階玄関前であったと分る。

 ライフル、LMG、そしてベルクマンによるAA一斉射撃の写真。
 『出雲』副砲員の奮戦。金属薬筒を押し込もうとするところ。

 150〔?〕迫のクリアーな写真。拉縄が分る。発砲シーンも。砲車にマーキングアリ。菱型枠と、その中に何かの文字。

 国産4輪装甲車の車体後部には、観音開きドアがある。
 ルイスLMG、使用中。

 見たことのない4輪トレーラーと、その上でHMGのAA架台付き。
 シナ軍が使った 視発機雷(川用)の電纜と破片の写真。

 「301」のペイントがある国産の4輪装甲車の、真後ろからのクリアーな写真。

 「防毒法ノ実習」
 リアカー式に人が曳く2輪台車だが、台の部分には巨大漏斗が載っており、その底部に白い粉が見える。おそらくサラシ粉だろう。漏斗の下端は花弁状に小さく散開す。おそらくそこから地面に振りまかれるのだろう。おそらく車軸に連動して漏斗は垂直軸を中心に回転する。

 「三號解毒剤」という白箱も。