UAVのヘロンが ベングリオン国際空港に 堂々と着陸。

 ストラテジーペイジの2020-9-27記事。
   英陸軍は今年、市販のウォーゲームである「コンバット・ミッション:ショック・フォース2」をプレイし競技する「ファイト・クラブ協会」を創設した。

 このゲーム、2007年に登場したときには、シリアに侵攻する米軍になりきる、独りプレイ専用の構成だった。

 しかしそれから数年以内に、インターネット回線で「2名対2名」の対戦までできるようになり、しかも、シミュレートできる軍隊として、英国陸軍が加えられた。

 2020年に「スチーム」というウェブサイト上で利用可能になった最新バージョンのCMSF2は、多数のプレイヤーが簡単に参入することができる。
 このゲームは軍隊の機密保全の枠外にあるので、現役軍人が他の現役軍人と経験の意見交換をできる場として有益である。

 CMSF2は大隊規模までの戦闘をシミュレートする。
 車両類を筆頭に、武器・装備の性能が、実在のものに合わせられているところが、「買い」だ。
 ※無限にタマを放水できる銃などは登場しないということか。

 ※PC上の軍事シミュレーションゲームには大きな可能性があるのにその可能性がじゅうぶんに開発されているとは言えない。その未開拓分野とは、「奇襲準備」と「敵の奇襲意図の見破り」である。平時から戦闘へ切り替わる、その瞬間が、小国の運命を分けるだろう。大国の米国の軍隊であれば、緒戦に奇襲を喫してもあとから挽回できる。ダグラス・マッカーサーは生涯に二度も大規模奇襲を喰らった無能司令官だ。もし小国の司令官だったなら彼は二回、国家を亡ぼしていた。大隊レベルでも、射撃が上手い軍人より、敵の奇襲企図を見破って、戦闘開始前にその対策を立ててしまえる指揮官が、求められている。

 次。
 David Silverberg 記者による2020-2-27記事「Game Breaking: How Cheat Codes Changed Video Games Forever」。
    デジタルゲームの「チート・コード」は、最初は、開発者がベータ・テストをするとき、レベルを自在にジャンプするための道具として、埋め込まれていた。ゲームが仕上がったあと、それがチーティングの裏道として使われるようになった。

 キャラクターに付与される強弱の変数を書き換えてじぶんのキャラクターを不死身化してしまうチートが、次に登場した。これは8ビット時代、ゲームコードをいったんPCメモリーにすべて読み込む過程があるのを悪用したのだ。

 「アタリ2600」や「ニンテンドーES」のような専用コンソールマシンが普及すると、この細工は難しくなるはずだった。ゲームコードはプラスチックパッケージの中に保持されたままであって、外からアクセスできないからだ。

 しかし80年代、NESのために人気ソフト「グラディウス」を開発した はしもと・かずひさ は、デバッグ作業を合理化するための覚えやすいチート操作を自分で埋め込まねばならなくなった。

 具体的にはたとえば、矢印キーを「上、上、下、下、左、右、左、右」と押し、ついで「Bボタン、Aボタン」そして「スタート」ボタン……といった呪文的な手順をなぞることで、開発者の搭乗艦はとりあえず不死身になる仕組み。

 こういう裏技はチーターから「コナミ・コード」と呼ばれるようになった。
 「コナミ・コード」は「コントラ」のようなアーケードゲームにも存在したから、それを知っているチーターは、ゲームセンター内で人々から天才的プレイヤーとして注目されるわけである。

 ゲーマーたちが、たまたま知りえた、そうしたコード情報をやりとりするメディアとして、初期には複数のゲーム雑誌があった。まだSNSの時代ではなかったから。

 新しいゲームが発売されると、オタクたちは競ってチート・コードを発見しようとした。そして、人に教えようとした。

 どれほどの需要があったか。1988年に『ニンテンドー・パワー』というゲーム誌は、創刊5ヶ月にして累積150万部を売り上げた。

 任天堂の自社ゲームでなくとも、ゲームメーカーはまず任天堂のテストを受けなければならない。その情報を最初に公表できる人々が裏技情報を語ってくれるのだから、この雑誌の競争力は圧倒的だった。

 ゲーム会社と雑誌編集部の間には暗黙の連携があった。新登場のゲームの最初の紹介記事の中で、裏技を知らせるようなことはけっしてしない。次号以降から、逐次にリークしていくのだ。

 1990年、チートのための専用ハードウェアが開発・販売されるようになった。
 この時代は、ゲーム機も、SNES、ゲームボーイ、セガジェネシス、ゲームギアーなどと多様化している。
 まず「ゲーム・ジニー」というチートマシン。ゲームカートリッジの一端に直接結合する。

 そして、たとえば保存されているマリオのライフが3しかないときに、それを99に変更することができた。カートリッヂのメモリーとゲーム機との間に介入して。

 もうひとつ、「ゲーム・シャーク」というチート器材。ゲーム中にソースコードを探り出して、どの変数が何に対応しているかをじぶんで絞り込み、理解してからその変数を変更することができるというハードウェアだった。
 「ゲーム・シャーク」は、PCゲームがCD-ROMとなり、ゲーム機としてプレイステーションやXボックスが登場する時代にも対応した。

 1993年、「モータルコンバット」を筆頭とする、血なまぐさいゲームソフトを規制しろと騒ぐ連邦議員があらわれた。

 ジョー・リーバーマン上院議員にいわせると、「クリスマスを盗んだグリンチ」のようなゲームは、クリスマスについての子どものイメージを悪くし、拷問を楽しむような情操に誘導するので、有害だと。

 そこでたとえば セガジェネシス は、モータルコンバットを開始する前にプレイヤーに対して「流血」についての確認を求めるオプションを設けた。

 FPS=一人視点射撃系ゲームのさいしょの商品が「ドゥーム」である。

 このゲームには2つのチート・コードが最初から入れられていた。あたかも、それがシェアされ拡散されるのを望んでいたかのように。

 すなわち、プレイヤーは、あるコードをタイプすると、壁を通り抜けられるようになるのだ。
 これは非常に面白いと歓迎された。
 そこで、1996年の「デューク・ニューケム 3D」や、もっと後年の「スカイリム」でも採用された。
 ※ニューケムは《やつらに核兵器をブチ込め》という略号。

 1997発売の「ゴールデンアイ007」は、3DのFPSとして重要な試みを始めた。
 このゲームでは、プレイヤーはチートをする必要があるのだ。しかし、勝ち続けるためには、そのチートを反復行使できないようになっている。
 つまりチート行為は、まったくゲーム空間の中で完結させられている。

 そしてチートの嗜好も昔とは違っている。ライヴを増やすのではなく、武器やキャラクターを非現実的に変化させるチートを無数に用意しているのだ。もはやプレイヤーは無制限のライヴを得ても面白くない時代に来ている。この趨勢が、今も続いている。

 ※80年代末から、97年以前の話は、とても明るい。当時のゲーム業界の下っ端の人たちの風貌を回想するだけでも、明るくなる。良い時代だった。あのひとたちは今、ご健勝にお暮らしなのだろうか? そんなことが気になる年齢に、なってしまいました。