旧資料備忘摘録 2020-9-30 Up

▼防研史料 〔まる4/艦艇/104〕『参考綴』大12.1~大13.1~
 大13-1の『金剛』艦橋表。
 羅針儀も「航海兵器」である。

 「舵取機械」は蒸気と「人力舵」あり。人力は、15ノットで舵角15度までは12名で。それ以上なら24名必要。
 操舵一杯にして戻すは困難なり。

 主機械は、improved パーソン・タービンである。混焼と石炭専焼を切り替えられる。
 全力、すなわち26.2ノットだと、石炭〔?〕1トンを燃やして0.34海里〔?〕はしる。

 ボイラーを至急点火してから運転までに要する時間は、3時間。
 至急点火から汽醸までに要する時間は45分。
 経済速力11ノット。最低速力は4ノット。

 『比叡』級は、前進惰力を止むるには、多大の時間を要す。
 タービンであることと、艦型が佳航型なるに由る。

 投錨減速。1500m前から微速に。800m前から停止。ただし、艦外底が清浄である時は1000m前から停止に。

 備考。推進器の渦巻を第三(四)カッターの後部ダビットの下に認めたる時、機械を停止せば、艦は正しく前進惰力を止む。※秘伝だね。

 大7-9の『比叡』のデータ。
 「止」の状態から原速(12ノット)まで1分15秒。
 「止」の状態から半速までは1分。
 「止」の状態から微速までは50秒。

 28罐すべてを燃やした場合。
 10ノット→12ノット 1分。
 12ノット→14ノット 1分。
 14ノット→16ノット 1分。
 16ノット→18ノット 1分。
 18ノット→20ノット 2分。※ここから急に水の抵抗が増える。
 20ノット→22ノット 3分。
 22ノット→24ノット 5分。
 24ノット→26ノット 6分。
 26ノット→28ノット(全力) 8分。

 coral のリーフのことを「石花礁」と言うたらしい。

▼防研史料 〔まる4/艦艇/56〕『兵器現状報告(軍艦長門)』S20-8-35
 40糎砲塔には、弾薬積卸用の水圧筒がある。
 三聯と二聯の「機銃架台」がある。
 「毒物検知室」があった。
 「護耳器」は1178組あり。

 25粍MGは39あり。
 兵員室に37、羅針艦橋上部に2、2砲塔上に6。※一致しない。

 40糎砲の徹甲弾は、4つの砲塔弾薬庫に、各125個宛あり。
 零式通常弾も、各125宛あり。
 13式信管、零式信管、伝火筒。

 MG弾薬は、14600個〔発ではない〕。艦内弾薬庫に。
 ヘルメットは「鉄兜」と称した。

▼防研史料  海軍潜水学校『潜水艦輸送 及 補給参考』S19-7-1
 細大となく列挙す。

 イ-2。コメや麦を入れたゴム袋×1240個を艦外に積む。または、ゴム袋700+ドラム缶70でもOK。
 イ-361。搭載せる大発内に、詰め込んだ。

 イ-351。航空揮発油366トン。航空潤滑油27トン。糧食4.2トン。91式魚雷と50番爆弾あわせて63.8トンなど。

 輸送に連続従事する乗員の体力消耗は予想外に甚大。3週間に1週間は休ませろ。
 揚陸作業前には、メシを食わせておけ。

 「作業ヤメ」→「入れ」→「ハッチ(昇降口)閉め」→潜航。

 「飛行機格納筒」も運べた。
 月齢10から18の夜に行動するような計画は、立てるな。
 時刻は、日没後30分から45分がよい。

 輸送日程が決定したら、潜水艦の出撃前日に、所属戦隊が、関係各部に通報する。
 「予定航路、揚陸地点、予備揚陸地点、揚陸時刻、連絡方法、味方識別法、輸送物件、其ノ他」。これを電報にて。
 陸軍にも通知した。

 敵の哨戒機がとても厳重なときは、日出日没前後のみ、浮航充電。
 夜間は12ノット以下。「火の粉防止装置」を活用。夜でも3分から5分きざみで之時運動せよ。
 反復天測をおこなえ。

 グリーン島、ラエ、ブインが、進入にともない、どのように見えてくるかのイラスト。
 「潜望鏡信号」は、2番ペリに「山川灯」を当てる。3000mまで通達す。
 ※山と川は、芝居の世界の味方符号か。

 浮上中は、かならず【舟首】を外洋方向に向けておく。敵魚雷艇に発見されたら、当日の作業は断念せよ。

 伊176、伊16は、前部発射管室に下士官室があるから、便乗者はそこに入れろ。
 要担患者(還送患者)を上甲板に滞留させるな。
 下痢症状、伝染病の患者は、潜水艦には乗せない。

 喫煙は水上航走中に発令所で、人員を限って許可する。
 潜航中はポンプの利きが悪くなるので、大便は水上航走中にせよ。

 「陸戦隊員」はゴム浮舟で揚陸する。長さ5m×巾2m。組み立てはとてもめんどう。
 装具とも100kg×10人。プラス、コメ3俵~5俵、LMG×2、擲弾筒×3、弾薬箱×5。

▼防研史料 『波号第一〇一型潜水艦 機構説明書(兵科之部)』S20-1
 大砲なし。魚雷データはNA。
 25ミリMGは1、タマ常備1000発。
 小銃は99式×2、タマ600。
 拳銃は「一四式」×3、タマ360。

 キングストンバルブは「金氏弁」。
 烹炊は電気飯炊釜。

 機銃甲板に96式25粍単装MG四型改一をピントル架装。
 肩あて制御式である。
 基筒を囲むように、機銃甲板に3箇所の「薬莢落シ口」があり、空ケースを蹴飛ばして落とし込めば、甲板下の基筒内に溜まる。あとでそれを、薬莢取出口から回収できる。そこは非水防蓄である。

 甲板上に圧力釜のようなものが埋め込まれている。それが、105発入りの「水密弾薬区」。
 パッシヴで敵レーダーの方向を探知する「電波探信儀」もあった。

▼防研史料 『潜水艦関係参考資料綴』
 スエーデン経由で、インド洋で沈められた商船について、生存漂流者が銃撃されたか、などの質問があった。それについて回答した電報の綴。

 S18年には、『永昌丸』『大湖丸』が、米潜に沈められた後でMG射撃を受けている。
 S16-12まで、日本の潜水艦が攻撃してよい海域は制限されていた。詳細不明。

▼防研史料 海軍潜水学校『我海軍潜水艦各型の沿革(S3.5) 帝国潜水艦の概要(S9.12)』
 ビッカースが潜水艦用に800馬力ディーゼルを完成してくれて、ようやくガソリン事故がなくなった。

 日本は仏国朱社の2400馬力ディーゼルの潜水艦をM44に発注。大6-7に輸送船で運んできて、呉で組み立てたのが『波一〇号』。

 ズルザーの1300馬力ディーゼルは、大4に初めて導入。
 『海軍中型』は、艦首45cm管を53cmに改め、艦上発射管は廃した。
 潜望鏡が短いと、荒天中の潜航ができぬ。よって司令塔指揮所配置となる。

 潜水艦は神戸の川崎が独占メーカーであったが、大5にビッカースL型潜のライセンスを得た三菱造船会社にも、大6から海軍は発注することにした。これが『呂号51』と『呂号52』。

 大4にフィアット式を川崎が造ってみたが、どうしようもないシロモノと分り、1年で廃艦も同然に。

 巡潜型の潜水艦。昭和7年の『伊5』は、砲を高角砲に改め、毘式12粍機銃×1門を搭載す。※日本の潜水艦として初めてAA火器を装備した。

▼防研史料  海軍省教育局『昭和十四年度潜水艦(機関術ヲ除ク)関係 巡回講習 参考資料』
 S13の演習では、最短1500m、最遠4000m強で発射した。
 潜望鏡は「露頂回数の減少、露頂秒時の短縮」を図れ。

 単発逐次打方で、3秒間隔で4本打て。
 夜間は早期に潜航して、聴音哨戒で敵を捕捉するの他なかろう。

 肉薄しても「不達魚雷」が出た。
 潜水艦用の魚雷こそ、射程を長くしろ――との意見。

 暗夜の潜望鏡は4000m視認できる。ただ見回すだけなら8000m。
 電報受信のため、浅い深度にいるところを、敵航空機から発見されたりする。
 そこで、回避韜晦行動、対飛行機の、潜航による脱過法が肝要。

 敵速は、24ノット未満であれば、推進器のリズムの測定によって可能。
 集団音は、3万mから聴こえる。

 機雷は深度4mに位置させる。2ノットで前進しながら、敷設して行く。

 「魚雷装気」「特用空氣」……95式魚雷か。
 魚雷1本につき、石油30リッター、清水120リッターを使う。
 特用空気の装気は、1本あたり2時間から2時間半かかる。
 液酸換算で1本あたり120リッターから135リッター。
 「93式特用空気圧搾機」という機材もあった。

 S12-4に『伊57』の一部実物模型を使い、海深45~50m、深度15mで、88式爆雷(炸148kg)を投下。

▼防研史料  海軍省教育局『昭和十五年度 潜水艦(兵科)巡回講習 参考資料』
 最近2年の昼間訓練、平均射点は2610mから3200m。

 導入後、3年経つのに、まだ92式方位盤の用法を誤り、射線を偏倚させるものが16隻中3隻あった。

 同時発射した魚雷が途中でゴッツンする「触雷」がよく起きていた。だから、単発打ち方が推奨されていた。
 夜間は2000m以内の肉薄発射を推奨。
 満月&晴天の夜なら、ペリで主力艦を10km~15kmで発見できる。

 敵より5節以上速くないとダメだ。水上25ノット欲しい――という意見あり。

 S13-9に英潜のES魚雷を拾得。呉廠で調査した。
 炸薬は380kgらしくみえた。
 星型4気筒エンジン。
 空気式の発達の頂点と認められた。武人の蛮用にも堪えるすごい設計だった。

 S13-5、新計画の潜水艦用として、25粍2聯装機銃の実用試験。伊13に装備し、横廠で実験。

 「気吹」「油吹」装置とは、海水浸潤からすぐ使えるようにするもの。自動給油装置もついていた。
 結論、これは良い。

▼防研史料  『昭和十六年度潜水艦(兵科)巡回講習 参考資料』
 全没襲撃。……水中測的のみによるもの。
 近年、無気泡式の発射機にとりかえた。

 南洋では、乗員がダレて、魚雷の扱いも粗末になりがち。
 潜水艦伏在面の突破。

 伊63潜の引揚図。珍。

▼防研史料  『昭和17年度潜水艦(兵科)巡回講習 参考資料』
 95式魚雷で大距離から発射したらどうかという意見あり。否決される。

▼防研史料  加藤少佐『潜水艦造船関係(意見)』
 新巡型潜水艦 計画要領。
 砲熕として、40口径の14糎聯装砲を艦楼上に。弾丸は450発もたせる。 ※フランスの真似か。

 93式13粍連装×2。
 他に、LMG×4梃。38式小銃×10〔?〕梃。拳銃×14梃。
 水偵×1。

 魚雷の部品で「駆水頭部」というのがある。
 プロペラストッパーは「推進器止」。

▼朝雲新聞社『国防』S47-7月号
 「国防」戦史研究会「潜水艦用酸素魚雷について」

 水上艦用の93式と、潜水艦用の95式。酸素魚雷は、この二つのみであった。
 水上用はともかくも、95式は、自爆、偏射、跳出がきわめて多く、芳しくなかった。
 絶好の射点に占位しながら、魚雷不良のため不命中になったこと、多し。

 95式魚雷は、魚雷調整がめんどうすぎた。調整後のストックは3ヶ月が限度。調整のための碇泊は、正味14日も必要だった。

 積み込んでから3ヶ月以上が経過したときは、補給艦により、準備完成魚雷と「交換」してもらう必要があった。
 自爆は、誘爆ではなかった。
 跳出で自爆した疑いもあった。
 水面航走したり、さんざんだった。精度も悪かった。

 当時の潜水艦搭載魚雷は、日米英独伊ともに径53センチ。
 雷速は、日本が49ノットと45ノットの切り替え。米は48ノットと32ノットの切り替え。英はは46ノットと30ノットの切り替え。独は44ノットと30ノットの切り替え。イタリアは50ノットと40ノットの切り替え式。

 それぞれ、射程は、9000/12000m、4000/8000m、3000/10000m、6000/14000m、4000/8000m。
 炸薬は、日本製405kg、米国製不明、英国ホワイトヘッド320kg、独製300kg、イタリア製300kg。

 なお93式酸素魚雷は、径61センチ。49ノットと36ノットを切り替えられ、高速では33000m、低速では40000m駛走した。炸薬は500kgであった。

 S17末以降、敵艦がレーダーで先に射ってくるようになり、魚雷発射の機会がなくなって、文句も出なくなったのだという。

 潜水艦内は南洋では高温多湿。とても精密周到な魚雷調整はできない。
 発射機員の、気力も体力も消耗してしまうから。

 「冷走」「不時停沈没」「露頭」などの不具合があり得た。
 沈没は、横舵の調整の失敗。
 偏斜の原因は、縦舵だが、縦舵機調整手の配置につくころは、水雷学校高等科卒業後、数年経っていて、ほとんど素人に近いため。

 【舟尾】[とも]魚雷が、特に調定が悪い。
 当時、深々度といったのは、16mから18mのこと。
 しかし実戦深度はもっと浅いため、跳出魚雷がでる。

 95魚雷は、入れておいた「第一空気」「操舵空気室」の空気が漏れてしまい、打つ前に補気しなければならない。
 S17-10からS18-5までの95式は、命中率34.8%だったのに対し、89式は58.3%だった。後者は「普通魚雷」と称した。

 92式電気魚雷もあったが、低速であり、しかも、電池の取扱いが煩雑。あまり使用されなかった。

 S18-6までに日本の潜水艦は、米海軍の駆逐艦を1隻しか沈めていない。
 またその後、終戦まで7隻にしか命中させていない(うち3隻は回天)。
 これは、95式魚雷による浅深度発射が最後まで解決されなかったことを示す。

 ソロモン方面で潜水艦を多数喪失してから関係者の練度は、急速に低下した。
 潜水艦用には6年式魚雷があり、S6に89式が採用されて、S7から89式に更新された。
 それが95式になったのだが、訓練の時間がないままに開戦となった。これがまずかったのだと、小山貞大佐は回想する。
 新型魚雷を使いこなせるようになるのに何年もかかるのだから、そんなものを戦地に供給するべきではなかったのだ。

 90式爆発尖は、89式と93式と95式魚雷とで共用であった。

 自爆問題は、予算が十分にあって、実装魚雷による発射実験を多数経ていたなら、戦前に解決していたであろう、と大八木・技術少将は回想する。

 S14~15年に、イタリアから53センチ・50ノットの尖頭魚雷を入手。この尖頭を真似て、93式を尖らせてみたところ、49ノットが53ノットに向上した。
 しかし、これを3mより浅い深度で打つと、キャビテーションを生じ、2ノットの速度低下と震動を生ずるのであった。
 しかるに、領収試験は深度5mで2~3回なされたのみ。これでは問題は把握できなかった、と大八木。
 ※「丸頭」のほうが高速時のキャビテーションが出るのだが、明快に比較説明されておらず、読解に苦心する。

 95式魚雷は、三菱長崎兵器製作所で大部分が製造された。艦隊に供給されたのはS15末。
 しかも95の場合「尖鋭頭部」の供給はさらに遅れ、S17にインド洋に出た潜水艦は「丸頭部」をもっていった。
 丸頭部を、もし3mの深度で発射すれば、偏斜や自爆が起きて当然であった。
 雷速を5ノット遅くすれば、キャビテーションは起こらなかった。それは圧力調整弁の加減だけで可能であった。

 自発火防止上、酸素魚雷は塗油を極限されている。よって2ヶ月以上の長期行動では、ストック中に、潤滑不良を生ずるのだ。

 三菱長崎に対しては、戦訓はまったく秘匿された。これでは技術者もフィードバック修正のしようがない。
 各工廠と長兵の、爆発尖感度試験器の感度も、バラバラであった。

 今和泉大佐は『たゆみなき進撃』の中で指摘する。
 一、爆発尖の教育は最少限の範囲の者に限られた。
 二、実施部隊での分解検査は禁止されていた。
 三、3ヶ月以上経過した爆発尖は分解手入れ検査の上、再調整をすることに、マニュアルではなっていたが、潜水艦クルーの手では、まったく実行されなかった。

 秘蔵っ子として仕舞い込み、いつまでも最良兵器として、最初の形式が持ち続けられたのである。

 米でも予算制約から、S18秋までは、磁気爆発尖が不良であった。
 練習では、直撃させると機械が壊れるので、艦底通過だけをさせていた。
 1本の実装魚雷を使っても、年間の魚雷予算の大半が吹っ飛ぶので。

 潜水艦は、潜航秒時でも、潜航深度でも、静粛性でも、独潜が上だった。
 教訓。信頼度と性能の妥協が、必要である。