▼水交社『海軍新兵必携』M29
室内での敬礼は、おじぎであるが、膝に手をあて、アゴを前に出す、なさけない格好である。
万国船舶信号旗、各国軍艦旗、帝国海軍の旗旒 を覚えよ。
ロシアは四角の中に×。タイは象。清国は龍。
商船旗。日本のは、白地の日の丸。
英国商船には「英国海軍予備」という特別な旗もある。
すべて英語で教育していた。方位すら。
バーベット:露砲塔。厳島、鎮遠。
ターレット:囲砲塔。甲鉄艦の甲板に設けた円形砲塔で、機械力で動く。
スポンソンポート:舷側外に半円形に張り出した砲座。秋津島、高雄。
航海術を運用術と称する。
水兵は、碇泊中、昼間、艦外より見ゆる場所 および 後甲板において蹲踞すべからず。
上甲板において手先を背に組み、あるいは袴の隠しに手を入るべからず。※ハンドポケット禁止。
按針室。舵輪当番。
守燈夫(ランプ、提燈を管理)。
附・5等水兵教程。
▼防研史料 『海軍造兵廠報告』第1号~6号 M25から27年
第一号(M25-9-3印)
「四拾七ミリ、ホッチキス重速射砲説明」※MGではない。
砲身といわず、【月唐】管という。
肩当 がある。
材質は「油中【火堅】【火卒】鋼」。
砲【月唐】には左旋の平等施條を附す。20条。山狭く、溝広い。
ちなみにアームストロングは右旋。だが両社は退却砲架や砲身の特許を互いに交換している。
垂直鎖栓。
雷管は、側部と蓋が一体でないが、国産品は搾り出しで一体とした。
弾丸:通常榴弾、鋼鉄榴弾〔弾底信管つきのAP弾〕、霰弾。
「着発」の字を使っている。
無退却砲架と退却砲架あり。後者は小舟艇用。
水雷艇を撃つときは、サイトの射距離は750mに固定せよ。
発射薬は C2 火薬〔黒色〕800グラム。
弾重は、三タイプとも 1500グラム。
炸薬は、鋼鉄50グラム、通常60グラム、榴霰20グラム(弾子40個)。
初速 610.5m/秒。
最大で3500m飛ぶ。
なおBN〔無煙〕火薬425グラムで発射すれば、初速は725m/秒となる。
楯厚16ミリ。
上陸砲架前車 60発積み。
砲身2048ミリ。220kg。
弾薬包 全長 522ミリ。
M24-12-11に目黒の「新射的場」で「本廠製四拾七ミリ鋼榴弾」をテスト。装薬は黒色火薬。
オリジナルより出来がよい。
今から5、6年前に、機関砲用の鋼楯板のテストを始めた。
しかし本廠製の出来は悪く、M23-1-28に仏クルーゾー製の採用を決めた。
さいきん漸くクルーゾー製なみの防楯をつくれるようになり、M25-7-11に国産品を使えとの令達あり。
厚さ20、22.5、23ミリであった。
M25-2~6月現在、軍艦龍驤に37ミリ・ホチキス機関砲あり。
これでAP弾に砂を入れて撃ち込んでみた。
以下、第二号(M25-11-21)。
47ミリ・ホチキス 軽速射砲。
もう「砲身」と書くようになっている。
通常榴弾特用に 「ダマレー弾頭信管」あり。37ミリ榴弾用と同じ。
最大3000m飛ぶ。装薬はRS火薬 200グラム。
タマは三種。鋼鉄1.115kg、通常1.085kg、霰弾1.230kg。
炸薬は、鋼鉄と通常が45グラム。
初速 450.5m/s。
霰弾子 32個。
弾薬包 235ミリ。
57ミリ ホッチキス 速射砲。
C2 褐色薬 900グラム。
AP弾も榴弾も、2.720kg。炸薬は、APが115グラム、榴弾は85グラム。※なぜ榴弾の方が炸薬が少ないのか?
散弾は全重3.050kg、弾子は80個。
初速600m/秒。BN火薬460グラムだと650m/秒。
最大射程4000m。
砲身2480ミリ、360kg、24条。
弾薬包 4.360kg(褐色)、3.920kg(無煙)。
47ミリと57ミリの「山内閉鎖機」および「山内砲架」。
自働閉鎖機である。
シリンダーの液が抜けたら、清水や海水でもつっこめ。
47ミリ砲も57ミリ砲も、防楯の厚さは25.4ミリ。
47ミリ砲の上陸砲車。ワイヤーによる車輪止めがよくわかる。
以下「海軍造兵廠報告」第3号(M25-12-27)
アームストロング社から、本廠検査科長心得・山内大尉あての書簡。
以下、第5号(M26-12-11印)
15サンチ・アームストロング速射砲は、電気発火式だった。
弾丸は45.359kg=100ポンド。
炸薬は、AP弾には0.454kg入り。榴弾には2.1kg入り。どちらも大粒薬LG。
最大6000m飛ぶ。
レンチ/スパナのことは「回螺器」。モンキーのことは「自在回螺器」。
以下、第6号(M27-4-20印)
『吉野』に搭載するバーアンドストロード式海軍用測距器。※儀ではない。
魚雷発射管は6気圧で発射していたが、カネー式は160~200グラムの火薬を使う。
これをM25-12に築地造兵廠武庫前の池で実験した。
▼防研史料 〔211〕 造兵課『S19-12 作業課長会同時に於ける各造兵廠提出書類綴』
東京第一陸軍造兵廠
東京第二陸軍造兵廠
南満陸軍造兵廠
仁川陸軍造兵廠
一式十五秒投下弾底信管(散布弾用)。
試製3.5秒投下弾底対潜信管。
四式2秒延期投下弾頭信管。
4式5秒延期投下弾底信管。
3式穿甲〔ママ〕榴弾。※タ弾のことで、57ミリ、75ミリ、105mm用があった。92式歩兵砲用も。41式山砲用は2式である。東二造でこうした爆弾や火薬類をつくっていたらしい。
S19-12-22の相模において、4月~11月の97式戦車砲塔改修は、計画では66両だったが、実績はゼロ。
チトは計画1両、実績ゼロ。来年3月までに5両造れる見込み。
チリは、I案の他にII案あり。計画も実績もゼロだが、見込みとしてI案を3月までに4両。
ホリは、計画ゼロ、実績ゼロ。3月までに3両見込み。
チヌ車は、5両造った。砲塔輪盤の機械加工が隘路である。
7トン牽引車(ブルドーザー付)は18両造った。
掬土車(7トン)は、1両つくった。
削土機牽引車(8トン)×112両つくった。※グレーダーか。
削土機牽引車(10トン)×1両つくった。
装甲兵車は278両つくった。
砲戦車甲は5両つくった。
97式軽装甲車は10両つくった。
92式8トン牽引車(乙)は71両つくった。※乙はディーゼル統制エンジン搭載か。
95式13トン牽引車はゼロ。
ヨケは50両つくった。※空気圧縮車として必要らしい。
排土車8トン ×140両つくった。
47ミリ砲牽引車×20両つくった。
土工牽引車×30両つくった。
40型牽引車×65両つくった。
名工では99式小銃を、4月から11月までに338000梃つくった。
99式軽機は、3815梃。
100式機関短銃は5760梃。
「試一 連装用車載重機」×140。※ワケワカラン。
試製12.7ミリ固定機関砲「三型」甲×7370門。同乙×7736門。※給弾方向で甲と乙に分ける。
試製20ミリ翼内機関砲甲×2695、乙×2701門。
1式10センチ自走砲×20両。
92式歩兵砲をまだ造っている。
97式57ミリ戦車砲は薬室を過削してあるので、モノによっては溶接補肉せねばならぬ。
小造では4月から11月にかけて、99式小銃×253156梃つくった。
99式軽機は7510梃。
2式20ミリ高射機関砲はゼロ。
4式基塔双連20ミリ高射機関砲×40。
2式多連20ミリ高射機関砲×13。
20ミリ機関砲×4530。
一號〔? 一製? 仁造のひとつ?〕では99式小銃を34550梃つくった。
南満では、99式小銃を2705梃、99式軽機を420梃、92式重機を100梃、つくった。
うち、奉天造兵所は、12月7日の空襲で、満人工員15%しか出勤しなくなり、アウト状態。
97式戦車×29両つくった。
ロケ×6両。
大造。決戦兵器「さくら弾」。試作は勿論、整備に移行せる中、15個は 予定期日(12月2日)に引き渡した。※重爆の《と号機》の機首に装置する巨大シェイプトチャージ。
▼防研史料 〔216〕 在独武官室『特殊鋼規格綴』
マンガン黄銅抵抗線の、同じペーパーが何十枚もバインドされている。
※電気回路中の精密な抵抗線の素材となるもの。どんな用途のためにわざわざ輸入しようとしたのかは不明。あるいは成分データ情報だけが欲しかったのか?
▼防研史料 〔219〕 在独武官室『昭和17年 三菱鋼材綴』
三菱商事が輸入を扱う、戦闘機の水冷エンジンのプロペラシャフトの件。1943年4月15日付。
▼防研史料 〔220〕 野重5旅団司令部『昭13.1.20 実戦経験に基く兵器資材に関する意見』
38式12榴は、各門平均1000発うつと半分は壊れる。
これは教育用にしろ。実戦の場に持ってくるな。
発條の弾撥性が弱くなるにつれて、後座量が甚だ多くなり、精度と発射速度に悪影響。
十二榴の榴霰弾は、全然不可なり。
▼防研史料 〔221〕 陸軍兵器本部『S16.3~20.7 永久発来翰綴』
S16-7-29、陸軍技術本部作成。試作兵器発注現況調書。
試製1式重機関銃。日立兵器にS16-4発注。
ただし活塞は南部工場に同日発注。
試製99式砲戦車搭載砲。大造S16-7月。
試製21センチ榴弾砲。砲身素材。大造S16-5月。※アンサルド社製品の無断模倣だろう。これに失敗したので翌年にあらためて製造権を買っているのだろう。
同21センチ加農 砲身・閉鎖機 大造へS16-7月発注。
89式中戦車改修(75ミリ砲短搭載)。三菱東京機器、内示のみ。出来見込はS16-11。
※ドイツの三号戦車に影響されたか。思い切って無砲塔にしてしまうか、92式歩兵砲(70ミリ)にしてしまえば、89といえども大化けした可能性があったのに、ドイツの猿真似しか想像ができない《お勉強バカ》たちが、けっきょくチャンスを無駄にした。
化兵車(SK車)。
三菱東京機器製作所にS16-5に発注した。※化兵とはケミカルウェポンのこと。
仁造では11年式軽機の部品をつくっていた。
S14-10-12時点の陸軍造兵廠長官は小須田勝造。
「ち号装置」とか「甲臼砲『リ』」というのも見えるが、ワケワカラン。
S17-2-5に陸軍は民間所有の拳銃と弾薬を都道府県に協力させて買い上げさせることにした。成果なし。
S8-7-29 陸軍兵器行政本部は、11年式平射歩兵砲、90式57ミリ戦車砲、91式車載重機関銃、3年式機関銃の部品はもう作らなくてよい、とした。
▼防研史料 〔223〕『兵器の数と収集場所の大要』1945-9-20
The Middle Army HQ
戦車トータル68両。
20センチ噴進弾と40糎噴進弾、3192発。
▼防研史料 〔226〕 在独武官室『昭和13年 スペアマルク関係綴』
閉鎖マーク勘定 Spaeemark
海軍が先らしい。臨時立替の決済?
1940-1時点で海軍は、シベリア鉄道を使ってドイツから多種の材料や機械を買っていたので。
▼防研史料 〔227〕 在独武官室『兵調欧 売買契約書』S16-4~
昭和通商が1941-12-9にボールベアリングを買っている。
この時点では兵調欧といっていた。大倉もまだ「商事」である。
このときの武官は、坂西一良・陸軍中将。
東京工廠用に、実包製造ライン一式を買っている。S16-12~S17-6 工場渡し予定。
ポルテ社他の7.92ミリ弾製造機。via 三菱商事。契約はS16-7-7。
▼防研史料 〔228〕 『昭15.1~17.11 兵器(造兵廠)購入に関する書類 綴』
技術駐在官用。
海外通商(株) (1940-1-23) ※昭和通商の前身企業名だろうか?
工作機械。
三菱商事はポルテ実包をスイス通過で送っていた。320万発。
スイスからもけっこう機械類を買っている。※スイスやスウェーデンは事実上の第二のドイツなので。
小銃・MG(8mm以下)のライフリングマシンなど。
径13ミリ対応の物も。
▼フォン・セ(ル)レンドルフ『独乙参謀要務』M14-6、原1875
訳者は不明。
独逸の参謀部は、まず カストラメトリィ(城塞学)を修めた陣営参謀が出発点であった。
▼防研史料 〔ハコ まる39/142〕『追撃隊教練想定』S18-10
附図に「十字ぐわ」と印刷注記されている。鍬を「しゅう」とは読ませない。
九七軽迫はドライバー×2のトラックに8人全員、乗ってしまう。プラス、分隊長1名。
九四軽迫も同じ。
迫撃砲による「急ぎ各個に撃て」は、最大レートでつるべ射ちすることだが、10発ごとに、照準の点検をすること。
不発のときは、15秒後に、砲尾用スパナで撃針を後退させ、砲身分解。
分隊には、拳銃や11年式軽機関銃も、員数として支給されているらしい。
▼防研史料 〔まる39/196〕『戦闘各国教練の参考(小銃 擲弾筒 軽機関銃)第壹巻』S12-12
擲弾筒で400m先を撃つと、11秒から12秒で着弾する。
▼防研史料 〔まる39/184〕『歩兵教練の参考(九七式曲射歩兵砲)第十四巻』S18-7
「93式2働信管」と「100式2働信管」。この「二働」というのは、瞬発にもなるし短延期にもできる着発信管だということ。
装填は、砲身の右側で。
左足で床板を踏みつけながら。
97式曲射歩兵砲の掩体を掘るときは、深さ1.7m、さしわたし2~2.5mの丸い穴を掘る。
この迫撃砲、レンジのミニマムは300m、マックスは2000mらしいことが、表から分る。それ以上は、命中を期し得ないとみえる。
▼防研史料 〔まる39/137〕『十二糎迫撃砲教練規程』S19-8
1門は、2車で移動する。2台目は、弾薬車である。
トライバー×4人、兵12人、プラス、分隊長1人。
やはり「十字ぐわ」と印刷してある。教育総監部で印行するマニュアルで。
※迫撃砲のタマには「曳火」というものはない。
12迫は、「撃発」か「墜発」かを選択できた。
「安全装置」をすることで、撃発はしなくなるし、墜発もしなくなる。
▼防研史料 〔まる39/211〕『大隊歩兵砲教育 仮規定』S10-1
砲手(兵)10人+分隊長1名。
最弱の1号装薬で高射界(40度以上)で発射すれば、最長射程まで30秒で飛んで行く。
最強の4号装薬だと、15秒である。
ふつうは、900m以内の目標を撃つ。装薬にもよるが、5秒から12秒で弾丸が到達する。
曲射での実用は、300m~2800m。
低射界射撃で、4号装薬+瞬発信管 とした場合でも、100mの至近距離に対しても、砲撃は可能。
短延期モードにして、土にめりこませるのならば、近射は「顧慮を要せず」とあり。
してみると、近射の限界は、危険界に一致するということがわかる。破片のため、こっちの射手が危ないわけだ。
▼『昭和社会経済史料集成 第一巻 海軍省資料(1)』S53 大東文化大学 東洋研究所pub.
1934の軍縮会議対策。
S10-12-26軍令部調べ。
オランダの軍事彙報によれば、南印用の武装自動車の製造請負を内外人より入札すると発表。
▼『昭和社会経済史料集成 第二巻 海軍省資料(2)』S55 大東文化大学 東洋研究所pub.
S11の資料。主として南進関係。
S11-5-18軍令部第4課調べ。
ニッケルは、英から800トン、米から329トン 買っている。商社は、三井物産。
※英というのはカナダのことではないのか。
信管用の銅線機。
同、発條地金は スウェーデンから。「東京製綱」が輸入。
大11-1-16の御講書始めで、時の皇太子に穂積陳重博士は「ベンサム及カントの恒久平和論と国際連盟の由来」を御進講もうしあげた。
史家いふ。19世紀の歴史とは、1814ウィーン会議と、1815神聖同盟を刻々破壊した記録であると。
19世紀はデモクラシーとナショナリズムの百年。1820のギリシャ独立が皮切りだった。
そして20世紀史は、ベルサイユ条約と連盟破壊の記録になるだろう。
S11-9-14において海軍は、中攻の爆撃半径を500浬と考えていた。
澎湖島の中攻基地からは、漢口まで爆撃ができる。しかし宣昌には届かない。
上海からなら宣昌に届く。
済州島からは太沽には届くが漢口には届かない。
承徳(満洲)からは漢口や上海には届かない。
漢口からは重慶や成都まで届く。※だから武漢攻略作戦は必要だった。
海南島の「海口」からは重慶まで届かない。
▼『昭和社会経済史料集成 第三巻 海軍省資料(3)』S56
S12-1からS12-7までの資料。
S12-6-29 昭和研究会(有田八郎、芦田均、伊藤正徳、青木一男、蝋山政道、高橋亀吉ら)。
領土権を超越しての領土利用は制限されている、という時代認識。
チャッタムハウス(英国綜合調査機関)が英政治をリードすることもあるが、それは英人の知的水準が高いからだ。
日本のジャーナリズムの言論は、やっつけ主義が多い。これが言論の不自由を招来した一因だ。
イギリス外交は、弱虫には同情しない。ガッツのある奴を助ける。
沿海州には犬一匹置けないのに、日本は文句を言わぬ。支那に対しては無理ばかりやってゐる。
支那は対ソ戦略上の憂いなので、本来、統一しても不安はないのに、軍部は、冀東、密輸、綏遠の如きくだらない手を打って四分五裂させようとしている。
この状勢では、支那を統一する者は最も排日をやる奴だ。
日清戦争の直後、凱旋門を建てようとの話があったのを、川上さんが日支百年の事を考えて止めた。今日どこにも日清役の戦捷記念碑がないのはそのため。ところが、済南出兵で阿呆が大きな紀念碑を経てた。
いつもでもダラダラと満洲事変の焼き直しを上演し続けようとしている。
S12-7時点でカナダのニッケルの85%~90%は三井物産の金物部が一手販売。日・満で。
米が3600トン、英360トン、スワンシー港より500トン、クリスチャンサンドより4460トンを、荷出。
▼『昭和社会経済史料集成 第九巻 海軍省資料(9)』S60
S15の三分の一である。
蘇芬戦で、ソ連に対するモーラルエンバーゴー。
S15-4-19時点で、英海軍の軍艦で航空機により沈められたのは、駆逐艦の『グルバー』1隻あるのみ。『ロドネー』は被弾したが損害軽微。
▼『昭和社会経済史料集成 第十巻 海軍省資料(10)』S60
S15の三分の二である。
米のプロパガンダを扱った書として『世界列強の「プロパガンダ」戦』S9と、小西鉄雄『プロパガンダ』S5あり。
1940-7月のUSネイバルインスティテュートプロシーディングズ誌に、最近独潜が英BB『ロイヤルオーク』(1914建造)を撃沈したとあり。
1940-7の『フォーリンアフェアーズ』。
ラジエターには銅が必要。
独国内では、鉄は四分の一~半分、銅は七分の一しか自給できない。
タングステン、モリブデン、クローム、ニッケルは皆無。
鉛、亜鉛、マグネシウムは自給す。
マンガンは、ブラジルとインドから買っていたが、欧州中からかきあつめることは可能。ボーキサイトも。
オーストリーにはマグネサイトあり、マグネシウムができる。
ポーランドは亜鉛の大産地。
ノルウェーには、アルミ。銅、ニッケル、クロム、モリブデンあり。モリブデンは鉄の硬度を増す。
錫は、オランダの製錬工場で莫大なストックを押収した。原産は蘭印。
硬貨は、数ヶ月前、亜鉛に切り替えた。
モリブデンの9割は米国で採れる。
マンガンはロシアにある。
タングステンは、香港での密貿易分が、ウラジオからシベリア鉄道で独逸に送られていた。
同ルートで、銅や錫も。
ロシアは米国から製錬銅を買い、太平洋岸に荷揚げして、シベリア鉄道でドイツへ送った。英軍艦が時々それを妨害しようとした(p.558)。
▼『昭和社会経済史料集成 第十一巻 海軍省資料(11)』S61
S15の三分の三。
1940-6の調べで、ルーマニアは連合国にもドイツにも石油を売っている。
▼『昭和社会経済史料集成 第十二巻 海軍省資料(12)』S62
S16の三分の一である。
プラトンは、人間が男女愛、家族愛にとらわれていてはほんとうの公共的犠牲心は鈍ると云ひ、それがスパルタの共同教育になった。
ドイツでは個人主義の極が全体主義になった。日本は家族主義が強いので、全体主義はできない。
S16-2時点で千葉にはゴルフ場が数箇所あり、ガソリン自動車が頻繁に往復している。
▼『昭和社会経済史料集成 第十三巻 海軍省資料(13)』S63
S16の三分の二である。
5.15で日本の政党政治は終止符を打たれ、以降は官僚政治である。
だが国民的基盤がない。
府県知事と特高に、政党・産業組合・青年団の再組織をさせようとしたが、無慚に失敗。
阿部内閣に到り、官僚政治のいきづまりは誰の目にもあきらかに。
支那事変では幣原流の英米依存外交が反発され、米内内閣は潰されてしまう。
それに続く、ナチの猿真似運動が、新体制運動=第2次近衛内閣である。
だが新党運動は失敗し、万民翼賛運動=政党と官僚のいいとこどり となる。
大阪財閥は反発した。
観念右翼は、革新右翼(親ソ)への反発から、大阪財閥と結託した。非団体的であるがゆえに、個人主義も許容する。
明治初期に法文教育を重視したのは社会需要であった。
そのあと自然科学系が増える。これは学校経営の必要から。
法科出身の文部省官僚が教育を牛耳る愚かさ。
中学の学科入試を廃止したら何が起きた。
内申書情実の別な地獄が出現しただけだった。 ※旧制中学は今の超エリート高校に相当。
私大は徴兵猶予の特典があるので、学生集めができる。
谷川徹三による説明。
なぜ日本の教育は詰め込み教育になったか。それは儒教のせいである。
儒教は最初に真理を与えたことになっていて、誰もそれを疑ってはならない。つまり宗教に他ならないのに、学問=アカデミズムを装った。
宗教にあっては前に進むことは後に帰ることである。進歩は決して無い。
原典もどうでもいい。「概論」でよしとされた。これで「詰め込み」が完成した。
独ソ戦が続いている今、もしウラジオストックを日本が攻略すれば、ソ連は米軍爆撃機に航空基地を提供するだろう。シベリアが米空軍基地になるのはまずい。避けねばならない。
もしドイツが欧州大陸(ソ連も含む)を制覇してしまうと、米英は必ず、対日本に力を集中して、まず日本だけを圧迫し粉砕しようとかかるだろう。
S16-7-8の「思想懇談会」。
藤田いわく。日本の国体には権威はあるが、ヒトラー流の力はない。法律勅令は批評されても、勅諭と勅語については誰も批評できない。つまり天皇は指導者ではなく神様なのである。
和辻いわく。支那事変は日本国内の対立の延長として始まったが、今では国内対立をまとめたところで支那事変はおさまらなくなってしまっている。
▼『昭和社会経済史料集成 第十四巻 海軍省資料(14)』H1-9
S16の三分の三である。
和辻いわく。軍部は国内に向かってひとり喧嘩腰。その軍部が始めた支那事変なので国民は支持していない。
「余談であるが私は白人対日本人の窮極的対立を子供に教へてよいと考へてゐる。」
谷川いわく。日本人の立場から世界史を書かねばならぬ。最適任者は白鳥庫吉氏。和辻は書くまい。
和辻。日本には古来、殲滅戦の伝統は無い。西洋にはギリシャいらいそれがある。
谷川。知識人を一兵卒にしてしまうのは、陸軍が「マルキシズムの妙な攻撃を恐れた余り」(p.139)だが、精神力の無駄遣いだ。
中味が空っぽでも暴力を振ふ者の方が役に立つ――これぞ唯物論的な見方なのである。
和辻いわく。八紘一宇の紘とは、東夷西戎北狄南蛮のさらに遠くの蛮族をいう。中央の政治がそんな辺地にまで及ぶという意味。
谷川いわく。支那人はそう解する。四文字漢語を日本人が使っちゃダメだ。
和辻「軍人がアメリカの催眠術にかゝつて帝国主義と云はれることをおそれる様になつたのがいけなかつた。」
S16-10-7の外交懇談会。
松下いわく。アメリカは100奪へば70返す。日本は取るのみで与へるものなし。共貧圏だ。
※ひとことで言えば、ケチ根性のかたまりだった。
支那はかつて、租界の返還を要求したことがない。関税・租借地、治外法権はクレームしたが。
日本はドイツが英を倒すと思って三国同盟に入ったのに、対ソ戦を始められて、裏切られた。
※だったらそこで三国同盟を破棄するのが筋だろう。
米は法律尊重の国だから、仏印進駐は米も承認したヴィシー政権との条約なので、結果的には承認するだろう。※海軍のブレーンがこんな認識だったから、対米戦争は避けられなくなってしまったのだな。
石原莞爾が言ったそうだ。御前会議というものは、政府と統帥部の意見不一致のときにこそ開くべきなのに、今は逆だと(p.305)。
アメリカに、カーネギー新秩序研究所というものあり。英にも似たものがあった。
9月頃の話では、東に行く列車は全部、工作機械と職工とその家族を載せていた(p.406)。
陸軍は、小説家、評論家等、文壇人を千名余りも仏印に送った。あれでは作戦企図もタイミングもまるわかりだろう(p.407)。
日本国の秘密なんて、高級経済人の倶楽部と、支那人と、下級新聞記者から、ぜんぶ、漏れている。
凱旋や論功行賞が早すぎる。陸軍は、もう国民に見放されたことを知っている。
日本がハワイの米艦隊を全滅させ得たとしても、アメリカは1年で恢復する。日本は『陸奥』1隻失えば、恢復に3年かかるのに。
▼『昭和社会経済史料集成 第十六巻 海軍省資料(16)』H3
S17の途中である。
1940年度、米は281932台の農業用トラクターを作った。ソ連は513000台。
日本で教育を受けた台湾人でも、枢軸側に不利な報道があると、喜んでいるのがある。琉球人もそうだ。
▼『昭和社会経済史料集成 第十七巻 海軍省資料(17)』H4
S17-9からS17-12である。
S17-11げんざい、造船の工程は、材料検査→あらけづり検査→仕上検査→運転検査である。
これら四段階の検査官は、海軍系の役所から工場に来てもらうのだが、日曜や夜はダメだという。
つまり金曜日の午後4時に荒削りの済んだ部品は、月曜以後でないと、仕上げ工程には進めることができない。旋盤に噛ませたままで、寝かしておくしかない。
工場の検査係に任せれば合理化できる話だ。海軍は何を考えているのか。
溶接棒の被覆薬品を、各工場で秘密にしていて、海軍工廠内でも規格がバラバラ。
これではリベットを代替するどころではないだろう。
リベットのカシメは4人1組でなくばできぬが、電気溶接は1人でできるところが長所なのに……。
技術上の会議が多すぎ、そのたびに各造船所から技師たちが集まって1日を無駄にしなければならない。
しかも、D型船の如き、戦標船になってから、速力は1割も遅くなり、船価は逆に165万円と、30万円も高くなっている。これは全く会議の結果なのだ。会議で余計なくだらない指定をたくさん定めるから、工程が増えてしまい、配乗しなければならない船員定数までも増えてしまった。
貨物船は、大型、中型、小型の3種で間に合うはず。
この3種だけと決めてしまい、その上で、八幡、阪神、鶴見の3大造船拠点で、各1型づつ、板と型を量産させたらいい話だ。今は、3ヶ所で重複して、あらゆる板、型を製造している。愚かなこと。
10万トンの建造能力のある造船所を20箇所つくるより、20万トンの造船所×10箇所のほうが、材料が節約できるのに、艦政本部は、修繕専門の造船所に新造船をやらせて、いたずらに工期と資材を無駄遣いしている。
役所へ徴傭申請などを出すのだが、判任官以下の属僚が受理するので、とかく感情に左右され、ハネられると、説明のため会社首脳が出向かねばならず、そのあいだに仕事が滞る。
統制経済は、中小商店・飲食店をいびり殺す。配給を減らすだけなので。
このままだと日本経済は革命的な御破算に導かれる。
近年の最大の失敗は労組を解散させたこと。労働者を掌握できなくなってしまった。英米は労組を通じて国策に協力させている。
山崎靖純S17-12-22いわく。国の指導者の演説が、1年前と同じ、抽象演説原稿の読み上げ。しかもそれが新聞1面を埋める。これほど国民に反感を起こさせるものはない。
内容空疎な講演や、単なるお念仏の精神運動はやめろ。
政策にとって時間が最も大切。しかし、わが政治は、時間を無駄にし過ぎ、すべてが遅すぎる。
古老いわく。WWIのとき、1万トンの貨物船を35日で完成した。今は4ヶ月かかる。これは労務者の志気が昔よりも欠けるため。日露戦争中はこんなものではなかった。
軍人に任せておけば、という気にさせたが、彼らは、その器ではなかった。
S13からS17末のあいだに物価は4割あがった。賃金はそれに伴っていない。
▼『昭和社会経済史料集成 第十八巻 海軍省資料(18)』H5
S18-1~S18-3である。
コーカサスは1939においてソ連油の91%を出した。
ボルガ河が凍結するので例年3月末まではバージでの搬出ができない。冬はコーカサス鉄道がたのみ。
米はソに、テキサスの精油設備(航空用)×2基を、S18-1までに供給した。
S18-1-1までに米はソに、貸与法に基づいて、航空機2600、戦車3200、トラック81000を積み出した。これは、飛行機と戦車については対英援助分よりも大きい。
独ソ開戦後、英がソに送ったのは、飛行機2000、戦車2600である。
米国は、兵食もソ連に送っている。
西洋社会が機能している最小単位は個人だが、シナでは、その最小単位が家族である。孫文もこれを認めていた。
橘撲いわく。衆議統裁と民主主義は違う。
▼『昭和社会経済史料集成 第十九巻 海軍省資料(19)』H6
S18-4~S18-5である。
S18-4-13に同盟通信の加藤万寿男いわく。大東亜会議は、前触れで盛り上げ、逐次的に宣伝広報を打つべきであったのに、リアルタイムでは一切を秘密とし、後でまとめて発表した。しかもその後のフォローはパッタリと途絶えた。宣伝のイロハも分ってない。
加藤にいわすと、米の宣伝は英より下手。ロイターが最高だという。
18年度の陸軍からの科技関係の要望。鋼鈑に対して威力大なる火薬の研究。
最近政府の某高官が、重力を感じない飛行機を作れとか、空中から燃料を取りつつ飛べる飛行機を工夫せよとか言っている。敵側は日本の科学の水準をどう思うだろうか。
昭和電工は、明礬石からアルミを生産しようとし、成功したことがあるという。
英はWWIで炭鉱を国家直営にした。WWIIでも当初から国営にしている。
▼『昭和社会経済史料集成 第二十巻 海軍省資料(20)』H7
S18-6~S18-8である。
S18-6-15より前のドイツからの報。
戦車の生産量はぜんたいとして倍加した。
ただし、1号、2号、3号戦車は20%増にすぎない。
増産の重点は4号重とタイガー型に置かれ、これらは本年2月に比し2倍となれり。
※1号が問題になるわけないので、2号というのは3号のこと、3号というのは4号の間違いだろう。4号重とはパンターのことだ。
木造船はS18-7-3のリポートで、船体は3ヶ月で進水、4ヶ月で竣工するものの、機関はクランク入手後3~4ヶ月を要し、しかも進水の1ヶ月前に納品の要がある。
S18-4-30までの、米からソ連への供給トータル。トラックとトラクターは135000台。靴は400万足。
▼『昭和社会経済史料集成 第二十一巻 海軍省資料(21)』H7
S18-9~S18-10である。
機帆船は、敵航空機を高角30度に見たとき(高度500mとして)、敵機の進行方向と直角に転舵せよ。
※この資料シリーズはその後、どうなったのだろうか? 国会図書館から足が遠のいたために、承知していない。