旧資料備忘摘録 2020-10-3Up

▼『工政』S2年5月号
 「工場参観記 昔の面影を偲んで(東京瓦斯電気工業)」
 本社は景品電車 大森八幡駅前。

 M43に「東京瓦斯工業(株)」として本所業平町にて、ガス鉄器、ホーロー鉄器(いわゆる せとびき)の製造を開始。

 大2に、現名に改称。
 大7に、本社は大手町に。大森工場を新設。さらに、本郷には光学工場、志村には火薬工場を新設。更に南部式自動拳銃を製造する事になつて大森工場に兵器工場を設け、機関銃をも製造開始した。

 大10、ローン発動機会社から製造権を買収して発動機工場を整備し、航空機製作を開始したが、その頃はすでに財界悲況の折柄であつた。

 大震災で、琺瑯工場、光学工場は閉鎖。本社は大森に移る。一方、あらたに車両工場を新設して、電車の車体をつくった。

 現在では、計器、発動機、兵器、工作機械、ポンプ、軍用機器、火薬類等に縮小されてしまった。
 造兵廠の支廠のように、陸軍用と海軍用とで兵器工場は別棟にしている。
 内部は、内燃機、造機、兵器に三分。
 自動車は「内燃機」セクションでつくっている。
 一般人のイメージは、瓦斯電=自動車 だろう。

 池貝鉄工所は、大7に日本初のディーゼルをつくり、蔵前商工に納入。
 東京朝日新聞社の輪転機もつくった。

 ガソリン機関は日露戦争中からつくっている。

 新潟鐵工所は、M28に石油掘削、精製機の会社としてできた。
 大9に蒲田工場新設。今も主力。
 大9から英国設計の4サイクル・ディーゼルを造り始めたが、4サイクルは300馬力以上ではデカくなりすぎる。そこで、別な外国企業から、2サイクル・ディーゼルの製造特許権を買収した。

▼防研史料  陸軍省『騎兵機関銃射撃教範』大10-10-29
 3年式重機のデータ。
 1000m先の的を狙って撃つと、弾道の最高点は6.8mである。
 500mで、0.9m。※姿勢を低くして来る敵歩兵に必ず当たる。
 600mで、1.5m。※立姿の敵歩兵にまず当たる。
 700mで、2.3m。※襲撃してくる敵騎兵に、必ず当たる。

 ※500mを過ぎたところから急に、低伸しなくなる。

▼『史学』56(1)=1986
 古川学「インド大反乱と幕末西洋銃」
 インド情報を象山が海舟に教えている。
 ライフル銃のことを「施溝銃」と訳した。

 欧州初の Breechloader は、1664のエイブラハム・Hallによる特許。
 1635にA・Rotsipenが腔綫を発明。
 1776にP.Ferguson が後装式施条銃を開発。

 米国では1816~1827に、1万梃の後装銃が製造された。
 紙弾薬筒(cartridge)の発明は1857より前。

 秋帆が1832に購入したのは、オランダの1777年式。
 ついで、1854頃に雷管式ゲベール銃が日本にもたらされた。

 安政6年に幕府は一般に兵器の売買を許可した。
 ホール銃は引き金状のものによって薬室の前がハネ上がる。象山が図面にしている。

 1853年式エンフィールド銃は、射手が口で弾薬筒を噛み切る。
 セポイの乱の年 1857に、Bontein 少佐が、手でむしり切る方式に改める。

 英のライフルは、1836 Brunswick Rifle、ついで1853 Enfield Rifle、ついで 1866 Snider Rifle と進化する。

 1864 薩摩の五代才助が長崎の英商人グラヴァーから大量のエンフィールドを買う。
 同年7月、その噂を聞いた長州の井上馨と伊藤博文もまず4300梃、ついで慶応2~3年にかけて7000梃のエンフィールド銃を、薩藩名義で購入。

 1864-12~の第2次長州征伐は、このエンフィールド銃のために幕側に勝ち目なし。
 著者いわく。インドで売れなくなったエンフィールド銃を、1857-7の日英修好通商条約以後、英人が日本で売りさばいたのだ。

 ゲベールは17.5ミリ。
 オランダ製ミニエー銃は16.6ミリ。

▼関西学院大学人文学会『人文論究』37(2)=1987
 根無喜一「1914年にいたるイギリス騎兵と白兵主義」。
  WWIの西部戦線で司令官級9人のうち、5人までが騎兵出身だった。ダグラス・ヘイグと彼の参謀長も。

 1899~1902のボーア戦争にて、レッドヴァーマ・ブラーがまず連敗。
 そこで1900-1から代った元帥ロバーツが、騎兵の白兵突撃を機動歩兵戦に変更す。
 その考えは、第2次アフガニスタン戦争のチャルダー渓谷(1879-12-11)での苦い体験から。馬上からは正確な射撃は無理であると。

 1900年、リーエンティールド小銃を持つ乗馬歩兵が南アに向かう。同時に騎兵の剣と槍は、引き揚げられた。
 戦後、ロバーツは「騎兵操典」を徒歩戦を中心に改めた。
 1903-3の軍令で、将来、騎兵は、カービン、ライフルを主装備にすると規定。

 英では白兵を Cold steel と呼ぶ。
 1907-12、フレンチが、騎兵監に就任し、白兵訓練を復活・強化させた。
 インド殖民地対策として、槍は全廃できなかった。そのため、WWIでひどい目に……。

 ホールデンは、ボランティア、ミリティア、ヨーマンリー といった不正規軍を、テリトリアル・フォース(国土防衛軍)に統合せんとした。

▼『人文論究』40(1)=1990
 根無「エドワード時代のイギリス騎兵」。
 アングルシィの『イギリス騎兵史 1816-1919』が参考になる。ウィリアム・バジョットの祖先。

 野外勤務令=フィールドサービスレギュレーションズ。
 閲兵式=レヴューズ。

 ロバーツは、サドル置きではなく、常に兵士の背に携行され得るライフルを、1879の第二次アフガン戦争の経験から、望んだ。

 ドイツ騎兵は白兵主義で、1904の日本騎兵はその教育をされていた。
 逆にロシア騎兵は徒歩・火力重視だった。

 1927にやっとランスは儀礼用のみと令達された。

▼防研史料 『昭15~19年 兵器に関する参考』
 各隊長〔大隊級らしい〕は、戦闘中は最前列に位置せよ。行軍するときは殿に位置せよ。
 砲の傍で隊長が激励すると、その感激が異常の力を起こさせる。

 戦術、剣術、馬術は将校の三術。
 馬は体力の消耗を避けて妙案を出すために乗るのである。
 小銃の「下帯」とは、銃身と前床を結束している金属バンドのうち、手前寄りにあるもの。銃口寄りにあるものは「上帯」という。

 99式普通実包の初速は740m/秒。
 92式普通実包の初速は730m/秒。
 三八式歩兵銃の初速は762m/秒なのでずっと高速。

 〔シナ戦線で〕押収〔した〕手榴弾のうち、柄付で弾体が球形のものは危険。
 柄付で弾体が円筒形のものも、ガタガタするものや錆びているものは危険。下の蓋のないものは、瞬発するような細工がしてある。
 押収した迫撃砲の弾薬は、必ず腔発すると思え。

 わが軍の99式手榴弾甲の炸薬は58グラム。黄色薬がほんらいだが、カーリット灰色薬、硝宇薬(パラフィン2%入)、茶褐薬を代用できる。

 97式自動砲用の一〇〇式曳光弾の弾薬筒。リム径28.4ミリ。実包全長195ミリ。タマ70ミリ。薬莢125ミリ。曳光は静止時に5.2秒以上。全備弾重160.0グラム。全備弾薬筒重330.0グラム。

 同じく、一〇〇式曳光自爆榴弾は、炸薬4.6グラム。タマの重さ132.0グラム。実包の重さ302.0グラム。薬莢125ミリ。曳光剤は12秒燃える(?)。初速950m/秒。2200mまで(=約6秒)曳光する。

 97式曲射歩兵砲の一〇〇式榴弾は、伝火薬筒を合わせて炸薬580グラム(茶褐または平寧薬536グラム+伝火薬筒40グラム)。全備弾量の18%である。
 銃各部の新旧名称対照表付。

▼防研史料 陸軍航空本部『と號用爆弾 及 と號用爆装 の栞 其の三』S20-4
 その1……機付長に貸し渡す。全般必須事項。
 その2……整備員用。細部事項。

 この栞は攻撃出発時の機上携行は禁止。

 と號用 爆弾装備 一覧表。

 100式重爆。海80通爆×1、陸500kg×2、陸250kg×4、海25番通×4、陸400kg破甲×2。250kg級は電気投下のみ。他は手動投下も可。機上にて安全針を引き抜くと、風圧により安全が解除される。
 ※特攻ミッションなのになぜ「投下」が問題になる? 安全解除のこと? またこの栞では97重の爆装になんら触れられていない。それはどうしてなのか?

 99双軽。80通×1、500kg×1、250kg×2、25通×2、400kg破甲×1、200kg破甲×2。

 キ67〔飛龍〕。同乗者が爆弾倉内に手を出して安全を解除す。80通×2、「1.6米櫻弾」×1(電気投下のみ)、500kg×1、250kg×3、25通×3、400瓩破甲×2。
 ※櫻弾の「投下」の意味がわからない。やはり安全解除のことなのか?

 99襲、98直協、97軽。500kg×1、250kg×1、25通×1、400瓩破甲×1。
 97戦。500kg×1、250kg×1、25番通×1。
 2式高練。250×1、25通×1。
 100式司偵。80通×1(胴体下)、500kg×1(胴体下)。

 1式双発高練。80通×1、500kg×1、250kg×1、25通×1、400瓩破甲×1。
 95式1型練。100kg×2または×1。

 1式戦。250kg×2、25通×2、200kg破甲×2、100kg×2。
 3式戦。250kg×2、25通×2、100kg×2。
 4式戦。250kg×2、25通×2、250瓩破甲×2、100kg×2。

 注記。
 500瓩爆弾は、翼を切断して装備することあり。

 海軍の80番を「と号」に使うときは、0.2秒延期の丙信管を用うること。
 海軍の2式50番は、製造数が少なく、入手困難である。

 30榴の破甲榴弾を改造した「4式400瓩破甲爆弾」がある。弾底信管のみ。
 3式500kg爆弾は、弾頭部を【金容】接してあるが、強度不足なるをもって、と號機に用ふべからず。弾頭を「口絞り」、弾尾に補強環を装した(改)を、是非とも用いよ。

 4式500瓩跳飛爆弾も同じで、原型は不可。(改)を用いよ。

 92式500瓩爆弾も、オリジナルは使用不可。弾頭接続部を補強帯で補強し、弾尾に補強環を装した改修型を積め。
 以上が、大型爆弾。
 以下は、中型爆弾。

 陸軍の4式250瓩対艦爆弾と、海軍の99式25通1型は、イコールである。
 「4式200瓩破甲爆弾」は、24榴の破甲榴弾を改造したもので、弾底信管のみ。

 3式250瓩爆弾、および、4式250瓩跳飛爆弾は、オリジナルは構造が弱いのでだめ。弾頭を口絞りにしたもの(両方)、かつ、3式については弾尾上に補強環をつけたもの、すなわち(改)を、使え。

 92式250瓩爆弾を改修したもの。

 以下、小型爆弾。
 3式100瓩爆弾(改)。※この(改)の意味は上記と同様。
 4式100瓩跳飛爆弾(改修)。※この(改修)の意味は、現地での工作で、口絞りのみ。信管は延期に装定。

 陸軍の4式60瓩対艦爆弾は、海軍の96式6番通とイコールである。
 臂力で装備可能なのは、250kg以下の爆弾。それより重い爆弾の取り付けには、陸軍三式装備車 などの機械力が不可欠。

 4式800kg対艦爆弾。炸薬320.3kg、伝火薬1816グラム。
 4式250kg対艦爆弾。炸薬60.5kg、伝火薬320グラム。
 4式60kg対艦爆弾。炸薬30.1kg。
 3式500kg爆弾。炸薬238kg。
 3式250kg爆弾。炸薬103kg。
 3式100瓩爆弾。炸薬49.3kg、伝火薬45グラム。
 92式500瓩爆弾。炸薬107.18kg、パラフィン4.1kg。
 92式250kg爆弾。炸薬107.18kg、パラフィン1.0kg。
 4式400瓩破甲爆弾。炸薬20.56kg、パラフィン0.96kg。
 4式200瓩破甲爆弾。炸薬11.83kg、パラフィン0.66kg。

▼方顯廷・他著、有澤廣巳監訳『支那工業論』S11-8
 第一段階。兵器、船渠、弾薬製造工業が成立した。
 第二段階。鉄道が建設された。
 第三段階。金属工業が発展。

 これらの企業では、機械設備が、投下資本の大部分を占める。とうぜん、なんとか内製化しようと努めている。
 だが精密機械だけは輸入し続けるしかない。

 1930にドイツ人が報告。支那人はまず、租界内に、紡績と製粉の機械を修繕する工場を構えた。
 やがてそれら小工場が、部品だけでなく完成品も製造するようになった。搾油機、精米機、繰綿機。
 さらに、石版や書籍の印刷機、単純なモーター。

 材料の輸入は続いている。浙江の機械工場は、鉄、アンチモニー、ジャーマンシルバーを、日英印端米から買っている。自給しているのは、真鍮、銅、アルミである。

 ドイツ製品が日本製に置き換わろうとするところで、1932事件となり、ボイコットも起こる。
 アンチモニーとタングステン鉱だけは、最後まで外人に採掘権が渡らなかった。
 それはタングステンの場合、露天掘りで、精錬も、支那人がなんとかできたからである。

 満洲が分離したことにより、残りの支那での最大の工業投資者は、英国となった。

▼防研史料 〔ハコ まる39/209〕『聯隊歩兵砲教育仮規定』S9-9
 敵重火器の撲滅制圧だけではなく、敵戦車の撲滅も「重要なる任務」としている。
 大隊歩兵砲よりも、〔41式山砲は〕低伸するので、暴露目標を攻撃するのに適する。聯隊に計4門。
 分隊長+砲手×12 +馭兵×4。馬×4(うち2匹は弾薬)。

 不発のときは、2秒間隔で数回撃発。それでもダメなら、15秒待って、開く。

 基本的に、夜間の戦闘には、この砲は使わない。
 タマは、1000mまでは3秒で届く。
 2000m先へは、7秒かかる。
 400m以下なら、人間の背より高くは飛ばない。
 2000m先を撃つと、Maxで地面から60m離れる。
 実用の最小射程は400m。最大は3500m。

 榴弾の信管を「短延期」にして、尋常土に対して距離2500m以内で射撃すれば、弾丸はほとんど地面にめりこむことなく、跳ねて、「第二弾道」となる。その第二弾道上で破裂させるときは、破裂高を2~4m、跳飛後14mの距離で破裂させる。
 ただし弾片の威力は、爆心から20m以上離れたらゼロだと思え。

 距離5000mで榴霰弾を射つこともある。榴霰弾は、ほどほどの距離で撃てば、巾15m×長辺50mの地表を制圧できる。

▼防研史料 〔箱まる39/284〕 陸軍技術本部第一部『丙号曲射歩兵砲 および 同弾丸試験記事』大10-10
 「砂俵」を使う。※土嚢のことか。

 3種の撃茎で、400mから1500mの距離を漏れなく射撃できることを確認した。
 しかし往々、弾帯ガスシールが不十分で、ガスが漏れ、レンジが縮まる事象が見られた。
 装薬の不完全燃焼もあった。

 富津で、大10-10-19~25に実施。緒方勝一少将が参観した。