▼防衛施設庁監修・小川雷太著『防衛庁飛行場建設工事の歩み』S54-4 航空新聞社
千歳の滑走路は、S51から53年にかけて、東側主滑走路を1000m南方へ移転し、騒音対策とした。
滑走路の9センチ下には、鉄筋メッシュあり。
米軍は「航空土木」が進んでいた。QCでコンクリート施工していた。
航空新聞社はS32創立。『WING』紙を刊行。
S29-7-1に保安庁法が改訂され、陸海空三自衛隊となる。
同年、陸自の小月、明野、空自の浜松、海自の鹿屋が、工事開始。
調査測量、設計、積算、施工監理を1人の技官が一貫してやれるのが防衛庁の技術力。ただしその米軍式を識る技官は、運輸省から出向してもらっていた。
S30-8、米軍のオネストジョン中隊が朝霞に来る。
初の米軍式工法は、S29~30の鹿屋である。
S30年度、浜松基地の滑走路と誘導路の整備工事を陸自の豊川駐屯地の施設部隊でやろうとしたら、業界が「民業圧迫だ」と騒ぎ出し、自民党に陳情。自民党から防衛庁に圧力がかかり、指名競争入札〔という名の談合工事〕になった。
誘導路は「箒き目」仕上げ。
当時の養生は、板屋根か麻袋布。
築城は旧海軍の飛行場。
朝鮮戦争では米F86Fが基地とした。
空自の発足後に返還された。
手抜き工事を予防するのが「施工監理」である。入念にやる。監督官が。
S31から33年度、および、S36から39年度が、飛行場の工事ラッシュ期であった。
S31から、能力の大きいダンプトラックが投入される。
3m定規にて、プラマイ3mmの誤差内に仕上げれば、雨が降っても、舗装面に水溜りはまったくできないのである。
八戸の滑走路は、S31~32に大林組がやった。格納庫は間組。
仙台基地は、31年頃は「矢の目」基地と言った。
宇都宮は清水建設。
新田原は、旧陸軍飛行場→農地→防衛庁。格納庫は当初、鹿屋から旧海軍のものを移設した。S32~35年度に本格工事。
徳島飛行場は新設整備であった。32~33年度。
松島飛行場は、海軍→農地→防衛庁。間組が工事。S32~33年度。
旧滑走路は、レシプロ用、横風用に残る。
小月飛行場は、大成建設。
S33-9-16に小月が返還される。
S33-4-12、FXとしてグラマンのF-11-1Fスーパータイガーが内定する。
S33にD-6ブルドーザーが活躍。日本ではタンデムローラーができたばかり。
コンクリートカッターで試験用にダミー・ジョイントを切る。
浜松基地を33FYに拡張したとき、時間の関係で本田技研の工場敷地買収をあきらめたが、もし買収していたら、今のホンダはあったか。
S34-11-6、F-104Jの採用が決まる。
静浜は焼津の近くである。
小松は、旧海軍→米軍→防衛庁。
築城は、海岸際にある。
千歳は、1本しかない滑走路をFY35から2本にすべく着工。
小松、千歳、松島では、積雪を考えて、山屋根の格納庫になった。
2社の工事分担の境目を「出合丁場」という。
小松と白山の間には今江潟があったが、水田にされてしまった。
下総は、旧陸軍→米軍→海自「白井航空基地」→S36からP-2J用の大工事。大成と熊谷で。
S37-3-9、F-104Jの1号機が小松でフライト。
この頃から、トラクターショベル、あらわる。
築城は海方向へ数度、延長工事された。
百里の滑走路は西端が霞ヶ浦にほとんど接する。
T-33Aは、2100mのR/WでもOK。
F-86Fのためには、2400m必要。
F-104Jのためには、2700m必要。
新田原はこの3段階を経ている。
FY38~40に、小松に冬雷予測用のレーダー鉄塔25.3mを建てた。管制塔よりも高い。
米海軍はS39時点で滑走路厚を25cmとしており、海兵隊はさらに28cm厚の舗装を求めていた。
岩国の空自F-86Fは、小牧が完全に整うまでの分派で、この本の時点では、もういなくなった。
F-104にもアレスティングギアーあり。
大湊は、旧海軍の陸上/水上基地→対潜ヘリの基地→ターボシャフト・ヘリに対応すべくヘリポートを拡張したのがFY41。
丘珠は、民航においては「札幌空港」と呼ぶ。
帯広は陸自と民航。
F-86F用の航空基地は、F-104の高速着陸でクラックが生じてしまう。C-46が誘導路を走った場合もヒビが入る。
コンクリート工事は、寒いシーズンにはダメである。
千歳には鉄網なし。
Bo-727用にオーバーレイして、最厚30cmに。FY43~44に。
FY45~46、中曽根長官の下、米軍から返された硫黄島の滑走路を改修。
アスファルトのみ。
滑走路のところどころには、地熱蒸気を抜くためのパイプがある。西松建設。
2700m×45m。
F-104→F-4のときは、延長は不要であった。しかしオーバーレイは望ましかった。
健軍にあった熊本飛行場は、民間と共用だったので、あたらしく高遊原に新設した。
ほとんど、隣り合わせ。
滑走路工事は「間打ちコンクリート舗装」で始める。
ジャンボ運用には、巾45m→60mの拡幅が必要。左右7.5mづつ拡げる。FY47の千歳。
那覇にはFY48頃、空自のF-104Jが初めて入った。工事はFY47。
ダブルワーレンの鉄骨構造のことを「ダイヤモンドトラス」と言っている。
百里は当初、F-86F用にするつもりだったが、F-104Jが決まり、2400→2700mにして完成。
F-4は、F-104より遥かに重いので、オーバーレイは必須。
千歳の山形格納庫の鉄骨は、旧海軍時代のものである。FY48でも屋根だけ張り替えて使用中。
岩国ではPS-1用に、水洗場が必要。
離着水時には、監視艦艇が、占有海面の安全を確保する。
斜路は「すべり」という。
脚は水中から出して、のりあげ行く。
入間はC-1のホームベースである。
舗装厚が確保できぬ箇所は、PC舗装とする。
オーバーレイはコンクリートでも行なう(千歳)。
「防音堤」(RCの壁)は、小松で初めて実用した。FY51。
千歳では冬は工事は中断す。
三沢にC-1を受け入れるためにFY52に格納庫を造る。
千歳は、古い箇所では23cm+23cm厚。
▼田村浩『沖縄経済事情』大14-8
M36まで土地の私有を認めなかった。「地割均分」。貧富を顧慮せず男女人頭割。
杣山制で山林を育て、甘藷作付けを制限して特産を奨励し、宅地坪数をも制限し、貢租代納もゆるした。
大12末の県人口は57万5000人。
すでに本島には未墾地はないという有様。
甘藷は粗笨につくれるので、自由にさせておくと、広いところで少ししか獲れないようになる。
小作者は多い。
7~8月に雨がすくない。
賃金は全国平均の四分の一。物価は全国平均の三分の一。
模合いという、旧藩時代からの無尽がある。他県にない大掛かりなもの。
常食は甘藷。その不作時には三食中一食を蘇鉄の澱粉とす。
副食は、蔬菜が少ない。豆腐が上々とされ、素麺なら最上の馳走である。
普通以下の農民は掘立小屋。
最もひどいのは、土石で四つ壁をつくり、茅で屋根を葺き、天井と床が無い。
やや進むと、細竹で網代の壁を作るが、やはり天井と床はない。
蚊帳がない。夜具布団なし。
跣先にして、湯浴みをなす者ほとんどなし。見るに堪えない。
摩文仁と喜屋武村に、そういうのが1割以上ある。
斯かる陋屋にも仏壇はあり、竈の神、火食の神を拝する。
半年は、手織の芭蕉布を着る。
甘蔗は売るものである。甘藷は喰うものである。
大豆を甘藷の半分、植えつける。
蚕豆、蔬菜は、甘藷と輪作である。
山羊、馬、豚も飼う。
薪用の杉がある。
漁獲はかつおがメイン。
他県に比べて公有林が多い。
人心は、自発性がなく、自卑する。貯蓄せず、借金に頼る。
▼月刊『知識』1991-12
伊藤潔「米軍撤退が増幅するフィリピンの愛憎」
1934に米議会で「フィリピン独立法」が成立。
1947-3、米比基地協定。ならびに、米比軍事援助協定。
1951-8、米比相互防衛条約。
アジア最大のクラーク空軍基地には、第13空軍司令部、第3戦術航空団、第374戦術空輸航空団、第26戦術戦闘機訓練飛行隊 が展開していたが、1988の第二次基地協定協議で、一部を日本に移駐させた。
1991-7 ピナトゥボ降灰。
8月、ソ連の三日政変。
9-16、フィリピン国会の上院は、スビックを中心とする米軍基地の十年間存続を定めんとする「米比友好協力安全保障条約」の批准を否決。12対11であった。
背景。基地年間リース料を、2億米ドルに引き下げられた。
アキノ大統領は10年延長を図ったが、けっきょく、3年以内の撤退となってしまった。議会も国民もすっかり、反米になってた。
比人のうち5%が、すべての富を握っている。彼らは例外なく、米国の代理人としてふるまう。
マルコスとアキノは支那系のメスティソである。
ケソン、ラウレル、マグサイサイはスペイン系のメスティソであったが。
1990-11に、クラークの期限満了返還と、返還後の両国共同使用、さらには91-9までのF-4×48機の撤退が定まる。
この戦闘機隊は日本、シンガポール、豪州に移転した。
同時に米国は、代替飛行場をマレーシア、タイ、インドネシアに探そうとした。ピナツボ噴火は、そうした動きを偶然加速したにすぎない。
巨視的にみると、対ソ戦略のつもりで中共軍の近代化に米国が手を貸してやった、その結果が、こんな事態を招いた。
北条高時が死んだとき、東勝寺で一族郎党870人が殉死。のみならず鎌倉の街中で一般人6000人も殉死したという。
宋代の倭寇がいちばん欲しがったのは、書物・経典だった。
宗学のイデオロギーなくして、七生報国思想の自殺などありえぬ、と中村整史朗。
今野信雄いわく、壬申の乱が、百済系と新羅系の対立であったのは明らかだが、証拠文書は一切破却されて無い。
江戸期のふつうの公家は30石取り。同心くらいの暮らし。
島津は、新田系を称した徳川氏よりもじぶんちの血統が上だと示さんと、頼朝の墓を手前んところに移した。
▼『しにか』1997-6月号
小野耕世「開発進むクラーク経済特区」
1992に返還され、96に24時間運用の国際空港になった。
北にはバギオ飛行場がある。
西にはマニラ空港。プロペラ機で30分。
比島にある国際空港は、マニラ、セブ、スービック、クラーク。
クラークは、スペースシャトルの緊急着陸地のひとつにも指定されていた。滑走路が長いので。
▼慶応大学 総合政策学部『アジア研究』1993-2月号
藤原帰一「冷戦の二日酔い――在比米軍基地とフィリピン・ナショナリズム」
91-7、米比はあたらしい基地協定を合意したが、比上院が否決。
もともと援助費増額を狙った条件闘争だったのに……。
比上院は全国を一選挙区とす。そして、上院から、次の大統領も出てくる。
1990-2、チェイニー国防長官は、マニラで、太平洋の米軍を10%以上削減する、と。
1951-8の米比相互防衛条約は、米日、米韓の安保条約の先駆。
1990-5、ブッシュ大統領は、「望まれるのでなれば、いるつもりはない」と。
サンフェルナンドにも空軍施設あり。
クラークABの重要性低下の背景。航空機の積載燃料が増加している。航続距離が拡大した。
スビックも同様。フネのアシが伸びたから、要らないという。
逆に、兵器修理の高度化・高コスト化。日本が米軍を引き寄せる。
軍事基地のもつ三つの機能は「補給、修理、慰安」。
比島輿論が追い出したというより、米軍の方から好んで出て行った。
▼『世界週報』1986-4-15号
3月7日の米議会調査局の報告書。
スビックは、インドと樺太を3000海里内におさめる。
1300浬は、基地航空機によるエアカバーが及ぶ範囲である。だいたい、鹿児島、タイ、セレベスとなる。
グアムは戦略爆撃機の基地。戦術機用の大基地は、日韓を除けば、クラークしかない。
フィリピンからカリフォルニアまで飛ぶときの、最短ルートは、沖縄本島南沖、千葉県南沖を通る。
▼『世界週報』1986-4-22号
海軍からの見方では、南シナ海は、アジアの地中海である。
もし第六艦隊が、地中海を出て、英国やアゾレス諸島へ移駐したら、世界はどう見るか。同じことだ。
スビックを母港としている米国軍艦は、空母1隻のみ。他の艦にとっては、スビックは短期の寄港地。
他の第七艦隊艦艇は、横須賀が母港である。
スビックの修理施設は、ベトナム戦争中にできたもの。それ以前は横須賀で修理していた。
パールハーバーは、遊休状態の修理能力を余している。だから、ハワイ以西で修船需要が増せば、じゅうぶんに吸収可能。
クラークの戦術軍用機の目的は、海上ルートの防衛にある。
アンダーセン空軍基地は狭いので、そこに戦闘機をもってくると、爆撃機の運用に差支えが出てくる。
海空軍は、基地から1500km~2000kmで活動する。
クラーク~ディエゴガルシアの空輸ルートは、動脈。
もし、アンダーセンからディエゴガルシアに空輸するとなると、C-5Aの積荷は6割も減らさないと、ノンストップでは行けなくなる。
C-141Bなら、積荷はゼロになってしまう。
豪州のダーウィンも、C-141でインド洋までカバーするためには、重要。
グァムは浚渫しなければ空母は接岸はできない。
パラオは、空母も停泊できる。もしパラオに空軍基地も建設できたら、米軍にとっては理想的だ。
航空基地のロケーションは、輸送路の安全保障の目的であると同時に、その手段でもある。
英国は、同国領土内のどこに米軍基地があるか、すべては公表していない。
英本土には、米軍のF-111(核攻撃機)用の基地が2つと、トマホーク用の基地が2つある。
ポセイドン搭載の米SSBNは、スコットランドのホーリーロッホと、コンウォールのセントモーガン海軍基地に立ち寄ることあり。
駐英の米兵は2900人。プラス、文官や家族で、計6万人である。
▼『世界週報』1991-8-6号
7-17のマニラでの協議で、クラークは店じまいするも、スビックは10年存続させることで合意した。11年目には整理を始めると言ったのだが、比側が頼んで、翻意させた。
▼『世界週報』1991-8-13号
クラークには90年もの歴史があった。
米はスビックを守るためにクラークを捨てた?
クラークには1901に騎兵隊の前哨基地が置かれた。牧草が買われた。
1917に地盤を固め、まず複葉機の飛行場になった。
WWIIでは、日本の第201飛行隊が。
スビック基地にも3000mの滑走路がある。
▼『公評』1997-5月号
壱岐一郎の記事。
不通告の劣化ウラン弾があったというのは、鳥島だという。
橋本通産相は、日米交渉中に盗聴器を仕掛けられたことがある。
長崎に原爆を投下したB-29は帰り道に沖縄で給油した。
▼『前衛』1990-8月号
山田俊英「米比基地交渉とフィリピン人民のたたかい」
スビックのキュービポイント飛行場にP-3Cがある。
日本、グァム、韓国、シンガポールから飛行機で4時間、船で5日。
スペインに代って入ってきた米人は、600万比人のうち100万を殺した。
米軍にとって、軍港は、C-141やC-5が使用できる飛行場が近くになくては×。
※この逆は真ではない。米軍にとって航空基地は、軍港の近くである必要がない。ここがわかってなかったのが、普天間移転問題とうじの日本政府。
軍港は、10隻の艦艇がいちどに利用できなくてはならない。
コンテナの荷役施設がなくてはならない。
爆発事故があっても住民が巻き添えにならないような過疎地であるのが望ましい。
修理施設から船で3日以内のところに、360ヘクタールの弾薬集積所(弾薬庫を含む)があること。
石垣島を、戦略輸送に使いたい。
▼『前衛』1995-12月号
松宮敏樹「《検証》フィリピン米軍基地撤去の論理 沖縄と共通するものはなにか」
スビックだけで、沖縄基地全部に相当する広さ。
クラークは、訓練空域も含めて比べれば、沖縄基地の2倍の広さである。
フィリピン政府も、首都マニラの圏域に米軍基地を設けることだけは拒んだ。
▼『世界』1986-7月号
ローランド・G・シンブランの記事。
フィリピンはWWIIでポーランドに次いで破壊が大きかった。
1935に国民投票あり、10年後に独立するが、対米の給油サービスは続ける、とした。
バギオのキャンプ・ジョン・ヘイは、レク施設である。
空母部隊の展開速度は20ノットから15ノットである。
キュービー・ポイントは、2700mの滑走路。P-3C×16機常駐。
クラークは米空軍にとって、世界で二番目に大きな航空基地。F-4E、F-5、C-130が常駐。
1947いらい、米兵によって50人の比人が殺され、一件も比法廷では裁かれていない。
▼神大経済貿易研究所『経済貿易研究』1993
年報。
渡辺精一「復帰20年の沖縄経済」
土木費が大きい。道路、港湾、住宅。
生活保護率が高い代わりに、老人福祉費は低い。
▼斉藤一夫ed.『台湾の農業』上・下 1972-2~3
伝統的輸出品は、アルコール、樟脳、樟脳油、紅茶。※台湾には緑茶は無い。
あとは、バナナ、パイナップル、砂糖、コーヒー、ココア、キナ。
アスパラガスとマッシュルームは戦後に急に伸びた。
高粱もOK。これは耐旱性が長所。
香水茅(シトロネラ)。油を採るのだが、地力消耗がはげしい。
オランダ人が来る前から、大陸経由で甘蔗が伝わっていた。
玉葱を日本へ輸出している。
ジュートもとれる。
▼松山伝十郎『琉球浄瑠璃』M22-11
著者は福島県人だが、初めてわかりやすく紹介した。
日本の謡曲が伝わって戯曲になる中間段階が分る、と〔山田美妙が評した?〕。
東を「あがり」といい、西を「いり」という。
kiの音はchiになる。だから金武は「チン」。
島国のやから=田舎漢。
最後に大悪党を斬るシーンを見せない。これは「士人」風。
▼沖縄タイムスed.『琉球古典舞踊の型』1977repr.
宮中舞踊がM12の廃藩置県で初めて没落士族により一般に広められ、ショーアップ。
その以前だと、首里の踊り奉行が統制していて、普通に見られるものではなかった。
やはり女踊りは女形にさせていた。
恩納岳はウンナダキという。
池はイチという。
蜻蛉(あきつ)はアケズという。
坂、平は、フィラという。
残波岬はザンパミサチ(ン)である。
硫黄ヶ島は、ユヲガシマである。
▼『陸・海・空自衛隊 飛行機と飛行場ハンドブック』S40-9 国書出版開明堂
F-104Jは「栄光」。千歳、新田原、小松、百里に7個飛行隊。全天候。20ミリ×1、サイドワインダー×2。
F-86Dは「月光」。全天候迎撃戦闘機。MAP供与機。ロケット弾×24発のみでMGなし。鼻にとんがりドーム。退役中。
F-86Fは「旭光」。昼間戦闘機。ミグ15に対抗してつくった近代ジェット戦闘機の母体。当初はスクランブル任務機だった。いまはF/B任務に転換中。S30-12にMAP供与。その後、三菱で300機生産。12.7ミリ×6、サイドワインダー×2。
F-104DJ。複座の練習機型。20機がノックダウンされた。
T-33Aは、F-80の練習機型である。
C-46は「天馬」。
YS-11Pには名前は付かなかった。VIP輸送用。
H-21Bは「ほうおう」。陸自のバートル44と同じだが、ローターが木製。
海自は、まずS2F-1×60機を供与された。艦載の双発レシプロ対潜機。逆探、磁探、レーダー、ロケット。
次が、自衛隊最大のP2V-7。
UF-2「かりがね」Albatross。S36-4に米から36機もらった救難飛行艇。
米軍ではグラマンのUH-16Dを使っている。
HSS-2「ちどり」は、着水できる。
海自V-107は、すでに曳航掃海ができた。陸自より先に導入。
S-62「らいちょう」も水陸両用。
以下、飛行場データ集。※地図や部隊名などほぼ完全に掲載されているが、その一部だけを摘録した。
芦屋航空基地。滑走路長1828m×巾50m。T1A、T1B、H21Bが所在。
入間航空基地。2100×45。かつて「相武台」として陸軍航空士官学校が置かれ、戦後は「ジョンソン基地」だった。F86Fの第七航空団は百里に移動し、F-104となる予定。航空総隊司令部あり。
岐阜航空基地。かつての各務原。隣接して川崎航空機工業の工場あり。2100×45m。F86F所在。
小牧航空基地。民間の名古屋空港も兼ねる。2700×45。F86D。
小松航空基地。2440×45のほかに、横風用の補助滑走路あり。F104、F86F。S40-3まではF86Tあり。日本海唯一のジェット戦闘機用の航空基地だが、民間の「小松空港」でもある。
静浜航空基地。1500×45。大井川の河口近くにある。空自のT34。
千歳航空基地。2700×45が、クロースパラレルに2本あり。米軍が「クマ・ベース」として使っていた。浜松で編成された第二航空団が移ってきた。はじめF86Dのみ。ついで小牧からS36-10にF86Dが移駐。S38-3、空自の先頭をきってF-104配備。
築城航空基地。2400×45。F86F。
新田原航空基地。2740×45。かつての陸軍飛行場。S32-12から教育基地に。S37-1に第五航空団が浜松から移駐。S38-1に教育団は廃止。S39-3にF-104Jの飛行隊ができる。九州唯一。
浜松北航空基地。2542×60。旧陸軍の飛行聯隊があったのが南北に分離された。滑走路の北側が北基地。F86F。
百里航空基地。2400×40。旧海軍の飛行場跡を戦後、開拓農地としていたところ、31年から基地建設着手。S40-12までに入間から第七航空団のF-104がひっこし。
防府北航空基地。空自。1600×45と1300×60がクロスオーバー。旧海軍飛行場であった。T34A。
松島航空基地。2700×45と1550×45がクロスオーバー。空自創設時に、ここでまずT6を使って米軍から仕込まれた。第四航空団のF86Fが所在。
美保航空基地。民間の米子空港でもある。1892×45m。航空輸送団のC-46所在。
以下、海自の飛行場。
宇都宮航空基地。上横田町。1400×50。陸自ヘリも同居す。
大湊航空基地。1203×83m。ヘリコプターHSS-1Nによって、津軽海峡を警備している。
大村航空基地。1310×33。旧海軍の水上機基地。ここが九州における海自の拠点で、ここから鹿屋に分派された。UF-2をもつ唯一の飛行場。発足当時はPBY、JRF、TBMであった。民間の長崎空港でもある。
小月航空基地。下関市にあり、教育専用。1320×65mと980×45mがV形になっている。
鹿屋航空基地。2250×60と1707×40のクロースパラレル。S11-4に旧海軍の航空隊ができ、S28-12に海自の鹿屋航空隊が発足。自衛隊の最南端の飛行場である。※小笠原返還前。
小松島航空基地。徳島県の小松島市にある。ヘリポートのみ。S40-3開設。対潜ヘリHSS-1Nによって紀伊水道を塞ぐ。
下総航空基地。2225×60m。旧陸軍の首都防空戦闘機部隊(飛燕)が置かれていた。戦後まず米軍の通信部隊が利用。その後、航空術科学校と海自の航空集団司令部がやってきた。
館山航空基地。264×267のヘリポートのみ。旧海軍の水上機用飛行場があった。海自ヘリ部隊発祥の地。HSS-2。
徳島航空基地。徳島県の板野郡松茂町。1660×50m。旧徳島海軍航空隊。戦後は農地に。S33に、海自徳島航空隊が開隊。S2F-1あり。海岸に近く、塩害がはげしい。S2Fは老朽化しているが、P2V用としてはストリップが短いため、宙に浮いてしまう気配。民間空港を兼ねている。
八戸航空基地。2250×60。管理は海上だが、空、陸機も混住する唯一の飛行場。本州最北端の自衛隊固定翼基地である。P2V-7、F86F、陸はヘリとL19。
以下、陸上自衛隊。
明野航空基地。430×30、450×30、500×30の滑走路3本が三角形になっている。陸自の航空学校の本校があり、ヘリ操縦を教える。固定翼操縦は、岩沼分校で。霞ヶ浦分校では整備教育を。L19、L21も所在。
以下、運輸省。
八尾飛行場。大阪府。1490×45と1200×30mがクロス。陸自(?)の中部方面航空隊のH13、H19、LM1などが居候。
東京国際空港。3000罰45、1700×45。軍用機なし。
大阪国際空港。兵庫県伊丹市と、大阪府川西市と池田市。2000×50m。
以下、米軍。
岩国航空基地。2400×45m。米海軍と海兵隊用。S39初めまで、海自がここでレシプロ教育もやっていたが、それは宇都宮へ移った。そのあと空自が小松から移駐。F86F。
板付航空基地。福岡市平尾にある。福岡空港でもある。3000×60m。自衛隊機は所在しない。
木更津航空基地。1820×45m。米〔海?〕軍が使っているが、美保に司令部のある〔空自の?〕輸送航空団のうち1個飛行隊も同居。C-46、S40-3からはYS-11P。
三沢航空基地。3330×50m。米空軍基地に空自も居候。R/Wは東西方向。
立川航空基地。1900×50m。自衛隊なし。
横田航空基地。3660×66m。F105など。
以下、一覧表。飛行場名、長さ×巾m、用者または管理者。 ※上掲との重複を省いたところあり。
稚内 1200×30 運輸省。
利尻 600×25 北海道。
紋別 1200×30 北海道。
女満別 1200×30 同市。
旭川 1200×30 同市。
丘珠 1000×80 陸自。
中標津 1200×30 同町。
釧路 1200×30 運輸省。
帯広 1200×30 同市。
函館 1200×30 運輸省。
青森 1200×30 同県。
花巻 1200×30 秋田県。
霞ノ目 (仙台市にあり) 914×46 陸自。
仙台(矢ノ目)(名取郡にあり) 1200×45 運輸省と陸自。
山形 1200×30 同県。
水戸 975×46 米空軍。
霞ヶ浦(右籾)720×30 陸自。
太田(市内にあり) ?×? 米空軍。
所沢(市内にあり) 900×60 米陸軍。
調布 700×30、1000×80 米陸軍。
玉川読売 (世田谷区にあり) 490×15 同社。
大島 1200×30 都。
三宅島 1100×30 都。
八丈島 1200×30 都。
厚木 2440×46 米海軍。
藤沢 824×25 東洋航空株式会社。
新潟 1314×45、1200×30 運輸省と防衛庁。
佐渡 1100×30 県。
松本 1500×30 県。
富山 1200×30 県。
福井 1200×30 県。
大津 1000×58 米陸軍。
鳥取 1200×30 市。
美保(境港市) 1892×45 空自。
岡山 1200×30 県。
広島 1200×30 運輸省。
宇部 1200×30 山口県。
隠岐 1080×30 島根県。
高松 1200×30 運輸省。
松山 1200×30 運輸省。
高知 1500×30 運輸省。
小倉 1500×45 運輸省。
雁ノ巣(和白町) 1280×45 米陸軍。
大分 1200×30 運輸省。
福江島 1100×30 長崎県。
壱岐 1200×30 長崎県。
対馬 水上飛行場 長崎県。
熊本 1200×30、2740×45 運輸省と陸自。
宮崎 1360×30 運輸省。
鹿児島 1080×30 運輸省。
種ケ島 1100×30 鹿児島県。
徳之島 1080×30 東亜航空。
屋久島 1100×30 鹿児島県。
奄美大島 1200×30 鹿児島県。
以下、自衛隊の小飛行場。
饗庭野(滋賀県高島) 667×33m。
相ノ浦(佐世保市) 765×22、415×19。
青森 667×33。
旭川 666×66。
東千歳 1333×86。
遠軽 295×33。
南恵庭 433×26.2m。
富士(滝ケ原) 1037×13。
福知山 547×17。
福島 459×33。
日出生台 (別府市) 383×16.6m。
久居 328×21.6m。
海田市 (広島県海田町) 546×33。
上富良野 547×60。
金沢 473×33。
霞ヶ浦 (第一ヘリ隊 土浦市) 787×33。
計根別(別海町)1766×66。
霧島 657×33。
北千歳 657×53。
国分 657×38。
郡山 345×43、383×38。
北熊本 875×43。
久留米 295×17。
釧路 492×33。
舞鶴 492×33。
松戸 328×24。
松本 547×70。
目達原(佐賀県)687×33。
都城 383×17。
習志野 470×66。
名寄 866×33。
日本原(岡山県勝田市) 678×38.3。
小郡(福岡県) 306×66。
王城寺原(宮城県) 657×33。
大矢野原(熊本県) 590×17。
大津 1093×63。
桜森 (北海道島松) 393×24。
然別 491.6×33。
新町 (群馬県) 514×26、333×26。
相馬原 612×22。
高田 360×23。
滝川 371.6×66。
豊川 546.3×43。
宇治 656×43。
八雲 2000×50。
山口 393×16。
米子 546.3×22。
以下、自衛隊のヘリポート。
市谷 3.3×6.6。
三宿(世田谷区) 100×100。
館山 262×260。
横須賀 1.66×1.66 ※この数値はおかしいだろう。
樺山(青森県) 4×10。
霞の目(仙台) 3×11。
小松島 ?×?。
本書の時点での陸自の航空隊は、丘珠、霞の目、宇都宮、八尾、熊本、明野、霞ヶ浦、仙台に駐屯。