旧資料備忘摘録 2020-10-9 Up

▼辺見勇彦『満洲義軍奮闘史』S6-12
 コサックは味方の死体や傷者を、ぜんぶ、我が鞍に乗せて逃げ去った。天晴れ。
 馬とは異体同心だった。
 愛馬心は露助の方がはるかにあった。

 満人匪賊はモーゼル十連発や露軍小銃をもっている(p.387)。
 乃木との一瞬の接触(pp.436-7)。

▼防研史料 教育総監部『坑道式掩蔽部(洞窟)構築の参考』S19-12
 研究彙報「工兵」から。

 入り口は少なくも2箇所、設けること。
 「棲息」「指揮」「救護」の3区画をつくれ。

 500kg爆弾に耐えるには、岩盤ならば3m厚、尋常土ならば18mの厚さがないとダメ。
 15榴に耐えるには、岩盤1m、尋常土3m厚が必要。
 24榴なら、岩盤1.7m、尋常土12m厚が要る。

 土壁が、共倒れにならないようにするには、その厚さは15m必要。
 もし6m以下だと、15榴1発で、隣室も崩落する。

 「円匙」「短柄円匙」「十字ぐわ」「短柄十字ぐわ」がある。

 ゴム垂れ幕で、防毒とす。

 トンネルをつくる前に、入り口の地層をよく見極めろ。
 入り口の天井から、トンネル奥部の低い方へ向かって、地層が傾斜しているのは、敵から砲撃されれば落盤必至である。
 入り口の足元から、トンネル奥部の高い方へ向かって、地層が傾斜しているのは、敵から砲撃されても落盤しない。
 地層が、まったくの水平なら、問題なし。

 「三式電気錐」は、発破孔をあけるための削岩機である。ドリル式。4人がかりで押し付ける。20センチ掘るごとに、岩粉を排出せよ。

▼神奈川県歴史教育者協議会ed.『神奈川県の戦争遺跡』1996 大月書店
 京急の戸部駅の手前の廃墟は、「平沼駅」で、S20-5-29の横浜大空襲で焼けたまま。

 1995に横浜市都筑区に歴史博物館ができ、わずかだが、空襲関連あり。
 日吉台地下壕は入り口が残っている。壕も残っているらしく、保存をすすめる会がある。

 野島公園(金沢シーサイドラインの同名駅より700m歩く)の北西端に、横空の地下格納庫が、「巨大トンネル」として残る。ただし中には入れない。高さ10m×巾20m×奥行き270mで、山腹貫通。ここにはけっきょく飛行機が収容されたことはなかったという。

 小田急向ヶ丘遊園駅から明治大学行きバス終点下車。そこに守衛所あり(今は明大生田校舎にそっくりかわっている)、登戸研究所の碑と第2科の建物がある。常石敬一『医学者たちの組織犯罪』(朝日新聞社)によると、アメリカの牛に感染させるための、牛痘ウィルスを凍結乾燥していた。第1科では風船爆弾を研究。

▼防研史料 長沢大佐 『防空兵器装備研究に関する調査資料(其三)』S12-3
 旋回20ミリMG(飛行機用)制式曳光榴弾と榴弾。

 94式榴弾。単価6円。 弾量 128.7グラム。炸薬5.4グラム。
 94式曳光榴弾。単価8円、ただし大量にはつくられていない。 弾量135.6グラム、炸薬2.8グラム、曳光5秒、曳光距離1800m。

 風速5mのとき、試製20ミリは、5秒地点で14mの横風偏位を生ずる。保式13ミリでは11mの横偏を生ず。

 10センチAAGは高度1万mまで60秒ちかくかかる。こうなると機械信管でなくては必要精度を得るのは無理だが、14年式はカネをケチって火道信管としてしまったので、誤差が大きすぎ、もはや七高に比べたメリットはゼロである。

▼防研史料 技本1部 一瀬大佐『対戦車火器に関する意見』S15-6
 37ミリでは将来、もうアカン。
 〔ソ連の〕戦車の装甲はすぐに35ミリ厚になる。これをレンジ1000mから射貫するには、こっちは、径47ミリの対戦車砲を機械牽引〔トラクター牽引〕する必要がある。

 対戦車自動砲は、ソロターンS社製18型 20ミリ が最適だ。その諸元は、弾重150グラム、初速750m/s、重さ50kg、単発である。
 しかし、現制式の97式自動砲でも、満足できる。

 対戦車自走砲が必要である。75ミリの対戦車砲を、97式戦車に搭載しろ。18トン以内で。全装甲ターレットに。

▼防研史料 〔箱まる96〕『参考綴』S16~
 支那戦線の飛行場の物資集積の注意。「コネ倉庫」というものがある。

▼『マシナリー』1953-4月号
 「創立50余年の工場に現存する機械の購入された年と製造者」

 M30年代以前は主として英国から買っていた。
 M30に東京砲兵工廠はプラット&ホイットニー社から銃身用の機械を大量輸入した。
 このとき以来、銃身はプラットの機械でつくるものと相場が定まった。
 ベッカーも工作機械メーカーである。

 工廠内で輸入マシンを大量コピーし、国内増殖させる必要があった。
 M31の輸入が第二のピーク。
 M37が第三のピーク。
 M38は最大のピーク。
 かくして各種機械をさんざん輸入したのだが、M38を境に、工廠が機械の自製をやめた。機械の輸入とコピーは民間にさせることになる。

 M41にまた輸入のピークがある。しかし輸入はいけないということになり、工廠ではコピー自製を再開した。これが大5まで続く。
 WWIのほとぼりがさめた大11から、また工作機械の輸入は増加した。

▼防研史料 『昭19.6 参考書類綴』
 独立機関銃 第2大隊 第3中隊 兵器係
 92式重機などの兵器簿である。
 「高射托架」には新型と旧型があった。
 4個小隊。各2個分隊。1個分隊にHMG×1銃。

 この中隊は14年式拳銃を16梃、有する。各小隊に4梃。指揮班はゼロ。92式HMGは中隊内に8梃。

▼防研史料 一技研三科『部隊学校報告に関する綴』S19
 海岸要塞重砲の訓練について、いろいろ。
 掩蓋砲座の経始。

 迫撃砲(軽迫と12cm)をもってする対空射撃。 ※珍。末期にはなんでもありだ。

▼防研史料 『弾薬類生産増強に関する綴』S20
 刑務所で弾薬箱などを作っていた。

▼防研史料 『大戦間に於ける弾薬の発達』
 外国の話。WWI中の腔発は各国ともにひどかった。

▼防研史料 『兵器受払簿 甲 試製兵器』S16~20
 試製40糎木製噴進砲。
 S19-10-23に名造で受払。I と II、各4。

 四式重迫撃砲。
 S20-1-25に大造で1個、受払。

 試製4式20糎噴進砲。
 S20-1-25に大造で5個、受払。

 試製4式24糎噴進砲。
 S20-1-25に大造で5個、受払。

 試製4式15糎噴進砲。
 S20-1-25に大造で2個、受払。

 試製7糎噴進砲。
 S20-1-25に大造で2個、受払。

 試製9糎噴進砲。
 S20-1-25に大造で2個、受払。 

▼防研史料 『昭16.9 各種徹甲弾地金 並 弾丸機能試験要報』
 37ミリ~75ミリ弾。

 八八式七高で海軍の124ミリ鋼鈑を撃ったら、着速699m/秒にて、凹痕。702m/sにても、凹痕。

 ※試製57ミリ戦車砲(着速715m/s)は、改造馬式57ミリ砲(着速753~785m/秒)から造ったんじゃないか?

▼防研史料 立川兵器研究所『Z1、Z2、Z3(対空・対艦)兵器資料』
 対艦のZIII 、対空のZII、そして空対空のZI 。

 1発の親ロケット弾と、12発の子ロケット弾を収束した、親子ロケット弾である。
 これを航空機の翼下に懸吊する。

 原寸図付きである。
 親ロケット弾はそれ自体、炸薬60kgを内臓している。
 その尾部空力安定板に沿うように、子弾が12本も張り付いている。子弾は炸薬0.2kg入りという。
 親ロケット弾にはジャイロが内臓されている。
 子弾の全長は、親ロケット弾の空力フィンよりも小さい。

 垂直に打ち上げても5.4秒燃焼し、18100mに届く。

▼防研史料 陸軍造兵廠『昭和11年 兵器価格表』
 部品の値段しかわからない。全体は不明である。
 兵器廠で調弁、または製造する場合の価額。

▼防研史料 野重第5旅団司令部『昭13.1 実戦の経験に基く意見』
 38式15榴 などをもって上海から南京まで進軍した。
 味方の砲兵直協の飛行機。これに乗っている将校は、爆撃機の空中勤務者にはなれなかったクズ将校たちなので、まったく役に立たなかった。

 地域射撃、等斉密度射撃は、国軍の弾薬事情および実戦の効果なきことにより、不可である。直視射撃に限る。

 上海で弾薬がなくなり、大苦労した。
 89式10加は、船から積み卸すクレーンがなくて、困った。

▼防研史料 『大正6.2 兵器工業に関する陸軍省兵器局長 同銃砲課長 講演要旨』
 野砲 1門 1日あたりの射耗弾数。
 遼陽の日本軍、26発。
 沙河の日本軍、26発。
 奉天の日本軍、30発。

 マルヌ 1914-9 の仏軍、51発。
 イープル 1915-5 の仏軍 125発。
 アルトア 1915-5 の仏軍 167発。
 シャンパーニュ 1915-9 の仏軍 128発。

▼防研史料 『火器基礎研究現況』
 40cm噴進弾は、S18-5に研究開始し、S19-8に完了した。

 「電視装置」テレビ あり。捜査線200本。

▼防研史料 『昭和19年度以降 要書綴』
 18年度の造兵廠は、東一造、東二造、相造、名造、大造、小造、仁造、南造、および 本部である。

 S21-1-22、大造における残務整理状況報告。
 91式10H×15門。
 47ミリATG×20門。
 試作中だった多連装噴進砲×2門。
 十糎自走砲×1両。
 以上を米軍が押収した。

▼防研史料 第三科『昭19~20年 研究実施計画』
 日立100馬力統制エンジン。
 川崎自爆ロケット艦 など。

▼防研史料 第十陸軍技術研究所『兵器仕様書』S19-11~S20
 舟艇関係。

▼防研史料 〔マル237〕『昭18.5 独軍鹵獲兵器に関する綴』
 陸軍の大【大のしたに々】少将、小林少佐、川喜田技師。海軍の吉川中佐、岩吉少佐、安達嘱託が、飛行機を見に行った。
 モスキート。
 ムスタング。これは偵察機で、戦闘機ではないと言っている。機首に12.7ミリ×2。別モノか?
 スピットファイア。
 仏に援助されたP-40。
 Lagg5。
 B34(双発)。
 イリューシン2。胴の後方が木製。6ミリ装甲。23ミリMG。
 B-17。
 ロッキード・ベンチュラ。
 B-26。Jagdbomber→Jabo。

 ソ連軍の航空用7.62ミリMG弾は、鋼芯と被甲とのあいだにバナジウム&マグネシウム合金があり、焼夷効果をあげるようになっている。

▼防研史料 〔マル238〕 技術院 第4部『昭18.2 独逸の大臼砲』
 複写されたカールの生写真。於・セバストポール。

▼防研史料 海軍省教育局『帝国海軍機関史 第一巻』S18-9-30
 なぜギアダウンして、モーターは高速で回し続ける必要があるか。定速を保つため。

 1862-5『千代田』起工。
 薩摩がつくった昇平丸の蒸気機関はM6に石川島で解装し、兵学寮に雛形として供えていたのだったが、M25~26年に、地金のあつかいとして払い下げてしまった。