日本学術会議はどのようにして日本の大学院のレベルを世界最低水準まで下げることに成功しているか

 わが国を除いた工業先進国では、大学院生は、まとまった俸給を貰える。
 奨学金とは違うものである。大学院生たちがつましく暮らすなら貯金も可能なぐらいの金額であり、アルバイトをしても生活費ですべて消えた上に負債が数十年先までも残って行くような、日本の「学奴」量産制度とは考え方の次元が異なるものだ。
 タイプも仕組みもさまざまのようだが、米国の一線級の大学の理工系院生の場合、研究室のボス教授が、みずからピックアップした院生たちに給料を支払うと聞く。
 ではそのカネはどこから湧いてくるのか?
 民間企業や、国防総省などの官衙から、ボス教授がじぶんで取ってくるのだ。
 日本学術会議は、《軍事研究反対》を高唱することによって、日本の庶民家庭出の理系学生たちが大学院に進むことを躊躇するようなシステムを確立した。
 日本学術会議の妨害のおかげで、日本の大学院研究室の人々は、企業や防衛省から軍事系研究を請け負うことができない。いい研究テーマを思いついても、それを提案する先が見つからず、諦めるしかない。
 個人の意欲の総量と、人類福利の向上に資するユニバーサルでユニークな成果誕生との負の循環が、完成してしまっている。
 もちろん、最優秀の日本人学生も、そんな貧乏くさい世界には惹き付けられない。米国の研究室の方がはるかに刺激的な人材が集結し、金銭的にも精神的にもリッチになれるからである。
 研究者人生の前半で、日本国のためになる理工学の先端的な研究開発をしてやろうと勇気をふるいおこす日本人学生も、もののみごとに減る一方だ。
 いまや日本の大学院の理工学系の研究室は、アジアの尋常でなく裕福な家庭出かさもなくば、米国の研究室には行けなかった二流の留学生たちのために、研究環境を提供する場に化した。
 日本学術会議は、貧乏だが有為の日本の学生たちが敢えて研究者人生の選択を前向きに検討したくなるような、「無借金の研究キャリア」が可能になるような官学産連携の提案を、過去にしたことがあっただろうか?
 院生の人生の質を高めるための提案もしたことのないような学術会議は、いったい誰のために奉仕してきたのであるか?

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 Stephen Clark 記者による2020-10-28記事「Rocket Lab successfully launches satellites for Planet and Canon」。
    ニュージーランドから「エレクトロン」ロケットが打上げられ、10個の小型衛星を軌道に放出した。内訳は、「プラネット」社キューブサット×9機、および日本の「キヤノン電子」製×1機である。

 「エレクトロン」ロケットは高さ60フィート弱。ケロシン燃料のブースター。じつは6月に1回、失敗していた。それにはキヤノンの「CE-SAT 1B」も搭載されていた。キューブサットも同様にそのとき失われた。今回はその雪辱である。

 打ち上げサイトは、「エレクトロン」社の私有地。ニュージーランドの北島にあり。
 最終的に、高度500km、傾斜角97.5度(赤道に対して)に乗せた。

 投入成功した今回のキヤノンの衛星は「CE-SAT-2B」と称す。地球イメージ衛星。35.5kgで、これがキヤノンの3機目のマイクロサテライトとなる。ちなみに2機目は2017にインドのロケットで打上げられた。
 キューブサットは「スーパー・ど鳩」といい、靴箱サイズの小ささながらもリモセンである。

 CE-SAT-2Bには三種類のカメラが組み込まれている。夜中でも撮像できる感度。うちひとつはミラーレスカメラだという。
 この衛星を2年運用して、次はカセグレン反射鏡式に進める。
  ※シュミカセですか。

 キューブサットは地球自転に同期して、日の出時刻の、横から光が当たっている地面を撮像し続ける。

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 David Hambling記者による2020-10-28記事「The 200 Millisecond Mission: Inside the Secret CIA Plan to Steal Soviet Missile Data」。
     ベトナム戦争当時、最新式で謎であったソ連製の長射程地対空ミサイル「SA-2」の信号情報を得るため、米軍は無人機「ファイアビー」をデコイに使ったエリント作戦を実施した。1966年2月13日である。

 レーダー反射特性を「U-2」に似せた「ファイアビー」をまずハノイに向けて飛ばし、敵がそれに「SA-2」を発射するように仕向ける。「ファイアビー」はかんたんに撃墜されてしまうわけだが、爆発の直前まで、敵の誘導指令信号、そして近接信管の電波を受信し、即座にその電波特性を後方の味方の受信機にリレーして報告した。

 この「ユナイテド・エフォート」作戦は、CIAが3年前から試行しながら失敗を続けてきたものだった。それがとうとう成功したのである。

 米軍がベトナムに介入しはじめる1964年に、北ベトナムにはSAM用のレーダーは6基しかなかったのが、1967年には500箇所近くに増殖していた。

 このSA-2の対空陣地は、巧妙に擬装され、頻繁に位置を変更し、警戒レーダーと追尾誘導レーダーは違う場所に配置され、なおかつ追尾誘導レーダーも別々の2基によって分担リレーするようにし、最終誘導電波はミサイルが命中する直前の1分間しか照射されない。

 1960年にゲイリー・パワーズが乗った「U-2」機が、高度2万mを飛んでいたにもかかわらずロシア本土上空で撃墜されたことで、米国はSA-2の威力を認めるしかなくなっていた。

 弾頭重量が400ポンドもあり、標的機の90m以内で爆発すれば、相手を撃墜できるポテンシャルがあった。
 そこでCIAが知りたがったのは、VT近接電波信管のパルス特性である。それさえ承知ができれば、ECMのやりようがあるはずであった。

 ベトナム語に訳されたSA-2のマニュアルをスパイが入手してくれたものの、肝心なVT信管の記述部分は訳されていなかった。

 こうなったら囮機を使ってリアルな電波情報を得るしかない。しかし、VT信管が作動するのはミリセコ単位の一瞬である。どうやって囮機はその電波情報を味方に転送できるのか?

 まずはエリント器材の小型軽量化から始める必要があった。SR-71などに搭載されているエリント機材の大きさでは、とても「ファイアビー」(ライアン社製のターボジェット動力のドローン。対空ミサイル実験のための無人標的機として使われていた)には載せられないからだ。

 命じられたエンジニアたちは、1400ポンドの重さがあったものを、特別に175ポンドまで軽量化したという。

 そのさい、電波特性を機上で解析する回路は、省略することにした。解析などやっている時間は無いにきまっていたからだ。

 また受信アンテナは、大型偵察機だとあらゆるバンド域に対応するため複数がとりつけられているのだが、SA-2のVT信管が使用する帯域を予測で絞り込んで、その帯域だけに特化したひとつのアンテナをとりつけることにした。

 パワーズ機墜落事件のあと、米空軍は、無人偵察機も考えざるを得なくなっていた。試行錯誤の末、既存のライアン社の無人標的機「ファイアビー」の胴体を延長する改造が1964年にうまくいった。

 この機体を「AQM-34」という。全長23フィート、ウイングスパン13フィート、エンジンはJ69-T-29ターボジェット、トップスピードは700マイル/時。C-130輸送機の翼下に2機吊るして、そこから発進させる。リモコンもC-130機内からおこなう。回収時にはエンジンを停止してパラシュートを開く。それを味方ヘリが拾ってくる。

 AQM-34は偵察機なのでステルス性も配慮した。外皮はファイバーグラス製。エアインテイクにもメッシュを張って、敵の防空レーダーがタービン翼部分で反射しないようにした。操縦電波にはUHFを使った。基本はプリプログラム飛行だが。

 これをさらにSA-2の近接信管電波を探るための専用機にカスタムしたものを「ライアン・モデル147D」、別名「ロング・アーム」と称する。機材の軽量化には努めたが、巨大なフィン状のアンテナがとりつけられたため、空気抵抗は増していた。

 VT信管の電波が感受されると、ロングアームの内部電子装置はそのデータを「マルチプレクシング」〔パケット化のことか?〕して200ミリセコンド以内に転送する。そのデータを、数マイル後方でロイタリングしている「RB-47H」機が空中で受信し記録するという段取りだ。

 リモコン担当のDC-130の内部もまた大変だった。ラックにぎっしりの通信機材にはおのおの空冷ファンが全速回転し、その400ヘルツの騒音で難聴必至というレベルであった。
 だからオペレーータは、耳栓をした上で、ヘッドセットをかけていた。

 1993年には「ロングアーム」をキューバに飛ばしてSA-2を発射させようとした試みが失敗している。レーダー反射が小さすぎて、防空部隊から無視されてしまったのだ。

 そこでわざわざ「ロングアーム」に導波管を装置し、下から来たレーダー波を増幅して戻してやるようにした。これで、レーダースクリーン上では、大型機である「U-2」に似ることになった。

 米軍はホワイトハウスの意向でキューバを刺激することは避けることになった。それで1964に北鮮上空に「ロングアーム」を2機飛ばしてみたが、電波信管のデータを得ることができずに、2機ともむざむざと撃墜されてしまう。

 問題を把握したCIAは、ロングアームのウイングスパンを15フィートから27フィートに増加させることにより、飛行高度を2万フィート高め、それによって、追尾レーダー作動から命中までの時間、すなわち受信準備の時間をかせげるようにした。このロングアームを「147E」型という。

 ついでそれをベトナムに持ち込んだが、最初のミッションでは、熱暑のために機材がダウンしてしまった。
 そこでアンモニア媒体を用いた冷却システムを付加。地上整備員は、有毒ガスを吸い込まないように気をつけねばならなかった。

 そしてとうとう1966-2-13に大成功したのである。電波信管の波長とパルスがわかっただけでなく、弾頭爆発から生じたブラストの強さまで計測できてしまった。

 そのデータをもとに、すべての米軍機にとりつけられる「SA-2」避けのジャマーが開発された。
 それがほんとうに有効かどうかテストしたのも「ロングアーム」であった。

 その囮機に対して11回、SA-2が発射され、1回も、撃墜されなかった。しかし12回目には、やられてしまった。

 以後、米軍機には、SA-2の追尾レーダーを感知するとコクピット内に最初の警報音が低く鳴り、じょじょにピッチが上がり、VT信管の電波が輻射され始めたらキツい連続警報音に変わるというシステムが搭載できるようになった。
 この音を聞きながら、パイロットは回避機動するわけである。

 システムは、最後の瞬間には、こっちから偽の近接信管電波の反射波を輻射してやってSA-2を早発させてやるというECMを自動で仕掛ける仕様だった。が、パイロットたちはしばしば、その自動ECM機能をOFFにして飛んだ。というのも、すでにSA-2が毀害半径内に存在していた場合は、それは自殺と同じだからである。

 システムの成果はめざましかった。1965年には、ベトナム上空でSA-2が4発発射されると、米軍機1機が落とされていた。それが1967年には、北ベトナム軍は50発近くのSA-2を発射しなければ米軍機1機を落とせなくなっていた。

 ※続報。ナイジェリア作戦でシールズのチーム6は突入時はパラ降下し、離脱にはCV-22Bを使ったのだという。あと、ROTA基地はカディス港に面したスペイン本土基地でござんしたわい。



ヤーボー丼―いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか (Ginga war books)


兵頭二十八の防衛白書2015