米国はリビアでは「パンツィールS1」の実物を手に入れている。

 Jeff Maysh 記者による2021-1-28記事「Lunik: Inside the CIA’s audacious plot to steal a Soviet satellite」。
   1959年。在メキシコの米国大使館に勤務する49歳の一等書記官は、じつはCIA職員で、南米全域のスパイを操縦していた。
 彼はアラバマ生まれで、もともとはFBIの暗号専門家であった。メキシコシティに赴任したのが1956年。

 1959-10に打ち上げられたソ連の宇宙ロケットは、月の裏側の写真を初めてフィルムに収めて地球に帰還した。またソ連の宇宙飛行士たちは早くも月面上を歩く訓練をしていると報じられた。
 対するアメリカは、CIAによるコロナ偵察衛星打ち上げが、ロケットの不具合で七回連続失敗しているという有様だった。アイゼンハワーは痺れを切らした。

 ソ連はこの成功を宣伝するために、ルナ・ロケットを世界中で展示ツアーさせた。ニューヨークでそれを見た米国人は、ソ連がモックアップではなく本物を展示させていることをその目で確認した。

 CIAは、その製品をソ連側に知られずにこっそりと分解調査したいと考えた。米国本土ではさすがに不可能だが、メキシコでならばできそうだった。

 ルナ・ロケットは長さ17フィート、幅8フィートあった。数時間あれば、それを分解して、液体燃料の残存物を採取し、部品を計測し、部品の製造番号刻印を撮影することができそうであった。

 この作戦のメキシコ側協力者が1987年にスペイン語でこの作戦についての著書を公刊している。
 展示宇宙船は貨物船によりタンピコ港に入った。

 日焼けし、南米人のように見え、しかも女遊びの得意なCIAスパイが加勢した。

 米側の最大の関心は、ソ連がロケット燃料として何を使っているのか、だったようである。ソ連がブースターとして何を選んでいるのかが、宇宙船の構造などよりも重要な情報だった。
 宇宙ロケットのブースターについてのソ連側のコンセプトが判明すれば、そこからソ連のICBMの構造機能を占うことが容易になる。CIAの究極関心事はミサイル安全保障であって、月面探検競争ではなかった。

 暗闇の中で手早く撮影する必要があり、それには強力なフラッシュが不可欠だった。※暗いとシャッターを短くできず、手前や奥がピンボケするからな。
 12ボルト電池で30秒ごとに発光できるように、市販フラッシュを改造した。

 メキシコシティでの三週間の展示公開が終わって、次の展示会場のキューバに向かうためにロケットがトラックに積み込まれて駅へ向かう。その搬出トラックを夜、隠密的にハイジャックして、朝までに一切を調べてしまう作戦だった。夜明けまでに部品を調査して元通りにして、何もなかったかのように、駅に届けてやるのだ。荷物は、駅から港へ。そこからキューバへ行く。

 CIAは米国内において、金庫破りのプロとか、ビルの2階から必ず侵入する箱師などの触法人材を確保していた。それを米本土内で使うことはないが、国外の作戦では時折、起用するのである。

 こうした複数のやばい《専門家》たちをあらかじめ旅客機でメキシコに送り込み、別々のホテルにバラバラに投宿させる。飲酒は厳禁し、だれとも会話してはならないと釘を刺して。もちろん各人には、作戦の全容など教えない。するべき仕事についてだけ、最小限のガイダンスがある。各人を送迎するレンタカーはいちいち、違えることは、いうまでもない。

 狭所作業になるので、オートミール以外は喰うなよ、とも、彼らは指示されていた。

 積み出しトラックの出発を遅らせて、わざとラッシュ時間帯に道路を走らせるべく、運送トラックのディストリビューターローターを破壊し、その部品を交換せぬ限りは動き出せないようにした。

 偽の道路工事で前に進めないようにし、後続車両の護送要員のソ連人たちをフェアウェルパーティに招待し、まんまと13時間半、トラックをひそかに拉致した。運転手を強制交替させて。

 ソ連側運送要員たちはホテルの酒場でテキーラ内にLSDを仕込まれ、雇われたプロ女たちの歓待もあり、大事な荷物のことは当面、忘れてくれたという。

 その間、トラックは材木置き場へ行き、そこでロケットの分解調査が始まった。
 外から見えないバルブ等の部品のいくつかは、盗まれた。
 トラックは、本来到着するべきであった駅前に、夜明け前に戻された。

 次。
 Ross Pomeroy 記者による2021-1-28記事「The Dangers of Masturbating With a Vacuum Cleaner」。
    専門家からの警告。掃除機の吸い込み口に男性器を突っ込めば気持ち良いだろうと思い、重症を負ってERに担ぎ込まれるケースがコンスタントにある。これはぜったいにやめろ。

 ※支那発の疫病が大流行している今日、阿呆な怪我で救急車を呼ぶことになるのは、すべての関係者にリスクと迷惑を及ぼす。やめよう!

 次。
 Ruth R. Wisse 記者による雑誌『Judaism』の2月号記事「A Tale of Five Blinkens」。
   国務長官になったブリンケンのルーツ。イディッシュ語に通じた著述家であった。

 ブリンケンの祖先は1904年にポーランド(今の露領?)から移民してきた。当時は姓の表記はブリンキンであった。
 このオヤジ、イディッシュ語で短編のフィクションを書く作家だった。1910年代のニューヨークには、そんな出版物の需要があったのである。
 そして息子は、その短編の英訳出版を手伝った。

 ブリンケンの祖先は東欧からNYCに渡ってきたユダヤ人移民である。息子2人のうち1人だけを伴って。
 その1人で、ブリンケン長官の直系祖先であるモーリス・ヘンリー・ブリンケンが15歳のとき、このじいさんは死んだ。
 その孤児少年はNY州立大学で法学を修めて1924に卒業した。

 30年後、彼は息子のロバートと、「マイト・コーポレーション」を創立する。

 モーリスはシオニズム運動を支持した。
 モーリスには三人の息子があった。全員、ハーヴァードに進み、裕福で、軍歴もある。
 クリントン政権時代、三人のうちドナルドはハンガリー大使になり、アランはベルギー大使として赴任している。

 このドナルドの息子がアントニーである。
 ユダヤ系移民の夢を大成させた見本が、バイデン政権の国務長官になっているわけである。

 ※どこを叩いてもアジアに関心など無いのは明瞭だ。日本は尖閣防衛について覚悟を決めなくてはならないだろう。



「地政学」は殺傷力のある武器である。〈新装版〉 ニュー・クラシック・ライブラリー