ベソス氏のような世界一の大金持ちになったとして、誰とも談話できぬ世界に生き続けるしかないとしたら、それは面白いだろうか?

 それでもオッケーという人とそうでない人がいるわけだ。
 ちなみにわたくし、誰か他人の人生と、このじぶんの人生をとっかえたいと思ったことは、20歳以降では、ないです。

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 Eli Fuhrman 記者による記事「North Korea’s Hwasong-16 ICBM: What We Know」。
    北鮮がこの前深夜に路上をパレードさせた「火星16」は、路上機動式のICBMとしては世界最大。そして、いちども実験されたことがない。

 過去北鮮は、三回しかICBMのテストをしていない。その三回、すべて2017年で、モノは二種類であった。

 2017-7-4に「火星14」テスト。2017-7-28にも。7-4直後に西側は、このミサイルは6700km以上は飛ぶだろうと推定した。7-28直後には、1万kmは行くかと計算された。ただし地球自転方向に打ち上げることでレンジを稼いでいるので、それは減点しなければならない。北鮮からNYCを攻撃したかったらシベリア方向へ射たねばならず、あまり自転力は利用できない。だから、せいぜい8000kmというところか。

 2017の三回目にして、これまで最後の実験は「火星15」で、それは「14」より大型であった。

 「火星14」~「火星16」はすべて液燃の二段式である。
 「火星15」のブースターの胴径には、ソ連時代のRD-250を二本束ねたものが入る。
 「火星16」のブースターの胴径には、RD-250を四本束ねたものが入る。

 「火星14」~「火星16」の第二段目には何のエンジンを使っているのかは謎である。

 テレビ画像から、「火星15」の全長は25m~26m、胴径は2.5m~2.9mではないかと目測されている。
 もしそれが正しければ、「火星16」の全長はそれよりも4.5mから5m長い。また、胴径は50センチ太い。
 もし「火星15」のペイロードが1トンだとすれば、「火星16」には2トンから3トンのペイロードが可能だろう。

 多弾頭化よりも、デコイ搭載ができる余裕が増えることに意味がある。それは、米国が配備しているABMではもう防げなくなることを意味するので。

 北鮮はTEL(運搬発射車両)を国産しつつある。シナからの完成品密輸にはもう頼っていないだろう。

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 季刊『Reed magazine』〔リード大学紀要?〕の2012年、Volume 91, No. 4の記事「How the Dutch Lost Taiwan」。
    蘭将トマス・ぺデルは1661年春に、国姓爺(鄭成功)軍と決着をつけようとして、ゼーランディア城〔今日の安平古堡〕を出陣。
 部下は250名。
 敵(明軍)は3000名と見られた。

 オランダはそれまでにすでに数十年間、台湾に地歩を固めていた。
 オランダ軍のマスケット銃がモノを言うはずだった。支那軍は弓と大砲だった。その大砲は中世のレベルであった。

 城外での小競り合いの結果は敗戦だった。くたくたに疲れた80名の小銃兵だけが城まで逃げ戻ることができた。
 これが、西洋軍がシナ軍によって破られた初の交戦である。
 国姓爺軍はそれから1年弱、城を攻囲し、オランダ人たちは降伏した。

 どうやってシナ軍は勝ったのか。オランダ軍はいかにして1年ももちこたえたのか。
 それを調べたのが、トニオ・アンドラードが2011年にプリンストンプレスから刊行した『Lost Colony』である。

 この著者、リード大学で生物学者または神経外科医になるつもりでいたが、鼠の解剖からしてじぶんには無理であると悟り、人類学にコースを変えた。
 転科のために1年半を費やした。シナ語は台湾に留学して覚えた。
 と同時に、大学でマイケル・ハコエンの歴史授業(フランス文化に及ぼしたドイツ文化)を取ったところ、歴史研究が面白いと思うようになった。

 著者の結論は、オランダ人は要塞と軍艦のおかげで1年間もちこたえた、というもの。

 帆走のオランダ軍艦とシナ軍のジャンクの海戦では、火力よりも運動の自在性が重要であった。
 オランダ帆船は間切りによって風上に動くことがすぐにできたが、ジャンクにはそれは簡単ではなかった。主帆が1枚だったから。

 だからゼーランディア城への海からの兵站線はさいごまで維持されているのだ。
 オランダ軍の拠点城は、四稜郭をふたつ連接した形状であった。石造。

  ※この石材は清朝時代に他の用途に持ち去られたため、今は城郭はほとんど残っていない。

 海岸と城との連絡線を断とうとした国姓爺の試みはたびたび失敗した。
 だが最終的に、内部から裏切り者が出て、城の攻略が成功した。