ひょうどう偶懐――「新コロ時代」は「X島」よりもハード?

兵頭二十八の放送形式 Plus

 2001年末に四谷ラウンドさんから初版を刊行した『地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法』は、2010年に光人社さんがNF文庫に入れてくださっていた。それがこのたび新装版になりました。
 関係各位に篤く御礼を申し上げたいです。

 大きな直しは不可能でしたが、行の変更がない小さな直しは可能でしたので、たとえば《26年式拳銃は敗戦の直前まで製造が続いていた》――といった勘違いを是正することができまして、ホッとしております。
 これに関しては杉浦久也大兄から賜ったご示教に大きく負うております。杉浦さま、ありがとうございました。

 いや26年式に関してはもっと根本から記述を変更するべきなのでしょう。いつまでも2001年以前の知識で語っていてはいけないはずなのです。しかし行数をいじらないで直すのがちょっと難しかったもので、残りは後日の課題とさせていただきました。

 本書とは直接関係ないのですが、前に杉浦先生からは、重擲弾筒の開発担任者三名の名前も教えてもらいました。1966年刊の『砲兵沿革史 第5巻 上(回顧録 其の1)』に載っている、と。
 これは盲点でした。この出版物は「レア度」としては微妙だったために、精読してなかったんです。じぶんとしては読んだ気でいました。

 つまり戦後に刊行されているので国会図書館に行けばいつでも読むことができる――と考え、精読を後回しにし、斜め読みで済ませていたわけです。そのうちに、すっかり忘れてしまった。
 資料漁り業の「あるある」ですよ。

 防研図書館にしかないレア史料とか、国会図書館に戦友会が寄贈している個人出版物から先に調べるべきだという焦燥感で、当時は頭がいっぱいだったんですなあ……。

 国会図書館は戦前資料(特に軍事系定期刊行物)のデジタル化をすっかり了えたのだろうか? 新コロ時代にはオンライン閲読をもっと便利にしてくれませんと、こういうマニアックな研究も深まりませんでしょう。

 戦後の刊行物でも、私家版の戦記のようなものは、早めにデジタル化してくれたら有り難いですよね。
 たとえば、『X島』の中で書いたかどうかは覚えてないのですが、わたしは「消音の単発拳銃」にこだわりがあります。これは現代でも、たとえば尖閣奪回に派遣される特殊部隊には全員に持たせるべきだと思っているほどです。

 そう思うようになったのも、先の大戦に関する私家版の回想戦記類の影響なのです。
 南方のジャングルで、敵の歩哨線を越えないと身動きができない、という局面が、多いんですよ。そこで何よりも必要だったのは、「消音銃」でした。

 この装備さえあったら、敵の歩哨線を随意に越えやすくなっただろう。それによって、日本軍の戦果や、日本兵の生存率が、どのくらい違っていたか知れないのです。単発だったら、わずかな投資だったんですよ!

 単発の消音銃なんて、今であれば、米国に行けばガレージ内で自作ができる。
 だれか試作品をこしらえて、防衛省に真正面から売り込めよ、と真剣に思います。
 あ、向こうの法令で、消音銃がその地域で合法かどうか、まず確かめてくださいね。念の為。

 ところで『X島』を書いたとき、日本はバブル崩壊不況で、若い人たちの人生計画は狂うだろうなと予測ができました。だから《X島ほどの最悪状況でもまだ活路はあった。現代人は頭を使え》――というのが、本書のメッセージでした。
 そしてNF文庫に入った2010年の2年前には、「リーマンショック」でしたよ。
 こんどの新装版は「新コロ」動乱のさなかに書店に並ぶことになります。

 おそらく若い皆さんの不安は、「このパンデミックは収まるのか?」に集約されるのでしょう。
 そこで、調べてみました。1918年の人類史上最凶のパンデミックは、どのように収束したのか――を。

 こんかいベーシックな参考にしましたのは、以下の三本のネット公開記事です。
 Marta Rodriguez Martinez 記者による2020-3-6記事「How did the Spanish flu pandemic end and what lessons can we learn from a century ago?」
 Teddy Amenabar 記者による2020-9-4記事「‘The 1918 flu is still with us’: The deadliest pandemic ever is still causing problems today」。
 Dave Roos 記者による2020-12-11記事「Why the 1918 Flu Pandemic Never Really Ended」。

 1918年型インフルエンザ・ウィルス「H1N1」、俗名「スペイン風邪」の猛威は、14世紀の「黒死病」を凌ぐ数の病死者を世界にもたらしたという点で、世界史的に特筆されます。
 H1N1ウイルスは、全世界ですくなくも5000万人を斃しました。

 この1918年型インフルエンザは、三連続パンチとして、世界を襲いました。

 まず1918年春、北米と、欧州西部戦線の塹壕に広まりました。

 続いて1918年の秋に第二波。9月から11月までのあいだに、全世界で数千万人を斃しました。

 そして最後の第三波は、1918年末から1919年春にかけてです。豪州、合衆国、欧州がやられています。しかしこのときは、ウィルスはマイルド化していました。

 冬に沈静化して夏にもり返す、という現象が観測されています。

 そしてスペイン風邪の場合、第一波より第二波、第二波よりも第三波の方が、致死率は低くなっていました。
 さらに抗原遷移したバージョン(変異型)が、1919年末から1920年初、および、1920年末から1921年初にかけて再々流行しているのですけれども、いずれも致死率が低く、ほとんど普通の季節性インフルエンザと差のない危険度でした。

 世界のコミュニティがノーマルに復帰したのは1920年の前半でした。
 このパンデミックは、収まるときははあっという間のように思われたかもしれません。それまでの2年間に5000万人が死に、それで集団免疫ができたのです。

 疫学史の上では、1918年型インフルエンザのパンデミック終焉は「1920年の前半であった」とされています。これに異論を唱える人はいません。

 スペイン風邪のときに世界が学習したことがふたつあります。
 まず、当初には「大袈裟だ」「過剰だ」と言われていた対策は、すべて、後から振り返ると、まったく不十分でした。
 そしてもうひとつ。人々は1920年に、パンデミックのことなど、すぐに忘れてしまいました。ただし、今次の「新コロ」もそうなるのかどうかには疑問があります(後述します)。

 いつをもって「パンデミックの終焉」と言うのかは、次のように定義されます。そのコミュニティに、制御不能な伝染が起きなくなったとき。そして、発症率が非常に低くなったとき。
 その状態が数週間続いたなら、パンデミックは終焉したのです。

 パンデミックの終焉とは、社会が集団的免疫を得たことを意味しました。しかしそれは、原因ウイルスが消えてしまったことを意味しません。
 「1918年型ウィルスは、1920年の前半にその猛威をうしなった」と表現するのがいっそう正確なわけです。ウィルスじたいは、存在し続けているのです。

 「スペイン風邪」と名づけられた経緯について。
 記録されたアウトブレークの始まりは、米本土でした。それは1918年の1月でした。まだ第一次大戦中ですので、それがすぐにフランスへ伝わり、そこから全欧州に拡散。スペインでアウトブレークしたのは1918年5月です。
 ちなみに第二次大戦と第一次大戦では違いがありまして、第二次では米兵はいったん英本土に上陸し、そこから渡仏するわけです。しかし第一次大戦では英本土をスルーして直接にフランスに上陸しました(このへんについては2019年の既著『兵頭二十八の農業安保論』をお読みください)。だから英国への伝染はフランスよりも遅くなった次第です。

 ところが当時、参戦諸国はこのインフルエンザのおそるべき死者数については、情報を統制して公表をしませんでした。
 それに対してスペインは中立国でしたので、何も気にせずに病死者数を公表。
 スペイン王アルフォンゾ8世も罹患したと報じられました。
 それが世界に伝えられた結果、この疫病は不当にも、「スペイン風邪」と呼ばれるようになってしまったのです。

 「1918 H1N1」の真の発祥の地と時が、どこでいつであったのかについては、いまだに学術論争の決着がつきません。
 カンザスの兵舎で患者第一号が記録される前に、スペイン風邪ウイルスは1917年のシナ大陸もしくはフランスで誕生していたのではないかという疑いが、根強いです。どうせアヒルや家畜からヒトに移ったに違いないというので……。

 異論なく一致していることもあります。もともとはヒトのインフルエンザではなくて、トリのインフルエンザであったという科学的な分析です。

 1918年型インフルエンザウイルスのゲノムは、1990年代に解析されています。
 当時病死した米兵の肺サンプルが某所に残っていたので、それをもとに国立保健研究所NIHが解明したそうです。
 1918インフルは、おそらく1917年に、アヒルとかニワトリといった家禽の鳥インフルエンザから、ヒトインフルエンザに変化したのだと推定できました。
 研究所で、そのオリジナルを復元したウィルスで鼠を感染させたら、今日の季節性インフルの100倍の致死力を示したということです。

 1918~1920年のスペイン風邪のときは、不思議にも、30歳以上の人が、重症化しにくく、快癒率が高かった。
 おそらくその理由は、1889年と1890年に流行した「ロシア風邪」のウィルスによる免疫が、それらの人々の体内に残っていたからだろうと考えられています。つまりスペイン風邪のウィルスの遺伝子情報の中には、その前のロシア風邪のウィルスの遺伝子情報が含まれていたのです。

 インフルエンザ・ウィルスは消えることなく、変異しつづけます。
 その遺伝子情報の一部が後々まで、最新世代ウィルスの中に受け継がれて行くのです。

 平時の、季節性のインフルエンザでは、それに罹って死ぬのは主に年寄りと子どもたちです。
 ところが1918年のスペイン風邪は、20歳代と30歳代を狙い撃ちし、世界全体の病死者のうち半数が、その年齢層の男女でした。

 「1918年型インフルエンザ」は2年間で5億人に感染したと見られています。5億人というのは、当時の世界人口の三分の一です。

 そして、全世界の20歳以上40歳未満の男女のうち1割弱がこのスペイン風邪によって殺されたのではないかといいます。つまり1割弱が死ぬくらいに流行した時点で、やっと集団免疫ができたわけです。

 偶然にも、30歳以上の男女には、その前のロシア風邪の免疫が残っていたおかげで、重篤化はまぬがれることができました。

 スペイン風邪のウィルス「1918 H1N1型」は、1920年以降は、どこに伝存したのでしょうか。
 人間、ブタ、アヒル、ニワトリその他の生きた動物の体内です。そこで生き続け、複製され続け、変異し続けている。

 そして時間ととも、ふつうの脅威度のインフルエンザと同格のウィルスになりました。すなわち、毎年ある季節になると流行するが、パンデミックにはならないインフルエンザと、大差がないものに。

 いわば、さいしょは体重91kg以上のヘヴィー級のボクサーがメリケンサックをつけて通り魔をやっていて、一撃で通行人が殴り殺されていたのに、しだいに、47kg以下のミニマム級のチンピラに降格したという感じでしょうか。

 いっぱんに、あるコミュニティ内に疫病ウィルスが長く存在し続けるほどに、そのウィルスの毒性は弱くなって行くとされます。
 これは、ウィルスが宿主aから宿主bに伝染しおえる前に宿主aに死なれては、自己複製ができなくなってしまいますので、自己複製の見込み率を最大限に上げるために、しぜんにそうなるのだと考えられています。

 たとえば現代では、ポリオにかかってもほとんど症状を自覚できないケースがあるそうです。新コロも、このポリオのように、少しおとなしくなりながら、残り続ける可能性があります。

 もちろん、今後もすべての疫病ウィルスが例外なくそのような低威力化の変異を遂げるのかどうかは誰にも確約ができません。

 変異は、家畜や鳥の体内で簡単に起きます。
 たとえば甲というインフルエンザと乙というインフルエンザが1羽のトリの体内に同時に侵入したとしましょう。するとその鳥の体内で、二種類のインフルエンザの遺伝子が融合して新型「丙」ができあがってしまうのです。

 まさにこれが1957年のインフルエンザウィルスの正体でした。トリの体内で「H2N2」という新型ウィルスができてしまったのです。それが全世界で100万人を斃しました。ベースは「H1N1」です。

 1968年の「香港風邪」=H3N2 も同様で、鳥の体内でこの新インフルエンザがつくられました。この香港風邪も世界で100万人を殺しました。その遺伝子の一部は、やはり「H1N1」からひきつがれているものなのです。

 「1918 H1N1」の直系後継ウィルスによるインフルエンザ流行は、1957年、1968年、2009年に起きています。
 2009年のインフルエンザは、スペイン風邪ウィルスの「ひ孫」=四代目 が起こしたのです。

 すなわち過去百年以上、「A型インフルエンザ」と呼ばれるものは、要するに「1918年型インフルエンザ」の子孫なのです。その遺伝子の一部は、スペイン風邪ウィルスそのものなのです。

 2009年の豚インフルエンザは、1918年型ウィルスが米国の豚にのりうつって温存されていたものが、ヒトインフルエンザおよび鳥インフルエンザを取り込んで変異したものでした。それが世界中のヒトに伝染した。
 この2009年型インフルは世界で30万人を斃しました。

 死者が少ないのは、2009年のインフルエンザでは、老齢世代の多くが免疫をもっていたからでした。若い世代は、過去の類似ウィルスの免疫ができていなかったため、このウィルスにやられやすかったんです。

 今次の新コロが1918インフルエンザと明らかに違う点がいくつかあります。
 ひとつは後遺症。たとえば新コロに罹患して治った患者は、恢復後も、心臓血管疾患のリスクを長く抱え続けることになるおそれがあります。

 ここから先は兵頭の個人的な感想です。

 死ぬことはないし、自覚症状すらないが、それに感染すれば、体内の血管細胞が健常者よりも脆くなってしまうなどの時限爆弾を知らぬ間に埋め込まれてしまう、そういうステルスタイプの厄介な疫病として今の新コロが変異した場合は、このパンデミックが終わったあとも、人々の恐怖は永続するでしょう。

 誰もが、じぶん自身をも含めて《ステルス・スプレッダー》たり得るからです。

 新世代罹患者は、自覚症状が無いので、じぶんでも知らないうちに、それを他者に移して広めてしまう。
 そのため健常者は、すべての他者を疑って暮らすしかなくなる。

 これはスポーツ時代の終わりを意味するかもしれません。それが東京五輪の年に、始まったことになるかもしれません。

 英国からの報告によると、英国変異型ウィルスは、オリジナルのチャイナ・ウィルスよりも強毒である可能性があるそうです。これはもっと調査が必要です。もしそれが本当であったならば、新コロは1918インフルエンザのパターンをなぞらないことになります。

 さらにブログでも紹介しています最新のいくつかの研究によれば、新コロ・ワクチンを接種した人が、ひきつづき、サイレント・スプレッダーとなり得る。
 健康な人が、罹患歴がなくて、ワクチンも接種してもらっているのに、あらたに自覚症状のない新コロに罹患してしまうという確率すら、どうやらゼロではなさそうだというのです。
 そしてその人たちは、知らないうちに、別な人に新コロを移してしまうのです。

 いったん罹患して、快癒したと思っている人も、じつはサイレント・スプレッダーであるかもしれないし、逆に、再度罹患することだって、あり得る。
 「オレは妖怪だった!」と、平凡な人間が突然気づくというホラー。
 ウィルスの立場になって、望ましい進化型を考えたら、そういうのは、納得ができる変異でしょう。

 過去のインフルエンザだったならば、後遺症として肺にちょっとダメージが残るくらいで済むかもしれませんが、新コロは、血管の細胞を攻撃するらしいので、当人が自覚しないうちに、全身のあちこちに深刻なダメージを、当人が自覚しないうちに、蒙ってしまうかもしれない。

 頭がハゲるくらいなら、帽子をかぶってごまかせばいいでしょう。しかし、心臓血管が脆くなったり、肺の機能が不可逆的に低下したら、「スポーツは不特定多数の人々の健康にとってとてもリスキーな活動だ」ということになっちまいますよね。激動が、頓死をもたらすかもしれないわけですから。

 さらに想像してみましょう。
 ワクチンを接種済みであることや、既往罹患歴がないことや、PCR検査の陰性結果が、ある人の「ウイルスフリー」性をいささかも立証してくれないのだとしたら……? これから、いつまでたっても、ずっと……。

 そういう人でも、たった今、ステルス感染しているかもしれないし、サイレント・スプレッダーなのかもしれないし、これからまもなくして罹患するかもしれないとしたら?

 困りましたね……。

 もう、かつての世界は戻って来ないことになるでしょう。
 ではその世界はどんな世界なのか?

 わたしには想像できます。しかし、とても長くなりそうなので、また稿をあらためて、お話ししてみたいと思います。
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地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法 (光人社NF文庫)


兵頭二十八の農業安保論

(管理人Uより)

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