真夏の乾燥地。地下に水がある地面は他よりも涼しいので、真昼に鳥が集まって休憩している。

 Sean D. Carberry 記者による2021-6-24記事「The Afghan Air Force: When ‘Buy American’ goes wrong」。
   アフガニスタンから米軍が撤収したら、「アフガン空軍」もスクラップになる。なぜなら整備員は全員、米国人の契約民間社員だからだ。
 本家の米空軍も、今日では整備の多くを民間契約社に依存しているが、国内の話だからそれで問題も起きない。アフガニスタンは航空機整備を外国に依存することを強制されたのだ。

 こうなった責任は、米国議会にあった。2012年に、アフガン空軍が自前での整備をできないように決めてしまったからだ。彼らの目的は、米国の航空機メーカーを儲けさせることにあった。

 アフガニスタン政府はながらく、ミル17とミル35というロシア製のヘリコプターを飛ばしていた。これらはアフガンの、埃っぽい高地での運用に適していた。運用も整備もぜんぶ、アフガン人だけでやっていた。

 だから2001年に米軍が入ってきたとき、アフガン政府は、ひきつづいてミル17を運用することを望み、米国に対して、ミル17をもっと買ってくれと頼んだ。米国は最初、それでOKとしていた。

 ところが米議会(の背後にいる米企業)が反発した。なんで米国人の税金で、ロシアの「ロソボロネクスポート」社を儲けさせてやらにゃならんのか、というわけだ。それで2012年に、連邦予算でロシア製の軍用機材を買うことが禁じられた。
 そこでロシアは、アメリカ政府が買い上げる予定であったミル17を、シリアのアサド政府軍に売った。アサド政権はそれらのヘリを使って自国民の頭上に爆弾と毒ガスを投下しているところだ。

 コネチカット州選出の民主党所属上院議員、リチャード・ブルメンソールは2012立法の急先鋒だった。彼の地元には「UH-60 ブラックホーク」の工場があった。ブルメンソールは、アフガン政府にブラックホークを買わせようとしたのだ。

 時のヘーゲル国防長官とデンプシー統幕議長は、議会公聴会で反論を試みた。ミル17を与えることが、アフガニスタン空軍を早期に独立させられる最善の早道なのであると。

 しかし議会は国防総省を圧倒した。
 2017年にDoDは、最初のブラックホークをアフガン政府に引き渡した。
 その前には、ブラジル設計&米国内製造のスーパーツカノも引き渡しを始めている。
 いずれも、アフガン人には整備ができなかった。

 米国から新品航空機が供給されるにともなって、アフガン軍はミル17を退役させた。

 当初、米国は159機のブラックホークをアフガン政府に買い与えるとしていた。それは2020年に53機に減らされた。

 1機目のUH-60がひきわたされた時点で、アフガン政府は24機のミル17を運用できていた。

 それがなぜ、追加で159機もが必要という計算になったのだろうか?〔メーカーを儲けさせたいだけで、それ以外に理由などなかった。〕

 アフガニスタン空軍は、どうやって大量のUH-60パイロットと整備員を募集し育成するつもりだったのだろうか? ミル17と違って、高度な教育を受けた者でなくては、ブラックホークは扱えないのである。

 しかもブラックホークの高地性能は、ミル17よりも劣るのである。1機で運搬できる重量もミル17が勝っていた。そこをどうやって補うつもりだったのだろうか。

 アフガン空軍は、UH-60やC-130の自前整備は、いつまで経ってもできないと見積もられた。

 輸送力の補完については、CH-47チヌークを与えるしかないだろう、と、DoDは結論した。ブラックホークよりも整備がたいへんな機体である。不幸中の幸いは、議会はそのための予算をつけなかった。おかげで、今後、チヌークがアフガンでタリバンの手におちる心配はない。

 米国は、インドからミル17を買い取ってそれをアフガン政府軍に与えるというオプションもあったはずだ。

 けっきょく米議会がやったことは、ロシアを儲けさせぬかわりに、アフガン政府軍を害したのである。

 いま、アフガン政府軍は12機のミル17を運用できている。
 その12機以外に150機ほどの米国援助機があるが、すべて、飛行場で朽ち果てるであろう。

 ※この記者はスーパーツカノの整備がミル17並にイージーであることを無視する。アフガン政府最後の日にはこの固定翼機は国外へ自航して亡命するであろう。

 次。
 Barry Stocker 記者による2015-6-20記事「Myths of Sovereignty and British Isolation, I: Waterloo」。
    ワーテルローの連合軍を指揮したウェリントンはアイルランド人。麾下将兵は、ドイツ各邦の軍隊、オランダ人、ベルギー人、アイルランド人が多くて、ブリテン人は少しであった。

 ナポレオンは欧州人が結束して打倒したのであり、英国が単独で始末をつけたわけではない。英国は別に孤立などしていなかったのである。