Zixu Wang and Sophie Jeong 記者による2021-9-6記事「Jan Hecker, German ambassador to China, dies just a few weeks into his posting」。
ドイツの駐北京大使、ヤン・ヘッカー(54)が、急死した。北京のドイツ大使館が月曜日に「ウェイボ」にて広報した。
死因は報道されていない。
メルケルから大使に任命されたのが8月24日のことであった。それまではメルケルの外交顧問だった。2017年からメルケル外交を仕切っていた大物である。
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『タイムズ・オブ・イスラエル』の2019-12-24記事「The top Mossad spy who befriended his terrorist target ? then had him killed」。
1972のミュンヘン・テロの犯人に酬いを受けさせるため、ベイルートで一般人として暮らしていたモサドの「エージェントD」に指令が下った。そのとき、身の安全を最優先するために、ターゲットには直接コンタクトをするな、とも注意された。
しかしDはなりゆきによって、アリ・ハッサン・サラメの親友になった。殺す前に。
1972ミュンヘン・オリンピックでは11人ものイスラエル選手が「ブラック・セプテンバー」によって虐殺されている。パレスチナ人のテロ集団であった。
サラメがその作戦を統括していたのだ。
サラメは血筋がよかった。赤い王子と呼ばれていた。サラメの父は1948に対イスラエル戦争で死んだアラブ軍の司令官だった。サラメはアラファトの後継者になるのではないかとも目されていた。
他国に潜入して別人として生活する方法についてDは語った。ポジティヴな分裂症にならねばならない。心の中でこれは別人だと思っているようでは誰も騙せない。心からなりきらなくてはいけないのだと。
Dはベイルート国際ホテルの住民として送り込まれた。サラメはそのホテルのスポーツジムの常連だった。
半年が過ぎ、客の空いている時間帯にジムで黙々と腹筋運動していたら、背後からサラメが声をかけてきた。「キミ、その方法は正しくないよ」。
※70年代からジムには「教えたがり魔」がいたのねんのねんのねん。
これをきっかけに会話をかわすようになった。サラメはスカッシュの相手を探していた。Dはテニスの心得しかなかったが、ジムにインストラクターがいたので、サラメの奨めにしたがってレッスンを受けた。
Dは回顧する。サラメは男らしい、いい男だった。教養もあった。Dはすっかり好感した。
しかし同時にサラメは11人殺しの首謀者なのだ。まあ、それは両立するだろう。だから死んで責任をとってもらうのだ。
サラメの妻は元ミス・ユニバースであった。Dはディナーにまで招待された。私室の中のコンドームの引き出しまで、本人から教えて貰う仲になった。
ただし、サラメの周辺には身辺護衛の一団が常に存在した。
サラメは、夜の11時か12時に、自宅から独りで自動車を運転して外出するパターンがあることが把握できた。むろん護衛の自動車が同行する。
「キュリー夫人」通りは、300mにわたり、一方通行である。その先には交差点があり、そこは直進できず、右折するしかない。
右折すると、そこには3箇所のパーキング・スポットがある。そのひとつに車を停めるのがお定まりであった。ならばそこで爆殺する手筈がよさそうだった。
爆弾を作動させる係としては、モサドは、別な若い女Cを派遣した。もともと英国籍なので最悪の場合、英国大使館に駆け込める立場だ。
Cはそのパーキングを見下ろせるアパートの部屋を借りて住んだ。1979-1、作戦に青信号。
Dはヨルダンに旅行し、そこでモサドから、爆薬を中に隠した家具を渡される。Dはシリア経由でレバノンまで、その品物を持ち帰った。
自動車に爆薬をセットするのは第三のエージェントだった。自動車はDが調達していた。
1979-1-22、サラメの自動車と護衛の自動車が、狙ったパーキングに駐車した。すでに爆装自動車は先にその近くに置かれてある。アパートから見ていたCがリモコンの起爆スイッチを押すと、100kgの爆薬が炸裂した。日中であり、通行人多数がいたが、Cは構わずに起爆させた。
サラメの護衛4人がその場で即死。サラメは瀕死の重症で病院に担ぎ込まれたものの死亡した。
この爆発により、テロと無関係な4人の通行人も死亡した。別に16人の通行人が負傷。
3人のイスラエル・エージェントは、すばやくレバノンを離脱している。
※「車椅子スポーツチャンバラ」は、「短剣」代わりのウレタン棒を必ず片手で保持し、相手の肩から上だけを打撃するものとする。一定以上の加速度でハードヒットしないと機械計測されない。「突き」は得点とはならない。1対1の他に、集団戦も考える。攻撃と防御は30秒ごとに入れ替わり、「防御」中に反撃してヒットしてもそれは機械計測でカウントされない。また「防御」中に車椅子を前進させると反則で減点される。
日本の「体育剣道」には、敵の首から上に対する「横殴り」ヒットがノーカウント&反則になるという奇矯なルールがあって、これあるかぎり国際スポーツとして大人気を博することはないだろう。しかし「車椅子スポーツチャンバラ」は人の片手の動きとして自然である「横殴り」「袈裟斬り」「逆袈裟斬り」を主たる打撃技にし、しかも下半身が関係ないので健常者でも身障者と対等に「試合」ができるのである。
こういう近代的な新競技を、パラリンピック中に「エキシビション」として世界のマスコミの前に提案ができるようでなければダメだ。わかったか自衛隊体育学校? 旧軍の「短剣術」はこのためにあるんだぞ。
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indomilitary の2021-9-5記事「Replaces MiG-29K on Aircraft Carrier, Indian Navy Await HAL TEDBF fighter jet」。
インドのHAL社は、単発エンジンの軽量戦闘機「テジャス・マーク1」を仕上げたので、次は双発で艦上戦闘攻撃機を開発するのだとフカしている。インドの空母から運用させる気まんまんである。
これが実現すると、いまインド海軍の艦上戦闘機にされているロシア製「ミグ29K」の後継機ということになる。
※早いところインドとロシアの武器つながりを断ち切ってやりたい米国は、インドに好条件で無人機の共同開発をもちかけているところだ。
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India Today の2021-9-6記事「Panjshir bombed by Pakistani Air Force drones: Reports」。
日曜日に『Amaj News』が報じたところでは、パキスタン空軍の無人攻撃がタリバンのパンジール州攻撃を空から支援して、空爆を加えた。
日曜日の夜には、アーマド・マスードの広報官であった男が戦死した。パンジールで。
日曜日にマスードらの反タリバン・グループが大損害を受けているのは間違いなさそうだ。