原潜は当面、リースになりそうだ。

 indomilitary の2021-9-21記事「Looking forward to 2040, Australia plans to lease a nuclear submarine from the US or UK」。
   豪州が取得するつもりの原潜だが、どう考えても一番艦の入手は2040年より早くははあり得ぬ。

 そこで豪州のスコット・モリソン首相は、英米どちらかからSSNを短期リースしてそれまでをつなぐ気だという報道が出てきた。
 第一報は『ガーディアン』の9-19記事。

 他メディアの追加取材で、これについては財務大臣のバーミンガも、国防大臣のダットンも、それは確かにオプションだと答えている。

 ※さもないと2030の決戦に間に合わないからね。納得。

 次。
 2018-2-22記事「‘MASH’ Finale, 35 Years Later: Untold Stories of One of TV’s Most Important Shows」。  CBS系列で11シーズンも放映されたTVドラマ『MASH』が終わってから35年。スタッフとキャストの生き残りが当時を回顧する。

 『マッシュ』の第11シーズンの最終回は、1983-2-28夜の放映であった。

 『マッシュ』のファーストシリーズの第1回は、1972-9に放映されている。
 とうじ、CBSの経営幹部は、コメディドラマがひとつ欲しいと考えていた。

 シリーズ・クリエイターのコンビ、ジーン・レイノルズとラリー・ゲルバートは、局に逆提案した。シリオコミック、つまりシリアスなドラマが演じられているのに視聴者の視点からはコミカルに思えるもの。人間の真実に思い至らせる簡潔な短い事件をつらねて。

 バラク・オバマも、このドラマからは多くを学んだという。

 MASHとは、モバイル・アーミー・サージカル・ホスピタル=陸軍移動外科病院の略。朝鮮戦争時の兵站病院である。
 ベトナム戦争のときとは違って、完治した兵隊はまた最前線へ復帰させられることが多かった。
 医師と看護婦は常態的に疲労していた。

 1970年にこのシリーズが映画化された。監督はロバート・アルトマン。それはヒットしたので皆おどろいた。公開は「R」指定だったものの、家族連れでも鑑賞できる戦争映画というジャンルがきりひらかれた。

 プロデューサーのひとり、レイノルズいわく。笑わせる話なのだが、同時に、戦争がおもしろいゲームにすぎないという誤解を視聴者に与えぬようにしなければならなかった。軍医や看護士たちの勇気についても正しく伝える必要があった。

 スウィット(看護婦役)いわく。とうじはベトナム戦争末期だったが、わたしたちは政府の宣伝はしなかった。正気でない情況におとしこまれた人々のシリアスな問題にわたしたちは向き合おうとした。

 脚本のゲルバートを起用したのは、レイノルズであった。ゲルバートはテレビドラマとブロードウェイで脚本を書いていた。企画の当初、彼は英国でBBCのための仕事をしていた。マッシュのスタッフも役者も皆、ゲルバートは天才だと太鼓判を押すことになった。

 やはりライターのケン・レヴィンいわく。ラリーはコメディ脚本のモーツァルトじゃないかと思った。彼自身が監督しているかのように、彼の発想がそのまま動画になるのだ。

 やはりライターのイライアス・デイヴィスいわく。シリアスと滑稽の共存方法をゲルバートは考え抜いていた。

 主役(軍医の「ホークアイ」)であったアラン・アルダいわく。ゲルバートは、ひとつの回の中に、ドラマ、コメディ、バーレスク、諷刺を混在させた。

 プロデューサーのひとりダン・ウィルコックスいわく。ラリーとジーンのすごいところは、シーズンとシーズンの間に、次のシーズンでもどうしても視聴者を笑わせるんだという強迫観を持たなかったこと。わたしが出演したコメディの中で、台本に感動して涙を催したのは、マッシュだけだ。

 レギュラーのひとりだったマイク・ファレルいわく。マッシュに出演する前にあるテレビプロデューサーからシットコム(シチュエーションコメディ)の主役を張らないかと誘われたが、台本を読んでげんなりしてお断りしたことがある。世にあふれる凡庸なコメディは、『マッシュ』とは比べ物にならないのです。

 マッシュのプレミア放映は1972-9-17だった。当初、ABCの『ワンダフルワールドオブディズニー』の裏時刻帯であった。

 レイモンドとゲルバートは、局側の次のような要求を激怒して退けた。戦争を軽くみせようとすること。血を見せるシーンを最小限にさせようとすること。笑いトラック(別なスタジオで録音してストックしてある「ワハハ」という集団の一斉哄笑音源)を挿入すること。

 ライターのデニス・ケーニッヒの証言。ジーンとラリーはいつでもこの仕事を断ってスタジオから出て行けるように、私物をひとまとめにしていた。

 チーフプロデューサーだったバート・メトカーフの証言。独創的な回は、「ときどき君は銃声を聞く」だ。主役級のホークアイの旧友の戦場特派員が前線で負傷し、ホークアイの手術台で息を引き取る。

 そこで上司のブレイク大佐が言う。指揮学校では、「ルール・ナンバー1」を教わった。戦争では若い男が死ぬのである。そして「ルール・ナンバー2」は、軍医には「ルール・ナンバー1」を変えられないのだ。

 ウィルコックスの証言。この脚本を読むと誰でも、この特派員の命を救ってやりたいと願う。そして、患者を死なせてしまう医者の気持ちを皆が共有することになる。アランもこのエピソードが最高の回だと語っていた。

 メトカーフの証言。ところがCBSの役員があるときわれわれのオフィスに入ってきて、この回を例に挙げて、こんなことをやっていたら『マッシュ』はダメになると説教して行った。
 『マッシュ』は、ドラマとコメディを融合させた先駆的な番組だったのだが、CBSの重役はまったくその意義に気づいてなかった。だからシーズン2でも同じ扱い方だった。

 レギュラーだったジェイミー・ファーの証言。当時のCBS創立者ウィリアム・ペイリーの嫁だったベイブ・ペイリーが『マッシュ』の第1~第2シーズンを気に入り、「CBSの至宝」だと旦那に向かって絶賛してくれたようだ。それでペイリー氏も第3シーズンの終了時には「君たちは次の『アイラブルーシー』だよ」と褒めてくれるまでになった。

 レイノルズはNYCの劇場でアルダをよく知っていたから、テストも何もしないで、彼をホークアイ役に決めてしまった。

 レイノルズいわく。彼は基本がコメディックな役者なんだけど、瞬時に愁嘆も演じられるという能力があった。

 ゲルバートの考えでは、戦争の狂気に耐えるためにジョークの才能を使うという役柄が必要であった。

 医療描写面の専門コンサルタントだったウォルター・ディシェルの証言。アラン・アルダは知りたがっていた。医者が患者に対して、片足を切り落とすと告げるとき、どんな気分なのかと。出血を止められないとき、医者は頭の中では何を考えるかと。

 看護士のケリー・ナハカラはハワイの日系だった。

 脚本家たちが詰めていた建物は、かつてシャーリー・テンプルのために建てられた学校だったところ。
 レイノルズ、ゲルバート、メトカーフの3人は、実際に朝鮮戦争で軍医だった人々にインタビューを重ねていた。

 その実話のひとつ。野戦病院の治療テントにかつぎこまれてきた北朝鮮兵がいきなり手榴弾を取り出してピンを抜いた。しかし軍医がその手をおさえて発火を阻止し、ピンを再び差し込んだという。手術室内の他の者たちはもちろん皆一斉に伏せたのである。
 ※ロシア型手榴弾だとピンを抜いた直後にちょっと握力を緩めれば安全器はすっぽぬけて秒時点火が始まる。したがってこの話は不審である。

 シーズン2のあと、ラリーとジーンは韓国へ旅行して在韓米軍のMASHユニットに取材した。いくつか、ドラマのために創作したプロットに似た現実が実際にあったと知った。

 CBSには言葉の検閲係がいるのだが、いいかげんなものだった。あるときは台詞中の「バスタード」が下品でダメだというので「サノバビッチ」に変えたら通った。しかし最終シーズンでは「サノバビッチ」をやめろというので「バスタード」に直したら、それでパスした。

 真冬の手術室は寒い。そこで外科医が患者の傷をきりひらくと暖かい湯気が立ち上る。医師はその熱で自分の指先を暖めた。……こういうリアリティを韓国ではたくさん聞かされた。

 レギュラーだったマクリーン・スティーヴンソンがシーズン3を以って、降板した。噂ではNBCが、こっちを妨害するために引き抜き工作したのだという。あんたなら、ジョニー・カーソンの後釜になれるよ、とか吹き込んで。

 ある役のキャラクターや演技がヒットしたとする。それは彼一個の業績だと勘違いをしがちだが、じつは共演者たちの貢献分が大きいことを忘れてしまうと、失敗するだろう。

 スウィットの証言。マックは去る前にこう言っていた。マッシュの中ではじぶんはナンバー3だが、他局の別番組でナンバー1をやらせてくれるという話が来たら、うまくいかないかもしれないと想像はできても、それに乗らない選択はないのだと。

 マックは日本海で乗機が撃墜され戦死したということにされた。
 これは視聴者にも迫真の喪失感を与えた。

 十年やったところでマンネリ化してきたので、そろそろ休戦にしようということになった。