パキスタンでは1987年以来すくなくも1472人が涜神の罪で訴追されているという。
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英国の軍事史サイトより、「Little Willie Tank」。
敵の機関銃に対する耐弾力があるボックスを装軌車台と結合させたらどうかという案は英陸軍の内部で1914年から討議された。
アーネスト・スウィントンと、モーリス・ハンキーの2名の大佐が、それは有望に違いないと確信した。
WWIが勃発するとスウィントンは西部戦線へ派遣され、戦場リポートを持ち帰る。
敵の機関銃はその陣地の前で数千人の味方歩兵を斃しまくっている。
スウィントンは書いた。ガソリンエンジンで無限軌道を回す農業用トラクター。これを硬化スチール板で装甲することにより、敵の機関銃手に向かって行けるようになるであろうと。
この大型機械の開発企図を敵のスパイから秘匿するため、スウィントンは「貯水容器(タンク)」という部内符牒を考え付いた。
タンクにとっての最大の敵は、英国国防大臣のキッチナー卿だろうと思われた。
キッチナーは部下からの提案や、実験的な新趣向を嫌う、古いタイプの指導者だったのだ。
キッチナーが「その案は却下」と言ったらそれですべておしまいなので、スウィントンは提案をおそるおそるせねばならなかった。
リチャード・ホーンズビーとその息子の家族会社が、実車製作を担当し、できあがった試作品に「キレン-ストレイト装甲トラクター」と命名されている。
履帯はスチール・リンクをスチール・ピンでつなげたものだった。
この試作車が1915-6に、ワームウッド・スクラブスという軍の試験場において、ウインストン・チャーチルおよび、デイヴィッド・ロイド・ジョージの目の前で走らされた。
試作車体はみごとに鉄条網障害を突破してみせた。チャーチルは、これなら塹壕帯を楽々と越えられるだろうと思うに至った。
スウィントンは、量産されるべき実用車の必須性能をこう考えた。
平地において毎時4マイルの移動力があること。
最高速力で機敏に操向できること。
後進ギアもあること。
高さ5フィートの胸墻を乗り超えられること。
幅8フィートの塹壕を飛び超えられること。
車内に10名を収容できること。
武装としては機関銃×2と、2ポンド砲×1。
チャーチルはこの案を、首相のアスキスに宛てて手紙で書き送った。
1915-2、チャーチルは海軍省に「陸上軍艦」×1両を試作する予算7万ポンドを醵出させた。
1ヶ月後、チャーチルは、プロトタイプとして18両(うち6両は装輪式)が製造されるべきであることに合意した。
予算は海軍省から出たが、具体的な作業は国防省(=陸軍省)と弾薬兵站省とで実施した。
プロトタイプの1号車には「リトルウィリー」という愛称がついた。エンジンはダイムラー製。履帯長12フィート。重さ14トン。乗員3名。速度は3マイル/時がギリギリだった。不整地では2マイル/時以下となり、これでは超豪能力が不安と言うしかなかった。
スウィントンは不屈の努力を続けて、プロトタイプの諸性能を実用水準にまで改善させた。
プロトタイプに続く改良型が「マークI」である。仇名は「マザー」。製造は、「リトルウィリー」にひきつづいて、ウォルター・G・ウィルソンとウィリアム・トリットンの2人の中尉が監督した。
リトルウィリーとの著しい相違は、車体を縦長にしたこと。重心はできるだけ低くし、車体の左右側面に6ポンド砲弾を発射できる海軍砲を搭載した。
1916-1に公試運転があり、「マーク1」は幅9フィートの壕を越えられることを示した。超堤高は6フィート6インチ。
次に、これを量産させることを、政府の要人に納得させねばならない。しかし秘密保持も必要なので、1916-2-2にハットフィールド公園に、3人だけが招待される。すなわち国防大臣キッチナー、弾薬兵站大臣ロイドジョージ、財務大臣レジナルド・マッケナ。彼らの前で「マークI」は運動を展示した。
古武士キッチナーは、こんなものは機械仕掛けのオモチャであり、戦争というものはこんな機械で勝つことなどはできぬのだ、とのたまわった。ロイドジョージとマッケンナには軍歴はなかったが、戦車のポテンシャルは直感できたので、ただちに100両の量産が決まった。
ソンムに最初の「マークI」が投入された直後の1916-9-21に、チャーチルは数名のハイソな人々と昼食し、その席で戦車のことをかなり弁じたと、チャールズ・レピントンの日記が証言している。
ウインストンは、H・G・ウェルズのSF小説の中で戦車が予言されていることは頭の中にあったけれども、このたびの「マークI」は「装甲自動車(アーマード・モーター・カー)」から発達したものなのだと言った。西部戦線の塹壕地帯では、「装甲自動車」は役立たずな装備であった。
※ウェルズが戦車を予言した作品が何というタイトルで何年の刊行だったのか、ずっと前に調べようとしたことがあったが、いまだに不明。とにかくウェルズ氏は多作の人だった。
チャーチルは、海軍省の中に使われていない資金があることを知っていたので、それを戦車の実用化に役立てたとも語った。
チャーチルは、新兵器を1000両揃えて、その奇襲によって大会戦に勝利することを夢見ていた。が、後年、ノースクリフが評するように、ジャーナリズムと戦争においては、どんな秘密もずっと保つことは不可能なのである。
※戦車が発明されて100年以上になるわけだが、果たして今日の戦車の無限軌道が2条ある必要があるだろうかと、わたしは、「モノトラック」を見ていらい、しきりに思うのである。「モノトラック」式の無人戦車は、可能なのではなかろうか。それこそが、「陸戦におけるスウォーム」を実現するのではないだろうか?
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indomilitary の2021-9-1記事「Komatsu D155W ? Amphibious Capability Bulldozer, Ideal for Marine Corps Engineers」。
長いシュノーケルをとりつけて、水深7mまでの水中渡渉ができるように改造したコマツの「D155W」ブルドーザー。
いまのところ市販ブルドーザーとしては唯一の、水陸両用型であるという。
母体のブルドーザーは1972年からある古顔。重さ43トンで、ディーゼルエンジンも自社製。
操縦も作業もすべてリモコンでできるようになっており、オペレーターが機械といっしょに川底に沈む必要はない。
実績としては、2011の東北の大地震で破壊された岩手県の港に投入された他、〔宮城県の〕名取川に架かっていた橋の橋脚の基礎を固めていたブロックが流失してしまったのをこのリモコンドーザー×2台によって精密に復旧させているという。
D155Wは1993に36台をもって製造は終わっているのだが、大震災の復興工事のために現役復帰。
国外の工事では、フィリピンに出張させたことがある。
いま動く5台はすべてコマツ本社の所有品という。