「レジ袋」は、どうすりゃよかったのか?

 新規に発生する「金銭負担」と「手間」は、いかにも正当であるという思いを、商店主と買い物客の双方が持てるような制度でなかったら、それは「悪い行政指導」だ。

 商店には、次のことだけを義務化するべきであった。
 すなわち、売り子がカウンターで適切と考えて取り添えたサイズや枚数を超越するサイズや枚数のレジ袋を客が要求してきた場合、要求に応える前に必ずその「対価」を受け取らなければならない、と定めるのである。

 そして商店には、次の自由選択があることを同時に強調するべきであった。
 すなわち、「レジ袋は要らない」と申し出た客に対しては、商店側の自主ルールに基づき、各種の報酬を返戻することができること。それはポイント加算の形であっても構わないし、現金返戻であっても構わない――と。

 これによって、人々の合理的な手間の範囲内で、レジ袋消費の最少化がしぜんに誘導できたはずである。誰も損はしない。

 しかし環境省の役人はもっと高次の懸念に脳内を占領されていたのだろう。すなわち、近未来に、西側先進諸国が一斉にレジ袋を禁止してしまった暁に、日本だけが依然としてそれをふんだんに使いまくっているということになったら、「太平洋汚染の主犯は日本人だ」というブラックプロパガンダの槍玉にあげられてしまう――との悪夢だ。とにかくそれを回避することを急いだのだろう。
 たとえば次の報道を見よ。

 次。
 KIRO 7 News Staff による2021-10-1記事「Statewide plastic gag ban now in effect」。
  米西部ワシントン州では、使い捨てのレジ袋の禁止は2021-1-1から全面施行される予定であったが、遅延していた。ようやく禁止化された。

 レストラン、小売店、零細商店、大型雑貨店にこの州法が適用される。それらの店では、使い捨てのプラスチック袋は渡してはならない。

 州知事によって施行が延期されていた理由は、禁止するプラスチック製レジ袋に替わるべき、紙製もしくはプラスチック製の、環境的に正しい袋の生産が、間に合わないから。

 州の環境局いわく。プラスチック製レジ袋は他のどの「散らかし物」よりも環境を汚染していた、と。

 まずそれらを製造する段階で、有害物質が放出される。それを使用し、それを燃やし、あるいはそれが屋外で腐朽するにまかせると、その過程でも、有害物質が放出される。

 プラスチック製レジ袋はリサイクルも簡単ではない。そんなものをリサイクルさせていたらその作業員の健康が危うい。
 回収してまたレジ袋として再利用させようとしても、レジ袋はとても機械に詰まりやすいので、作業計画の見込みがとても悪い。そもそもレジ袋は一回使ったら孔が開くレベルの耐久性で設計・製造されているから、再利用させようという発想そのものが現実的ではない。その線は駄目である。

 新法では、小売商店主は、紙袋、または、新規格の合法プラスチック袋に商品を入れて渡したら、その袋1枚につき、8セントを必ず徴集しなければならない。
 ※袋の大きさは関係ないようである。

 食料切符を州政府から支給されている貧乏人らは、袋の代金を負担する必要なし。

 従来のようなプラスチック袋の提供がひきつづき許される商店も指定されている。たとえば肉屋。処方箋調剤薬局。新聞。ドライクリーニング。

 とにかくこれで、ワシントン州の河川に浮かぶレジ袋のゴミは減るであろう。

 ※ならばわが環境省はどうすればよかったのか? 「第三のレジ袋素材」の研究を、先手先手で国内の中小企業や大学に、コンテスト形式で、けしかけ続けるのが、筋であったろう。紙のように木材を原料とするものでは、外国のエコマフィアは納得せぬだろう。屋外に捨てられたとき、適宜のスピードで分解して行くものである必要もある。特に塩水に浸かったときは、すぐバラバラになることが望ましい。珪素、蜘蛛の糸(タンパク質)、等々、候補は無限に考えられるはずだ。今からでも遅くはない。