俺の記憶では月刊『ガロ』連載中のタイトルは「カムイ外伝」だったのに、いつのまに「外」が取れたんだ?

 ちなみに、ゲゲゲの鬼太郎は、『ガロ』では「鬼太郎夜話」というタイトルだった。ルビがふってないので、小学生には「よばなし」なのか「やわ」なのか、わからなかった。

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 Cindy Sherwin 記者による2021-10-25記事「NFL awards a Montreal start-up $550,000 to work on its design for a safer football helmet」。
    カナダのモントリオール市にあるベンチャーの「コライド」社は、アメフトリーグのNFLから、その新案の脳震盪防止ヘルメットに対して55万ドルを得た。
 同社は、アメフト用ヘルメットを製作したことは、それまで、なかった。

 設計期間は10ヶ月であった。この間、パンデミックのため、対面の打ち合わせができず、すべてリモート面談で話を進めた。

 この会社、社員はたったの12名である。

 2019年に米国で「NFLヘルメット・チャレンジ」という製作コンペ企画があって、それに参戦したのがきっかけだった。

 内張り材のライナー・パッド(発泡樹脂製)を3Dプリンターで選手の頭の形に合わせ、かつ「網」に浸潤させて一体化させた。
 異なった18の角度からの衝撃に耐えるように考えた。

 ライナーと外殻の間はフレキシブルになっていて、それにより、衝突力を緩衝するのはもちろん、「回転モーメント」を選手の頭蓋骨に伝達しない。

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 Joseph Trevithick 記者による2021-10-26記事「China’s Massive New Maritime Patrol Ship Looks Like A Cruise Ship Inside」。
   10月23日に就役した1万3000トンの巨大公船『海巡09』の内部写真がインターネットに公開されたが、宛然、豪華クルーズ客船の趣きである。なぜだろうか?

 ※リゾートホテル並の船室にしてやらないと、長期の退屈な海上勤務を強いられる職員の士気が持たないということなのだろう。

 就役の式典は広州市(広東州)で催行された。
 起工は2019-5であった。全長541フィート×幅67.5フィート。

 補給されることなく連続90日、洋上で行動できる。
 給油されることなく1万海里、走れる。巡航速力は16ノットである。全速は25ノット。

 「低硫黄燃料」を使うと宣伝している。
 ※てことは、まさかのC重油? 軍艦と互換性無しか!

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 2013年の記事「Rommel at Caporetto 1917」。

   1917年10月24日、独墺連合軍が、イタリア兵の守るカポレットの町を攻めた。
 このときエルヴィン・ロンメル大尉は、ヴェルテンベルグ山岳大隊を率い、カポレットの南にある3つの稜線陣地を占領し、イタリア兵9000人を捕虜にした。

 この時期、イタリア兵も、墺洪兵も、イソンゾ河での延々とワンパターンな連続戦闘で疲弊が酷かった。
 そこでドイツ軍の最高司令部では戦線崩壊を懸念して、墺軍に7個師団の加勢を送ったのである。

 1917年にドイツ軍は、戦法を改めた。敵が最も重厚に集中している箇所は避けて、浸透的に、敵の横長陣地を崩すというアプローチに。

 墺軍も伊軍も、俯瞰高地の占領にこだわり続け、実りのない一進一退を繰り返していた。

 これに対して独軍の新戦術は、鞏固に防備されている稜線をさいしょから相手にせず、わざと谷地を進んで、敵が緩く守っている低所を突破し、どんどん奥へ進んでしまう。すなわち敵兵のたてこもる稜線陣地は、自軍の後方に取り残してしまう。このようにされると、残された敵守備兵は、すっかり孤立するから、時間が経てば、降伏するしかないのである。

 この新戦法を「浸透戦術」と称す。平地でも実行可能だが、山岳地帯(墺伊国境)なら、さらに劇的な効果が見込まれた。

 ロンメルはその著『歩兵科部隊の攻撃行動』〔2009年にZenith Pressから英訳本が出ているらしい。『Infantry Attacks』のタイトルで〕の後半4章を費やして、このカポレットでみずから率いた大隊の経験をまとめている。
 ※旧日本軍なら大隊長は少佐か中佐だろうが、動員人数の桁が違う欧州で、大戦の3年目ともなれば、大尉で大隊長であったわけだ。

 ロンメルの歩兵大隊は、3個歩兵中隊と、1個重機関銃中隊(重機×6銃)から成っていた。
 ただしその機関銃は、大戦初期の「MG08」ではなく、その重量を半減させた「MG08/15」を受領していた。

 ※橇でひきずれるやつか。銅金義一が考えた「1式重機関銃」はまったくこの発想を昭和14年に踏襲したものだったのかとも思い当たる。92式HMGは名銃だったが歩兵1名では運搬はできない。それをなんとか、無理すれば1名でも小移動ができるくらいに軽量化できたなら、専用の重機中隊ではなくて、小銃中隊の中の重火器分隊が、軽機ではなく重機を装備できるではないかと期待された。しかし重さ32kgでは、所帯道具を捨てない限り徒歩行軍はできない。なので、けっきょく軽機にとってかわることにはならなかった。

 ロンメルは地形を見て、麓の樹林帯をイタリア軍が後方連絡路として使っているのを見抜き、そこを迂回攻撃路として利用することにした。さすれば稜線上の敵からはこっちの動きも見えないのである。

 2日間にわたる連続攻撃でロンメルの大隊からは6名の戦死者しか出なかった。複数の稜線陣地からイタリア軍の5個連隊が追い散らされ、9000名が捕虜になった。