この調子だと欧州ではこの冬、石炭をストリートで燃やして気勢を上げる反政府デモンストレーションが、大盛り上がりになる可能性がある。

 Felicity Bradstock 記者による2021-10-27記事「Global Food Prices Set To Soar As The Oil And Gas Crunch Continues」。
  石油も天然ガスも爆上がり。そのあおりで、全世界の食料品価格が、この冬から来年にかけて、かつてない高額の値札をつけることになるだろう。
 これは世界各国の低所得層の生活を直撃するはずである。

 ※西欧がカーボンニュートラルを闇雲なレトリックで主導した結果、しかたなく中共は資金にモノをいわせて国際市場の天然ガスを買い占めることになり、それが西欧に対する報復パンチとなって作用しつつある。

 ※政治の世界では、「宣伝」は「科学」よりも重視されねばならない。なぜなら宣伝に敗れて「世界の悪役」にされると、同盟者がいなくなり、戦争を仕掛けられて敗れるからである。そこでこれから日本で開発すべき火力発電所は「水素に将来コンバートできるガス混焼炉」にしなくてはいけない。ガスとわざわざ銘打つが、当座の主軸は石炭である。石炭も天然ガスも水素も混焼できる炉に、さいしょからしておくのだ。そして将来、技術が向上するのに応じて、逐次に石炭の比率を減らし、ガスの比率を増やすことを謳う。じっさいにそれができるよう、あらかじめ設備更新のための余幅をビルトインした設計とするのだ。そして、予測できない遠い将来だが、最終的には、石炭も天然ガスも使わない、100%水素だけの火発にも生まれ変われるようになっているのですよ、と強調する。さすれば西欧もこれを叩くことはできない。この新型混焼炉のメリットは、2021-22の冬に世界が直面しそうな「大寒波+燃料高」のさいなどに、国民の生命の安全を守るやむをえぬ措置として、石炭をバンバン燃やせること。

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 2021-10-29記事「North Korea breeding ornamental black swans for meat as Kim Jong Un battles ongoing food crisis」。
   黒鳥(ブラックスワン)を養鶏場みたいな工場で大量に育てて食肉にするという新事業。
 北鮮『労働新聞』が自画自賛のヨイショ報道。

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 ロイターの2021-10-3記事「Saudi expels Lebanese ambassador, bans all imports from Lebanon」。
   サウジ政府は、レバノンの大使を、サウジ国内から追放する。48時間以内に出て行くように伝えた。
 すでに、サウジからの駐ベイルート大使に、召還を告げている。

 サウジは同時に、レバノンからの一切の輸入を禁じた。

 きっかけは、現レバノン情報相が、イエメンに対するサウジ軍の行動を、8月5日のインタビューの中で批判したこと。その時点では彼は未だ大臣には就任していなかったが。
 この「アルジャズィーラ」によるオンライン向けのインタビュー・フッテージが、火曜日に急にSNSでバズったのである。

 レバノンはヒズボラによって内部から支配されている。ヒズボラのバックはイラン(シーア派本山)である。イランとサウジ(スンニ派本山)は宿敵だ。

 これに先立ち、サウジは4月に、レバノンからの果物と野菜の輸入を禁じていた。理由は、それらにまぎれこませて麻薬が流入しているというので。

 ※レバノン経済はこの前からすでに壊滅している。ヒズボラを救うためにイランは金銭支援をしなければならなくなり、それはイランのイエメン(フーシ)への軍事支援の余力を減殺する。理に適った外交だろう。

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 『サウスチャイナモーニングポスト』の2021-10-29記事「China’s stealth fighter built for two prepares for maiden flight in world first」。
   シナ空軍の第72回創立記念日=来たる11月11日 に合わせ、複座型の「殲20」が2週間以内に初飛行するであろうという予告。
 四川省のメーカーの飛行場でタクシングしている写真は既にSNSに出回っている。

 世界初の、複座のステルス戦闘機が登場することになる。

 「殲20」には中共の公式の呼称として「威龍」の別名が付いている。

 マカオに住む軍事オブザーバーのアントニー・ウォントン氏いわく。練習機としての複座機とはちがい、この『殲20』の後席は教官ではなく、「ロイヤルウイングマン」の操縦に任ずるのではないか。

 米国は1990年代に「F-22」をこしらえたときから、ステルス戦闘機には練習機としての複座型を用意しないことに決めた。費用対効果が悪くなりすぎるからである。