高級車の盗難防止は、メカニカルな「アクセル・ペダル・ブロッカー」の併用が善い筈。

 正規オーナーが右足首もしくは右靴の中に仕込んだ「ICタグ」がないと、アクセルペダルは1mmも沈み込まない仕組み。物理的に。

 それではうまく行かぬという場合は、メカニカルにアクセルペダルをブロックする、別な方法もあるだろう。

 昔のドアの窓ガラスを上下させるのに、手動の巻き上げハンドルが用いられた。それに類似した、物理的なスクリューハンドルをフロントパネルに設ける。それを一方向に回転させる操作によって、メカニカルリレーだけでつながっているアクチュエーターが、ペンチで切断することのできない太さの金属棒を、アクセルペダルのロッドの裏に押し当てる。それで、物理的に踏み込めなくする。

 ソレノイドでサッと突き出す電磁アクチュエーターだと、誤作動がおそろしい。しかし、ラック&ピニオンのような緩慢なメカニカルリレーならば、不意の誤動作はありえない。そのハンドル部分のロック解除を、物理的なキーによってしかできぬようにしておくのが、もう一段の「冗長性」の付与になる。

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 ストラテジーペイジの2021-11-4記事。
   フィリピン軍に、70両の、中共製の軍用トラックが納品された。
 この調達は公開競争入札で、入札に応じたのが、中共メーカー、韓国メーカー、ロシアメーカー。そのうち中共のメーカーが、選ばれた。

 中共の、HMMWV級の軍用タクティカルトラックとしては「BJ2022」がある。これは中共のメーカーとクライスラー社のジョイントベンチャーが設計した。ジープのチェロキーをベースに、やや大型にしたものだ。

 タイプがふたつあり、長い方は、往年の米軍の「3/4トン・トラック」のように使われている。
  ※これはウェポンキャリアのことではないだろうな。パワステの無い時代の。

 中共には「CSK-181」という、米軍のJLTVを真似た軍用トラックもある。

 HMMWVもどきの中共製トラックで、中共軍に正式採用されているものは「EQ2050」という。数はそんなに多くない。その装甲タイプは「EQ2058」という。それを6×6にしたものもあるという。

 ※1987年のチャド対リビアの戦いは「グレート・トヨタ戦争」と呼ばれているそうである。チャド軍が400台のトヨタ製ピックアップにソ連製重機関銃をピントル架装した部隊で勝利を収めたので。

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 Patrick Tucker 記者による2021-11-2記事「Quantum Sensor Breakthrough Paves Way For GPS-Free Navigation」。
    量子を使ったナビゲーションシステムとはどんなものか。
 原子を絶対零度近くまで冷やすと、その原子の挙動観察が、INSの代わりに、使えるようになるのである。GPSのような外部の電波には依存しないから、敵は妨害は不可能。旧来のINSより精密。だから米軍は期待を寄せている。

 課題は、外来の余計な分子が、その量子ナビ装置の内部に侵入して来ないようにすること。基本的には、高度な真空をつくってやらねばならない。そして、磁力や光を使って、外来の余計な分子を阻絶または吸収してやる。
 このたび米国の一研究チームは、アルミナや、アルミと珪素の合金などにより、余計な分子を吸収してしまう、効率的な方法を見つけた。、
 その阻絶効果を、これまで1年半も維持できているというところがすごいのである。

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 Paul Richard Huard 3 記者による2014-8-9記事「Nobody Wanted to Give Up the M-1 Carbine」。
    1964年のベトナムでは、グリーンベレー達は「M-1カービン」を絶大に信用していた。M-16も送られて来てはいたのだが、見向きもしなかった。

 1944年に米陸軍は、セミオートのみだったM-1カービンにフルオート射撃機能も付与した「M-2」を完成させた。これが米軍初の「アサルト・ライフル」だったと言うこともできる。

 そして1945年の沖縄戦で、海兵隊には、暗視装置付きのM-1カービンも支給された。

 WWII中に、M-1ガランドライフルは200万梃生産された。それに比して、M-1カービン/M-2カービンは、600万梃以上も生産されたのである。
 それでたとえば1943年時点で、米陸軍のいくつかの歩兵師団では、隊員の4割が、M-1ライフルではなくて、M-1カービンを持っている、ということにもなった。

 1944年にドイツ軍が「MP44 突撃銃」を採用したことが、M-2カービンを生んだ。M-1ライフルは8連発で、それもセミオートのみ。対する独軍の突撃銃は、30連発のフルオートである。これにタジタジとなったので、こっちも弾数で対抗せねばならぬと考えられた。M-2カービンの15連マガジンをテープで2個、上下反対向きに貼り合わせれば、とりあえず、30連マガジンになったようなものであった。

 大至急に57万梃のM-2カービンが製造されている。工場としては、ジェネラルモーターズや、タイプライターのメーカーまでが動員された。精密事務機の製造ラインは、小火器部品の製造にも転用できたのである。

 夜間照準装置は、エレクトロニック・ラボラトリーズ社が開発した。赤外線を投光し、その反射を、ふつうのスコープ照準器で覗き見るのだ。重さ20ポンドのパッケージだった。これが、M-1カービンとM-2カービンに、取り付け可能になった。視程は70ヤードだった。

 なぜカービンかというと、軽かったからである。もしこれがライフルやBARだったなら、システム全重が重くなりすぎ、とても野戦に持ち出せなかった。また、70mの近接距離では、弾丸が比較的に低威力であることは、まったく問題とならない。カービン弾は、拳銃弾よりは、貫通力があったので、それで十分だった。

 朝鮮戦争でもこの暗視器材が役立っている。夜間、敵が密集している場所に、この暗視銃を持った兵隊が、まず曳光弾を、射ち込む。それを目当てにして、味方の機関銃手が、射弾を集中したのである。