地球が温暖化すると、栗と甘蔗の「北限」が北上するから、北朝鮮にとっては、グッドニュースだろう。

 2021-11-3記事「North Korean soldier injured picking chestnuts in leader Kim Jong Un’s name」。
    平壌南郊に駐屯する北鮮軍部隊が、今年もまた「栗の収穫」に動員されている。兵士たちは栄養状態が悪い。1兵士は登らされた木から転落して腕の骨を折った。

 ノルマは1人毎日30kgで、これは2500個から3000個を意味する。その1個たりとも、じぶんで食べることはゆるされていないという。
 これは、負傷した兵士の父親による告発である。

 この栗は皮付きでローストされ、平壌市民に対して、200グラム2000北鮮ウォン(米ドルにして0.39ドル)の特価で販売される。他の地域では、倍の値段で売られているのだが。

 つまり三代目が首都住民に特に恩恵を施しているのだから住民は叛乱するなよ、と宣伝しているわけである。

 平壌では、焼き芋も売られている。

 2016年まで北鮮兵で、今は韓国に暮らしている男の証言。毎秋、全部隊が栗摘みに動員されていた。栗の木は、他の樹種よりも、枝が折れやすいため、常に転落事故とは隣り合わせの作業であった。

 この栗林は天然林ではない。栗だけを残して意図的に増やした広い山地が、栗を収穫するための専用の果樹園のようになっているのである。そこから平壌の中央青果市場へ実が運ばれる。だが収穫の人手は足りないので、近郊軍隊が総動員されるのだ。

 時に軍隊は、近郊の村の子どもたちが、この栗山に入って栗を拾わないように、結界線をつくって警備をさせられる。子どもを追い返す役目をやらされている兵隊たちは、たいへん気の毒に思うのである。

 北鮮陸軍はげんざい、80万人以上。徴兵の年限は、なんと10年である。

 次。
 Alex Hollings 記者による2021-11-3記事「America really launched an ICBM from the back of a C-5 cargo plane」。
  1974年のこと。
 キッシンジャー国務長官は、ブレジネフ書記長とウラジオストックで会談して米ソ戦略兵器制限条約(SALT)をまとめるためには、米国の核軍備ポテンシャルの大きさを前もってソ連に見せ付けておかないとダメだと感じていた。

 そこでC-5輸送機が注目された。C-5は、当時の主力戦車、重さ50トンの「M60」を空輸できる輸送機として開発されていた。
 パレットの「橇」を含めて8万7000ポンドの「ミニットマン1」ICBMは、楽々と収容できる。

 SALTのためのサミット開催まで90日しかなかったが、空軍はその開催の前に、C-5からミニットマンを空中投下し、空中でブースターに点火する実験をデモンストレーションすることになった。

 難しいと考えられたのは、投下の瞬間だった。C-5は最大で16万4000ポンドの荷物を積み込めるのだが、それを空中投下するときは、一度に最大4万1000ポンドずつ以下に、制限をしていた。つまり16万ポンドの積荷ならば、4回に分けて投下する。そうしないと機体の重心が飛行中に激変して、操縦不能に陥るおそれがあるのだ。「ミニットマン1」はこの4万1000ポンドを超過していた。

 投下手順は、まず後部ドアを開け、ドラッグパラシュートを放出。それが「橇」を引っぱるので、「橇」のロックを外してやれば、パラシュートによってまっすぐ後ろへ荷物が引きずり出される次第。

 そこでは、長さも問題になる。C-5はふつう、長さ28フィートの荷姿の物料を投下する。
 3段式ロケットである「ミニットマン1」は、長さ57フィートもある。
 これが、綺麗に引きずりだされずに、中途半端にひっかかってしまったりすると、C-5はバランスを崩して墜落するかもしれない。

 これだけの危険が予想されるので、ふつうならば、じっくりと段階的に、時間をかけて実験するものだ。
 だがこのときは、時間の制限が先にあったから、諸段階が巻き上げられて、たてつづけに実行された。

 テスト飛行は10回することになった。最初の7回では、徐々にダミーの積荷の重さと長さを増やしながら、パラシュートで落としてみる。
 そして最後の3回は、ホンモノの「ミニットマン」ミサイルを搭載する。
 ロケットモーターの点火までやるのは、最終の、10回目だ。

 実験には2機のC-5が指名された。

 投下高度は2万フィート。これなら機体のバランスが大きく崩れてもパイロットには回復操縦の余地がある。リリースは、機首上げの姿勢でなされることになった。

 投下の瞬間、タイム・フューズが始動する。それにより、8000フィート落下した時点で、第一段ブースターが点火される。

 ただしこの実験では、二段目と三段目は点火しないことになっていた。

 1974-9-6、初の、4万5000ポンドのドロップは、成功した。

 もっと重くした、続くテストで、引き出し用のパラシュートは32フィートのサイズがひとつだけでは力不足だと判明した。
 パレットが速やかに引き出されず、もたついてしまったのだ。
 そこで、32フィートサイズの引き出し用パラシュートは、2個、とりつけられることになった。

 1974年10月24日、最後のテスト。
 「荷車を傾けて満載の水を一挙に捨てたような感じだった」と、テストパイロットは回顧する。

 大成功だった。
 この最終テストでは、実戦ならば二段ロケットが点火するタイミングで、ミニットマンの上昇を中断させ、パラシュートで太平洋に着水させた。

 この実験の1年後の1975-11に、アカデミックな公式ペーパーが公表され、その中で2人の空軍将校が、C-5Aは複数のミニットマンを積載して空中から発射することができるだろうと主張した。

 今日、C-5Mは最大で28万5000ポンドを積載できる。「ミニットマン3」なら、3発を搭載できる計算だ。

 空中発射式のICBMは、結局、実用化されなかった。理由は、もともとこれは米国の側に「第二撃」の温存を確実にする手段として実験されたのであったが、そのテストがこのように成功してみると、こんどはこの技術を、米国による「奇襲的第一撃」のために使えるという、新たなポテンシャルが生じてしまったためだった。それは米ソの核軍備の均衡安定を攪乱してしまうので、政治的に、まずいのである。

 つまりソ連側が、それならますますソ連の方から先に、手持ちのすべての核ミサイルを発射してしまわねばならぬ、という気になるのではないかと懸念された。

 ※中共体制とSLBM(SSBN)とは相性が悪い上、国産の新鋭ステルス戦略爆撃機が2030までに仕上がるわけがないから、米国流の「三本柱」は米支決戦の日には間に合わない。そこで中共は、大型輸送機から「東風41」を空中発射させることで、鉄道機動式、トラック機動式、サイロ式とあわせて、「ナンチャッテ4本柱」を構成するつもりではないかと、私は予想する。