「COLD WAR II」

 2021-10-23の書評「Chinese President Xi’s “Secret Philosopher” Analyzed America And His Findings Could Reverse Our Country’s Decline」。
   習近平のチャイナドリームだとか一帯一路だとか腐敗撲滅だとか、そのすべての政治キャンペーンの趣意書は、王滬寧が書いた。王滬寧は江沢民によって抜擢された、1955年生まれの、当代中国随一の理論派政治局員である。

 習は外国人と親しくしない。だから何を考えているのか分からない。しかし王滬寧は米国の大学で客員教授をしていたことがあり、著作があり、米国を滅ぼすのは米国だという考えを持っている。王滬寧の対米観を分析することが、中共が進みつつあるコースを正しく判定する鍵だ。

 直近の半年で、習近平は、チャラいキャラクターのテレビ俳優を禁止し、有名人の子どもをTVリアリティショーで取り上げることを禁止し、美容整形医療のTVCMを禁じた。すべてその背後には、王滬寧の理論がある。

 つまりこれらは熊プーの軽々しい思いつきなどではないのだ。もっと根深い、王滬寧の前々からの世界観がストレートに出てきているのである。

 中共は一人の独裁でなければダメなんだというのが王滬寧の信念だが、さらにその独裁者には、健全なシナ社会を構築する義務もあるんだと王滬寧が焚き付けてやまないのである。

 欧米の病的社会を、中共に移入させてはならないという王滬寧の思いが、熊プーを通じて、いよいよ実際の政策に反映されているのである。

 王滬寧が何を考えているかを知るには、滞米3年の末の1991に本人が書いた『アメリカ対アメリカ』を訳して読み込まなくてはいけない。いままでこの英訳が、なかった。

  ※理由はこの書評の後半であきらかになる。米国の黒人はどの町でもどうしようもなかった――とハッキリ書きすぎているのだ。これでは大手出版社が尻込みしてしまうわけだ。

 2000年前から存在するのにパッとしない「シナ文明現象」と、建国200年にして世界をリード中である「アメリカ文明現象」の違いはどこから来ているかを解明することこそ、在米のシナ人インテリの義務じゃないかと、王滬寧は吼える。
 そこを解明することで、中共は強くなれるはずだと。

 王滬寧は、「米国の都市部」と「米国の田舎」の違いに、最も興味を持っていたようである。

 米国は、その社会の中に危機を抱え込んでいる、と王滬寧は見る。

 アメリカ合衆国は、「価値のデス・スパイラル」の渦中に在る。

 王滬寧は、アレン・ブルームが『アメリカン・マインドの終焉』の中で嘆いていたテーマに注目する。今日の西洋の大学は、西洋文明を成立させた伝統の価値を学生に伝授することができなくなっているのだ、と。

 ブルームに言わせると、1950年代の文化相対主義が、特に、有害であった。
 その風潮が、西洋を鞏固にしてきた西洋哲学および文学の主流を学生に学習させなくなった。その結果、若い西洋人は、自然と科学と人間の位置関係を自己把握できなくなり、西洋文明を未来に推し進めるパワーを持てなくなってしまった。これは文明の自己破壊である。

 ブルームが、大学で学生たちに、これまで印象を最も受けた書籍は何かと尋ねたとき、誰も古典名著の名前を挙げなかったので、衝撃を受けたそうである。

 フェミニズムが、19世紀の名作小説を貶めている。しかし1990年代のフェミニズムは19世紀の西洋文化を経た上でしか成り立たないものなのだ。そこを捨象するニヒリズムが、米国のインテリの間に蔓延している。

 王滬寧は、米国の旅行会社のシステムと、農村に、最も感銘を受けた。シナでは農家といったらそれは核家族ではあり得ない。ところが米国の農家には夫婦が2人しか住んでいない。シナと米国では「農民」「農村」の意味が全く異なるのだと気づかされた。

 そして王滬寧は気づいた。1980年代の米国では誰も農業をやりたがっていない。臭くて汚いと思っている。じっさい、そうである。息子も農家を継ぎたくない。

 米国政治の安定は、米国社会が決して食料を筆頭とする必需物資に不足することはないという下部条件によって支えられている。今後、それは崩れるかもしれない。

 こんにち、アメリカの農民の平均年齢は57.5歳であり、一部の地域では60歳を超えている。

 いま習近平がテンセントやアリババなどのテック企業をいじめているが、これも王滬寧の危機感に基づいている。王滬寧は、《社会を骨なしにするもの》を憎んでいるのである。社会の「コア」を防衛しなければならないと信じているのだ。

 ゲーテいわく。外国語をひとつも知らん者は、じぶん自身についても知ることがないと。

 次。
 Frances Wilson 記者による2021-11-4記事「Yours disgusted, H.G. Wells: the young writer finds marriage insufferable」。
  新刊紹介である。 Claire Tomalin 著『The Young H.G. Wells: Changing the World』。

 H・G・ウェルズは1866生まれ。父はクロッケリーやクリケットのバットを売っていた。母親は44歳で、その末子であった。

 本人の記憶では母親はいきなり老婆の姿で思い出される。歯がもう何本も抜けていたという。
 HGは子どものとき、脛の骨を折った。
 その4年後、こんどは梯子から落ちて大腿骨を折り、ショップの仕事はできなくなった。

 母はこの息子とともに、ある金持ちの家に住み込みのメイドとなって引っ越した。

 HGは14歳で学校をおえたが、布地商店で働きながら独学し、18歳の時点では教員になろうとしていた。運良く、某教育機関にてトーマス・ハクスレイ教授の生物学を専修できることに。

 栄養不良の貧民として育ったHGの体重は、18歳で98ポンド=44kgしかなかったという。

 20歳になっても、HGの体重は115ポンド=52kgであった。その年、ラグビーの試合中に腎臓と腎盂に損傷を蒙った。

 23歳にして彼の身長は生涯最大点に達した。5フィート7インチ=170.1センチであった。

 翌年、彼は動物学でクラス筆頭の成績をおさめたにより、動物学会員に選ばれた。その時点での体重は117ポンド=53kg。
 同じ年にインフルエンザに罹り、右肺充血の重症。しかしすでに彼は貧困階級を脱していたので、手厚い治療を施されて、生き残った。

 この頃から小説を投稿するようになったが、なかなか採用されなかった。しかし、次第にコツを掴む。

 HGは20歳のときに従姉妹に結婚を申し込み、26歳で婚姻を許された。その時点でHGの体重は112ポンド=50kg に落ちていた(40代からは再び太ったという)。

 ウェルズはこの結婚に幻滅した。面白かったのは最初の半年だけであったという。

 翌年、ウェルズはまた喀血。ほとんど死にかけた。

 ところがまさにそんな年に彼は某新聞に小説を16回載せてもらい、作家としての収入が、教員としての収入を上回った。

 三十代を通じて彼は喀血することがあった。最初の妻とは離縁し、二人目と暮らした。
 この二人目の妻はウェルズの秘書のような仕事をさせられた。ウェルズは『タイムマシン』の大ヒットによって大人気作家になり、以後、複数の不倫を重ねるようになる。

 ※ナインギャグにこんな投稿があった。もし将来、「時間旅行」ができるようになったとして、最初に時間旅行を始めた者が誰なのか、誰にもわからないよね、と。