東地中海はロシアの海でもあるから、大急ぎでF-35を海底から引き揚げるらしい。

 退役海軍中佐 Larry Parker 記者による2021-11『プロシーディングズ』記事「Tanks, But No Tanks」。
   M4A3シャーマンの75ミリ砲内に「マーク1 火炎放射器」を現地でとりつけたのは、シービーズだった。レンジ150ヤード。硫黄島に投入。

 海兵隊が戦車を全廃することにしたのは、さんざん検討した末の結論なのだろう。だがワシは予言する。ぜったいに後悔するぞ。

 次。
 John Maurer 記者による2021-11-19記事「The Washington Conference 100 Years Later: Averting Great-Power Conflict in Asia」。
   じつは今年は「華府会議百周年」なのであ~る。

 H.G.ウェルズは1921ワシントン軍縮会議をジャーナリストとして取材し、会議呼びかけ人のウォーレン・ハーディング大統領が大男で見栄えがし、声も好かったと書いている。

 そして、続くチャールズ・ヒューズ国務長官の提議は、会議参集諸国の代表たちの度肝を抜いた。

 すなわち、各国とも、ポストジュトランド型の新鋭戦艦の新造は禁じ、旧式戦艦は廃棄を進めることにより、海上で攻勢を取る戦争の準備は誰もできなくするようにしよう、というのだ。

 英国代表のアーサー・バルフォアは、この米側提案を、大胆で大政治家らしいと評した。

 英日米の三国で現在進行中の主力艦建造計画を削減するなどという海軍軍縮は、いままでなら、不可能だと看做されていたことだ。

 そもそも第一次大戦直後の海軍大軍拡を主導した張本人は米国の民主党のウィルソン大統領だったのである。
 ウィルソンは「比較を絶して世界最強な海軍」を建設せねばならない、と叫んで、英国の海上覇権を凌駕する企図を明らかにした。

 ウィルソンの考えでは、WWI後の米国は「国際連盟」に加わるべきなのだが、それができないとすれば、次の戦争に備えるしかない。

 米国と列強が「連盟」に加わってはじめて世界の軍縮は可能になる。しかるに上院が反対して米国の加盟は阻止された。こうなった以上はもはや、孤立した米国は、安全保障のために単独で強武装するしかないのであると。

 大統領選挙に勝ったハーディングは就任前の1920-12にカリブ海の休養から戻り、米国は「大海軍と大商船隊」を保持しなければならぬと声明し、前政権からの建艦計画を引き継いだ。

 いかなる国家も、十分な海軍力による通商権の擁護なくして、卓越した商業国家とはなり得ないのである、とハーディングは説明した。

 しかし米国内にも、WWI後に海軍軍拡を続けていることに対しての不満や反対意見は強かった。
 連邦議会で、海軍予算に反対する強硬派は、アイダホ州選出のウィリアム・ボラー上院議員(共和党)だった。

 ボラーは進歩主義者であった。ボラーはヴェルサイユ条約の批准に反対し、また米国を国際連盟に加入させようとしたウィルソンの理念を葬り去った男である。

 米国は国際連盟にも入るべきではないし、海軍建設もすべきではない、という特異な立場の政治家であった。

 ボラーは議会決議を主唱した。すなわち、ハーディング新大統領は、英国と日本を呼び集め、その三大海軍国が、海軍軍拡予算を直ちに縮減するという合意を目指すべし、と。

 このボラーの決議案には、米国輿論の後押しがあった。それは米国納税者の気分を代表していた。

 ハーディングは、英日その他の海軍国に正式の招待状を送った。首都ワシントンで海軍軍縮を話し合いたい、と。

 上院外交委員会の委員長は、ヘンリー・カボット・ロッジだった。大統領はロッジをホワイトハウスでのディナーに招き、意見交換した。
 ロッジの印象では、ハーディングは6隻の巡洋戦艦の新造について意欲的であった。

 ロッジは、日本も英国も海軍軍縮は拒否すると思うが、そうなったら、世界軍縮失敗の責任は日英に被せられるので、米国に損は無いだろうと思った。

 ハーディングも新聞記者を使ってブラフをかました。英日が同意しないなら、われわれは予定通り海軍大軍拡を進めるだけだ、と。

 ハーディングの肚積もりでは、ワシントン会議が決裂したら、上院も海軍拡張予算に反対できなくなるはずで、つまりはどっちに転んでも大統領の指導力は強化されるのである。

 ハーディングは国務長官ヒューズを腹心として信頼し、会議を仕切らせた。

 じっさい、ヒューズは英国代表に位負けしない、得がたい人材だった。NYCの法律事務所からキャリアをスタートしてまずNY州知事に当選。最高裁判事の席に連なったあと、1916には共和党の大統領候補にまでなったが、敵手の民主党ウッドロー・ウィルソンに惜敗しているのである。

 ヒューズは完璧に秘密を保って会議の準備を進め、開会冒頭の爆弾提案で列強代表を驚倒せしめたのであった。

 英国は、WWI終結時点で、世界最強の海軍国であった。ドイツを屈服させることができたのも、多くは英国のシーパワーのおかげだと思われた。

 時の英国首相デイヴィッド・ロイド・ジョージの心境は複雑だった。
 彼は、英国戦後財政は確かに厳しいのだが、米国海軍が英国海軍を凌ぐことを阻止するためならば、じぶんのシャツを質屋に入れたっていい、と思っていた。

 英海軍制服ボスのデイヴィッド・ビーティ提督も、海上覇権を米国に譲るのを見るくらいなら、オレは海軍卿を辞任する、と言っていた。

 しかし英国政府には、米国から多額の戦費を借金したままで、当面返せるあてがないという弱みがあった。
 対米全面経済競争に突入すれば、勝ち目はない。

 また内政も危うかった。1921の英国GDPは9.7%落ち込んでいた。このままでは社会不安が激甚化する。ロシア型の共産革命が。

 英国内の保守系新聞も、建艦費を削って景気対策と国民厚生にまわせ、と主張していた。とうじは梅毒の治療が大課題であった。癌も、科学研究費を突っ込めば克服できると信じられていた。そっちが優先だろう、と。

 ロイドジョージは、戦艦の時代は終わったと思っていた。彼は海軍専門家を信じなかった。
 WWIいらい新技術が多数登場し、海戦の勝敗を決める要素は流動する、と彼は読んでいた。

 だからヒューズ提案に接して英政府は、即座に賛意を表明したのである。閣内にいたウィンストン・チャーチルもまた、ヒューズ提案を喜んだ。

 日本のGNPも1921には8パーセント下がっていた。八八艦隊整備計画などを執行したら財政破綻は必至だった。

 日本海軍は対米7割を望んだが、米海軍は6割しか認める気はなかった。
 加藤友三郎は、だったらグァムとフィリピンを基地化するなと言った。これは渡りに船だった。米国議会も、グァムやフィリピンのために予算を使いたくはなかったのである。海外領土などに予算をつけても、じぶんの票にならないからだ。

 ワシントン会議は米国の隆盛を象徴していた。じつは1916年、すなわちヴェルダンとソンムで死闘がくりひろげられていたときに、英帝国の経済規模は、米国に抜かれていたのである。

 まさにその1916年の8月29日、ウィルソン大統領は、大海軍建設法に署名したのだった。

 ※この記事は、山本五十六がなんで米英に怒っていたかの把握が皮相的だ。というか、そもそもロンドン条約を視野に入れてない。

 ※末筆ながら釧路の御方、どなたかは存じませんが、いつも有難う御座います。