大きなオーだからオーメガ。小さなオーはオーミクロン。ギリシャ語アルファベット。

 AFPの2021-11-26記事「Iran militia unveils George Floyd video game」。
    イランの「Basi j」というイスラム民兵隊は、ソフトウェア開発もやっていて、このたびジョージ・フロイドを主役とする3Dゲームをリリースした。「自由を守れ」というタイトル。

 イランには8000万人の人口があるが、そのうち少なくも3200万人はゲーマーだという。

 ※英語版を無料でリリースしなければ、対米作戦にならないだろ。

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 Sommer Brokaw 記者による2021-11-22記事「Feeding sugar to bacteria may lead to less harmful fuel for cars, trucks」。
    糖を、ガソリン成分である炭化水素に変える。遺伝子改造した大腸菌にグルコースを食わせてやるだけで、その大腸菌が、石油に似た燃料を製造してくれるという。

 バッファロー大学。
 遺伝子改造した大腸菌と4種の触媒により、グルコースが、水素3個を含む脂肪酸に変わった。

 その生成物から余計な脂肪酸を除去する触媒としてはニオビウムを使う。それによってオレフィンという炭化水素が得られる。
 オレフィンはガソリンの中に含まれる分子のひとつである。

 開発者いわく。グルコースは植物が光合成で作り出すものである。その中に含まれる炭素は、空気中の二酸化炭素が原料だ。したがって、この改造大腸菌が製造したオレフィンの中の炭素は、元は、空気中の二酸化炭素だったのである。

 米国では1978年いらい、ガソリンの中に10%のエタノールをバイオ燃料として混ぜて売ってよいことになっている。これを「E10」といい、全米のGSで普通に売られている。

 2001年モデル以降の乗用車には「E15」――アルコールが15%混ぜられている――も給油できるようになった。2011年から。

 ※別なニュースでは、水素を生成する藻もあるそうである。

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 Tony Tran 記者による2021-11-16記事「Doctors Alarmed to Discover Tapeworm Inside Man’s Brain」。
   健康そうにみえる38歳の患者。2分間の大発作を起こして、病院にかつぎこまれてきた。
 脳をCTスキャンしたところ、脳内に3つの石灰化した部位を認めた。

 どうやら、豚につくサナダムシ(条虫)の幼虫の嚢胞が引き起こした、脳嚢虫症であった。何年も前に入り込んだのであろう。

 患者の故郷であるグァテマラで、不潔な食事をしたときに、とりこんだもののようだ。

 よく火を通していない豚肉の中に嚢胞があれば、人体内に入ってしまう。

 多くは人の上部腸で、長さ数mの条虫に育ち、そこで産卵する。

 ところがこの患者の場合はちょっと違う。豚の糞の中に存在する寄生虫の卵を飲み込んだようなのだ。この場合、嚢胞は人の筋肉や目や脳に入り込むことがある。

 おそらくこの患者は、豚の糞で汚染された何かの料理を口にし、その結果、脳の中でサナダムシが育ってしまったのだ。それが何年かして石灰化したことで、発作を引き起こしたのだろう。

 原因が分かってしまえば、こういうケースは、投薬だけで治るものだそうである。患者は5日間入院し、快癒した。

 医師たちはこの患者をそれから3年以上、経過観察している。その後、発作は起きていないそうだ。

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 Minnie Chan 記者による2021-11-27記事「Why wind tunnels are key in China’s race for hypersonic weapon supremacy」。
   中共国営のAVIC傘下の空力研究所ARIは、11-21に、「FL-64」という、1m級のハイパーソニック風洞のカリブレーション試験が終わったと「ウィーチャット」上で公表した。この風洞は2年がかりで建設されていた。

 その前からある「FL-63」の2倍の直径。マッハ4から8を30秒、シミュレートできる。高度は4万8000mまで再現できる。温度は摂氏626度までを。

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 ストラテジーペイジの2021-11-27記事。
   露軍の120ミリ迫撃砲弾、240ミリ迫撃砲弾、122ミリ榴弾、152ミリ榴弾、155ミリ榴弾には、レーザー誘導砲弾がある。
 米軍がGPSを信用しすぎているのに比して、露軍はレーザー誘導の方が、面倒でも、頼りになると考えている。

 米軍が155ミリのレーザー誘導砲弾「カッパーヘッド」を開発したのは1970年代だが、なにしろ1発30万ドルというふざけた値段なので、国外にも買い手はゼロだった。
 米軍じしん、嫌気がさし、GPS誘導のエクスカリバー系を好んでいる。安いし、ほどほどの精度もあるのだが、スプーフィングに弱い。

 ※座標入力を間違えると味方を精密に吹き飛ばしてしまうという大問題もある。レーザー誘導でも誤爆はゼロにはできないが、FOが見ているという安心感はある。

 ロシアは1990年代の後半から、砲弾に後付けするレーザー・シーカーの部品性能を洗練させた。

 ロシアは70年代に米国がカパーヘッドを開発開始するとすぐにそれを真似してレーザー誘導砲弾の研究をスタートさせ、ソ連崩壊後も、これだけは、たゆみなく改善し続けてきた。

 80年代、露軍が最初にレーザー誘導を適用したのは240ミリ迫撃砲(それを1970年代に自走化したのが2S4)で、弾丸重量130kg、充填炸薬34kgを精密に着弾させることには価値があると信じられた。総重量30トンの2S4は1988まで生産され、シリアにも輸出されている。
 最大射程は9700mと短く、装填は前装式であるため、自走砲車台にクレーンがついているという代物。

  ※射程の長いMLRSにとってかわられたのはとうぜんか。

 1987年頃にソ連の240ミリ用のレーザー誘導部品は完成したのだが、「視野」が狭いために、レーザー誘導の初弾を放つ前に、ほんとうに砲身が標的の方角を向いているかをFOが確かめるために、無誘導のタマを1、2発、試射させる必要があった。これでは最初の着弾で敵守備兵は用心して塹壕内に入ってしまうので、そのあとからレーザー誘導弾を陣地に直撃させても壊滅的な人的被害を与えてやることは不可能だった。

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 Ken Scott 記者による『エア&スペース マガジン』の2021-12月号記事「The Ugliest Airplane: An Appreciation」。
   1950年代、ニュージーランドの農家は、小型軽便飛行機で土壌改良剤や肥料を散布できないものかと考えた。

 ちょうど、デハビランド・モスなどの旧すぎる機体を更新すべき時代にさしかかっていた。

 米国から新型機を輸入するのは困難だった。為替レート、関税率、懐事情は、禁止的であった。

 そこで、農夫が買える値段の超小型輸送機を、なんとかNZ国内で国産できぬかということになった。

 NZの「ノーザンエアサービス」社を経営していた二人の男、ワーシントンとベネットは、豪州のシドニー工場で組み立てられた「PL-7」に注目する。イタリア人のルイジ・ペラリニが設計した飛行機だった。

 ペラリニは、WWII直後でイタリア人がクルマすら買えないときに「フライング・カー」を開発し、まったく売れずにみごとにコケたという仕事歴を有している。ふらりと豪州を旅したときに、彼は、ここでは農業用の超小型機の需要があることを理解した。

 できるだけ多くの粉体や液体の荷物をバラ積みし、畑の隣の空き地から離陸して、畑に肥料や薬剤等を散布できる、空飛ぶ小型トラックともいうべき、安価な単発単座機だ。

 ペラリニの発明は、薬剤で腐食するとまずい飛行機の胴体後半をスッパリと切り捨てたことである。とうぜんそれだけでは尾翼がなくて操縦が不可能だから、左右の主翼から2本のブームを後方へ伸ばして、その末端にそれぞれミニ尾翼をとりつけた。ブームとブームの間には、トラックが入れるぐらいの間隔がある。だから離陸前の肥料や農薬の積み込み作業は合理化された。この形状ゆえ、尾輪式にはできない。また、揚力をかせぐため、複葉機であった。

 主脚間のスペースも荷台にした。豪州では、やたらに広い農場に柵をめぐらす仕事が、骨である。多量の杭を遠くまで運ばねばならない。その杭の運搬に、特に便利な荷台だった。

 「PL-7」は、決して軽量機ではない。ウイングスパンは41フィートあったし、離陸重量は5000ポンドであった。

 これを浮かせるために、英国の「チーター」という星型7気筒400馬力エンジンを載せた。このエンジンは英国のアヴロ・アンソン双発練習機のために大量生産されていたので、安く、コモンウェルス内では部品入手が容易だった。

 しかし1958年に格納庫火災が起き、ペラリニの試作機は事業の立ち上げ前に喪われてしまった。
 それでこの企画は、ニュージーランドの会社によって拾われる。

 ペラリニは、こんどはNZ空軍の練習機であったハーヴァード(米国製でT-6と同じ)と部品をできるだけ共通化することでコストを下げようと考えた。だからエンジンも、プラットの星型600馬力だ。
 こうして「PL-11」ができた。
 「PL-7」では肥料用のスチールタンクを無骨に継ぎ足していたけれども、「PL-11」では肥料タンクは完全に胴体と一体に整形。主翼は単葉とした。

 この「PL-11 エアトラック」こそは、ニュージーランド初の国産商用機なのである。
 初飛行が1960。型式証明を取るのには、さらに3年かかった。

 ペラリニは、型式証明が遅いのに嫌気がさして、初飛行から2年後にまた豪州へ帰ってしまった。それで、ベネットがあとを引き継いだ。

 ペラリニは豪州で「PL-12」をスクラッチビルドした。こちらは一・五葉である。今日でも現役だ。
 エンジンはコンチネンタルの水平対向285馬力。
 寸づまりの胴体の末端、ホッパーのさらに後方に、手伝いの作業員2人を乗せられる狭いキャビンがあるが、そこの乗り心地は最悪だそうである。主翼のフラップが引き出されているあいだはドアを開くことはできなくなるという恐怖のオマケ付き。飛び降りて逃げることが不可能な仕様なのだ。