インドEEZのアンダマン海に中共の調査船が入ってニコバル諸島を尖閣化する気満々。

 AFPの2021-12-10記事「Cambodian PM orders US weapons destroyed after arms embargo」。
   カンボジアのフン・セン首相は、金曜日に軍隊に命じた。米国製の兵器はすべて捨ててしまえ、と。
 これは米政府が中共とずぶずぶのカンボジアに対する武器禁輸を水曜日に発動したことに対する反応。

 米政府によるこのたびの制裁は、米国の商人が、カンボジアの軍人や情報機関の人間と、取引することも禁ずる。

 フン・センいわく。アフガニスタンを見よ。米国製兵器などに頼れば、ああなる――と。

 カンボジアのレアム港には米国がカネを出して施設を整備し、米海軍も立ち寄っていたのだが、フン・センはその施設を破壊させた。これが制裁の引き金。

 シャム湾に面した「シアヌークビル」基地は、これから中共海軍のための軍港となりそうだ。

 次。
 Jordyn Haime 記者による2021-12-13記事「Jews were behind the original ‘West Side Story’ and today’s remake. Should they be?」。
    1955年に舞台監督のジェローム・ロビンスが、作家のアーサー・ロレンツと作曲家のレナード・バーンスタインに声をかけた。『ロメオとジュリエット』の筋を、20世紀初頭NYCのロウアー・イースト・サイドのユダヤ教徒とカトリック教徒の話として、してブロードウェイ・ミュージカルに作り直そうじゃないかと。

 だから当初の題は『イースト・サイド・ストーリー』だったんである。

 設定年代だが、20世紀に切り替わったばかりの頃とし、ストーリーは、カトリックの「イースター」=ユダヤ教徒の「過ぎ越しの祭」の時節に展開するものとした。

 だが、脚本にとりかかってみると、何かおもしろくない。じつはすでに『アビーのアイルランドの薔薇』という劇が存在し、アイルランドのカトリック女子とユダヤ教徒男子の恋愛が描かれていたのだ。その二番煎じになっちまう。

 ロレンツの回想録によると、そんなとき、彼が新聞の「頻発 南米系ギャングによる暴力傷害騒ぎ」という見出しを見て、『ウェスト・サイド・ストーリー』に変えりゃいいじゃん! —と思いついたのだという。

 さっそくロビンスは、「ジェッツ」という白人ギャングと、「シャークス」というプエルトリカン・ギャングが、アッパー・ウェスト・サイド地区で衝突しているという設定を構築した。その街区は数年前から再開発が始まっており、ミュージカルの中でのみ存在する過去の物語となるわけだ。

 三人は、梗概を作った上で、作詞家のステフェン・ソンダイムを仲間に引き入れた。この4人ともにユダヤ系であるが、『ウェストサイドストーリー』にユダヤ臭は皆無となった。

 上演は大ヒットし、1961年には映画化された。映画版の監督は、ロビンスとロバート・ワイズである。ちなみに映画の中でラテン系の登場人物を演じているのは全員白人で、メイクによって肌色を暗くしていた。
  ※今日ではこれは大問題にされてしまう。

 唯一、アニタ役のリタ・モレノだけがモノホンのプエルトリカンであった(オスカー受賞している)。

 そして60年後、また『ウェストサイドストーリー』が映画でリメイクされた。スピルバーグとトニー・クシュナーが監督に起用された。二人ともにユダヤ系。

 それが公開されたのは、ソンダイムの死去の数週間後である。こちらの新作では、ラテン系の人物は、ラテン系の役者が演じている。

 だが今日では、これもこんな批判にさらされてしまう。監督もラテン系にすべきだろ、とか、いまさらこんな話を作る意味あるか、とか。

 1950年代には、膨張する新来のラテン系移民が、もとからの住民でありながらアングロサクソンに同化せずにエスニック街区を形成していたユダヤ系集団を攻撃するという構図が、じっさいにNYC内に存在し、それはストーリーを非ユダヤ化しても、創り手と観客の間で常識共有されていたのである。今日、そんな意識共有は考えられない。

 ブロードウェイ・ミュージカルとユダヤ系の関係に焦点を当てた研究書としては、2014のウォーレン・ホフマン著『ザ・グレート・ホワイト・ウェイ』がある。

 1961年の映画をリアルタイムで観たユダヤ系米国人たちは、それがユダヤ系のスタッフによって製作されたことをまるで気づかなかったという。しかし感想としては、元気付けられるというよりは、露骨な人種差別主義作品だとうけとめた。ユダヤ系からみても、ラテン系からみても、それは不愉快な映画だった。

 「アメリカ」の歌詞の中に、プエルトリカンが祖国を平然と嘲るような表現が出てくるが、これは当のプエルトリコ移民たちとしては、ありえないのである。

 その歌詞を書いたソンダイムもこの仕事には躊躇していた。というのは彼は貧困とはまるで無縁の育ちで、貧民の生活感をどう出したらいいのか、見当もつかなかったそうである。

 2016時点でプエルトリコ本国には2000人前後のユダヤ人が暮らしており、カリブ諸国ではいちばん裕福なユダヤ・コミュニティだという。

 プエルトリコ自体が、ユダヤ教徒集団をマイノリティとして抱え込んでいる。そのほとんどはポーランドからキューバに渡っていた人々で、カストロが1959に権力を握ったため、キューバを捨てたのだ。そのさい一部の人々は直接に合衆国へ移住した。

 2021年のリメイク版映画では、歌詞はすっかり変更されている。

 また、字幕なしで登場人物がスペイン語で会話するシーンが増やされた。当時のスラングが再現されているという。

 ※いまだに、『刑事コロンボ』の中に若き日のスティーヴン・スピルバーグが、役者が演じてはいるものの本人のキャラのままで登場させられていることの意味が、わからない。