偕行社(かいこうしゃ)とは戦前の陸軍将校の会員クラブで、『偕行社記事』はその機関誌。そのすべての号に目を通し、私の趣味に基づいて作成した摘録を、《note》 https://note.com/187326mg/  にて販売中であります。

 ストラテジーペイジの2022-1-19記事。
   プーチンはウクライナとNATOをあくまで切り離したくて戦争の脅しを仕掛けていたが、NATO側がその要求をキッパリ拒否して八方塞がりなので、個人権力喪失の崖っ淵にある。

 ロシアの経済がすでに最悪なので、プーチンは外交で得点を稼ぐしかなかったのであるが、それは失敗した。

 クレムリンは、米国のバイデン大統領は「弱い大統領」だと見ている。
 ところが、こうした弱い新顔リーダーというものは、「リアリズム外交」=ロシア人を絶対に信用しないで戦備に万全を期すスタンス――を信奉する側近の意見に、従ってしまうというパターンがある。

 つまり、「弱い」西側大国政府に対しては、ロシア発の脅しや懐柔は却って通用しないのだ。

 おなじことは、メルケルから政権を引き継いだ新ドイツ指導部にも言える。彼らはメルケルが決めた「原発全廃政策」を、見直すべきではないかと、現実的に考えるグループだ。そしてメルケルほどにロシアに対して宥和的ではない。ノルドストリーム2をいつでも止めるぞとロシアに警告を発しているのだ。ドイツ国内のガス価格が高くなっても、他の供給源を探す作業を、すでに開始している。

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 James A. Paul 記者による2002-10記事「Great Power Conflict over Iraqi Oil: The World War I Era」。
   列強が、石油資源が大国の命綱だと実感したのは、第一次大戦中のことである。特に1917年と18年には、軍隊が使う石油が逼迫したので。

 この戦争中に軍艦は石炭焚きから重油焚きに切り替わり、ガソリンエンジンで動く航空機とトラックが大量生産されるようになった。

 また、石油産業を支配すれば、大もうけは確実だということもわかった。スタンダードオイル社を創業したロックフェラー氏は、世界一の金持ちだった。

 とうじ、英帝国は、イラン国内の油田を、「アングロ・ペルシアン」石油社に開発させて、支配させていた。
 英国指導者層は、この油田だけでは将来の戦争を考えたときこころもとないので、新油田を別な土地でも探すべきだと信じた。

 オスマントルコ帝国領のなかで、「メソポタミア」と呼ばれた地域が、WWIの前から、有望だった。それが、いまの「イラク」なのである。
 ※アラビア半島の巨大油田は第二次大戦後に開発されている。この当時は未発見。

 WWI前、英国とドイツは合同でメソポタミア油田を開発しようとしていたのだが、トルコがドイツ側に立って参戦したので、この一帯の油田をイギリスが攻め獲ってもよいことになった。また、そうしないとドイツ軍が使う石油を遮断できないことになる。

 英国戦時内閣の一員、モーリス・ハンキーが、大計画を立てた。彼はバルフォア外相に働きかけて、メソポタミア油田をドイツから切り離して英国が支配することぐらい、英国の将来の安全保障にとって重要になる「一手」はないですよ、という理屈を納得させた。

 かくして、バグダッドに迫っていた英陸軍の遠征隊に、一層大きな国家的な期待がかけられることになった。
 じきに英国がホゾを噛んだことは、1916年の「サイクス・ピコ」秘密協定により、大油田が眠っていたイラク北部を、対独同盟国のフランスに任せるという約束をしてしまったこと。1916時点でトルコはもうガタガタになっており、イギリスは、単独ででも全ユーフラテスを支配できたのだ。

 そこでバルフォアは1918に強いイニシアチブを発揮した。この未開発の埋蔵油田を誰にも渡してはならぬ、と。
 かくして、WWIの休戦の署名がなされた数日後に、英軍はモスル市に殺到し、イラク北部(北部メソポタミア)を単独占領してしまった。軍事的な「既成事実」をつくってしまおうというのだ。

 フランス政府がこれに激怒したことはいうまでもない。
 フランス本国内に石油は産出せぬゆえ、フランスの戦後の経済復興と軍隊の機能のために、メソポタミア油田が大きな救いになると、彼らは皮算用していたのだ。

 だからベルサイユ媾和会議の場で、英代表のロイドジョージと、フランス代表のクレマンソーの間には、喧嘩一歩手前の憎悪の火花が散った。

 そこでおそらくは米国のウィルソンが仲裁に乗り出し、1920年に「サンレモ秘密協定」が英仏間に結ばれた。メソポタミア全域は英帝国が支配する。代わりに、かつてドイツが持っていたトルコ石油会社の株式はすべてフランスが取る。

 バクー油田を除けば、英米2国で世界の全油田が支配されている構図ができた。

 このままでは、自国の石油安全保障は危ういままで、世界の三流国に転落するという危機意識をつのらせたフランス政府は1924年に「フランス石油会社」を創立させ、メソポタミアの石油産業に食い込ませようとした。

 米国はメソポタミア油田に関しては、英国にもフランスにも反発を感じた。それは旧外交だと映った。

 1920年当時、国務省の若い法律顧問であったアレン・ダレスは、メモランダムを作成。オスマン帝国の解体にともなって英仏がトルコ石油会社に強いた譲歩合意は、今日、無効であり、合衆国はそれを承認しないと強調した。

 こうした米政府による脅しが効いて、米国最大の石油掘削会社(のちのエクソン)が、英国とコンソーシアムを結成して、イラク北部油田の開発に参入できることになった。

 1927年10月、英国の探査チームが、北部イラクのキルクークで、大噴出油井をブチ当てた。地下にはまちがいなく、大油田が存在する。

 1928年7月、英米仏は中東石油に関する基本合意に到達した。英国資本が中東油田の半分を支配する。米国とフランスは、だいたい四分の一ずつを支配する。

 トルコは、ドイツの仲間になったばかりに、オスマン帝国がもっていた莫大な油田のすべてを永久に喪失させられた。だから今日まで、なんとかそれを回収できないかどうか、執念を絶やすことなく、イラク北部情勢にも積極介入を続けているのは、尤も至極な話なのである。

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 Thomas Newdick 記者による2022-1-18記事「Russian 747 Cargo Plane Made A Highly Peculiar Roundabout Flight Across Finland」。
   ロシアの民間貨物輸送機(ボーイング747-8型機)が1月15日、モスクワからライプニッツまで飛ぶのに、わざわざ北上してフィンランドの空軍司令部の上空を通って、そこから南下するというルートで示威飛行。

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 Joseph Trevithick and Brett Tingley 記者による2022-1-18記事「C-17 Loads Of Anti-Tank Missiles Arrive In Ukraine Courtesy Of The United Kingdom」。
   英国は、同国が生産している歩兵携行型の対戦車ミサイルNLAWをRAFのC-17に積んで、ウクライナ軍に補給した模様。

 NLAWは、ミサイルが敵戦車の頭上を水平飛行で高速通過する刹那に、真下に向けて成形炸薬弾頭を炸裂させ、装甲厚が最も薄くなっている砲塔天板をメタルジェットで貫徹させる。これは冷戦中にスウェーデンが発明した「ビル」という対戦車ミサイルのコンセプトを、最新テクノロジーで洗練したものだ。

 輸送機が着陸した場所はキエフ郊外のボリスピル国際空港だが、ドイツ領空を航過するルートをとらず、あえてドイツ上空を避けて飛行しているので、いろいろな憶測を呼んでいる。

 NLAWは、必要に応じて、弾頭のまっすぐ前方にメタルジェットを飛ばすようにも、モードが切り替えられる(これは往年の「ビル」から大きく進歩した点だろう)。

 今回ひきわたされた数量は非公表であるが、ビデオ映像をみると、数百発はあるだろう。

 米軍の「ジャヴェリン」と違い、NLAWは、ラーンチャーチューブが完全な使い捨てである。1発射ったら、もう再装填はしない。

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 Jonathan Snyder 記者による2022-1-19記事「New York firm wins $20 million Navy contract for compact, next-gen atomic clock」。
     米海軍は、NY州の「フリクェンシーイレクトロニクス」社に対し、次世代の原子時計の開発を発注した。2000万ドルで。
 水銀イオンが使われるという。
 サイズは11×10×9インチと、小さくなるが、精度は既存の原子時計の50倍に高まるという。


★《続・読書余論》戦前版の『偕行社記事』集積・他

兵頭二十八 note