モスクワ市民が核で半減でもしてくれれば、プトラー政権はとうぶん、年金の財源について心配する必要がなくなる。プトラーは、老人層から政治的支持を得ているのに、その老人を、減らしてしまいたいのだ。戦争こそ、その好い機会である。
次。
indomilitary の2022-3-21記事「Considered Old Missiles, Some Kh-31P Missiles Failed To Hit Target」。
「Kh-31P」は露軍の空対地の対レーダー・ミサイルである。開戦と同時に大量に発射されたので、その信頼性が低いぞというデータが浮き上がってきた。
このミサイルはNATO呼称では「AS-17 クリプトン」という。
発射母機は、スホイ25戦闘機か、スホイ34戦闘攻撃機だ。
ウクライナ軍は、1発の「Kh-31」をSAMによって撃破したと主張。残骸写真が公表されている。
しかしもっと可能性のある説明は、「Kh-31」が目標のレーダーを失探し、モーター燃料が尽きて墜落した、というものだ。
さらにもっとありそうな説明は、1988年から在庫のある「Kh-31P」は、モーターの火薬が古くなっており、ほんらいならリファービッシュが必要なのだが、かけ声だけで予算がなくて放置。だから今次戦争のために倉庫からひっぱり出して本番発射したところまではよかったが、空中で燃焼不良を起こしてしまっているのではないかという疑い。
露軍内のペーパーでは、次世代の対レーダーASMは、ハイパーソニック弾にするのだ、とブチあげていたが、それは「希望の声」だけで、実体は何もなかった。
「Kh-31P」は、1段目のブースターを燃やしたあとそれを切り離し、ラムジェット飛行に移行する。ソユーズ設計局の仕事なので、外見は宇宙船もどきである。マックス飛翔速度はマッハ3.5。
全長5.2m、自重600kg。110km離れた敵の防空レーダーを直撃できる。弾頭の炸薬は90kg入っている。
次。
SOFREP の2022-3-22記事「Russia Threatens To Attack Patriot Air Defense Systems Being Sent To Slovakia」。
ドイツ軍とオランダ軍のペトリオットをスロヴァキアまで推進したのだが、これを聞いてロシアが「スロヴァキアを攻撃するぞ」と脅している。
次。
ドイチェヴェレの記事「The Azov Battalion: Extremists defending Mariupol」。
悪名高いアゾフ大隊は、「テレグラム」に戦果ビデオを投稿している。
人口50万人だったマリウポリ市を防衛しているのは、このアゾフ大隊だ。
もともとこのアゾフ部隊は、ベルディヤンスク市で結成された、義勇兵からなるミリシャであった。東ウクライナの親露分離勢力と戦うのが目的だった。
その中には当初から、ウクライナの「極右」活動家が混じっている。特にコアなメンバーは、東ウクライナの住民で、使用言語はロシア語だ。
それら極右の源流は、「東スラブ民族は一体」と唱えていた。すなわち、ロシアとベラルーシとウクライナはひとつだというのである。
「Z」の斜線に短いクロス線が入ったマークを「ヴォルフスアンゲル」という。古く狼を捕える罠の意匠化だったといわれるが、旧ドイツの「SS」諸部隊もこのマークを部隊章としてよく使っていた。アゾフ連隊は、隠れもない極右として、この「ネオナチ」の印を最初から堂々と掲げる。ゆえに「悪名高い」のである。
NとIを組み合わせたマークで「国家」と「理念」を表象するのだともいう。
アゾフ連隊を創立したのは42歳のアンドリィ・ビレツキーだ。ハリコフの国立大学で、歴史を専攻した。
2014年夏、アゾフ大隊の中の、比較的にマトモな兵士たちが、親露分離勢力の手からマリウポリを奪回する戦闘に加わって、奪回を成功させた。
2014秋以降は、メディアから見て「アゾフ連隊」といえる規模になっている。今年2月時点では、兵員が1000名。おまけに野砲や戦車も抱えているのだ。
ウクライナ政府は、この極右義勇兵集団と、正式に共闘することを2014年に決めている。
2015年から16年にかけ、極右義勇兵集団は、政治政党を生み出した。「国民部隊」という名の政党で、党首には、司令官を辞任したビレツキーが横滑り就任した。
ただし同党は選挙では躍進できなかった。ビレツキーは国会の議席を得たが、2019年の選挙では落選している。
ビレツキー本人は今、キエフ市の外縁で戦闘中だという。
2019年、米議会が、アゾフ連隊を「テロ機関」に指名しようとしたが、これは実現しなかった。
過去数年、アゾフ連隊は、国外(特にドイツ)の極右との連携を模索している。
アゾフ連隊を有名にしたのは、ロシアの宣伝である。2014年にこの連隊が、略奪や残虐行為を働いた、と、さんざん宣伝したのだ。それで、逆に勇猛部隊として名が轟くようになった。