ロシアは、90年代の国産乗用車を生産再開するしかないだろうという。すなわち、エアバッグ無し、ABS無しのなつかしモデル。

 雑報によると、撃墜した「オルラン10」のサーマル画像センサー(チップ一体のもの)を分解したら、フランス製であることがわかった。しかもフランスの工場を2022-2に出荷されたものだった。

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 ストラテジーペイジの2022-5-19記事。
   エストニアは、人口たったの130万人。GDPはウクライナの0.8%にすぎないのに、ウクライナ難民を受け入れて、武器援助まで送っている。

 エストニアの現役兵力は6000人。有事には予備役を動員して6万人になる。

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 Graham Land 記者による2018-8-7記事「Starvation Without Reparations : The Nazi Occupation of Greece」。
  WWIIでギリシャは4年もイタリアとドイツに占領されていた。すなわち1941年4月から、1945年6月まで。クレタ島のドイツ軍が降伏したのが1945-6なのだ。

 ブルガリアも、ギリシャ占領に加わっていた。

 ギリシャ国王は占領される前にさっさと逃亡したが、パルチザン(右派も左派もいた)はゲリラ活動を継続する。
 それに対して、ブルガリア、ドイツ、イタリア軍はそれぞれ、4万人、2万1000人、9000人のギリシャ人ゲリラを処刑している。

 またそれとは別に、ギリシャ国内から6万人のユダヤ人が連れ去られ、どこかの収容所に入れられた。

 ギリシャにあった私企業や公営企業の51%は、ドイツ人の所有物にされた。

 この占領期間中、労働者階級を中心に、ギリシャ全土で30万人が餓死した。アテネ市内だけでも4万人が餓死したという。

 ギリシャは農業国家だった。占領軍は900の農村を破壊し、収穫物を奪ってドイツ軍の軍糧にした。

 この収奪が左右のパルチザンを連合させたものだった。

 ごくわずかに、中立国のトルコやスウェーデンから穀物を持ち帰るギリシャ船もあったが、それだけだった。

 戦後、ギリシャは共産主義者との内戦に突入したので、西ドイツによる補償の話は進まなかった。ようやく1960年に1億1500万ドイツマルクの賠償が決まった。

 しかし戦時国債として強制的にギリシャ中央銀行が買わされていた、4億7600万ライヒスマルク(利息ゼロ)は、償還されなかった。