今朝の北海道の冷え込みから察するにウクライナの前線ではもう夏服での野営はキツいはずだ。日本政府は被服支援はしているのか?

 《大金を自由に使える人間は貧乏人より偉い》とイーロン・マスク氏が脳内で考えるのは彼の自由である。

 他方、自由社会は、大勢の人間の自由が、その大勢が平均以下の貧民たちばかりであったとしても、特定のたった1人の自由よりも価値があるとみなす。
 その自由社会があってこそ、イーロン・マスクも一代にして金持ちになれたのである。

 ニコラ・テスラは発明の仕事が特許商売よりも面白いと感じていたのでじぶんの天才をビジネスには少しも使わず、それで貧乏な一生を選んだ。このような人も自由な社会が生むのである。

 エジソンやマスクの会社の特許が守られ、国家によって財産を恣意的に没収されることがないのも、過去、何百年も、自由な社会が専制政府に降伏せず、敢えて戦ってきたおかげだろう。

 どなたかお詳しい方は、教えて欲しい。
 ロシア政府には、イーロン・マスクの支配している会社の株式を下落させるような仕手戦術もしくは地下工作が可能なのだろうか? そんな手段がもしあるのだとすれば、どのようにそれを行使すれば、イーロン・マスクを動揺させ、プーチンにとってつごうのよい発言をツイッターで引き出せると考えられるであろうか?
 (じっさいにはロシア擁護の書き込みをした直後に株式は大きく下げたそうだが……。)

 次。
 Sebastien Roblin 記者による2022-10-4記事「Why Ukraine Is the Only Country Using the Soviet Union’s Secret T-64 Tank」。
    2014いらいウクライナ軍の「T-64」型戦車が再注目されるようになった。旧ソ連圏でこの型を使っているのはウクライナだけなので。

 もともと「ハリコフ設計局」のアレクサンデル・モロゾフが1950年代に設計した戦車だった。「T-54/55」型が、NATOの新鋭戦車群に性能で負けそうだというので、それを凌ぐつもりで。

 すでにウラル戦車工場では「T-62」の量産準備を進めていた。
 それは基本的に「T-55」の強化版で、「D-68」という115ミリ砲を搭載するほか、装甲もじゃっかん改善したものだった。

 それに対してモロゾフは「試作430型」と名づけられたプロトタイプを、ハリコフのマリシェフ工場で数両、製造する。エンジンは「4TD」という水平対向ディーゼル。これは「T-54」のV型ディーゼルよりも劇的にコンパクトだった。

 1961年にモロゾフは「試作432型」にとりかかった。主砲をT-62と同じ115ミリにし、エンジンは、改善された「5TDG」ディーゼルに。
 そして電気・油圧式のオートローダー。人力よりもわずかに遅い、「1分間に8連射」を可能にした。そのくらいであれば、いよいよ戦車クルーから「装填手」を省略し、「3人乗り」にしてもよいとみなされたのである。

 ※7秒で1発装填できれば、1分間に8連射できる計算だ。74式の105mm砲弾で体験させられたところによれば、私の上体筋力では「8秒装填」も無理で、その倍くらいもかかってしまったように記憶する。閉鎖機がせりあがってくるのを気にしすぎて、押し込みの力を過早に中断すると、そもそも閉鎖機が上がって来ねえ。やはり人には「適性」があるのである。

 モロゾフはさらに複合装甲も導入せんとした。防弾鋼鈑2枚の中に、ガラス繊維とかアルミの層を挟む。のちにはコランダム〔ルビーやサファイアに類似した鋼玉。ダイヤモンドに次いで硬い〕も試した。

 「K-フォーミュラ」と称し、真正面から水平に貫入しようとする敵弾に対する装甲厚は、米軍のM60戦車の値「275ミリ」を優に凌ぐはずであった。

 「T-64」は、「T-10」のようなソ連の「重戦車」路線をかんぜんに終わらせた。全重が軽ければ、燃費もよくなる。第三次大戦が始まるときには、それで、東ドイツからパリまで突っ走れるのである。

 ハリコフ工場は、オリジナル型の「T-64」を600両、量産し、それらは1967年に部隊に配備された。後年、後継の「T-64A」にかわる。

 「T-64A」は、砲安定装置付きの125mm砲「D-81T」を搭載する。その砲弾の威力は、距離1.5マイルにおいて、厚さ250ミリの防弾鋼鈑を貫徹できるとされた。米「M60」や英「センチュリオン」の105mm砲では、この「T-64A」との撃ち合いに不利だと心配された。それで1980年代に、劣化ウラン素材を使用したAPFSDS弾が、105mm戦車砲用に実用化されるのだ。

 「T-64A」は赤外線投光器を有し、それで夜間砲戦ができた。12.7ミリ機関銃は、砲塔内からリモコンで対空射撃ができる。第四転輪には特別なサスペンション。
 原型の「T-64」にもこれらの機能が逐次にレトロフィットされた。それを「T-64R」と呼ぶ。

 「T-64」は当初、故障が多かった。自動装填は3発に1回、うまく機能しなかったという。
 水平対向の「5TDF」ディーゼルエンジンは、運転89時間ごとに分解修理が必要であった。開発目標では修理インターバルを500時間としていたのだが……。

 研究家のスティーヴン・ザロガの調べたところでは、1973年において、T-64の単価は14万3000ルーブル。これは、1台が6万2000ルーブルしかしない「T-62」の2倍だ。製作所要時間も、T-62が5855時間だったのに、T-64は22564時間かかった。

 ソ連軍は「T-64」を虎の子にして秘蔵した。東ドイツの最前線部隊に、ひそかに「T-64」を集めていた。第三次世界大戦になったら、英国の「ライン駐留軍」のチーフテンを蹴散らす予定の部隊だった。NATOがそれに気付いたのは1976年であった。

 冷戦のおわりまで、1万3000両あったT-64のほんの一部がアフガニスタン侵攻に投入されたのみであった。それも、エンジン不調を理由に、1980年のうちに引き揚げられている。

 T-64の知見を下敷きにして、ウラル工場はより廉価なT-72を創り、かたやレニングラード・キーロフ工場では、ガスタービンエンジンとしてより高性能を狙ったT-80をこしらえたわけである。

 1976年、最後の「T-64B」型の量産がスタート。
 「9K112 コブラ」という無線誘導式の対戦車砲弾を、主砲から発射できた。レンジは2.5マイル。

 だが誘導装置のコストが箆棒だった。そこで、ミサイル発射機能を省略したのが「T-64B1」。
 T-64の製造は1987に終了する。最後の型は「T-64BV」といい、ERAで防護力を補強せんとしていた。

 ソ連邦が分裂したとき、ウクライナは2300両の、稼動可能なT-64をひきとった。ウクライナ軍は、T-72とT-80を除籍してしまって、T-64だけを残すことに決めた。
 ベラルーシ、カザフスタンにも少数のT-64が残存したが、それらはすべて除籍されている。

 ロシアは2000両のT-64を倉庫に保管していた。それらの一部は、ウクライナ国内の「親露派」武装集団に供与されている。

 T-64は、1992-6に、モルドヴァ内線に投入されている。そこにも「親露派」の分離主義者が扶植されていたのだ。
 ERAがほとんど剥げ落ちたT-64BVが6両、橋梁の攻防に参加した(ロシア第14軍からの寄贈)。
 2両は、モルドヴァ軍の100ミリ対戦車砲で撃破された。また1両はRPGにやられた。しかし「親露軍」は残り3両で戦闘に勝利している。

 ロシアはアンゴラのゲリラにも「T-64」を何両か、くれてやっている。一部は破壊されたり、鹵獲されたりしている。

 今日、ドニエストル川流域の分離派軍は18~20両のT-64を有している。
 ウズベキスタン陸軍は100両くらい持っている。
 ウクライナからは改修工事済みの「T-64B1M」がコンゴDRCに25両、輸出されている(2016年から2020にかけ)。