T-14はどうしたんだ、という声に応えてロシア軍は11-20にビデオを公開した。

 タタールスタンの首府、カザン市にある訓練場で、T-14が泥道を走行しているフッテージだ。
 何の解説コメントも付いていない。

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 Roman Badanin and Mikhail Rubin 記者による2022-11-7記事「Who Is Putin? The Long And Subtle Manipulation Of A Public Biography」。
   2000年にプーチンがエリツィンの後継とわかったあと、英語のオフィシャル紹介本として『First Person』が出版された。その中に妻のリュドゥミラの証言。通りに立っていたらまったく誰も気が付かない服装。そして自身について語るのが好きな男だった、と。自己愛者なのだ。

 この『ファーストパースン』は、その後、ちょくちょく内容が書き変えられ続けてきた。その流れを点検すると、プーチンが何を不都合と考えているかがよくわかる。

 そして現在、『ファーストパースン』は、クレムリンのウェブサイトから消去されてしまっている。

 消去されたのは、2016年の《パナマ文書》のブームの直後であった。

 『ファーストパーソン』の直後、Blotsky という無名の作者がプーチン夫妻へのインタビューに成功し、『Vladimir Putin: A Life Story』を2001年に出版し、すぐに続いて『Vladimir Putin: The Road to Power』を続巻として刊行している。

 げんざい、このブロツキーの本は、電子版では存在しなくなっている。誰か紙の古書を所有している個人から買い取るしかない状態。つまりは、プーチンにとっては気に喰わない紹介が含まれている。

 ある時点でプーチンと最初の妻の関係は終った。2003年に、プーチンの秘書であったスヴェトラナ・クリヴォノギュが、プーチンの私生児を出産。エリザヴェータと名づけられた。

 プーチンは妻が子供と買い物袋を両手に抱えて毎日三回、アパートの入り口から6階まで歩いて登るのを、決して手伝うことはなかった。主婦はなんでもひとりでやるものだというのが彼の持する原則であった。

 2008の春、プーチンは4年間、名目の政府首班の地位をメドヴェジェフに明け渡す。そして2008-4-12、プーチンがこれから離婚し、ただちに体操選手のアリナ・カバエワと再婚する――という報道が出た。

 数日後、この話題についてロシアのマスコミは一切、触れることを許されなくなった。

 ドイツ人ジャーナリストの Irene Pietsch が、離婚された妻にインタビューし、プーチンの娘たちの写真も載せた『Fragile Friendships』は、ロシア語版1万5000部はすぐに売り切れ、その後、紙でも電子版でもロシア国内では手に入らない。
 ドイツ語版は、ロシア国外で誰でも買えるが。

 プーチンが発禁にしている書籍はすべて、プーチンが平凡な男であると暴いている。それがプーチンには気に食わない。特別な男として周囲から見られたいのだ。

 2018年にアンドレイ・コンドラショフがプーチンを紹介するテレビ番組の放映を許された。
 この中でプーチンのサンクトペテルスブルグのアパート時代の思い出が語られる。階段でネズミを追いかけたら、最後にそのネズミはこっちに飛びかかって反撃してきた。人を追い詰めれば同じことになる、と語っている。この話は、何度してもいいらしい。プーチンお気に入りの義太夫節。

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 SNSに、英国がウクライナ軍に供与した「ブリムストーン2」の発射試験風景が出ている。
 どこからみても商用車の、白塗りな小型トラック。後部荷台は、平板なパネル/幌で囲ってあるように見えるしかし、仔細に見ると、左側のサイドパネルが「側アオリ」+幌 となっていて、「側アオリ」を倒し、幌を巻き上げれば、即、車体の左側面からミサイルを斜め上方へつるべ射ちしてしまうことが可能。

 発射中も、荷台天板とリアドア(または 後アオリ+幌)は、不変である。そこは、少しも動かす必要がない。

 これは上空のUAVの眼をまったく惹かずにATGMを前進展開させるための、車両デザイン上の緊要な留意ポイントで、英軍の他に、ここに気付けている国軍は、イスラエルしかない。