無人艇による機雷敷設はまだか?

 H I Sutton 記者による2022-11-18記事「Ukraine’s Maritime Drone Strikes Again: Reports Indicate Attack On Novorossiysk」。
   こんどはクリミア半島ではなく、クラスノダール市やソチ市に近いノヴォロシースク軍港を無人特攻艇が襲った模様。オデッサからの距離は2倍もある。

 黒海のロシア艦艇にとってもはや安全な場所はどこにもないという証明。

 ※直線で計ってもウクライナ支配海岸からの距離は600kmくらいあるだろう。これを日本周辺にあてはめると、山陰海岸から無人爆装艇を放って北鮮の元山港を襲撃させたようなもの。

 戦争初盤で黒海を支配しているかに見えた露艦隊は、10-29の爆装ボート攻撃に怯み、めぼしい艦艇をセバストポリからノボロシスクまで後退させていた。そこも安全ではなくなった。

 ノヴォロシスク軍港には石油の輸出ターミナルがある。オデーサからは420海里=675kmだ。

 爆発の景況を示すビデオは11-18にSNSに初投稿されている。
 攻撃は現地の18日夜に実行された。

 今回の攻撃は、戦果が小さかったとしても、ロシアの戦争指導部には深刻なショックを与えたはずだ。
 というのも、外貨稼ぎの柱である、原油を輸出できなくなってしまう。

 また、キロ級潜水艦の居場所が、なくなってしまう。9月にセバストポリからノボロシスクに後退したばかりなのに。

 次。
 ストラテジーペイジの2022-11-20記事。
    これまで外国がウクライナに援助した金品、総額で300億ドルを超えるだろう。その9割は米国が醵出している。

 ※1954年末に編纂され、米陸軍が印行し、今でも米陸軍士官学校生徒の基本参考書になっている『Global logistics and strategy : 1940-1943』というとんでもない分厚い資料があるのだが、ありがたいことに「openlibrary.org」というところにアクセスすればPDFで無料ダウンロードできてしまう。ここに対ソのレンドリースの数字や教訓がいろいろ書かれている。ペルシャ湾の、北上する鉄道端末がある港に、リバティ船(量産型輸送船で自前のクレーンがついている)で物資を届けるとき、おそらく揚陸作業の機械力が足りないことがいちばんの渋滞原因になるだろうと、米軍は事前に予想した。が、それは違っていた。最大の障壁は、揚陸した荷物を埠頭接続地で一時的に滞積させておく「インランド・クリアランス」が狭くて足りなくなることだった。この山なす滞貨を捌くには、おびただしいトラック運転手のマンパワーが必要だった。その運転手の軍団を引き連れてくるべきであった――というのが猛反省。英軍が支配していたイラクでアラブ人を俄か運転手に仕立てるトレーニングは可能だったのだ。

 次。
 Boyko Nikolov 記者による2022-11-20記事「Germany’s planning error keeps Ukrainian PzH 2000s unusable」。
    『シュピーゲル』誌の報道によると、ドイツがくれてやった「PzH2000」の整備が案の定、ウクライナ人には難しい。

 すでに1両は、カニバリズム整備のためにバラされた。その部品で、他の5両を生かしているという。
 ただし整備の場所はリトアニアである。わざわざ戦地からリトアニアまで後送し、そこで自走砲を整備しているのだ。

 『シュピーゲル』によると、ドイツのメーカーにはスペアパーツのストックがないそうである。ドイツ・メディアは、政府が必要なはずのスペアパーツをこれまで発注していなかったのは無計画じゃないかと批判している。

 ドイツは現状、14両の「PzH 2000」をウクライナへくれてやっている。

 そして独国防大臣によるとウ軍はこの自走砲1門から毎日300発、発射しているという。
 このペースが想定外なので、部品の磨耗が早いのだという。

 また別メディアの以前の報道では、「PzH 2000」の装填メカに機械的な負荷がかかったことによって、FCSがエラーを起こしているという。

 ドイツは、スロヴァキア国内に修理センターを開設したいと念じている。

 ※『ウイッテ伯回想記』はじつに勉強になる。ポーランドはなぜ分割されてロシアとプロイセンに占領されてしまったか? もともと国内が貴族階層と農奴に分離しており、農奴の身分は「人」と「牛」の中間というありさま。だから外敵から侵略されたときに国内が一致団結できなかったという。ここを読んでどうしてポーランドには「民兵」が自然発生しなかったかが理解できた。米州兵軍が、州兵システムを「郷土防衛軍」としてゼロからポーランドに扶植してやる必要があったわけである。またバルト沿岸地方(ラトヴィア)の場合、支配階層がドイツ人で被支配農民はスラブ系。やはり上下団結しにくい構造があり、ここはドイツ発のマルクシズムの宣伝に弱かったという。それと、帝政ロシア軍はプロイセン式の軍制(参本と陸軍省を分ける)を採用しようとしたこともあったが失敗し、けっきょくフランス式になったのだという。仏式では、軍事は軍政も編制も作戦計画も作戦指導も陸相がすべて仕切る(ショイグの陰でゲラシモフ参謀総長が霞んでいるのには淵源がある)。また補充兵がどこに補充されるか決まっていない。